心をなくした私と、あやかし荘の住人たち

ホロロン

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第22話 少しずつ…少しずつ…

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クロノが初めて、自分から誰かの隣に腰を下ろしたのは、ある穏やかな午後のことだった。縁側で澪が洗濯物をたたんでいると、黒い影がそっと近づいてくる気配がした。

「……ここ、座ってもいい?」

小さな声。それは、これまでほとんど聞き取れないほどの囁きだったクロノの声が、はっきりと澪に届いた瞬間だった。

澪は驚いたように目を見開いたが、すぐに微笑みを浮かべて、隣のスペースを手でぽんぽんと叩いた。

「もちろん」

クロノはまだ不安げに澪の顔をうかがっていたが、やがて意を決したように、そっと腰を下ろす。その仕草は猫そのもので、落ち着く場所を探すように身を縮めるようだった。

しばらくふたりは言葉を交わさなかった。風が葉を揺らす音と、洗濯物の布がからからと鳴る音だけが、静かに流れていた。

「……ぼく、」クロノがぽつりと言った。

「前に、人間に拾われたことがあったんだ」

澪はそっと手を止めた。

「すごく優しかった。撫でてくれたり、一緒に寝てくれたり。でも……ある日突然、『もういらない』って、外に置き去りにされて」

クロノの肩が、かすかに震えていた。

「最初はわからなかった。ただ待ってた。迎えに来てくれるって。でも、寒くなったのに、誰も来なくて……。それから、人が怖くなったんだ。信じても、無駄だって思った」

澪は、目の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。けれど、泣きたくなったのは、同情からではない。

……それは、自分もかつて感じた痛みだったから。

「クロノ、ありがとう。話してくれて」

澪はそっと、自分の手を膝の上に置き、その上にクロノの手を重ねる。

「怖かったよね。でも、いまこうして話してくれたのは、クロノがもう一度、信じたいって思ってくれたからだと思う」

クロノは黙ったまま、小さく頷いた。

「怖がってもいいよ。無理に信じなくてもいい。ただ、私たちはここにいる。いつでも、クロノの味方でいるよ」

そのとき、クロノの小さな手がきゅっと澪の指を握り返した。

澪が顔を上げると、クロノが少しだけ視線を合わせてきた。震えていた瞳が、ほんのわずかに揺れて、けれど逃げなかった。

それが、彼の一歩だった。

「……ありがとう」

かすかに届いたその声は、今まででいちばん、まっすぐだった。


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