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魔獣の森
凪と白蛇
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部屋を出ると、誰もいない静かな廊下が凪の眼前に広がっていた。
その道を一歩、また一歩と足を進める。
前に進むごとに凪の心臓は大きく高鳴った。
――しかし、その足が不意に止まる。
◆
「…………」
凪は立ち往生していた。
目の前には、純白の細い蛇がとぐろを巻いている。見なかったことにしようと思ったが、蛇のつぶらな黒い瞳がそれを許さなかった。じっと凪を見つめ、時折何かを期待するかのように瞳を潤ませる。
「えぇ……」
ここに至るまでの経緯はいたってシンプルなものだ。身を隠す場所のない広い前庭を突っ切って正面出口から白昼堂々と逃走を図るのは現実的では無いため、通用口を探していたところだった。その途中、通りがかった二階の廊下にそれは居たのだ。
白く透き通った体躯に、長くしなやかな胴体。頭の先から尾の先端まで、まるで雪のように純白に染まっている。縁起の良さそうな美しい白蛇だが、凪は足の無い生物はあまり好きではなかった。
だから少し、腰が引ける。
「白い蛇?なんでこんなとこにいるんだ?」
蛇は締め切られた扉の前で、ノックでもするかのように額を扉に擦りつけたり、床とドアの隙間から部屋の中に入れないかと、一生懸命長い身体をくねらせていたが、どれも上手くいかないようだった。やがて途方に暮れたようにしょんぼりと首を垂らす。
中に入りたいのに入れない、そう言葉より雄弁に語る姿に、凪は何とも言えない気分になった。
困っている。絶対に困っている。哀愁漂う仕草からはそんな雰囲気が滲み出ているのだ。人助けならぬ蛇助けをするか真剣に迷う。
(なんというか……困っている、んだろうな……)
少し離れたところから見守っていると、凪の視線に気づいた白蛇がその顔を向けてきた。
つぶらな瞳がじっと凪を見つめ、まるで助けを求めるように赤く細い舌がちろりと出た。
思わず放っておけない気持ちになってしまう。情に流されそうになっていることに気がついた凪は、慌てて自らの頭を強く振った。
「そ、そんな目で俺を見るなよ!俺は早くこの屋敷を出たいんだ。お前に構ってる時間は無いんだからな!」
凪の訴えに白蛇は長い身体を使って、しゅんとした様子で項垂れる。まるで人間のような仕草だ。
その反応に幾ばくかの罪悪感が湧き上がるが、ここで流されるわけにはいかない。凪は心を鬼にして白蛇から踵を返すと、逃げるように歩き出す。
しかし白蛇も諦めなかった。長い身体を使ってのたくたと床を這い、凪の後を追いかけてくる。凪が諦めて足を止めると、白蛇も動きを止めて舌をちろちろと揺らした。
その愛らしい仕草に思わず。
思わず……
「お前……可愛いな」
本音が漏れた。
白蛇に向かって手を差し伸べると、蛇は器用に指先から腕を伝って凪の身体を登っていく。白蛇は甘えるように身体をくねらせて、凪の首に絡みつくと、その頰に身体を寄せてくる。しっとりと吸い付くような鱗の感触が心地よかった。
「俺さ、蛇ってなんか苦手だったんだ。特に理由なんてないんだけどさ、よく知らないから、得体が知れないから、何をされるわからないから、たぶんそんな何となくの理由で怖くて避けてたんだと思う」
首に絡みついて密着する白蛇は、寝起きのアステルに似ている気がした。
凪がそっと首を撫でてやると、白蛇は気持ちよさそうに目を細めた。その様子に思わず笑みが浮かぶ。
「アステルにもお前みたいに愛嬌ってのがあったのかな。苦手なこととか、怖いものとか」
(……って、何考えてるんだ。俺)
凪は慌ててその考えを打ち消すように首を振った。話題を変えるように白蛇に向かって声をかける。
「お前、あの扉を開けたいのか?」
凪がそう問いかけると、蛇は返事をするかのようにちろちろと舌を動かす。そんな愛らしい仕草に凪の頬が緩んだ。白蛇の頭の部分を撫でると、擽ったそうに身体をくねらせる。可愛い、素直にそう思った。
白蛇に促されるままにドアノブを押すと、油の抜けた音を立てながらゆっくりと開く。
白蛇を肩に乗せたまま凪はおそるおそる室内に足を踏み入れる。凪が部屋に入ると、ばたんと扉が閉まった。
「なんだこの部屋……」
部屋の中を見て、凪は思わず声を上げた。
その部屋に家具は一切無く、カーテンは締め切られ、しっかり遮光まで施されている。
床には光る線の円陣模様――いわゆる魔法陣が描かれていて、薄暗い部屋で不気味に光っている。屋敷と扉一枚を隔てて別世界のような様相だった。
「なんだよこれ……」
凪がその魔法陣を興味本位で観察していると、突然白蛇がその円の中に飛び込んだ。そしてまるで水に飛び込んだかのように、するんとその姿を消してしまう。
「え……っ」
凪は目を疑った。慌てて白蛇が消えた場所に駆け寄り、床の魔法陣に恐る恐る触れてみる。
(……ていうかこれ、触れちゃダメなやつじゃ……!?)
ライトノベルとかでよくある、魔法陣を踏んだらトラップが発動するとか、そういう仕掛けのように思えた。何故アステルの屋敷にそんな部屋があるのかと首を捻るが、答えは出なかった。無知から来る恐怖に身を震わせ、得体の知れなさが凪の萎縮を誘う。
凪は慌てて魔法陣から離れようとしたが――遅かった。床が光り輝き始め、凪を包み込む。そして描かれた模様がひときわ強く光り輝き、凪の視界を真っ白に染め上げた。
その道を一歩、また一歩と足を進める。
前に進むごとに凪の心臓は大きく高鳴った。
――しかし、その足が不意に止まる。
◆
「…………」
凪は立ち往生していた。
目の前には、純白の細い蛇がとぐろを巻いている。見なかったことにしようと思ったが、蛇のつぶらな黒い瞳がそれを許さなかった。じっと凪を見つめ、時折何かを期待するかのように瞳を潤ませる。
「えぇ……」
ここに至るまでの経緯はいたってシンプルなものだ。身を隠す場所のない広い前庭を突っ切って正面出口から白昼堂々と逃走を図るのは現実的では無いため、通用口を探していたところだった。その途中、通りがかった二階の廊下にそれは居たのだ。
白く透き通った体躯に、長くしなやかな胴体。頭の先から尾の先端まで、まるで雪のように純白に染まっている。縁起の良さそうな美しい白蛇だが、凪は足の無い生物はあまり好きではなかった。
だから少し、腰が引ける。
「白い蛇?なんでこんなとこにいるんだ?」
蛇は締め切られた扉の前で、ノックでもするかのように額を扉に擦りつけたり、床とドアの隙間から部屋の中に入れないかと、一生懸命長い身体をくねらせていたが、どれも上手くいかないようだった。やがて途方に暮れたようにしょんぼりと首を垂らす。
中に入りたいのに入れない、そう言葉より雄弁に語る姿に、凪は何とも言えない気分になった。
困っている。絶対に困っている。哀愁漂う仕草からはそんな雰囲気が滲み出ているのだ。人助けならぬ蛇助けをするか真剣に迷う。
(なんというか……困っている、んだろうな……)
少し離れたところから見守っていると、凪の視線に気づいた白蛇がその顔を向けてきた。
つぶらな瞳がじっと凪を見つめ、まるで助けを求めるように赤く細い舌がちろりと出た。
思わず放っておけない気持ちになってしまう。情に流されそうになっていることに気がついた凪は、慌てて自らの頭を強く振った。
「そ、そんな目で俺を見るなよ!俺は早くこの屋敷を出たいんだ。お前に構ってる時間は無いんだからな!」
凪の訴えに白蛇は長い身体を使って、しゅんとした様子で項垂れる。まるで人間のような仕草だ。
その反応に幾ばくかの罪悪感が湧き上がるが、ここで流されるわけにはいかない。凪は心を鬼にして白蛇から踵を返すと、逃げるように歩き出す。
しかし白蛇も諦めなかった。長い身体を使ってのたくたと床を這い、凪の後を追いかけてくる。凪が諦めて足を止めると、白蛇も動きを止めて舌をちろちろと揺らした。
その愛らしい仕草に思わず。
思わず……
「お前……可愛いな」
本音が漏れた。
白蛇に向かって手を差し伸べると、蛇は器用に指先から腕を伝って凪の身体を登っていく。白蛇は甘えるように身体をくねらせて、凪の首に絡みつくと、その頰に身体を寄せてくる。しっとりと吸い付くような鱗の感触が心地よかった。
「俺さ、蛇ってなんか苦手だったんだ。特に理由なんてないんだけどさ、よく知らないから、得体が知れないから、何をされるわからないから、たぶんそんな何となくの理由で怖くて避けてたんだと思う」
首に絡みついて密着する白蛇は、寝起きのアステルに似ている気がした。
凪がそっと首を撫でてやると、白蛇は気持ちよさそうに目を細めた。その様子に思わず笑みが浮かぶ。
「アステルにもお前みたいに愛嬌ってのがあったのかな。苦手なこととか、怖いものとか」
(……って、何考えてるんだ。俺)
凪は慌ててその考えを打ち消すように首を振った。話題を変えるように白蛇に向かって声をかける。
「お前、あの扉を開けたいのか?」
凪がそう問いかけると、蛇は返事をするかのようにちろちろと舌を動かす。そんな愛らしい仕草に凪の頬が緩んだ。白蛇の頭の部分を撫でると、擽ったそうに身体をくねらせる。可愛い、素直にそう思った。
白蛇に促されるままにドアノブを押すと、油の抜けた音を立てながらゆっくりと開く。
白蛇を肩に乗せたまま凪はおそるおそる室内に足を踏み入れる。凪が部屋に入ると、ばたんと扉が閉まった。
「なんだこの部屋……」
部屋の中を見て、凪は思わず声を上げた。
その部屋に家具は一切無く、カーテンは締め切られ、しっかり遮光まで施されている。
床には光る線の円陣模様――いわゆる魔法陣が描かれていて、薄暗い部屋で不気味に光っている。屋敷と扉一枚を隔てて別世界のような様相だった。
「なんだよこれ……」
凪がその魔法陣を興味本位で観察していると、突然白蛇がその円の中に飛び込んだ。そしてまるで水に飛び込んだかのように、するんとその姿を消してしまう。
「え……っ」
凪は目を疑った。慌てて白蛇が消えた場所に駆け寄り、床の魔法陣に恐る恐る触れてみる。
(……ていうかこれ、触れちゃダメなやつじゃ……!?)
ライトノベルとかでよくある、魔法陣を踏んだらトラップが発動するとか、そういう仕掛けのように思えた。何故アステルの屋敷にそんな部屋があるのかと首を捻るが、答えは出なかった。無知から来る恐怖に身を震わせ、得体の知れなさが凪の萎縮を誘う。
凪は慌てて魔法陣から離れようとしたが――遅かった。床が光り輝き始め、凪を包み込む。そして描かれた模様がひときわ強く光り輝き、凪の視界を真っ白に染め上げた。
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