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俺のすべて
しおりを挟む「!」
一歩、踏み出すか、出さないか。
俺は後ろからほとんど羽交い締めにされて部屋の中に引きずり込まれて、予期していなかっただけに体勢も整えられず、ただ咄嗟に頭だけは庇った――防御本能が働いたのだろうが、怪我のことさえなければたぶん、踵を踏みつけて、相手が怯んだ隙に投げ飛ばすくらいは出来ただろう。
手や肩をどこかにぶつけて、頭を庇いながら身を丸めた格好で、気がつけば俺はまた南野に抱き込まれて玄関先でうずくまっていた。俺の下敷きになった奴もどこかに身体をぶつけたようで小さく呻いている。
静かになった部屋の中に、重いスチールドアが閉まる音が、やけに大きく響いた。
ぶつけた肩が痛い。
そろそろと顔を上げると、同じように俺の頭を庇っていた奴の手が外れた。
「……頭、平気、でした?」
「お、前……」
「すみません。目茶苦茶なのはオレですね……」
膝で奴の太腿を踏みつけていることに気づいて、身体をずらそうとしても南野は抱き締める手を緩めない。どころかますます抱き込む手に力を込める。
「だって、……山崎さん」
首筋の後ろで小さく奴が呟いた。
背後から抱きつかれているので背中が熱い。もうずいぶん前のように思えたが、今朝もこうやって目覚めたことを思い出し、首筋がかっと火照った。南野は俺を抱き寄せたまま身を起こし、壁に寄り掛かる。
「あなた、自分で先に結論を出したでしょう……」
「俺が結論を……出した?」
何のことだ?
「オレは、――あなたじゃないんですよ」
「は? ……何、言って」
振り返ろうとしたところを留めるよう、きつく抱き締められる。南野は俺の肩に額を押し当てて囁くような声で呟いた。
「オレはあなたじゃない。……なんで、わかってくれないんです?」
縋るような呟き。
密着する身体が熱を帯びてきて、風呂上がりのせいか額から汗が流れ落ちる。何かを答えようとして、唇を開いたまましばらく、凍り付いた――記憶の空白が重く凝り固まって、俺にのし掛かる。
脇腹の傷がなぜか疼いた。
「何の、ことだ……?」
「一言でも言ったら、あなた、……どうせオレを――」
「……南野?」
言葉の続きを待ったが、それっきり南野は黙り込んで、肩に当てた額をずらして頬を押しつけてきた。腹の辺りを抱いていた手が滑って太腿から左手に移っていく。俺の左手首をそっと握りしめた。
「……っ」
腕時計をずらし、内側に触れてくる。
背筋がぞくりと震えた。
顔が赤らんだのを見透かしたように南野が耳元で囁く。
「あなたを抱いて……、いいですか?」
「――――」
「オレはあなたを抱きたい。飽きたなんて嘘です……」
「……――」
「嫌なら、いいんです。……二度もあなたを強姦したくない」
喉がひくりと引きつった。記憶にはなくとも身体は覚えていたのかも知れない、強張って震える拳に力が籠もる。堅くなった俺の身体に気づいたのか、南野は抱き寄せる手を緩めて逃げ出せる隙を作った。
俺は少しだけ身動いだ。
立ち上がろうと、膝を立てて、それ以上は動けなかった。
するりと左手から奴の手が外れる。
――あなたはオレの何ですか? オレはあなたの何なんですか……?
覚えのない、南野の囁きが脳裏で響いて、消えていく。
「……――」
ゆっくり振り返ると、南野は眉間を狭めた心苦しい顔で俺を見つめていた。かすかに震える唇が何か言いたげにしながらも決して口を開かない。手を伸ばして頬に触れると、南野は手を重ねてきて、少しずらすなり手の平に口づけた。
……今までとは違う。
俺が階段から落ちて記憶を失ったあと、南野はまったく俺に近付こうとしなかった。例外はあったがいつも緊張感をはらんでいたような気がする。現に昨日は、俺の前から逃げ出したというのに――。
どうしてこんなに急に変わったんだ……?
「昨日……、何があったんだ?」
南野はおもむろにあごを引くと、上目遣いで俺を見た。
掠れるような声で呟く。
「あなた、昨日、……ずっとオレの名前、呼んでたんですよ。何度答えても、何度も何度も呼び続けて、……意識がなくなるまで」
「――マジか?」
「えぇ、終いにはオレも呆れてしまいましたよ。一緒に寝てたのは布団が一つしかないこともありましたが、あなたが、――離してくれなかったから、です」
「!」
背筋から首筋にかけてたじろぐほどの熱が走った。もちろん俺は何も知らない。寝ていたか気を失っていたかのどちらかだし、南野が嘘をついている可能性もあったが、……だとしたら、この南野の変わり様に、説明が付けられなかった。
ますます身体が熱くなってこめかみから汗が流れる。
顔を寄せてきた南野が頬にキスして、前髪をそっと掻き上げた。
「……熱があるんじゃないですか?」
「違、う。さっき、風呂に入ったから……」
「ここに座っていては身体が冷えますね」
南野はなぜか視線をずらし、素早く立ち上がるなり俺の腕を引いた。逆らう気力もなく素直に従って立ち上がる。奴は衣擦れの音をさせながら俺の身体に腕を回してきて、ためらいを含ませながら、抱き締めた。
「……山崎さん」
語尾の掠れた、やわらかい声が俺を呼ぶ。
南野は首筋に顔を埋めた。
「ずっと、……あなたをこうやって、抱き締めたかった」
「――……」
「……山崎さん」
求められているのが、わかった。
気持ちや身体を使ったセックスじゃなくて、生きていく理由、一緒にいる時間がそのまま生き甲斐に通じるような、深く広いものすべてを南野は俺に求めている。生きている人間の全部、と言い換えても間違いじゃないだろう。
……つまり俺のすべてだ。
俺の――。
不意に怖くなって、奴の胸を押した。
「山崎さん……?」
奴は少し首をかしげながら俺を見つめている。
いつもの無表情の中で、もの言いたげな目が俺を見ていた。
「――!」
ぞっと背筋が冷え、俺は驚きのあまり、自分が背後の壁まで後じさっていることに気づかなかった。背中に壁が当たり、動けなくなっても呆然と、南野を見つめていた。
――どうして俺は気づかなかったんだ? こいつはずっと俺を求めてた。好きだとか愛しているとか、そんな言葉で言い表せるような、生ぬるいもんじゃない。もっと凄まじく生々しい、……俺すら知らない俺を寄越せと、求めてる。
「どうしたんです……?」
いや、……もしかすると、俺は知っていたのかも知れない。
こいつの気持ちを。
想いを、全て。
だから……忘れたんだろうか?
あの一件は不意打ちに違いなかったが、南野の気持ちを知ってしまい、俺では背負いきれないと知り、だから俺はこいつのことを忘れたんだろうか……?
「――山崎さん、どうしたんです?」
触れてきた手は、まるで当然であるかのように馴染み、俺の肩を包む。いきなり膝が笑った。身体を支えきれず、俺はずるずると壁に沿って座り込んだ。驚いた南野が腰を折って覗き込んでくる。
「頭の傷が痛むんですか? ……気分が悪い?」
立ち上がらせようと差し伸べてくる腕に思わず縋った。南野の顔が痛みで歪むほど強く握りしめる――昼に宗田さんの言った言葉が、容赦なく俺に襲いかかった。
――お前と南野の名前が揃って世間に出れば、世間は必ず、あの事件を思い出す。
脇腹の傷が何の前触れもなく痛み出した。
「……っ」
息を呑んで、奴の胸に頭を押しつける。
あたたかな腕が背中を抱いた。
「山崎さん……? 本当に、あなた、どうしたんです?」
俺は、バカだ。
前の俺はすべて知ってたんだ。
知りながら知らない振りをしていた。
間違いない――、俺の知らない俺は、全部を見抜きながら知らぬ振りをしてたんだろう。突然強姦されたって問い詰めもず、こいつの求めるがまま抱かれてやりながら、……いつか南野が、この過ちに気づいてくれればいいと。
俺が応えなければいつかこの不毛さに気づくだろう、と。
そう願いながら、求めを拒むことが、できなかった。
俺にとって、それくらいこいつは大事で、……大切、だったんだ。
今でも。
それは変わらない。……変わって、ない。
あぁ、畜生――。
いつだってこいつが、南野が幸せであればいいと願って祈ってきたのに、どこでどう間違えてしまったんだろう? 俺なんかを求めてこいつが幸せになるのか? なんで俺みたいな野郎を欲しがるんだよ……、このバカ。
「山崎さん……?」
いつかこいつに引き摺られるのが怖くて、俺は何の答えも欲しがらなかった。身体なんてどうでもよかったんだ。俺さえこいつを求めなければ、南野が幸せを見つけた時、……きっと祝福してやれるだろうと思って。
「……っ、」
鼓動に合わせて痛む脇腹に奥歯を噛んで、俺は思わず、南野の首に縋る両の手を伸ばした。
抱き寄せて抱き締めたその感触を、俺は知っているような気がした。少なくとも記憶の中では一度だって手を回したことはなかったはずだ――でも知っている気がして、奴の首筋に額をなすりつけて顔を埋めた。
懐かしい匂い。
少しためらって、南野は背中に手を回してくる。
耳元でそっと囁かれた。
「あなたを抱いてもいいですか……?」
「……――」
逃げなきゃいけない……。
気づいてしまった以上、もう二度と南野と寝るわけにはいかなかった。
もう一度でも抱かれたら、きっと俺は、引き摺られちまう。
けれど、そうわかっていながらも、俺はなぜか言葉に詰まってすぐに答えられなかった。すると南野は丁寧な手つきで俺を立ち上がらせ、あごにあたたかな手を添える。南野は俺の様子をうかがいながらゆっくりと顔を寄せてきた。
「……あなたを抱きますよ、山崎さん」
唇が重なる。
軽くついばまれ、思わず背けた顔を戻されて、口の中に舌が滑り込んだ。
俺は耐えきれずに目を閉じた――。
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