ある探偵の独り言

イケウタ

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過去の傷

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 ファミレスに入ってすでに三十分が経っていた。
 遅いな、神谷橋の野郎。
 人を待たせるなんて良い度胸をしてるじゃねぇか……。
 喫煙ルームの中、吸っていた煙草をもみ消して灰皿に放り込む。スマートフォンを取り出してこちらにも連絡がないことを確かめた途端、ため息が漏れた。周囲は家族連ればかりで独りでコーヒーを飲む俺は確実に浮いている。
「あと十分待って来なかったら帰るか……」
 少し待ってみて電話が鳴らなかったので、所長は了解してくれたらしい。あと十分。腹を据えて座りにくい椅子に体重を預ける。新しい煙草に手を伸ばしたところで、懐に入っているスマートフォンが震え、すぐに静かになった。
 来たか。
 目を上げて出入り口を確かめる。すぐに左腕を吊った一人の男がよろめきながら入ってきて、案内しようと近寄っていた従業員を押しのけ、こちらに向かって歩いてきた。足取りが鈍い。
 俺は写真と相違ない青年をしばし眺めて、すぐ近くの座席に戻ると傍らの鞄からハンカチを取り出し、それにゆっくりとコップの水を染み込ませた。
「誰にやられた」
 それを差し出すと、差し向かいに座った神谷橋は血走った鋭い目で俺を睨み付けてきたが、すぐ恥じ入ったよう顔を背けてうつむいた。もう一度、ハンカチを押し出す。それを渋々と受け取った手が少し腫れていた。
「……すみません、遅れて」
 一応、礼儀だけは知っているということか。鷹揚にうなずいて顔を拭うように促す。何を恥ずかしがっているのか神谷橋は口端の傷を隠しながら拭い、すぐに顔をしかめた。
「ホント、すみません。いきなりそこで、……襲われて」
「誰にだ?」
「……わかりません。いきなり襲われたんで」
 なんでこいつは敬語を使うんだろう?
 いつかの巫山戯きった、調子の良い電話と目の前に座る青年が上手く重ならず、俺は吸えない煙草を弄びながらしばし黙り込んだ。声はよく似てる、……あぁ、此奴で間違いない。なんだろう、なんか調子が狂う――。
 口の血を拭った神谷橋は右手にうまくハンカチを絡めて冷やしている。かと思えばまたうつむいて、すんません、と歯切れも悪く謝った。どうにも煮え切らない。俺もどう問い詰めていいかわからず、思わず頭を掻いた。
「あー、神谷橋」
「……――」
「俺に用があるんだろう? ケンカの助っ人をしろってんなら考えなくもないが、今は高いぜ。頭の骨折、完治してねぇみたいだからな」
 きつくハンカチを巻いた手がなぜか震えている。
 続く無言。
 埒があかなくて、俺はウェイトレスを呼び寄せてコーヒーと、簡単につまめる唐揚げにフライドポテトを頼んだ。時計の向こうで所長や宗田さんも焦れていることだろう。
「……南野は変わった奴でした」
 不意に神谷橋が喋り出したのは俺が三杯目のコーヒーを飲んでいる時だった。すっかり温まっただろうハンカチをきつく握りしめて、神谷橋はぼそぼそと言う。
「誰とも喋らない。誰の顔も見ない。誰の顔も見えてない。傷害とか強盗をやった連中の中じゃ独り浮いてて、よく難癖付けられて殴られてたけど、……野郎は仕返しなんかしなかった。ただ冷めた目で俺たちを見るだけだった」
 咄嗟に時計を三度叩き掛けて、俺は止めた。傍らの子供がうるさくてこれじゃぁ所長たちに聞こえているかどうか。いつの間にか折ってしまっていた煙草を箱に戻し、神谷橋を見つめる。
 手の震えは止まっていた。
 だが今度は肩が小刻みに動いている。
「……野郎、家族や親戚の面会も断って、会ってたのは山崎さん、あんただけだった」
「――……」
「三年前、野郎を駅で見かけたのは偶然だった。横に居たのが誰なのか、俺にはすぐ、わかったよ……。なんつーかな、予想通りだったからさ」ようやく顔を上げてこちらを見る。「あんたが山崎さん、だったんだな」
「……なぁ神谷橋」
 探偵をやってると思いも寄らない勘が働く時がある。俺は時計を三回叩いて、そばにあった煙草の箱を遠ざけ、身を乗り出した。
「誰も身元引受人になってくれなかったのか、お前」
「!」
 一瞬、凍り付いた神谷橋の目が大きく見開かれ、いきなり立ち上がるなり殺しそうな目で俺を見下ろした。叫びも、音を出しもしなかったのにその剣幕に押され、周りのテーブルが静まり返る。
 楽しい食事の場だってのに。
「あー、神谷橋」
 俺は気がつくとまた頭を掻いていた。
「悪かった。座れよ。まだ話は終わってないんだろう?」
 ハンカチをぐちゃぐちゃに握ったまま仁王立ちして、神谷橋は荒くなった息を殺している。こいつは傷害で少年院に入ったんだっけ。殴られるのだけは勘弁願いたいと思いながら手を振って、もう一度、座るように促した。
 神谷橋は人形のようなぎこちない動きで、座る。
 それを機に周囲の静寂が溶けて消えた。



 少年院は身元引受人が居ない限り、出院を認めない。
 俺も南野を引き取るに当たって調べ、驚いたのは、その際、家族や親類の多くが身元引受人を拒むことだった。中にはバイト先の店長や雇用主が身元引受人になってくれる例もあるらしいが、ほぼ例外だ。
 身元引受人の居ない少年たちは出院を認められず、家族からも世間からも、ともすりゃぁ世界からも不必要だと烙印を押されたことを悟り――。
 そして、行く末は、簡単だ。
 元の世界に戻るだけ。
 少年院で知り合った仲間や以前の仲間の下に転がり込んで、また少年院や、最悪、今度は刑務所に世話になる場合も少なくないらしい。
 そう、宗田さんが言ったように、世間はその人間が一度背負った罪を、決して忘れない。忘れさせない。
 当人がどんなに変わったって世間の目は変わらない……。
 俺は煙草をもみ消した。
「誰だったんだ?」
 お前の、身元引受人は。
 神谷橋はまた血走った目で俺を睨んできたが、口端を痙攣させながら「バイト先の先輩」と漏らした。
 なるほど、ね。
 それが三良社のカメラマンだったのか。
 ……ンで今が性質の悪いフリージャーナリスト、か。
 この日、何本目かもわからない煙草を箱から取り出し、持て余しながらため息を吐き出した。
 典型的といえば典型的な話なんだろう。
 どこにでも転がってる、典型的な不幸――。
 俺は背中を椅子に預けて南野と同い年の神谷橋をじっと見つめた。簡単な経歴の中から彼の苦労を読み取ることは難しくない。家族に見捨てられると言うことがどういう意味なのか、南野の側にいた俺にも朧気ながらわかっている。俺も数年、親父に勘当されていたが、あの時は辛かった。
 コイツはどうやってこの人生の中で足掻いてきたんだろう……?
 煙草が手からポトッと落ちる。
 それで我に返って、吸えないそれを箱に戻した。
「お前、カメラは好きなのか?」
 不意を付かれた神谷橋はらしくなく、素直に「好きだよ」と言う。
 こりゃ詐欺だなぁ……。
 あの電話にはこの素直さは微塵も感じられなかった。
 俺は思わず懐に手を突っ込んで、しばらく、黙り込んだ。
 少年を更生させるのは探偵の仕事じゃないし、俺の趣味でもない、当然、正義感からそんなことをするほどの熱意も持ち合わせちゃいない。――南野はなんつーか、例外だった。
 だがなんとなくわかることもある。
 コイツが何度も俺にちょっかいを出してきたのは単に南野が羨ましかったからだ。
 羨ましがるってことは、どういう意味か。
 変わりたいってことだろう。
 たぶん。
「――――」
 俺もホント、お節介だよなぁ。
 思わず苦笑しながら名刺入れを取り出して、裏の空白部分に電話番号を書き付け、「林」と書き入れる。
 あー、小林、だったっけ? あいつ。
 まぁたぶん小さくはなかったから林で間違いないだろう。
 それを神谷橋に渡した。
「興味があったら連絡を取れ。仙台で写真館をやってる林ってんだ。ちょっと口は悪いが、カメラマンになりたい若い連中を使ってくれたりする。駄目もとで電話してみろ」
「……――」
 名刺を見つめる目が不意に丸くなった。
「な、んで……」
「いっとくけど厳しいぞ。もとはこのあたりで不倫専門の探偵をやってたんだけどな、写真を撮っているうちにカメラの道に目覚めて、地元に戻って会社を立ち上げたんだ。苦労を知ってるから他人にも厳しいって嫌なヤツさ。電話するなら覚悟しとけ」
 こんなことで立ち直れるとは思わないがさ、がんばれよ。
 世の中なんて偶然と縁だ。
 もとは平凡な公務員の息子だった俺が、こんなところで探偵なんかやってんだから。
 俺は時計を三度叩いて心持ち、背筋を伸ばした。
「……腕、悪かったな。治療費は南野に負担させるから名刺の住所に請求書を送ってくれ。仕事に支障は出そうか?」
 神谷橋はずっと名刺を見つめて、ゆっくり、首を振る。思わずほっと小さなため息が漏れた。生活費まで負担しろといわれたらさすがにヤツの貯金もヤバいだろう。次に、なんで俺を呼び出したのか聞こうとした時、何の前触れもなく神谷橋が立ち上がった。スニーカーを鳴らしながらあっという間にファミレスから出て行く。
 引き留める間もなかった。
「――――」
 呆気に取られている俺の前で、スマートフォンが踊った。
 バイブレーションの耳障りな音が鼓膜を叩く。
 ため息混じりに取り上げた。
「もしもし……」
『肝心なことは聞けなかったな』
 仕事の採点はどんな時も痛いもんだ。
 骨折部分が疼いたような気がして、後頭部を撫でた。
「すみません。ちょっと脱線しすぎました」
『神谷橋のあとは大槻が追ったぞ。ところでお前、俺の記憶じゃ林と確か殴り合いのケンカ、してなかったか?』
「えー、現場でバッティングして、ですね。でも俺がヤツのカメラを弁償して終わりましたよ。今じゃちゃんと年賀状のやり取りもしてます」
『山崎……』
 なぜか所長は深々と嘆息したようだった。
 その上で、戻って来い、という。
 俺はまったく手をつけなかった唐揚げとフライドポテトを眺める。
 慣れないことをするもんじゃないな、まったく。


 その日の真夜中、俺のパソコンに神谷橋から添付メールが届いた。
 あとで多量の写真とネガなんかも送られてくるが、そのメールには俺に関する情報を何でもいいから二百万で売れといってきた若い女が居たことが書かれていて、その女の隠し撮り写真が二枚、添付されていた。
 見間違えるはずもない。
 それは、南野の姉、[[rb:紗夜莉 > さより]]だった。

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