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南野紗夜莉
しおりを挟む「……ねぇ、山崎さん」
「んー?」
大の男が二人でシングルベッドで寝ようってのがどだい無理な話だ。壁側に寝た南野はまったく動かなかったが、俺は長い間動いて楽な姿勢を探し、奴の肩の近くに頭を置く格好で落ち着いた。
今さら自分のアパートに帰るのもおかしな気がして、俺はあの日からずっと、南野の部屋に泊まっていた。
今日で四日になる。
どうやらあの女医から一報が入ったらしく、所長は九時出社の五時退社を俺に命じたが、さすがに補佐が居ない状態では六時前の退社が精一杯だった。夜の張り込みや尾行が多い案件を他のチームに頼み込んでも、だ。その中で南野の部屋に泊まるのは多少の覚悟が必要だったが、どういうワケか、南野は一度も手を出してこなかった。
ほんの時折、額や肩に軽く唇を押し当てる程度。
付き合い始めてすぐの男女じぇねぇんだからとは思ったが、照れ隠しだと自分でもわかったので言わなかった。いくら夕食の材料を買って来ているとはいえ、自分から泊まりに来ていることは否定の出来ない事実だ。
俺の動きが止まってからしばらく、するりと南野の腕が首に絡んでくる。
耳に吐息が掛かった。
「あなた、オレに何か、……隠し事をしているでしょう?」
「――……」
「変ですよ。ここしばらく」
南野は一週間の謹慎。
俺の検査入院は奴の謹慎開けに決まった。
それまでにどうにかなるとは思ってないが、……南野に紗夜莉の存在を告げることが出来ない。毛布を引き寄せながら奴の肩口に額を押しつける。
かすかな柑橘系の香り。
たぶん南野が使っているコロンだろう。
「変じゃねぇよ。……どうせお前はいつも俺が変だって言うんだろ?」
「いいえ、……あなたいつも、隠し事をすると軽口が減るんです。今日は一度も言わなかった」
「そうか……?」
喋りすぎると仇になる。少し動いて肩の位置を変え、俯せになりながら奴の傍らに寄り添った。耳を澄ませば互いの呼吸音と心臓の鼓動すら聞こえる。なんだか急に眠気が押し寄せてきて、薄く開いていた目を閉じた。
実際のところ、主任として普通の案件を裁きながら紗夜莉の調査も進めているので予想以上に疲れている。
「神谷橋とどんな話をしたんですか……? いい加減、それくらい教えてくれても良いでしょう?」
「大したことじゃねぇよ、……仕事、紹介しただけだ」
嘘は言ってない。
全部を話してもないが。
くそ、眠くて……。
「山崎さん、起きてください。どうして隠すんです……?」
「も、触るなよ……」
首筋の辺りがくすぐったくて、手を押さえたつもりだが、すでに眠気にずるりと引き込まれていたので手を動かしたかすら覚えてない。南野はしばらく俺の身体に触れていたようだが、もうくすぐったさも感じなかった。
それを翌朝になって後悔した……。
南野の奴、よりにもよって首筋の、Yシャツにギリギリ隠れるか隠れないかの所に濃い跡を残したからだ。
無論、頭に来て思いっきり引っぱたいてやったが、南野は反省の色も見せずにしれっと「隠し事なんかするからです」って言いやがった。
そこで言葉に詰まって黙ったのが、悪かったのか、良かったのか。
南野が思った以上に優秀な探偵であることを、俺はのちのち、感謝することになる。
「予想以上の目狐だな」
苛々すると所長は頻繁にコーヒーを煽るようになる。
無論、細巻きも、だ。
ゴミ箱に山と捨てられた空き缶と灰皿の細巻きを見やり、俺は困り切って頭を撫でていた。なぜなら俺が拾い集めてきた情報もほとんど噂の域を出ず、宗田さんが探し当てた情報の方がよっぽど上等だったからだ。
彼女の性格。
経歴。
極めつけは当時の彼氏。
だが今現在の紗夜莉を探し当てるには至らず、俺たちは情報の海の中で堂々巡りをしていた。
「駄目だな」
所長室の片隅で外を見ながら電話をしていた宗田さんがスマートフォンを降ろす。
「この三ヶ月、南野紗夜莉の名前で入国した記録はないそうだ。山崎、紗夜莉が留学したってのは確かなんだろうな」
座っていたソファの上でしばし考えて、あごを引く。
「えぇ、少なくとも二年前には……、戻ってませんでした。なんで南野の屋敷に行ったのか覚えてませんが、そこで南野の親父さんと怒鳴りあいになって、紗夜莉はまだ戻ってないって喚いてたんで」
「……三ヶ月以上前に戻っていた、ということか。実家に戻っている気配がない以上、関係箇所を徹底的に潰していくしかないな。どうする、楢崎」
刑事や詐欺師――と、断定して良いものか――の頃の伝手なのだろう、所長や宗田さんは驚くほど広い情報網を持っている。俺も日本全国に知り合いはいるが二人には到底敵わなかった。
だがその網にも引っかからないとなると、南野紗夜莉は徹底的に痕跡を消し、どこに潜っていることになる。
神谷橋の情報がなければ、彼女が日本に帰ってきたことさえわからなかったはずだ。彼には感謝すべきだろう。金の魅力にも負けずに情報を渡してくれたのだから。
その神谷橋だが、俺も交えた話し合いの末に林が雇ってくれることになり、早速引っ越しとなり、今は大槻に頼み込んで仙台まで同行してもらっていた。なんで彼が俺との待ち合わせの前に殴られたのかはわかっていなかったが、どうにも無関係とは思えなかったからだ。
彼が立ち直れるかどうかは、わからない。
そう願うばかりだ。
たとえ道を外れたとしても、林が強引に引き戻してくれるだろうが。
「お呼びでしょうか?」
女性の声と共に所長室のドアが叩かれる。思案に暮れていた俺の前で所長と宗田さんは顔を見合わせ、ゆっくりと動き始めた。椅子から立ち上がったり書類をまとめたり、部屋から出る準備を始める。
最後に所長が俺を見た。
「いいんだな、山崎」
「……はい」
「終わったら資料はまとめて金庫に入れておけよ。ヤバいものもあるからな」
「すみません」
出て行くふたりと入れ替わりに入ってきたのは斉藤だった。彼女は疲れと焦燥を滲ませた探偵事務所の経営者たちを見、少し訝りながら俺の顔を伺う。軽く手を振って椅子を勧めた。
「お前に頼みたいことがあるんだ、斉藤」
「……えぇ、いいですけど」
改まった雰囲気に飲まれたのだろう、斉藤はぎこちない動きで俺の差し向かいに座り、膝の上で両手を重ねた。
背筋をぴんっと伸ばした彼女はやっぱり綺麗だ。
彼女をちゃんと見た途端、徐々に張り詰めるばかりだった気がふっとゆるんで、俺は戸惑いながら一枚の写真を探した。
斉藤は俺にとって単なる部下という一線を越えているのかも知れない。
なんだろう?
彼女の存在は俺を落ち着かせる……。
この数日、溜め込んできた疲れをため息とともに吐き出して、探し出した写真を机上に置いた。
「この女性を探して欲しい」
「……――」
「南野紗夜莉。二十七歳になったばっかりだ。十六歳の時にイギリスに留学して、二年前まではあっちに居たはずだが、今は日本に戻ってる」
写真の中では独りの女性が街中で背筋を正し、立っている。その立ち姿は凛とした気品に溢れていた。顔形に南野との共通点を認めたのだろう、手にとって写真を眺めた斉藤の顔が、ゆっくりと強張った。
「……主任、この人、南野さんの……?」
「あぁ。姉だよ」
なぜかショックを受けたように、斉藤は黙り込んだ。南野の過去を少しは知っているのだろう。穴が開くほど写真を見つめて唇をきゅっと引き締めた。
真っ直ぐに俺を見る。
潔い目だった。
「わかったわ。他になにかわかっていることはないの?」
「詳しい履歴はこっちにある」
昨日一日、仕事の間にどうにかまとめた書類を手渡し、心持ち声を潜めた。
「これは俺からの個人的な依頼でしかないが出来る限り優先して欲しい。依頼報酬についてはきちんと出すし、便宜も図る。俺に出来ることがあるなら何でも言ってくれ。――それにいずれわかることだろうから、あの事件のこと、先に説明しておく」
「……主任」
か細い声。
立ち上がりかけていた俺は戸惑って、腰を戻した。
斉藤はなぜか悲しげな顔で眉を寄せている。
「どうした……?」
「だって、その事件……」
今度こそ立ち上がって、気にしなくていい、と軽く手を振った。
「俺は説明するだけだ。南野が説明するわけじゃない」
所長の机の上にあった写真の束に新聞の切り抜き、それとかなりの数の週刊誌の切り取りを手に取った。
弟が真剣で実の姉を殺す――。
当時はかなり話題になったのだ。
俺は一番騒がれていた時期に昏睡状態にあったので、この手の記事を見たのは今回が初めてだった。
「簡単に経緯だけ説明するな。こいつが第一報の新聞記事」
『弟が姉を殺害 真剣で斬り殺す』と、端的に事実を述べた見出しがある。
斉藤は困ったように顔を伏せた。
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