マッチ売りの限界を感じて廃業しようとしていたらボヤを出しておじさんに説教された少女

砂山一座

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おじさんの説教は本当に長い

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 涙が止まった頃、私はあの時身を投げようと思っていた橋の上に来ていた。
 あの時はここから飛び降りることができると思ったけれど、今の私には身を投げることなど出来ない。
 大切な人たちの顔が浮かぶから。
 あの時は私が死んだところでマッチ売りの仲間が眉を顰めるくらいで、誰も悲しむ者はいなかった。
 それが今ではどうだ、私が死んだら想像の中の皆はボロ泣きだ。なんだかそれを想像して笑えてきてしまう。
 ニーナは寝込んでしまうだろう。
 料理長は怒っておじさんの苦手な料理ばかり作るようになるかもしれない。
 トムさんは胃を痛めて仕事を放棄するかもしれないわね。
 ワグナーはおじさんに説教するかも。それとも、また別の場所に旅に出てしまうかしら。
 おじさんは、そうね、きっと自分を責めて食事も喉を通らなくなるわね。
 ひっそりと行われる自分の葬式を想う。

 わかっている。私は確かに皆に愛されている。
 ここ最近の騒ぎは度を超えて望みすぎていただけだったのだ。
 もう十分なものを受け取っていて、更に恋人としての愛まで欲しがるなんて強欲だ。
 おじさんや皆が私を慈しんでくれたこと以上に大切なものなどないのに。
 
 なんとなく清々しい気持ちになって、飛び出してきたばかりだけれど、家に帰りたくなった。 
 せめて、残された時間を大好きな皆と機嫌よく過ごさなければ。

 少し日も暮れて、西日は足元の影を長く伸ばす。
 橋の向こうから紫がかった空を背景に黒い馬車がやってくるのが見える。
 うちの馬車ではない。近くに来ると、見覚えのある顔がのぞく。
 ライアン・ハーヴィーが数人の男と一緒に馬車から身を乗り出していた。

「いた! あの娘だ!」

 ライアンが男たちに向かって指示を出す。何か不穏な雰囲気を感じて、私は走り出した。
 バタバタと男たちが馬車から降りて私を追いかけてくる。
 馬車の中から右だ左だと、ライアンは声だけを張り上げていてたいへん情けない。
 
 足は速い方だが、それでも馬には勝てない。私を追い越した馬車から降りてきたゴロツキ風の男が橋の前方に待ち構えている。
(――捕まる!)
 逃げきれなくて手首を掴まれて、絶望で冷や汗が噴き出る。
(だめだ、帰らなきゃ。おじさんとの喧嘩の当てつけに家出したみたいになっちゃう)
 そんなことになったら、おじさんは苦しむだろう。
「いやぁぁぁぁっ!!!」
 すごく大きな声が出た。ここで拉致されては困る。
「誰か助けて! 誘拐よ!! だれかー」
 男たちは、大声をあげる私の口を塞ごうと掌をひろげて迫ってくる。
「大人しくしろ、すぐに私の妻にしてやるから。すぐにその気になるさ。純潔を奪われては他の男の妻にはなれまいし」
 最低だ。あのおじいちゃんの血を引いているとは思えない外道だ。
「変態! 強姦魔よ!! 屑よ! ここよ! 助けてー!」
「早く黙らせろ!」
 こんなことで諦めるわけにはいかない。あとで無茶をしたと叱られてもいい。多少傷がついても逃げなくては。
 恐怖で固まっている暇なんかない。
 私は羽交締めにされて浮かされた足をばたつかせて暴れた。そのうちの一蹴りが股間に決まって暴漢の一人がうずくまる。
 まだだ。ライアンをいれてあと三人……。

 私は最後まで抵抗した。服の袖はほつれ、髪も解けてばさばさだ。
 それでも、引きずられるようにして馬車に詰め込まれる。
 噛みつきもしたから、警戒して私のドレスの端を裂いて、猿轡さるぐつわにしようとしている。
「なんて乱暴者だ。よく躾をしてやらねばならないな」
 ライアンがギリギリと歯を鳴らしながら唸る。
 さて、自死するのと、従ったふりをして相手を殺すのと、どちらがおじさんが苦しまないだろう。
 私は最悪の二択からどちらかを選ばなければならないところまできていた。


「待て! 何をしている」
 舌をうまく噛み切れるかどうか考えを巡らせていた時に、おじさんの声がした。
「ちっ、出せ! 早く出すんだ」
 私を取り押さえるのに駆り出されていた御者が、慌てて御者台にのぼり、馬に鞭を入れる。
 荒事に怯えていた馬たちはなかなか鞭を受けいれない。やっと走り出したところで、がしゃりと音がして馬車が止まった。
 御者台からは音がしないし、馬の声も遠い。
 そうして馬車の扉が開き、おじさんが一瞬見えたかと思うと、すごい力で外に引き摺り出された。

「ひっ……」
 何をどうやって引きずり出したのか、考えが追い付かないままに、私を連れ去ろうとしていた暴漢二人が殴り飛ばされた。
 御者の男は馬を追いかけているのか、引きずられているのか、大声で悲鳴を上げながらずっと遠くにいる。おじさんはどうやら馬車と馬を繋ぐリードを外したらしい。

 おじさんが暴力を振るうところを初めてみた。
 手慣れている。
 なんというか、街で見たボクシングの試合の男たちのような訓練された動きではない。どこを狙っているのかわからないうちに急所を襲う粗野で乱暴な動きで、相手の安否が気になるほど打ちのめす。
 手下たちはおじさんが凶暴だと知ると、主人を置き去りにして二手に分かれて逃げていった。
 残されたライアンは震える手で懐からナイフを持ち出して構える。しかし、おじさんにつま先がめり込むほど右の脇腹を蹴られて、ライアンはあっけなくナイフを放り出した。
 怖いのにおじさんから目が離せない。おじさんはきれいな金髪を振り乱すのでもなく、小さな動きでじわりじわりと獲物をいたぶっていく。
 相当痛かっただろうに、ライアンは丸腰で逃げ出した所を足を払われて転ばされた。
 また立ち上がって逃げようとしては転ばされ、また逃げても小さな足払いを続けざまに見舞われて、ライアンはついに這いつくばった。

 おじさんは、手ごたえがないのが可笑しいのか、うっすら笑みを浮かべている。でもあれは怒っている時の顔だ。

 仰向けに転がされ、押さえつけられ、手をバタバタさせて顔を守ろうとしているが、おじさんはライアンが疲れ切って手もあがらなくなるまでその手を払い続けた。
 おじさんはしつこいのだ。

「まだやるつもりか?」
 ライアンは力尽きたのか上がらない腕をそのまま投げ出して、頭を振って抵抗する
「孤児の一人ぐらい、放っておけばいいものを……」
「黙れ」
 ライアンが言うとおじさんはその頬をぴしゃりと張る。ライアンは学習能力が低いのか、静かになるまでおじさんに頬を張られ続けた。 

 そして、おじさんの長くて辛い説教が始まる。
 おじさんと同じくらいの歳の男に、子どもの道徳を聞かせては復唱させている。

「人の嫌がることはしません」
「……ひ、ひとのいやがることはしません」
「次、人のものは盗りません」
「もう、許してくれ……」
「人のものは盗りません」
「悪かった、悪かったから……」
 別のことを言うとピシャリと頬を打たれる。
「人のものは盗りません」
「ひとのものはとりませんっ!」
「女性には親切に」
「まだ続けるのか?」
「女性には親切に」
「なんなんだよ、謝っただろ?」
 また頬を打たれる。
「女性には親切に」
「クソっ、女性には親切にィ」
「勤勉に仕事をします」
「あそこには金が余っているんだよ。親の金で生活して何が悪いんだ!」
 また叩かれる。
「勤勉に仕事をします」
 おじさんの口調は変わらない。
「勤勉に仕事をしますからぁ」
 そろそろ男が涙声になってきた。
「勤勉に仕事をします」
「します、します! 勤勉に仕事をしますぅ」
「人の嫌がる事はしません」
 復唱が三周目に入ってライアンの気力は一気に萎えた。
 おじさんの説教はライアンがすらすらと言えるようになるまで続いた。
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