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40話 小鳥、手放す☆
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【小野賀小鳥視点】
『受け取りました。流石の出来でした。ですが、少し暗いような……あまり、先生のテイストじゃない気がして……いえ! ええ、はい……では、今回はこれで……あの、もし、もし、可能であればこの先は明るく……はい、はい……では』
スマホの通話画面を閉じ、私は額に手を置き、溜息を吐く。
「ふう……」
最近、溜息の量が増えた気がする。
病院でも看護師さんに『ため息、多いですね。でも、大丈夫ですよ。良くなってますから』と言われた。
身体は良くなった。有難い。先生や看護師の皆さんには感謝してもしきれない。
同室の方も良くしてくれた。私より年下の四十路の子が子ども扱いしてきたのが気に入らなかったけど。
問題は、心だ。
梅雨もビックリの二か月ずっと土砂降りだ。リアルなら災害が起きている。
いや、私の心ももうボロボロだ。
少しでも潤そうと、手元のコーヒーカップを手に取り、口を付ける。
(苦い……)
砂糖二本入れたのに……。
私は、キッチンに向かいもう一本追加する。
摂り過ぎだ。
でも、もういいんだ。
健康にも美容にももう気を使う必要なんて……
真っ黒な水の中に真っ白な砂が溶けていく。
黒い水の中に私が、小野賀小鳥が映る。
なんだその顔。
「何がしたいんだよう、小野賀小鳥ぃい~」
私は、珈琲を目の前に置き、うつ伏せになる。
目の前は真っ暗になり、珈琲の匂いがより強く感じられる。
大好きな匂い。
なのに、辛い。
好きだから辛い。
拓さんが私の為に選んでくれた珈琲だった。
クリスタルマウンテン。
なんでも水晶の取れる山の珈琲とか。
確かに、苦みが落ち着いていて飲みやすい。
でも、それだけじゃない。
拓さんがわざわざ私の為に、選んでくれた珈琲豆。
それだけで、砂糖二本分以上の甘みを感じられた。
でも、今は、しない。あの甘みが、ない。
拓さんはいなくなった。いや、居場所は知ってる。
私の近くに、いない。ただ、それだけだ。
私が入院してカルムを甥の一也に任せたことが原因だ。
私は、一也に大人になってもらいたくて、責任者に任せた。
そして、拓さんを店長代理に任命して、しっかり支えてもらうように指示した。
一也が自分で任命すれば、拓さんに頭が上がらないだろうし、いつもちょっと自信なさげな拓さんも指導しやすいと思ったから。
でも、結果は最悪を引き起こした。
一也は拓さんを追い出し、好き勝手やった。
結果、うまくいかなくなっていた事は、パートの石口さんから聞いていた。
でも、この時はなんとかなると思っていたし、大人しく引き下がった拓さんに腹も立てていた。
退院し、カルムへ向かう。
店内は、何ともいえない、強いて言うならば負の空気と言えばいいのか、陰鬱とした混ぜこぜな匂いが漂っていた。
「いらっしゃ……おふくろ」
一也は目を合わせるとばつの悪そうな顔ですぐにそむけてしまう。
姉さんの子。でも、私の子。
姉さんが二度目の家出をして、途方に暮れていた一也。
姉さんのやったことは家の人間みんなが知っていて、みんな許せなかったから、一也はひとりぼっちになった。
私は一也の面倒を見てあげることにした。
大学に入ったばかりだし、やりたいこともあっただろう若者の夢を奪うのは気が引けた。
例え、それが喫茶店をやるという自分の夢を直前で押し付けた姉さんの子であったとしても。
ただし、私は親として敬い、ちゃんと言う事を聞くようにと条件を出して。
そもそももう一人暮らしをしていたし、大丈夫だろうと。
けれど、一也は度々やらかしていた。
喧嘩をしたり、夜のお店で働いて高価なお酒を割ってしまったり、大学を留年したり、仕事を辞めていたり。
その度に一也はバツの悪そうな顔でそむける。
姉さんに似てた。
でも、姉さんとは違うと信じていた。
私は一也をしかり、少しでも反省し分かって欲しいと思っていた。
今回もそう。頭は良い子だ、ここまで痛い目見たし言えば分かってくれる。
そう思ってた。
けれど、
「実の母親でもないくせに偉そうに言ってんじゃねえよ!」
一也がそう言い放った。
私は、『ドラマみたいな事言うなあ』なんて遠い世界の感覚で一也の言葉を聞いていた。
遠い世界だ。異世界だ。一也に私の言葉が通じない。私は、無力だ。
その無力感のまま、私は一也を突き放してしまった。
「……そう、ね。その通りだわ。わかった。一也の好きにすればいいよ。ただし、姉さんの時と同じ。ウチは誰も助けてくれないよ」
「はっ! 上等だよ。大体、俺があんたの子になったのは、大学行き続ける金の為で、あんたの子になりたかったわけじゃねえ! いや、そもそも何の手続きもしてないんだ。ただただ、金で繋がった関係なんだ! あんたはあのジジイと付き合いたいから俺が邪魔なんだろ!」
遠くにいた一也が急に目の前に現れ、私の心臓を殴りつけた。
ばん!
気が付けば、ぶっていた。
泣いていた。
言葉が溢れ出していた。
そうして、私はもう無理だと思ってしまった。
一つの大切な場所が壊れるのをもう私には支える力が、気力がない。
私は大丈夫だ。実家は色々と背負わせた負い目もあって、私に良くしてくれるし、私自身も別の仕事を、姉さんに押し付けられた理不尽も背負いながら掴み取った自分の夢があるから大丈夫だ。
だから、申し訳ない。
今まで頑張ってくれていたパートやアルバイト達にも、お客さんにも、なにより、あの人にも……。
大切な場所を、私が手放した。
遠くでは石口さんが涙目でこっちを見てた。『もういい』って口が動いてた。
病院で何度も私が謝って、石口さんに言われてた言葉。
もういい、よね。
私は、その日カルムを去った。
その日から私の見える景色は、そう灰色だった。
それまでは怒りもあったが、色づいていたように思う。まだなんとかなるという希望があったから。
でも、今はない。
以前は、【GARDEN】に行って、福家さんと詩織に何か言ってやろうと思っていたけど、そんな気力もない。
だって、悪いのは私だから。
それからは、必要なものの買い出し以外外に出ることはなくなった。
買い出しのたびにカルムを見に行ったが、ガラガラか、臨時休業。もしくは、何かガラの悪い子達と一也がお喋りをしているだけだった。
私がやってきたことはなんだったんだろうか。
カルムはそんなお店じゃなかったのに。
三雲のおばあちゃんや耕さん、千代子さん達は今どこでお茶してるんだろうか。
寛子や明美ちゃん、ゆいちゃんやりんちゃん。
朝いちばんにいつも来てた詩織は……
詩織は今も拓さんの珈琲を飲んでいるんだろうか。
嫉妬だ。明確な。
私は自棄になっているんだ。
詩織に。
拓さんをとられたって。
カルムのガラス。
そこには私一人しか映っていない。
もう一緒に買い出しに行ってくれたあの人はいない。
なのに、
「小鳥さん……?」
なのに、彼はいた。
カルムの前で。
「拓、さん……」
変わらない見た目で、でも、どこか纏う空気は違っていて。
手放してしまった彼。
出来るなら。
「よければ、少しお話しませんか?」
私は頷くのが精一杯。
そして、彼の後ろを歩くことが精一杯。
彼の匂いがした。
珈琲の香りが混じった彼の匂い。
私は、彼の背中を見ながら、彼との出会いを思い出していた。
『受け取りました。流石の出来でした。ですが、少し暗いような……あまり、先生のテイストじゃない気がして……いえ! ええ、はい……では、今回はこれで……あの、もし、もし、可能であればこの先は明るく……はい、はい……では』
スマホの通話画面を閉じ、私は額に手を置き、溜息を吐く。
「ふう……」
最近、溜息の量が増えた気がする。
病院でも看護師さんに『ため息、多いですね。でも、大丈夫ですよ。良くなってますから』と言われた。
身体は良くなった。有難い。先生や看護師の皆さんには感謝してもしきれない。
同室の方も良くしてくれた。私より年下の四十路の子が子ども扱いしてきたのが気に入らなかったけど。
問題は、心だ。
梅雨もビックリの二か月ずっと土砂降りだ。リアルなら災害が起きている。
いや、私の心ももうボロボロだ。
少しでも潤そうと、手元のコーヒーカップを手に取り、口を付ける。
(苦い……)
砂糖二本入れたのに……。
私は、キッチンに向かいもう一本追加する。
摂り過ぎだ。
でも、もういいんだ。
健康にも美容にももう気を使う必要なんて……
真っ黒な水の中に真っ白な砂が溶けていく。
黒い水の中に私が、小野賀小鳥が映る。
なんだその顔。
「何がしたいんだよう、小野賀小鳥ぃい~」
私は、珈琲を目の前に置き、うつ伏せになる。
目の前は真っ暗になり、珈琲の匂いがより強く感じられる。
大好きな匂い。
なのに、辛い。
好きだから辛い。
拓さんが私の為に選んでくれた珈琲だった。
クリスタルマウンテン。
なんでも水晶の取れる山の珈琲とか。
確かに、苦みが落ち着いていて飲みやすい。
でも、それだけじゃない。
拓さんがわざわざ私の為に、選んでくれた珈琲豆。
それだけで、砂糖二本分以上の甘みを感じられた。
でも、今は、しない。あの甘みが、ない。
拓さんはいなくなった。いや、居場所は知ってる。
私の近くに、いない。ただ、それだけだ。
私が入院してカルムを甥の一也に任せたことが原因だ。
私は、一也に大人になってもらいたくて、責任者に任せた。
そして、拓さんを店長代理に任命して、しっかり支えてもらうように指示した。
一也が自分で任命すれば、拓さんに頭が上がらないだろうし、いつもちょっと自信なさげな拓さんも指導しやすいと思ったから。
でも、結果は最悪を引き起こした。
一也は拓さんを追い出し、好き勝手やった。
結果、うまくいかなくなっていた事は、パートの石口さんから聞いていた。
でも、この時はなんとかなると思っていたし、大人しく引き下がった拓さんに腹も立てていた。
退院し、カルムへ向かう。
店内は、何ともいえない、強いて言うならば負の空気と言えばいいのか、陰鬱とした混ぜこぜな匂いが漂っていた。
「いらっしゃ……おふくろ」
一也は目を合わせるとばつの悪そうな顔ですぐにそむけてしまう。
姉さんの子。でも、私の子。
姉さんが二度目の家出をして、途方に暮れていた一也。
姉さんのやったことは家の人間みんなが知っていて、みんな許せなかったから、一也はひとりぼっちになった。
私は一也の面倒を見てあげることにした。
大学に入ったばかりだし、やりたいこともあっただろう若者の夢を奪うのは気が引けた。
例え、それが喫茶店をやるという自分の夢を直前で押し付けた姉さんの子であったとしても。
ただし、私は親として敬い、ちゃんと言う事を聞くようにと条件を出して。
そもそももう一人暮らしをしていたし、大丈夫だろうと。
けれど、一也は度々やらかしていた。
喧嘩をしたり、夜のお店で働いて高価なお酒を割ってしまったり、大学を留年したり、仕事を辞めていたり。
その度に一也はバツの悪そうな顔でそむける。
姉さんに似てた。
でも、姉さんとは違うと信じていた。
私は一也をしかり、少しでも反省し分かって欲しいと思っていた。
今回もそう。頭は良い子だ、ここまで痛い目見たし言えば分かってくれる。
そう思ってた。
けれど、
「実の母親でもないくせに偉そうに言ってんじゃねえよ!」
一也がそう言い放った。
私は、『ドラマみたいな事言うなあ』なんて遠い世界の感覚で一也の言葉を聞いていた。
遠い世界だ。異世界だ。一也に私の言葉が通じない。私は、無力だ。
その無力感のまま、私は一也を突き放してしまった。
「……そう、ね。その通りだわ。わかった。一也の好きにすればいいよ。ただし、姉さんの時と同じ。ウチは誰も助けてくれないよ」
「はっ! 上等だよ。大体、俺があんたの子になったのは、大学行き続ける金の為で、あんたの子になりたかったわけじゃねえ! いや、そもそも何の手続きもしてないんだ。ただただ、金で繋がった関係なんだ! あんたはあのジジイと付き合いたいから俺が邪魔なんだろ!」
遠くにいた一也が急に目の前に現れ、私の心臓を殴りつけた。
ばん!
気が付けば、ぶっていた。
泣いていた。
言葉が溢れ出していた。
そうして、私はもう無理だと思ってしまった。
一つの大切な場所が壊れるのをもう私には支える力が、気力がない。
私は大丈夫だ。実家は色々と背負わせた負い目もあって、私に良くしてくれるし、私自身も別の仕事を、姉さんに押し付けられた理不尽も背負いながら掴み取った自分の夢があるから大丈夫だ。
だから、申し訳ない。
今まで頑張ってくれていたパートやアルバイト達にも、お客さんにも、なにより、あの人にも……。
大切な場所を、私が手放した。
遠くでは石口さんが涙目でこっちを見てた。『もういい』って口が動いてた。
病院で何度も私が謝って、石口さんに言われてた言葉。
もういい、よね。
私は、その日カルムを去った。
その日から私の見える景色は、そう灰色だった。
それまでは怒りもあったが、色づいていたように思う。まだなんとかなるという希望があったから。
でも、今はない。
以前は、【GARDEN】に行って、福家さんと詩織に何か言ってやろうと思っていたけど、そんな気力もない。
だって、悪いのは私だから。
それからは、必要なものの買い出し以外外に出ることはなくなった。
買い出しのたびにカルムを見に行ったが、ガラガラか、臨時休業。もしくは、何かガラの悪い子達と一也がお喋りをしているだけだった。
私がやってきたことはなんだったんだろうか。
カルムはそんなお店じゃなかったのに。
三雲のおばあちゃんや耕さん、千代子さん達は今どこでお茶してるんだろうか。
寛子や明美ちゃん、ゆいちゃんやりんちゃん。
朝いちばんにいつも来てた詩織は……
詩織は今も拓さんの珈琲を飲んでいるんだろうか。
嫉妬だ。明確な。
私は自棄になっているんだ。
詩織に。
拓さんをとられたって。
カルムのガラス。
そこには私一人しか映っていない。
もう一緒に買い出しに行ってくれたあの人はいない。
なのに、
「小鳥さん……?」
なのに、彼はいた。
カルムの前で。
「拓、さん……」
変わらない見た目で、でも、どこか纏う空気は違っていて。
手放してしまった彼。
出来るなら。
「よければ、少しお話しませんか?」
私は頷くのが精一杯。
そして、彼の後ろを歩くことが精一杯。
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私は、彼の背中を見ながら、彼との出会いを思い出していた。
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