運命なんていらない

文字の大きさ
37 / 46

太郎編1

しおりを挟む
「とにかく、身体を休めて。お水、持ってくるから」

先生が寝室を出て扉を閉めると同時に、俺は頭を抱えた。

やってしまった……!
いや、正確にはヤられた方か……いやいや、違う!!
混乱しすぎて、心の中で自分で自分を突っ込む。

まさか、こんなことになるなんて……。
俺は才谷先生の大ファンだった。
でも、こんな大それたことをするつもりはなかったんだ!
モブ中のモブの俺が……あんなに美しい才谷先生に……ない!ない!!



初めて先生を見たのは書店のサイン会だった。
俺は当時高校生で、先生の書く小説の純粋なファンで、サインが欲しくて書店に並んだ。
その時の先生はまだ顔出しをしておらず、書籍も数冊でそこまでの知名度はなかった。
俺は、先生の書く小説の世界観がとにかく好きだった。
どんな人が書いているんだろう?
列に並びながら、わくわくしていた。

初めて目にした動く先生は、作り物のような、完全な美しさだった。
長い睫毛、大きな二重の瞳、小振りだが通った鼻筋とぽってりとした唇。

絵に描いたようなΩだ……!
第一印象は、まさしくそれだった。

こんな美しい人があんな作品を……?

才谷先生の作風は一言で言うと、暗。
人のほの暗い部分が本当に秀逸で、読んでいてゾクゾクしていた。

俺は自分自身が全く特徴のない人間だと思っていた。
身長も体重も平均的で、顔立ちも良くもなく悪くもなく。
運動も成績も中。
絵に描いたようなβ。

自分は世界に選ばれていない。

多感な時期からずっと、いてもいなくてもいい存在の自分に対し、暗澹たる 思いを抱えていた。
その他大勢の自分。
βというバース性に、運命に、普通を突き付けられたんだ。

思春期のβならば、誰しも一度は通る道かもしれない。

そんな俺を救ってくれたと言っても過言ではないのが、才谷先生の小説だった。

先生の小説では、普通の人間がいつも主役だった。
普通の人間が少しの間違いで転落したり、多くの人を巻き込んだ事件を起こしたりする。
普通の人間が幸せになる話の訳ではない。
それなのに、こんな素晴らしい小説の主役足りうることに感銘を受けていた。

きっと、俺と同じような普通の人が書いてくれているんだろう。
そう、思っていたのに……。

まさか、こんな美しい人だとは……。
正直、がっかりした。
選ばれし者が、選ばれざる者を憐れんでスポットライトをあてただけか、と。

でも、作品を好きなことには変わりない。
俺は最後まで並んでサインの番が来るのを待った。

「君みたいな若い子がこんな小説読むんだね?」

先生は想像よりも低い声音で俺に言った。

「あの、俺、普通だから、その」

ただサインを貰うだけだと思っていたので、話す準備をしてなかった。
何も言えない間にサインは終わって、本を手渡される。

「普通かぁ。羨ましい」

その表情が忘れられなかった。

美しい顔を歪め、一瞬、俺を羨望の眼差しで見た。
俺がαやΩを見ていたのと同じ瞳だった。

すぐに、表情が消え、元の美しい人形の顔に戻ったが、あの瞬間だけ血肉が通ったように感じた。

なぜだろう。分からない。

その思いはずっと胸の奥に燻っていた。

サイン会などで顔出しをしたこともあって、先生の人気は高まっていった。
サイン会も容易に当選することはできず、あまりのファンの過熱ぶりに対面でのサイン会すら開催されなくなっていった。

それからも、俺は先生の作品を読み続けた。
相変わらず、世界観はそのままで、よりその暗闇が広がっている気がした。
あんなに美しい人が書く世界の歪さ。
なぜ、幸せな話が一つもないんだろう。
そんな話を書いて貰いたい。

そう、思ったことが編集者を目指すきっかけだった。

一念発起し、俺はその後の高校生活すべてを犠牲にし、必死で勉強して、一流大学に合格した。

普通の俺が認められるためには並大抵の努力では足りなくて。
大学生活も青春を謳歌することなく、出版社でのバイトに捧げた。
その甲斐あって採用が決まり、文芸編集者として働き始めた。

それから数年後、先生が文学賞を受賞する。
やっと編集者という立場で先生と会えると思っていたのに、今ではどこの出版社でも次回作をウチで!と争奪戦になっている。
やり手の先輩編集者たちがアポを取ろうとしても、返事すらないらしい。
一応、編集長の許可を得て、俺も自分の着想をメールしたものの、連絡なんてあるはずがないと思っていた。

そこにまさかのメール。
先生の自宅で打ち合わせしてみたいと言う。

編集室は大騒動で、編集長も同席したいと言ったが、そこは断られた。
あくまで、提案した俺の意見だけが聞きたいと言われ、すべてが俺の肩にかかっていた。

なんとか、連載をもぎ取ってこい!と編集室から送り出されたが、正直みんな俺に期待はしていなかっただろう。
他の編集者の足掛かりになればいい、くらいのものだ。

俺自身は自分の人生の転機ともなった先生と作品を作れるかもしれないというチャンスにワクワクしていた。

それが、まさか……。
あんなことに……。
しおりを挟む
感想 49

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

《完結》僕の彼氏は僕のことを好きじゃないⅠ

MITARASI_
BL
彼氏に愛されているはずなのに、どうしてこんなに苦しいんだろう。 「好き」と言ってほしくて、でも返ってくるのは沈黙ばかり。 揺れる心を支えてくれたのは、ずっと隣にいた幼なじみだった――。 不器用な彼氏とのすれ違い、そして幼なじみの静かな想い。 すべてを失ったときに初めて気づく、本当に欲しかった温もりとは。 切なくて、やさしくて、最後には救いに包まれる救済BLストーリー。 続編執筆中

陰キャな俺、人気者の幼馴染に溺愛されてます。

陽七 葵
BL
 主人公である佐倉 晴翔(さくら はると)は、顔がコンプレックスで、何をやらせてもダメダメな高校二年生。前髪で顔を隠し、目立たず平穏な高校ライフを望んでいる。  しかし、そんな晴翔の平穏な生活を脅かすのはこの男。幼馴染の葉山 蓮(はやま れん)。  蓮は、イケメンな上に人当たりも良く、勉強、スポーツ何でも出来る学校一の人気者。蓮と一緒にいれば、自ずと目立つ。  だから、晴翔は学校では極力蓮に近付きたくないのだが、避けているはずの蓮が晴翔にベッタリ構ってくる。  そして、ひょんなことから『恋人のフリ』を始める二人。  そこから物語は始まるのだが——。  実はこの二人、最初から両想いだったのにそれを拗らせまくり。蓮に新たな恋敵も現れ、蓮の執着心は過剰なモノへと変わっていく。  素直になれない主人公と人気者な幼馴染の恋の物語。どうぞお楽しみ下さい♪

異世界にやってきたら氷の宰相様が毎日お手製の弁当を持たせてくれる

七瀬京
BL
異世界に召喚された大学生ルイは、この世界を救う「巫覡」として、力を失った宝珠を癒やす役目を与えられる。 だが、異界の食べ物を受けつけない身体に苦しみ、倒れてしまう。 そんな彼を救ったのは、“氷の宰相”と呼ばれる美貌の男・ルースア。 唯一ルイが食べられるのは、彼の手で作られた料理だけ――。 優しさに触れるたび、ルイの胸に芽生える感情は“感謝”か、それとも“恋”か。 穏やかな日々の中で、ふたりの距離は静かに溶け合っていく。 ――心と身体を癒やす、年の差主従ファンタジーBL。

鈴木さんちの家政夫

ユキヤナギ
BL
「もし家事全般を請け負ってくれるなら、家賃はいらないよ」そう言われて鈴木家の住み込み家政夫になった智樹は、雇い主の彩葉に心惹かれていく。だが彼には、一途に想い続けている相手がいた。彩葉の恋を見守るうちに、智樹は心に芽生えた大切な気持ちに気付いていく。

悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?

  *  ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。 悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう! せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー? ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください! ユィリと皆の動画つくりました! お話にあわせて、ちょこちょこあがる予定です。 インスタ @yuruyu0 絵もあがります Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます プロフのWebサイトから、両方に飛べるので、もしよかったら! 名前が  *   ゆるゆ  になりましたー! 中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!

【完結】恋した君は別の誰かが好きだから

花村 ネズリ
BL
本編は完結しました。後日、おまけ&アフターストーリー随筆予定。 青春BLカップ31位。 BETありがとうございました。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 俺が好きになった人は、別の誰かが好きだからーー。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 二つの視点から見た、片思い恋愛模様。 じれきゅん ギャップ攻め

処理中です...