胡蝶の夢に耽溺す【完結】

🫎藤月 こじか 春雷🦌

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3 秋の日に舞い降りた胡蝶

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 雲一つないほどに晴れ、高く澄み渡る青空の眩しかった、ある秋の日の、昼ごろ――。
 
 洋式の豪華絢爛な屋敷、その屋敷の前にある、広い庭園に植えられた赤いもみじの木々。…乾いた、冷ややかな茶色の木の幹、上に辿れば青空に暗く浮かぶこずえの先、ざわざわ…赤く色付いたもみじの、無数の木の葉が冷たい風に揺らされ揺らめき、今もまた一枚…ぷつり。
 
 鮮やかな紅色のもみじが、とがった梢の先からまた一枚千切れ…舞う…蝶が飛んでいるように、ひらひらと舞い落ちてゆく、その先――薄紫色の口布で口元を隠した、淡い水色の装束を身に纏う長駆の男が立ち、この屋敷の門に入ってすぐの場所で、軽く頭を下げている。
 
 落ちゆくもみじが、その形に影を落とした――かの人の白い両手が掲げ持っている、大人の腕ほどもあるような、太く大きな桜の木の枝一本。
 …この国は、もう秋だ。――だというのに、その桜の木の枝には、薄桃色の小さな花びらがちらほらと咲いている。
 
 
 そのお方の名は――。
 
 
「…五蝶ごちょうの国からやって参りました。わたくしは五蝶一族、十二男――ユンファと申します。」
 
 
 ユンファ…――。
 その方はいま、髪の一本も見えない。
 頭には、黒く美しい眉の上まで覆う、白い頭巾――淡い水色の羽織りを纏う肩に、それの白い布が落ちている――をかぶり、華美な銀糸で蝶の描かれた、地面につきそうなほどにたっぷりとしたたもとの、淡い水色の羽織りを上に、そしてその下には、彼が手に持つ桜のような薄桃色の、綺麗な着物を身に纏う。
 どことなく俺の生まれ故郷の服――漢服、と呼ばれる着物に近いようだが、その人の薄桃の着物は、腰に留められた濃い橙色の細帯の下、両側面にまっすぐ下まで切れ込みが入っている。
 そして、足首より拳二つぶんほど上にある、ひらひらと軽い裾、薄桃色の薄い布は下のほうばかり透け、秋の冷風にはためき…今も彼の背後に停まっている、迎えの馬車から今しがた、しゃなりと下ろされ、門の中まで歩んできたその足には、黒に金の錦糸で刺繍を施された靴を履いている。…先ほど舞っていた紅色のもみじが一枚、その人の黒い靴のつま先に落ちて、ひらひらそよいでいた。
 
 首元の肌さえ、ぴっちりと白い布で覆われて見えず、白い袴で脚の肌もまるで見えず――ユンファ殿の口元も、半透明の薄紫の口布で覆われ、厳かに隠されている。

 唯一窺える肌色――極白い肌――は、その伏せられた目元のみ。…端正な黒々とした眉の下、切れ長の美しいまぶたは伏し目、薄紫色をしたその瞳は翳り、どこか憂いを帯びている。
 
「…このノージェスの英雄と名高き、ジャスル・ヌン・モンス様ほどのお方が――此度の、私ユンファとの縁談を快くご提案、ご承諾くださいましたこと、誠にありがとうございます。…この類まれなる良縁に、我らが長リベッグヤもまた心より喜び、ジャスル様へ感謝しておりましたこと、僭越ながら、伝言させていただきまする。」
 
 両手に掲げ持ったその太い桜の枝の奥、深くこうべを垂れるユンファ殿はほとんど無表情、その顔の端正さも相俟っては、まるで巨匠に造られた人形のようである。
 ユンファ殿は頭を下げたまま――初めて目の当たりにするのだろうこの広大な洋館にも興味を示さず、その人はこの屋敷も、それの前にある、この花々が色鮮やかに咲き誇り、紅葉樹の見事な庭園さえも、何も見渡すようなことはしなかった。
 そして、おもむろにユンファ殿は、地面にゆっくりと片膝ずつ着いた。…そうして膝立ちになると、頭の上へ両手に持つその、太い桜の枝を掲げた。
 
「…ジャスル様…この桜は、我が国五蝶に咲き誇る、“永久とわの桜”でございます。…この桜は四季を問わずして万年花を付ける、大変珍しいもの…――我ら五蝶とノージェスの和親関係が、この桜のごとく、どうか末永く続きますように…、和親の証として、そして五蝶の長リベッグヤからの結納の品として、この“永久の桜”を、ジャスル様へご献上いたします。…どうぞ幾久いくひさしく、お納めくださいませ。」
 
「…ぐふふ、随分とかしこまるもんよなぁ、ユンファ…」
 
「…………」
 
 そうだ。
 ――その人は、のだ。
 
「…ワシらはこれよりとなるのだぞ? そうかしこまるな、もっと楽にせい」
 
「…痛み入りまする。これより幾久しく、よろしくお願い申し上げます、ジャスル様。……」
 
 これより――婚姻関係――となる、自分の目の前に立った、ハゲ頭の大柄で肥えた男…ジャスル・ヌン・モンスのことでさえも。
 
 ユンファ殿は、何も見なかった。
 膝立ちのまま、両手に持つその“永久の桜”とやらを、腕を伸ばし、ただその人へ高く捧げ――伏せ気味のその顔、…その切れ長の白いまぶた。
 
 
「…………」
 
 
 桜が…いや、――その人の両手が、小さく震えている。


 
 
 
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