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72 二人で共に、逃げませぬか
しおりを挟む「……ソンジュ様…――これでは本当に、僕は…貴方の子を、宿してしまうかもしれません……」
白い寝間着――浴衣を纏ったユンファ様は、窓のほうへ向けて寝台に腰掛けている。
覗く彼の首元、鎖骨、少し見えた胸板の肌は、白んでいながらも未だ淡い桜色をしている。
そして、帯のある平たい下腹部をするり…その白い片手で撫でたユンファ様は――足下に跪き、片膝を立てて座る俺のことを、ふっと見下ろした。――虚ろな…それでいて、完熟した果実の蜜を宿しているその薄紫色の瞳は、淡い月光に透き通っている。
「…………」
俺はユンファ様のその目を見上げたまま、謝りもせず、ただ黙ってじっとしていた。――勝手な真似をしたとは、これでも俺に自覚はある。
しかし、俺はこの度のことで謝るつもりはなく、全く後悔もしていない。――俺は先ほど、ユンファ様は、慕えないジャスル様の子をそもそも孕めぬ、ということすら忘れていた。…ジャスル様にこの人を孕ませられるくらいならば、俺が先に、ユンファ様を孕ませてやる。そして、明日の“婚礼の儀”が来る前に、朝が来る前に、…この一夜の夢が終わる前に…それによってこの美しいユンファ様を、我がものとしてやる、と――先ほど俺は本気で、そう思っていた。
いや、いまだそう思っている。
ジャスル様のあの脂ぎった太い指が、醜い唇が、臭い唾液まみれの舌が触れる…それどころかあの男のモノを、そこから放たれる穢れた精を、その美しい体に、嫌というほど受けねばならない運命のユンファ様だが――俺は、俺こそが、そんなことは許せぬのだ。
「…………」
「…………」
俺の険しくなっているだろう目を、じっと神妙に見つめていたユンファ様は――ややあって、くすりと笑った。
そうして、ふ…と柔く微笑んだユンファ様は、すっと窓の外――夜空に浮かぶ、月のほうへと顔を向ける。…遠く月を眺めるその横顔は、どこか神聖な落ち着きを見せている。
「…ソンジュ様の身が心配な反面――それでいて僕は、どこか願ってもいます」
「…ユンファ様……」
その願いの内容を悟る俺に、ふふ、と笑って俺へ振り反るユンファ様は、…するり…下腹部を撫でながら、その腹のほうへと俯く。――さらりと流れ落ちた絹の黒髪が艶美に、彼の幸せをたたえた白い横顔を浮かび上がらせる。
「…子を宿せますように…――ソンジュ様の子ならば、僕は産みたいな……」
「…………」
泣きそうなほどに愛おしく、神々しい。
…俺は目線を伏せ――決意した。
「…会ってみたいな、僕たちの子に……」
「……、……」
この美しい胡蝶を、この籠の外へと攫ってしまえば――それでよいのだ。
俺を捨てた故郷の何が大事か。守銭奴に成り下がった犬どもめ。もはや犬となったのは俺ばかりではなく、あの狼の里の者どもも同様。もうあのような里に、俺の身を呈してまで守るような価値はない。――そして、このユンファ様を疎ましがった挙げ句に、ただ自分らのために利用して、惨い目に合ってから死ねという五蝶の国の、――何が、大事なのか。
ユンファ様とて、本当は光栄だ、などとは思っていないはずだ。――なぜなら彼は、俺にその国の機密情報を、俺にだけ、俺が悲しまぬように、と教えてきたくらいなのだから。
「…ユンファ様…――俺と共に、逃げませぬか」
「……、…え…?」
俺の言葉に、ユンファ様は俺へ振り向き――意表を突かれたか、意外そうな顔をして俺を見下ろした。
「…この籠から、二人…共に逃げませぬか」
「…………」
ややとろりとした切れ長の目で――真顔で、俺のことを眺めているユンファ様は、ただゆっくりと…まばたきを繰り返していた。
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