胡蝶の夢に耽溺す【完結】

🫎藤月 こじか 春雷🦌

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127 若旦那の気分で

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 ――俺は傘を片手に王都を下り、よく栄えている街に出た。
 …ユンファ様つきの護衛――とはいえ、彼が部屋に閉じ込められている以上、俺は、部屋に鍵をかければ多少離れることを許されている。それは昼の暇の際もそうだ。
 
 というのもユンファ様は、その“鱗粉”の強いお力があるため、専属の召使いが無いのだ。
 使役できる者といえば、せいぜいが俺ばかりであり――まあ部屋の清掃やら、服を着せるなどの世話、食事を持ち込む下女こそあれども、その者たちが彼につくのは、ほんのひと時のことなのである。
 
 本なんかも結局俺が要望を聞き、下女に頼んで持ってきてもらう…という格好である。
 もちろん、どのような本があるやら知らぬユンファ様であるため、どのような本があるのか、という一覧の載った書を見て彼が題名から選び、それを図書室から持って来させるのだが。――つまり俺は、正式に認められている仕事ではありながらも、こうしてユンファ様の使いに出されたことは、初めて、というわけだ。
 
 それもこの度、俺が買ってこなければならぬものは――俺の目に一際美しく映った毛糸、あるいは俺の目に初めに映った色の毛糸、とのご要望なのである。
 
 ならば俺以外が行っても意味はなく、ほかでもない、俺こそが行かねばならぬ。
 
 
 
    ×××
 
 
 
 
 
 
 俺は正直、編み物のことは何も明るくない。
 そのため俺は、立ち寄った手芸店の店主の老婆に聞いた。――首巻きに必要なだけの毛糸の量を、そして俺の目に初めについたその毛糸が、それほどの在庫が有るのどうか、を。
 
 店主の老婆は、心配ない、それだけの在庫はある。
 と言う。が…しかし店主いわく、――ユンファ様には毛糸のみを頼まれたのだが――、首巻きを作るにはという道具が必要なんだそうだ。
 まあ手で編めぬこともないが、一般的にその棒針とやらを使ったほうが、初心者には易いものなんだと。
 
「…では、その棒針とやらも頼む。」
 
「…はいはい、首巻きをお作りするんでしたよねぇ。若旦那、ならばこれでいいかしら?」
 
「………、…」
 
 と、言われても、俺にはさっぱりわからぬ。
 …というのもその棒針とやらにまで、大小さまざまな種類があり、しかも材質まで木やら鉄やら、石製のものまであるそうだ。――正直俺には何が違うのか、どれが首巻きを作るのに相応しいのやら、全くわからなかった。
 
 そもそもその棒針とやらを、どうすれば首巻きを編めるものなのかさえわからぬ俺は、その終始柔和な顔をしている老婆に困りきり――「…あぁ…初心者が首巻きを編むのに、一番相応しいものをくれないか」としか言えず。
 
 結局はその店主に全ての判断を委ね、初心者かつ首巻き程度ならばこの大きさの、この木製で十分だろう、というので、それを頼んだ。
 
 
 そして店主の老婆は、俺が持ち寄った麻袋に棒針やら毛糸やらを詰め込みながら、やけにニヤニヤとしていた。

「奥様のお使いですか、若旦那? 随分感心な旦那様もいたものねぇ。――あたしらの時代の旦那なんか、なぁんにもしなかったわ。買い物すらしなかったものよ……」
 
「……、あぁ…さようで」
 
 普遍的には見えたか。
 そんなもの、なのか…――本当は違うが――俺はつい本音に従って、そのことを少しも否定しなかった。
 どうせ誰にバレるでもない。どうせこのときばかりの関係性であるこの老婆に、そうした些細で幸せな嘘をつくことくらい、許されるだろうと。
 
「ええ、本当に…最近の人は偉いのねぇ」
 
「…はは…、いや、それほどでも……」
 
 ユンファ様の――旦那、か。
 …この老婆にだけは、俺たちの関係性を認めてもらえているような、そんな馬鹿げた夢を見ている気分であった。
 
 本当のところは、ユンファ様の従者である俺が、その人に頼まれたものを買いに来た、という、ただそれだけの、使…ということではあるのだが。――配偶者の頼まれものを買いに来た旦那…不意にそんな浮かれた気分になっては、俺はそれきり、ずっとニヤけていた。
 
 
 
 そうして気分良く、俺は傘を片手にも早急に、足早に、毛糸、そしてその棒針を買って帰った。――雨に濡れた手が凍り付くようであった、寒さに足も縺れそうになったが、息が上がるほどに俺は早足であった。
 
 早くユンファ様の元へと帰りたい。
 …さながら本当に、お使いに出た若旦那の気分で――。
 
 そして俺が、部屋の扉をコンコンコンと拳の骨で叩くと、ややあってガチャリと鍵が開く。――そのままユンファ様は扉を狭く開き、そして帰った俺を扉の隙間から見るなり、「おかえり」と少し笑った。
 
「……た、ただいま…ぁ、ただいま帰りました」
 
 妙なことだ。
 あの店主の言葉のせいやもしれぬ。――いや、俺が愚かにも浮かれていたせいだろう。…変につがった伴侶同士のような空気感は、まだ此処に帰っても続いていた。
 そして俺を部屋の中へ迎え入れたユンファ様は、俺の手にある麻袋を見下ろしている。
 
「ありがとう…、今年の冬は冷え込むそうだから」
 
「…ええ、だそうですね。…はは…き、きっとジャスル様も、お喜びになられるかと……」
 
 やはり俺の言葉は、ユンファ様に届いていたか。
 ましてや、ましてや、…俺が期待感を噛み殺してそう言うと、ユンファ様は「うん」と小さく鼻で返事をした。
 ――俺はユンファ様へ、その麻袋を手渡す。…受け取った彼は、「ありがとう」と再度柔らかい声で俺に礼を言うと、踵を返した。
 
 
 
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