推しに恋した。推しが俺に恋をした。

吉川丸子

文字の大きさ
19 / 24
第二章 共鳴の輪郭

10.黒波燦の転調

しおりを挟む
「あき坊、お疲れさん。疲れただろう。クッキー食うか?」

 俺はコントロールルームに戻って適当な椅子に座る。瞬間、どっと疲れが出た。透子さんは変わらない集中力で正面を見ている。
 彼女の背中を見てつくづく思う。この人はこんな細い身体でこんな風に生きて、疲れないんだろうか?
 クッキー缶を受け取ってクッキーを一口食べると、甘さが脳に沁みた。ああ、これ、この間も貰ったやたら美味しいクッキーだ。ついもう一つ、と手が出る。

 録音ブースでは今、律ちゃんが真剣な顔でコーラス部分を歌っている。
 ああ、やっぱり好きな声。この声が俺の曲に入ると思うと、嬉しいような照れるような。
 聞きほれていると、透子さんから声をかけられた。

「律坊のバンド、どう思った? あいつの衣装は抜きで」

 唐突な質問。思わずクッキーを喉に詰まらせそうになる。さすが透子さん、俺が彼のライブに行ったことをお見通しだった。一体誰に聞いたんだろう? 律ちゃんか、佐藤くんか。

「……幼稚園のお遊戯会みたいだった。彼は勿体ないと思う。役不足だ」

 正直に言った。
 律ちゃんのバンドを見たとき、俺はすごくがっかりした。一番がっかりしたのは彼の衣装だったけれど。
 彼が直接歌ってくれた彼の曲は、もっと生き生きとしていて面白くて広がりがあった。なのに全然違うものになっていたのだ。

「あのバンドに曲と詞を提供してるのは律坊なのは知ってるだろう?」

 乾燥が気になるのか、透子さんがやたらペットボトルの水を飲む。

「それどころか、リズムラインベースラインコード進行全部律坊がやってる。譜面書くのも歌い方も声の出し方から弾き方から。驚いたか?」

 視線は、ブースの中の律ちゃんに向けたまま。

「どういう意味? 俺にわかるように説明してもらえる?」
「お遊戯の発表会なのはその通り。バンドメンバーたちは、パフォーマンスはできても楽器がまともに弾けるかどうか怪しい。それをなんとかステージに上げられるほどの形にしてるのは、律坊ってことだ」

 一瞬だけ彼女の視線が、遠くに向けられた気がした。

「あいつは家庭環境が凄く悪くてなあ。そのせいなのかわからないが、あいつはああ見えて情に厚くて、友人を大事にする世話焼きの苦労人でな」
「家庭、環境」

 本人のいないところで聞いていい話なのか迷った。けれど透子さんは「家のことはあいつも隠していない。もし嫌がられたらあたしが怒られてやるよ」と笑う。

「母親の再婚相手とうまくいかなかったんだ。よくうちに遊びに来てたが、家に帰りたくなかったのがきっかけだ。音楽に夢中になることで心の逃げ場を作っていたんだろうよ。それがあいつの隠れた才能ドンピシャだったわけだけどな」

 あたしの手柄だよ、と軽く笑う。一口かじったクッキーがやけに重く感じて、俺はペットボトルのお茶で流し込んだ。

「口数は少ない奴だけど、情は厚い。一度心を許すと、なかなか手放せなくなる。恋人なんていったら大変だろう。きっと自分の深いところまで招いちまう。だから初めての恋人がおかしなやつじゃなくて良かったと思ってるよ、あたしは」
「はは……」

 こっちの方がばらしたら怒られるかもしれないな、と透子さんが笑った。
 家庭環境の方は少しだけ聞いたことがあるけど、彼の内面の話を聞くのは初めてで、少しだけ照れた。

「仲間認定したやつを、なかなか手放せない。バンド仲間なんて、高校時代にちょっと気が合っただけの友人たちが、女にモテたいって動機で組んだやつだ。律坊が曲が作れて楽器もできちまったせいで成り立っちまった不幸だ。全部、あいつが心を許した相手になんでも捧げる悪い癖だ。あたしに言わせりゃ、あのバンドに『未来』なんてない。あいつは聞きゃしないけどな」

 ライブ終わりに、律ちゃんが佐藤くんに言っていた。「あいつらの未来と演ってる」と。そんな未来は来ないってことくらい、俺ですらわかる。

「だからさ、あんたのせいで、あんたのお陰でもしかしてあいつをこっちの世界に引っ張ってこれるかもしれない。そう思いながら、今はあんたたちを見てる」

 ま、これはあたしの独り言だよ、と言うと、透子さんは手元のスイッチを切り替えて、律ちゃんに声をかけた。

「透子さん、俺」
「オッケーだ、律坊。お前さんも文句なしだな。後はあたしに任せな。いい曲にしてやるぜ?」

 続きを聞きたかったが、透子さんが空気を変えてしまった。これ以上話す気はないという意思表示だろう。
 ブースから律ちゃんが戻ってくると、おつかれさん、と透子さんが彼の背中を叩いた。
 どうやら、もう俺たちの出番は終わりらしい。時計を見ると、俺がこの建物に来てから数時間しか経っていない。それに。

「これで練習日とレコーディング予定にしてた日、スケジュールがあいただろう? あき坊。二人でゆっくりデートでもしたらいい」

 透子さんが、俺らに向かってぱちりとウインクをする。

 大スター天音透子のウインクは、最高に決まっていた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

『2度目の世界で、あなたと……』 ― 魔法と番が支配する世界で、二度目の人生を ―

なの
BL
Ωとして生まれたリオナは、政略結婚の駒として生き、信じていた結婚相手に裏切られ、孤独の中で命を落とした。 ――はずだった。 目を覚ますと、そこは同じ世界、同じ屋敷、同じ朝。 時間だけが巻き戻り、前世の記憶を持つのは自分だけ。 愛を知らないまま死んだ。今度こそ、本物の愛を知り、自ら選び取る人生を生きる。 これは、愛を知らず道具として生きてきたΩが、初めて出会った温もりに触れ、自らの意思で愛を選び直す物語。 「愛を知らず道具として生きてきたΩが転生を機に、 年上αの騎士と本物の愛を掴みます。 全6話+番外編完結済み!サクサク読めます。

【短編】【完結】王子様の婚約者は狼

天田れおぽん
BL
 サティ王子はクルクルした天然パーマな茶髪が可愛い18歳。婚約者のレアンは狼獣人で、子供の頃は子犬のように愛くるしかったのに、18歳となった今はマッチョでかっこよくなっちゃった。 「レアンのこと大好きだから守りたい。キミは信じてくれないかもしれないけれど……」  レアン(すでにオレは、貴方しか見ていませんが?)  ちょっと小柄なカワイイ系王子サティと、美しく無口なゴツイ系婚約者レアンの恋物語。 o♡o。+。o♡o。+。o♡o。+。o♡o。+。o♡o。 ノベルバにも掲載中☆ボイスノベルがあります。

【完結】大学で再会した幼馴染(初恋相手)に恋人のふりをしてほしいと頼まれた件について

kouta
BL
大学で再会した幼馴染から『ストーカーに悩まされている。半年間だけ恋人のふりをしてほしい』と頼まれた夏樹。『焼き肉奢ってくれるなら』と承諾したものの次第に意識してしまうようになって…… ※ムーンライトノベルズでも投稿しています

夜が明けなければいいのに(洋風)

万里
BL
大国の第三皇子・ルシアンは、幼い頃から「王位には縁のない皇子」として育てられてきた。輝く金髪と碧眼を持つその美貌は、まるで人形のように完璧だが、どこか冷ややかで近寄りがたい。 しかしその裏には、誰よりも繊細で、愛されたいと願う幼い心が隠されている。 そんなルシアンに、ある日突然、国の命運を背負う役目が降りかかる。 長年対立してきた隣国との和平の証として、敵国の大公令嬢への婿入り――実質的な“人質”としての政略結婚が正式に決まったのだ。 「名誉ある生贄」。 それが自分に与えられた役割だと、ルシアンは理解していた。 部屋に戻ると、いつものように従者のカイルが静かに迎える。 黒髪の護衛騎士――幼い頃からずっと傍にいてくれた唯一の存在。 本当は、別れが怖くてたまらない。 けれど、その弱さを見せることができない。 「やっとこの退屈な城から出られる。せいせいする」 心にもない言葉を吐き捨てる。 カイルが引き止めてくれることを、どこかで期待しながら。 だがカイルは、いつもと変わらぬ落ち着いた声で告げる。 「……おめでとうございます、殿下」 恭しく頭を下げるその姿は、あまりにも遠い。 その淡々とした態度が、ルシアンの胸に鋭く突き刺さる。 ――おめでとうなんて、言わないでほしかった。 ――本当は、行きたくなんてないのに。 和風と洋風はどちらも大筋は同じようにしようかと。ところどころ違うかもしれませんが。 お楽しみいただければ幸いです。

たとえ運命じゃなくても、僕は

mimi
BL
「僕は自分の気持ちを信じたい。 たとえ運命から背を背けようとも」 音楽大学に通うΩの青年・相田ひなた。 努力家の先輩αと、 運命の番だと告げられた天才α。 運命か、愛情か―― 選ぶのは、僕自身だ。 ※直接的な描写はありません。

あと一度だけでもいいから君に会いたい

藤雪たすく
BL
異世界に転生し、冒険者ギルドの雑用係として働き始めてかれこれ10年ほど経つけれど……この世界のご飯は素材を生かしすぎている。 いまだ食事に馴染めず米が恋しすぎてしまった為、とある冒険者さんの事が気になって仕方がなくなってしまった。 もう一度あの人に会いたい。あと一度でもあの人と会いたい。 ※他サイト投稿済み作品を改題、修正したものになります

【完結】「婚約を破棄する!」から始まる話は大抵名作だと聞いたので書いてみたら現実に婚約破棄されたんだが

ivy
BL
俺の名前はユビイ・ウォーク 王弟殿下の許嫁として城に住む伯爵家の次男だ。 余談だが趣味で小説を書いている。 そんな俺に友人のセインが「皇太子的な人があざとい美人を片手で抱き寄せながら主人公を指差してお前との婚約は解消だ!から始まる小説は大抵面白い」と言うものだから書き始めて見たらなんとそれが現実になって婚約破棄されたんだが? 全8話完結

短編版【けもみみ番外編】卒業の朝〜政略結婚するつもりで別れを告げた宰相子息ユリウスは黒豹エドワードの策略に嵌る〜

降魔 鬼灯
BL
 銀の髪が美しい銀狼獣人ユリウスは宰相家の一人息子だ。  留学中、同室になった黒豹獣人のエドワードと深い仲になる。  子供の頃からエドワードに想いを寄せていたが、自国では同性の婚姻は認められていない。しかも、文官トップの宰相家と武官トップの騎士団長家の仲は険悪だ。  エドワードとは身体だけの関係。そう言い聞かせて、一人息子のユリウスは、帰国を期にエドワードと別れ政略結婚をする決心をする。  一方、エドワードは……。  けもみみ番外編  クロードとアンドレアに振り回される学友2人のお話。

処理中です...