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第二章 共鳴の輪郭
10.黒波燦の転調
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「あき坊、お疲れさん。疲れただろう。クッキー食うか?」
俺はコントロールルームに戻って適当な椅子に座る。瞬間、どっと疲れが出た。透子さんは変わらない集中力で正面を見ている。
彼女の背中を見てつくづく思う。この人はこんな細い身体でこんな風に生きて、疲れないんだろうか?
クッキー缶を受け取ってクッキーを一口食べると、甘さが脳に沁みた。ああ、これ、この間も貰ったやたら美味しいクッキーだ。ついもう一つ、と手が出る。
録音ブースでは今、律ちゃんが真剣な顔でコーラス部分を歌っている。
ああ、やっぱり好きな声。この声が俺の曲に入ると思うと、嬉しいような照れるような。
聞きほれていると、透子さんから声をかけられた。
「律坊のバンド、どう思った? あいつの衣装は抜きで」
唐突な質問。思わずクッキーを喉に詰まらせそうになる。さすが透子さん、俺が彼のライブに行ったことをお見通しだった。一体誰に聞いたんだろう? 律ちゃんか、佐藤くんか。
「……幼稚園のお遊戯会みたいだった。彼は勿体ないと思う。役不足だ」
正直に言った。
律ちゃんのバンドを見たとき、俺はすごくがっかりした。一番がっかりしたのは彼の衣装だったけれど。
彼が直接歌ってくれた彼の曲は、もっと生き生きとしていて面白くて広がりがあった。なのに全然違うものになっていたのだ。
「あのバンドに曲と詞を提供してるのは律坊なのは知ってるだろう?」
乾燥が気になるのか、透子さんがやたらペットボトルの水を飲む。
「それどころか、リズムラインベースラインコード進行全部律坊がやってる。譜面書くのも歌い方も声の出し方から弾き方から。驚いたか?」
視線は、ブースの中の律ちゃんに向けたまま。
「どういう意味? 俺にわかるように説明してもらえる?」
「お遊戯の発表会なのはその通り。バンドメンバーたちは、パフォーマンスはできても楽器がまともに弾けるかどうか怪しい。それをなんとかステージに上げられるほどの形にしてるのは、律坊ってことだ」
一瞬だけ彼女の視線が、遠くに向けられた気がした。
「あいつは家庭環境が凄く悪くてなあ。そのせいなのかわからないが、あいつはああ見えて情に厚くて、友人を大事にする世話焼きの苦労人でな」
「家庭、環境」
本人のいないところで聞いていい話なのか迷った。けれど透子さんは「家のことはあいつも隠していない。もし嫌がられたらあたしが怒られてやるよ」と笑う。
「母親の再婚相手とうまくいかなかったんだ。よくうちに遊びに来てたが、家に帰りたくなかったのがきっかけだ。音楽に夢中になることで心の逃げ場を作っていたんだろうよ。それがあいつの隠れた才能ドンピシャだったわけだけどな」
あたしの手柄だよ、と軽く笑う。一口かじったクッキーがやけに重く感じて、俺はペットボトルのお茶で流し込んだ。
「口数は少ない奴だけど、情は厚い。一度心を許すと、なかなか手放せなくなる。恋人なんていったら大変だろう。きっと自分の深いところまで招いちまう。だから初めての恋人がおかしなやつじゃなくて良かったと思ってるよ、あたしは」
「はは……」
こっちの方がばらしたら怒られるかもしれないな、と透子さんが笑った。
家庭環境の方は少しだけ聞いたことがあるけど、彼の内面の話を聞くのは初めてで、少しだけ照れた。
「仲間認定したやつを、なかなか手放せない。バンド仲間なんて、高校時代にちょっと気が合っただけの友人たちが、女にモテたいって動機で組んだやつだ。律坊が曲が作れて楽器もできちまったせいで成り立っちまった不幸だ。全部、あいつが心を許した相手になんでも捧げる悪い癖だ。あたしに言わせりゃ、あのバンドに『未来』なんてない。あいつは聞きゃしないけどな」
ライブ終わりに、律ちゃんが佐藤くんに言っていた。「あいつらの未来と演ってる」と。そんな未来は来ないってことくらい、俺ですらわかる。
「だからさ、あんたのせいで、あんたのお陰でもしかしてあいつをこっちの世界に引っ張ってこれるかもしれない。そう思いながら、今はあんたたちを見てる」
ま、これはあたしの独り言だよ、と言うと、透子さんは手元のスイッチを切り替えて、律ちゃんに声をかけた。
「透子さん、俺」
「オッケーだ、律坊。お前さんも文句なしだな。後はあたしに任せな。いい曲にしてやるぜ?」
続きを聞きたかったが、透子さんが空気を変えてしまった。これ以上話す気はないという意思表示だろう。
ブースから律ちゃんが戻ってくると、おつかれさん、と透子さんが彼の背中を叩いた。
どうやら、もう俺たちの出番は終わりらしい。時計を見ると、俺がこの建物に来てから数時間しか経っていない。それに。
「これで練習日とレコーディング予定にしてた日、スケジュールがあいただろう? あき坊。二人でゆっくりデートでもしたらいい」
透子さんが、俺らに向かってぱちりとウインクをする。
大スター天音透子のウインクは、最高に決まっていた。
俺はコントロールルームに戻って適当な椅子に座る。瞬間、どっと疲れが出た。透子さんは変わらない集中力で正面を見ている。
彼女の背中を見てつくづく思う。この人はこんな細い身体でこんな風に生きて、疲れないんだろうか?
クッキー缶を受け取ってクッキーを一口食べると、甘さが脳に沁みた。ああ、これ、この間も貰ったやたら美味しいクッキーだ。ついもう一つ、と手が出る。
録音ブースでは今、律ちゃんが真剣な顔でコーラス部分を歌っている。
ああ、やっぱり好きな声。この声が俺の曲に入ると思うと、嬉しいような照れるような。
聞きほれていると、透子さんから声をかけられた。
「律坊のバンド、どう思った? あいつの衣装は抜きで」
唐突な質問。思わずクッキーを喉に詰まらせそうになる。さすが透子さん、俺が彼のライブに行ったことをお見通しだった。一体誰に聞いたんだろう? 律ちゃんか、佐藤くんか。
「……幼稚園のお遊戯会みたいだった。彼は勿体ないと思う。役不足だ」
正直に言った。
律ちゃんのバンドを見たとき、俺はすごくがっかりした。一番がっかりしたのは彼の衣装だったけれど。
彼が直接歌ってくれた彼の曲は、もっと生き生きとしていて面白くて広がりがあった。なのに全然違うものになっていたのだ。
「あのバンドに曲と詞を提供してるのは律坊なのは知ってるだろう?」
乾燥が気になるのか、透子さんがやたらペットボトルの水を飲む。
「それどころか、リズムラインベースラインコード進行全部律坊がやってる。譜面書くのも歌い方も声の出し方から弾き方から。驚いたか?」
視線は、ブースの中の律ちゃんに向けたまま。
「どういう意味? 俺にわかるように説明してもらえる?」
「お遊戯の発表会なのはその通り。バンドメンバーたちは、パフォーマンスはできても楽器がまともに弾けるかどうか怪しい。それをなんとかステージに上げられるほどの形にしてるのは、律坊ってことだ」
一瞬だけ彼女の視線が、遠くに向けられた気がした。
「あいつは家庭環境が凄く悪くてなあ。そのせいなのかわからないが、あいつはああ見えて情に厚くて、友人を大事にする世話焼きの苦労人でな」
「家庭、環境」
本人のいないところで聞いていい話なのか迷った。けれど透子さんは「家のことはあいつも隠していない。もし嫌がられたらあたしが怒られてやるよ」と笑う。
「母親の再婚相手とうまくいかなかったんだ。よくうちに遊びに来てたが、家に帰りたくなかったのがきっかけだ。音楽に夢中になることで心の逃げ場を作っていたんだろうよ。それがあいつの隠れた才能ドンピシャだったわけだけどな」
あたしの手柄だよ、と軽く笑う。一口かじったクッキーがやけに重く感じて、俺はペットボトルのお茶で流し込んだ。
「口数は少ない奴だけど、情は厚い。一度心を許すと、なかなか手放せなくなる。恋人なんていったら大変だろう。きっと自分の深いところまで招いちまう。だから初めての恋人がおかしなやつじゃなくて良かったと思ってるよ、あたしは」
「はは……」
こっちの方がばらしたら怒られるかもしれないな、と透子さんが笑った。
家庭環境の方は少しだけ聞いたことがあるけど、彼の内面の話を聞くのは初めてで、少しだけ照れた。
「仲間認定したやつを、なかなか手放せない。バンド仲間なんて、高校時代にちょっと気が合っただけの友人たちが、女にモテたいって動機で組んだやつだ。律坊が曲が作れて楽器もできちまったせいで成り立っちまった不幸だ。全部、あいつが心を許した相手になんでも捧げる悪い癖だ。あたしに言わせりゃ、あのバンドに『未来』なんてない。あいつは聞きゃしないけどな」
ライブ終わりに、律ちゃんが佐藤くんに言っていた。「あいつらの未来と演ってる」と。そんな未来は来ないってことくらい、俺ですらわかる。
「だからさ、あんたのせいで、あんたのお陰でもしかしてあいつをこっちの世界に引っ張ってこれるかもしれない。そう思いながら、今はあんたたちを見てる」
ま、これはあたしの独り言だよ、と言うと、透子さんは手元のスイッチを切り替えて、律ちゃんに声をかけた。
「透子さん、俺」
「オッケーだ、律坊。お前さんも文句なしだな。後はあたしに任せな。いい曲にしてやるぜ?」
続きを聞きたかったが、透子さんが空気を変えてしまった。これ以上話す気はないという意思表示だろう。
ブースから律ちゃんが戻ってくると、おつかれさん、と透子さんが彼の背中を叩いた。
どうやら、もう俺たちの出番は終わりらしい。時計を見ると、俺がこの建物に来てから数時間しか経っていない。それに。
「これで練習日とレコーディング予定にしてた日、スケジュールがあいただろう? あき坊。二人でゆっくりデートでもしたらいい」
透子さんが、俺らに向かってぱちりとウインクをする。
大スター天音透子のウインクは、最高に決まっていた。
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