欲情プール

よつば猫

文字の大きさ
16 / 30

溺れる身体1

しおりを挟む
「おはようございます」

「おはよう、茉歩」

 あれから数日。

ー「割り切った関係で、1度だけ」ー
その言葉通り、専務の態度は至って今までと変わらない。

 だけど聡との生活では……

ー「似たような立場になれば、苦しみは半減するんじゃないか?」ー
その言葉通り、息苦しさが薄れてた。

 お互い様だから、許せない気持ちが軽くなったのか。
それとも……
私の気持ちが他にあるから、夫婦問題がそこまで気にならなくなったのか。
寧ろその後ろめたさから、聡には優しくなれてた。


「っ、んっ?……っどうした?」
思わず見つめてた私に気付いて、専務が軽く戸惑う。

「あ、いえっ、考え事をしていて……
すみません」

 今まで見慣れてる筈の専務のスーツ姿が、今ではカッコ良過ぎて見惚れてしまう。

 しかもスーツに包まれてるその身体は、逞しくて。
あの夜その身体に抱かれてたなんて……
そう思うだけで、私の全てが疼きを発する。

「そうだ茉歩。
明後日の接待、和食の店だったよな?
フレンチ系の店に変更出来ないか?」

 茉歩って呼ばれる事ですら、今更いちいち嬉しくて。

「わかりました。すぐに変更します」

 それどころか。
専務の視線やその唇、その手や仕草までにもいちいち反応して……
胸が騒ぐ。

 欲に流されたりなんか、しない。
そう思ってたのに。
1度だけで割り切る事が出来ずに、まだ専務を欲してる私は……
すっかり欲に蝕まれてる。

 でも専務は……
私との事なんて、そんなにあっさり割り切れちゃうんですね。
胸が締め付けられる。

 ダメだ、業務に集中しなきゃ……
それ以前に!
私は人妻なんだし、心を改めなきゃ。

 専務への感情を、なんとかサポートモードに切り替えて。
ふと、作業の合間に顔を上げると。
右手で額を覆うようにして、苦しそうに溜息を吐き零す姿が映る。

「っ、大丈夫ですかっ?」

 その声掛けにハッとした専務は、視線を私に向けて意味深に見つめて来た。

 そんな肉食獣のような瞳で見つめないで……
今すぐその身体に捕まえられたくなるから。

「っ、何ですか?」

「っ……
いや、気にしないでくれ」

「体調は、大丈夫なんですか?」

「ああ、問題ない。
ちょっとプランに煮詰まってただけだ」

 そう言って視線をPCに戻す専務を見送って、私もすぐに視界から専務を外した。
でも内心、意味深な視線の理由が気になってたまらなかった。

 実のところ……
専務の態度は今までと変わらない、とはいえ。
少しだけ、素っ気なくなった気がするからだ。

 女たらしな軽い発言は、全くと言っていい程なくなったし。
優しい眼差しで私を映す事も少なくなった。

 男は目的を果たすと興味がなくなるとか、1度寝ると冷めるとかってよく聞くけど……
専務もそうだった?

 それとも……
私の気持ちを察して、一線引いてる?

 あの夜、あんなに激しく求めてくれたのに……
あれは私を抱きながら、別れた彼女さんを想ってた?

 どうしよう……
切なくて堪らないっ……





「茉歩?
なんか今日、元気がないけど……
仕事で何かあった?」

 切ない感情を引きずってた私に、聡から心配の声が掛かる。

「あ、ううんっ。
ちょっと疲れてただけ。
それより、おかわりはっ?
梅雨とはいえ暑くなって来たから、夏バテに備えてしっかり食べてよ?」

 最低だ私!
こんな感情を家庭にまで持ち込んで、それを聡に心配させてるなんて。

「ありがとう。
おかずも栄養満点だし、茉歩のおかげで頑張れるよっ。
じゃあ代わりにさっ、疲れてる茉歩に後でマッサージしてあげるよ!」

「っ、聡……
……ありがとう」

 まだ触れられるのに抵抗があるとはいえ、その優しさに心が痛む。

 どうかしてたっ……
聡との関係を修復させる為に、同じ過ちを犯したのに。
これじゃ本末転倒じゃない!
しっかりしなきゃ……

 そもそも、欲なんて誰にでもあるし。
それに蝕まれても、理性や他の欲で補けばいいし。
私はそうやってコントロールして、クールでいるのが得意だった筈。
そう、こんな欲……
強い意志で抑え付けてしまえばいい。

 だけどこの時、私は忘れてた。
強く抑え付ける程、反発心が募って逆効果だって事を……

 目の前に欲求対象をちらつかされれば、尚更。



「茉歩。
チェックする契約書ファイル、全部持って来てくれ」

「はい。お願いします」

 頼まれた数冊のファイルを差し出すと、以前なら直接受け取ってたのに……

「ああ、ここに置いてくれ」
書類を除けながら、そのスペースを指示する専務。

 すると、端の書類が落ちそうになって。
ファイルを置いていた手を、慌てて伸ばすと。
同じくな専務と、手が触れた。

 あの夜以来の、専務の体温。
それを感じてしまったら、もう駄目だ。
抑え付けられてた欲が一気に弾けて。
どちらからともなく、キュッと指を絡ませた。

 途端、専務はそれを払って。

「っお互い、いい反射神経だなっ」
軽く笑ってその場を躱した。

 拒否されたような状況に、この胸は切り裂かれて。
行き場を失くして暴れる欲に、この心は弄ばれて。
とにかくその感情の渦から逃れたくて……
必死にその手段を模索した。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

隣の夫婦 ~離婚する、離婚しない、身近な夫婦の話

紫さゆり
恋愛
オムニバス形式です。 理解し合って結婚したはずの梓、同級生との再会が思わぬことになる雅美、年下の夫のかつての妻に引け目を感じる千晴、昔の恋の後悔から前向きになれない志織。 大人の女性のストーリーです。

ひとつ屋根の下

瑞原唯子
恋愛
橘財閥の御曹司である遥は、両親のせいで孤児となった少女を引き取った。 純粋に責任を感じてのことだったが、いつしか彼女に惹かれていき――。

幼馴染に10年片想いしてたら、冷酷御曹司にプロポーズされました

ほーみ
恋愛
 春の匂いが、駅前の並木道をくすぐる。満開の桜の下、私はひとり歩いていた。駅までの道は、高校時代、彼とよく歩いた道だ。  制服姿の学生が笑いながらすれ違っていくのを横目に、私はスマホを見下ろした。  「今日、伝えるって決めたんじゃなかったの?」  送信したきり返信のないメッセージ。画面には「既読」の文字があるだけだった。  ――渡瀬 湊。私が10年間片想いをしている、幼馴染。

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

優しい雨が降る夜は

葉月 まい
恋愛
浮世離れした地味子 × 外資系ITコンサルのエリートイケメン 無自覚にモテる地味子に 余裕もなく翻弄されるイケメン 二人の恋は一筋縄ではいかなくて…… 雨降る夜に心に届いた 優しい恋の物語 ⟡☾·̩͙⋆☔┈┈┈ 登場人物 ┈┈┈ ☔⋆·̩͙☽⟡ 風間 美月(24歳)……コミュニティセンター勤務・地味でお堅い性格 雨宮 優吾(28歳)……外資系ITコンサルティング会社勤務のエリートイケメン

甘い束縛

はるきりょう
恋愛
今日こそは言う。そう心に決め、伊達優菜は拳を握りしめた。私には時間がないのだと。もう、気づけば、歳は27を数えるほどになっていた。人並みに結婚し、子どもを産みたい。それを思えば、「若い」なんて言葉はもうすぐ使えなくなる。このあたりが潮時だった。 ※小説家なろうサイト様にも載せています。

ズボラ上司の甘い罠

松丹子
恋愛
小松春菜の上司、小野田は、無精髭に瓶底眼鏡、乱れた髪にゆるいネクタイ。 仕事はできる人なのに、あまりにももったいない! かと思えば、イメチェンして来た課長はタイプど真ん中。 やばい。見惚れる。一体これで仕事になるのか? 上司の魅力から逃れようとしながら逃れきれず溺愛される、自分に自信のないフツーの女子の話。になる予定。

処理中です...