上 下
245 / 533
十夜 和氏(かし)の璧(へき)

十夜 和氏の璧 17

しおりを挟む

 この頃、宦官となる者が多く現れたのは福建省だろうが、男色が多かったことも、それと関係しているに違いない。老いも若きも男色に耽り、六朝より始まった同性愛は、男女の契りに危機をもたらすほどに盛んになり、広まっていった。
 学問や行政能力がさして必要でもない宦官は、その端麗な容姿と立ち居振る舞いが重要視されたのだ。
 逆に言えば、政治に口出しする知識や能力は、うとんじられる。
 もともと山ばかりで耕地が不足していた福建では、家族を養えるだけの糧も得られず、人身売買が横行する事情となったのかも知れない。子供を売ったり、出稼ぎに行ったりしなければ、生活をすることが出来なかったのである。
 それは、若飛の生まれた山村でも同じであった。
 金に変えられる産物もなく、自分たちの腹を満たす農産物さえ、満足に得ることが出来なかったのだ。
「随分、静かな村だなァ」
 山間にひっそりと立ち並ぶ貧しい家々には、夜の闇に満足な明かりも灯っておらず、人々の団欒の声が聞こえて来るわけでもなく、陽が沈むと共に眠りにつき、朝陽と共に起床する、といった習慣が根付いているような田舎だった。
「きっと、若い世代が出稼ぎに行ってるからだよ」
 そのデューイの指摘も、正しいものであっただろう。
 ここは、若飛から聞いた、若飛の生まれ育った村である。
 家族と呼べるものは、もうおらず、遠い親類だけが住んでいる、と言うが……。
「空気が淀んでる」
 重く立ち込める陰鬱な気配は、もう何年もこの山村を支配しているもののようで、瘴気のように村全体を覆っていた。
「みんな寝てるみたいだから、明日にならないと話が聞けないんじゃないかな。――どこかの家畜小屋にでも一泊して、それから――」
 と、デューイが言いかけると、
「聞く必要はない。蛇の匂いがする」
 舜は、その匂いのする方角へと歩き始めた。――といって、それが、あの蛇の怨霊の匂いである、という訳ではない。怨霊に匂いがあるくらいなら、最初からその匂いを追い駆けてくればいいだけの話だったのだから。
 もっとも、こんな福建の山奥まで、実体のないもののスピードについて行けたとは思えないが。
 そう言えば、あの少女――素貞も『逃げられた』と言っていた。
 そして、今は彼女自身も、何処かへ姿を眩ませてしまっている。
「何だかんだ言っても……」
 嬉しそうにデューイが微笑む。
 何だかんだ言っても、困っている人を見捨てておけない少年なのだ。こんな遠くまで、蛇を退治しに来るほどに――。と思っていたのだが、
「あれがただの蛇なら放っておいたさ」
 舜の言葉には、深い意味が籠っていた。
 ただの蛇なら――ただの蛇ではないから。
 あの蛇――彼女は、若飛の母親の無念が作りだした、怨霊なのだ。
 母親と幼少期に離れ離れになり、共に暮らすことが出来なかった舜には、放っておけない姿であったのだろう。
「舜……」
 彼――舜もまた、母親の胸に抱かれることに焦がれる子供なのだから――父親には出来る限り構われたくないようだが。
 舜が嗅ぎつけた蛇の匂いは、デューイにも注意をすれば嗅ぎとれるほどになっていた。
 一匹や二匹の蛇の匂いではない。数十――いや、下手をすれば、数千、数万という数であってもおかしくないほどの匂いと、擦れ合い、這いまわるような音が聞こえる。
 山道を辿り、幾つかの弔い石を横目に通り過ぎ、一つの祠を前にする。
 だが、匂いはその祠からするものではない。
 さらに奥――。
 どんどん山道を進むと、すでに道らしい道もなくなり、草木が鬱蒼と生い茂るばかりの山中となった。
 蛇の臭気は、どんどん強くなっている。
「止まれ」
 舜が言った。


しおりを挟む

処理中です...