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十六夜 五个愿望(いつつのねがい)の叶う夜

十六夜 五个愿望の叶う夜 3

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「わかってるわよ……。一つ目の願いは……この息苦しさをなんとかして……」
 深緑は、満足に酸素を得られなくなっている肺に、忌々しい思いで言った。
 苦しみさえなければ、死など何も怖くはない。
「苦しみは消せても、病気は治せないぞ。オレは医者じゃないんだ」
 ――解ってるわよ、悪魔でしょ。
 黒髪の少年の言葉を鼻で笑い、
「いいのよ、病気のままでも、苦しくなければ……」
 深緑は言った。
「本当にそんな願いでいいのか?」
 確認するように、もう一人の白い髪の悪魔が念を押す。
 死を前にした人間は、もっと他のことを願うものなのだろうか。
 だが、深緑には夢も希望も残されてはいない。そんな中で、大した願いがあるはずもない。
 コクリ、と一つうなずくと、黒い悪魔の黒瞳が、途端に赤光を放って近づいて来た。
 何が起こったのかは判らなかった。
 刹那、頭がクラっとしたようにも感じたが、それが病気のせいなのか、それとも……いや、そうなのだろう。その悪魔の血のように濡れた瞳を見たせいで、体に異変が生じたのに違いない。
 もちろん、壊れたって少しもかまわない体だが。
「……何をしたの?」
 呼吸は肺を取り替えたように楽になり、声さえ軽く出せるようになっていた。
「言っただろ。治した訳じゃない。苦しみを感じなくしただけだ。催眠術にかかった状態――みたいなものだ」
「……」
 それでも、そんなことが出来るのだから、やはり彼は悪魔なのだろう。
 体が楽になり、色々なことを考えられるようになったせいか、刹那に自分の苦痛を取り除いたその悪魔たちが、恐ろしくもなった。
「名前を聞かせて」
 やはり、メフィスト・フェレスと応えるのだろうか。
 深緑は、鮮明になった視界で、目の前の麗身を怖々見つめた。
「それが二つ目の願いでいいんだな?」
 脇からまた、純白の髪の悪魔が口を挟む。
 悪魔なのに、その白さがよく似合った。
 深緑がコクリとうなずくと、黒い悪魔が、
「オレは舜。――こっちは索冥で、もう一人がデューイ」
「おい! 俺は関係ない」
 舜、と名乗った少年が言い終わるか言い終わらないかの内に、純白の悪魔――索冥と呼ばれた少年が、それを遮る。
「別に名前くらいでとやかく言うなよ」
「俺を巻き込むな、と言ったはずだ」
「なら、何でついて来るんだよ」
「これ以上事態が悪化しないように、だ。第一、おまえが呼んだんだろ?」
 何やら、二人でコソコソと言い合っている。と言っても、全部聞こえているのだが。
 何だか、おかしな悪魔たちだった。
 見れば見るほど美しく、少年なのに、きれい、という形容がよく似合った。
「二人とも、早く願いを叶えてあげないと、彼女が……」
 またどこからか声が聞こえてくる。それも、耳のすぐそばで。
 これが、最後に「もう一人」とつけ足された、デューイという名の悪魔の声なのだろうか。
 それにしても、どうやら正直な悪魔らしい。深緑の命があとわずかしかないことを、こんな風にうっかり口にしてしまうなんて――。もちろん悪魔とは、いつでも正直に絶望を告げる存在でもあるのだが。
 ――そうそう。死ぬ前に、誰も経験したことがないようなことを頼んでおかないと。
「当然、空とか飛べるのよね?」
 深緑は訊いた。
 絵本の世界では定番の願いだが、魔法や精灵を信じていた子供の頃からの願いは、やはりこれに尽きるだろう。
 体の苦しみが無くなったことでもあるし、この世を去る前に叶えておきたい。


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