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ヒュドラ― - 蛇
無性生殖 1
しおりを挟むSET・8 無性生殖
体がやけに重かった。頭がクラクラとし、目を開くと、ズキン、と重い頭痛が駆け抜けた。
「く……っ」
その痛みに目を暝り、椎名は、その頭痛が治まるのを少し、待った。
声が聞こえたのは、その時だった。
「お目覚めかな、ドクター.椎名?」
高慢そうなその声は、この研究所の所長、リチャード・テイラーのものだった。
椎名は、ハッ、と顔を上げた。
そこは、あの所長室ではなく、全く別の――白い無気質な空間だった。窓は、ない。狭い部屋には、今、椎名が寝ている――起き上がった白いベッドと、天井の隅に備え付けられた監視カメラ、ベッドの正面に置かれた一台のモニター――テイラーの声も、そのモニターからのものだった。
「貴様――っ。く……」
ベッドを降りようと体を浮かせ、椎名は、まだ治まりきらない頭痛に顔を歪めた。
「急に動くのはよくない。何しろあなたは、丸三日、食事も取らずに眠っていたんですからな」
モニターの中で、テイラーが満足げな笑みを見せた。
「三日……だと?」
届いた言葉に、椎名は大きく目を見開いた。
あれから三日も経っているのだ。
「クックッ……。あなたには感謝してますよ、ドクター.椎名」
嘲笑うような口調だった。
「その感謝の結果がこれか?」
薬を盛られ、狭い部屋に閉じ込められ、どう見ても感謝を表す扱いではない。
「すぐに出して差し上げますよ。『あれ』を最終実験が可能な状態にしてくれたお礼だ。あなたにもその実験を特別に見せてあげようと思ってね」
「最終実験? 何のことだ?」
椎名は、テイラーのニヤついた笑みに、眉を寄せた。
「私の元から逃げ出した生物――最高の神秘のことですよ」
「逃げ出した……。エディのことか?」
「エディ? あの生物に名前を? ――クックッ! これはいい。アハハハ――っ! あれを愛し、発生させた私でさえ、あれに名前を付けるほど人間扱いはしていないというのに」
豪快な笑いの上での言葉だった。
「……人間扱い? どういう意味だ?」
椎名は険しい眼差しで問い返した。
「いくら愛していても、私はカタツムリやバクテリアに名前を付けるような馬鹿な人間ではない、と言ったのです。もちろん、『あれ』にも。――『あれ』を人間だと思っていた訳ではないでしょう、ドクター.椎名? 雌性生殖器官も雄性生殖器官も持っていない生物を」
「――。え……?」
目を瞠るに充分な言葉だった。テイラーは、エディを無性生物だ、と言ったのだ。男でも女でもない性を持たない生物だと。
「まさか……」
呟くように、椎名は言った。
「おや、ご存じではなかったのかな? 『あれ』と一緒に暮らしていて、『あれ』のことを何も」
モニターの中で、テイラーが目を丸くして、眉を上げた。
「……。彼を人体実験に使ったというのか? 自分の研究のために、彼を――」
「人体実験? クックッ――。言ったはずですよ、ドクター.椎名。『あれ』は人間ではない、とね。私があらゆる遺伝子を切り継ぎし、DNAを組み換え、最も美しく神秘的な形に発生させた人工的な生物です。――ごらんなさい、これを」
声と共に、モニターの画面が、エディのものへと切り替わった。エディは裸で、大きな水槽の中に閉じ込められている。そして、その体には、雌性生殖器官も雄性生殖器官も有してはいなかった。
無性生物だ。
神秘的な美しさで水の中に漂うその姿は、白色半透明の氷魚のように、幻想的な雰囲気を纏っている。
だが――。
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