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番外編 ローレンス編
ローレンス編 13
しおりを挟む翌日の軍務が終わり、エリックは階を訪ねて、オックスフォードのザ・ハウスへと訪れていた。
四〇もの学寮を持つオックスフォードの中でも、このクライスト・チャーチは貴族的で、学生や院生も良家の子息が占めている。
エリックは別の大学へ行ったために、この学寮に入ることはなかったのだが……。
「階、いるか?」
ノックを置き、声をかけるが、返事は何も返らない。
今日は何か予定があったのだろうか。それとも、図書館にでもいるのか――。いや、もう夜なのだから、そんなことはないだろう。
少しパブで暇を潰して、もう一度来て見れば戻っているかも知れない。そう考え、エリックは階の部屋を後にした。
ロンドンからオックスフォードまで訪れるだけでも、道路事情にもよるが、車で一時間半――往復で三時間はかかってしまう。もちろん、毎日でも説得に訪れたい気持ちはあるが、現実に、軍務のあと何日も通い続けるのは――。いや、アンドルゥに言い渡されたのは、たったの一週間なのだが……。それくらいなら、通えないことはない。
「そういや、飯食ってないよな……」
オックスフォードの学生街を車で流し、どこかで夕食でも取ろう、と考えていると、見覚えのある車――白いベントレーが目についた。ザ・ハウスからそう離れていないパブの側である。
――ラリー?
エリックは、少し先で車を止め、ベントレーの止まるパブリック・ハウスへと足を向けた。
側に止まるベントレーも、ローレンスのものに間違いない。
何故こんなところに――いや、階の所へ来たのだろう。だとすれば、いるのだろうか、階も、このパブリック・ハウスに――。
エリックは、外開きの扉を開けて、パブの中へと足を入れた。二人の姿を捜すまでもなく、そう広くない店の四人掛けのテーブルで、話をしている姿が目についた。
テーブルにはビールが二つだけ乗っている。
ローレンスが気付いて顔を上げ、階もそれを見て視線を向けた。
「エリック……」
口を開いたのは、階だった。
何故、そんなことをしてしまったのだろうか。
気がつくと、エリックは握りかためたこぶしを振り上げ、ローレンスめがけて突き出していた。
ガツッと鈍い響きが伝わり、椅子が倒れ、テーブルの上のビールグラスが床に落ちた。当然、ローレンスも椅子ごと吹き飛び、後ろの壁にぶつかった。
「ラリー――!」
階がローレンスの名を呼び、その傍らへと身をかがめるのを見て、エリックはドアへと翻った。
パブでは酔っ払いのケンカなど珍しくもないのか、他の客たちはそれほど騒ぎもせず、それだけで終わった殴り合いに――いや、一方的な一撃に、また無関心に話を始めた。
パブに背を向けて車に戻り、エンジンをかけてアクセルを踏むと、さっきローレンスを殴った右手の痛みが、痺れるように駆け抜けた。
「クソっ!」
何故、あんなことをしてしまったのだろうか。二人が寝たことを知った時でも、あんな衝動的な怒りは込み上げては来なかったというのに……。
いや、解っている。自分が階に捨てられそうになっているからだ。婚約さえした階が、結婚はしない、と言ってオックスフォードへ戻り、このまま終わってしまうのでは、と不安があったからなのだ。自分で選んだ道だというのに、わずかに後悔している自分の弱さが、ローレンスへの腹立ちとなって現れたのだ。
あの頃なら――。階に慕われ、アンドルゥが自分を選ぶであろうことを予測していたあの頃なら、ローレンスが階に近づこうと、これほど不安になることはなかったというのに。
「俺をかいかぶり過ぎだ、アンディ……」
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