シークレット・ミッション

一二三

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「……寝たのか?」

 専属の警護士の膝に抱かれたままうとうとと眠る親友の姿に痛ましい視線を向けながら、清文はそう尋ねた。
 北条は、眠る健吾の顔をそっと覗き込みながら、「はい」と答える。
「まだ聞いてるかもしれませんが、ほとんど理解できてないと思いますよ」
 そうか、とホッと息をつくと、北条が「コーヒーのおかわり、いれられなくてすみません」と、清文の空のマグカップを見て苦笑した。
 そんなのはどうでもいい、と、苦笑で返してやる。
 今は、親友の心の安定が一番だ。 

「それにしても、まだ……ダメなのか?」
 最近になってこの男が付き添うようになってから、健吾は随分と安定したように思えた。
 一時期の、全く笑顔も見せず、何もかもにおびえる姿を見せていた事に比べたら雲泥の差だ。
 それが、さっきのあの表情ときたら。また以前に戻ったのかと心配する程ひどかった。
 顔は青白くこわばり、唇は震えて……細い指が痛ましいほどに強く、北条のシャツをにぎりしめていた。
「そんなに簡単に回復できませんよ。こうやってすぐに眠ってしまうのも、自己防衛の一種なんです。不安から逃れるために、強制的に眠りに入る。薬を使わずに眠れてるんですから、まだマシですよ」
 眠れない場合は、もっと悲惨なことになりますから、北条が言い添える。
「そうだよな。おまえが側につくまで、こいつ壊れまくってたからなぁ。あん時に比べたら、ずいぶん元気になった」
 それがこの男の功労だと思うと、少し腹立たしい。
 健吾はこの男に、完全に心を許している。
 時には、親友である清文を飛び越えるほどの大きな信頼を寄せているように思えた。
 
「正直びっくりしたよ。健吾がおまえにこんなに依存するとは思わなかったし、おまえもわかっててベタベタに甘やかしてるよな?」
 清文の言葉に、北条が低く笑った。
「依存させてるんですよ。それでなかったら、これぐらいじゃ済まないです。フラッシュバックや自傷行為が出ることが一番怖いですからね」
 当たり前に自分に依存させていると言い切る男に、あきれたため息がこぼれる。
 それではさぞや負担も大きいだろうに。
 
「でもさ、ホントは殺されかけたんじゃなくてレイプされそうになったんだって、おまえ健吾から聞いて知ってるんだろ?曲がりなりにも成人した男がさ、レイプ未遂でこんなに不安定になるもんなのか?」
 それに……と、清文は、ともすれば告げ口とも思われかねない言いづらい事実を、こっそりと続ける。
「健吾、男は未経験じゃねぇよ。俺ら男子校育ちだし?健吾こんな顔だから、ありえないぐらい男からがっつかれてたしな。若手俳優のKくんにもおいたされて、随分長い間関係持ってたぞ」
 引くかな、と思いながら口にしてみたが、北条は案外平気そうな顔をして「そうですか」と言っただけだった。
 動揺を示したのは腕の中の健吾の方で、眠っているはずなのに、まるで聞こえていたかのように体を不安定に揺らし始めた。
 北条が、「大丈夫」と背中をさすってなだめている。
 小柄な健吾は大きな北条の体にすっぽりとはまり込んで、そこが一番落ち着くのだといわんばかりにぴったりと体を寄せていた。
 髪を撫でられ、背中をさすられ軽く叩かれているうちに、再びすぅすぅと寝息が聞こえ始める。
 
「清文さん」
 するどい口調に清文の顔がぎくりと強張り、何を言われるのかと身構えた。
 必要のない告げ口で健吾を動揺させたことを咎められるに違いない、とうなだれると、北条は違う話を切り出した。
「性行為の経験のある女性がレイプされそうになった場合、心に傷を負わないと思いますか?」
 それは当然傷を負うだろう、と思い首を横に振る。
「いやそれは……女だし、傷つくだろ普通?」
 それがどうかしたか?と言うと、北条は厳しい視線を清文に向ける。
「では、ナイフを押し当てられて、動いたら殺すと脅された上で性的暴行を加えられそうになったのに、傷つかないでいられる人がいますか?」
「それは……」
「女だろうが男だろうが、同じです。同じように心に傷を負う。そして健吾はおそらく、頭の中では何度も犯人に犯され、何度もナイフを突き立てられて殺されています」

 北条の話によれば、健吾は夜中に何度も叫び声を上げて飛び起きているのだという。
 その度になだめてベッドに戻すが、一度起きてしまうと眠りが浅くなるのか、その後何度もうなされて目を覚ましてしまうのだそうだ。
 一人で放置してしまうと再び眠れなくなることがわかっているので、北条は他に部屋があるにも関わらず、健吾と同じ部屋で寝起きを共にしているらしい。

「どんな夢を見ているのか……ひどく怯えて目を覚ましますよ」
 北条が、疲れたように長く息を吐く。
「悪い」
 自分の認識が甘かったことを認め、清文は謝罪した。
 そんな様子なら甘やかしたくもなるだろう、と納得する。
 ただでさえ人の庇護欲をくすぐる健吾のことだ。
 ここまでできる男ならば、ついあれこれ手をだしてしまうだろう様子が容易に想像できて、なんだか少し微笑ましくもあった。

「パーティーを反対するのは、なにも警備面からのことだけではありません。健吾は、本来ならばきちんとカウンセリングを受け、薬を飲んで症状を安定させないといけない程のひどい状態だったんです。けれど仕事を理由に、誰もそれをさせなかった。今までずっと、湖に張った薄い氷の上を一人で歩かせてきたようなものです。いつ足元の氷が割れて湖に落ちても、おかしくない」
「PTSDってやつか?」
「そうです。回復したかのように見えても、似たような状況、似たような人物、同じ曜日、同じ天気、どれがきっかけで発症するかわからない。ストレスもきっかけのひとつになり得ます。だから、余計なストレスを与えたくない。俺は今、薄い氷の上で健吾の手を引いて一緒に歩いているだけにすぎません」
 北条が苦い胸の内を吐露するのに、清文も彼らと同じだけの辛さを引き受ける覚悟を新たにする。
 正直にいえば、ただの警護士である北条が健吾のためにここまでしてくれるとは、清文は思っていなかった。
 その身を持って健吾を守ろうとしている北条の姿に、親友として素直に感謝の気持ちが沸き起こる。

「とにかく今は、安心させることが回復に繋がります。けれど実際は、不安を煽る要素があちこちに転がっている。仕事柄、仕方のないことですが」
 その分を自分に依存させることで、北条はなんとか健吾の安定を保とうとしているのだろう。
 健吾が今、自分以外にすがれるものを何も持っていない事は、北条自身が一番良くわかっている。

「だけどおまえさぁ……そこまで甘やかしてんだから、完治までちゃんと面倒見るんだろうな?」
 今、北条という支えを失えば、健吾はどうなるかわからない。
 事務所と北条の契約がどうなっているのか、実のところ清文は、詳しいことを全く知らされていない。
 北条は一時的に日本に滞在しているだけ、というような話を最初に聞かされた気がして、確認するように男をじろりと横目で睨むと、北条はふっと表情を緩めて、眠る健吾に視線を落とした。

「離したり、しませんよ」
 誓いのようなその言葉に胸をなでおろすのと同時に、それはいつまで?という疑問を抱く。
 北条が、ずっと健吾のそばについていられるわけがない。
 けれど、今そのことを自分が口に出すのはなんだか違う気がして、清文は結局何も言えずに黙っていた。

 沈黙が続く中、健吾の穏やかな寝息だけが、静かな部屋に響いていた。
 
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