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第1章 黒い羽根の落ちた夜
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夜の空気は、秋の気配を少しだけ帯びていた。
獣医の仕事を終え、宗一(そういち)は動物病院の裏口からひっそりと出てきた。手には、コンビニで買った缶コーヒーとカップ麺。それだけが今夜の晩飯だ。
ふと、裏路地の電柱の下で、何かが動いた気がした。
小さな羽ばたき。だが音は軽く、弱々しい。
目を凝らすと、そこには一羽の黒いカラスが倒れていた。羽は乱れ、片翼がぐったりと垂れている。足元には小さな血の跡。
「……おい、大丈夫かよ」
宗一は自然にしゃがみ込んでいた。獣医としての習性というより、もっと直感的な、何かに引き寄せられるような気配だった。
カラスは動かない。けれど、生きていた。微かに呼吸する胸元が上下している。
宗一はそっと手を伸ばし、できるだけ丁寧に抱き上げた。
その羽は冷たく、でも不思議と重みがあった。
「こりゃしばらく様子見だな……しゃあねぇ。うちで介抱してやるか」
カラスは何も言わず、されるがまま。だけど――宗一にはなぜか、その沈黙が「助けてほしくないわけじゃない」と語っているように感じられた。
⸻
動物病院の裏手にある、小さな旧診察室。今は倉庫代わりになっていたそこに、宗一は簡易ケージと毛布、ヒーターを用意して、カラスを寝かせた。
「お前、見た感じ成鳥だな。でもどこか、雛みたいな顔してんだよな」
返事はない。けれどカラスは、ゆっくりと目を閉じる。
安堵にも似た静けさが、薄暗い部屋に満ちていく。
⸻
その夜、宗一は眠るカラスをちらりと見てから、隣の部屋に戻った。
「……なんでだろうな。あんな顔、昔どこかで見た気がする」
缶コーヒーを口に含みながら、独り言のように呟く。
何かを失って、誰にも言えず、黙って立ち尽くしていたあの頃。
心のどこかで叫びたくても、誰も気づいてくれなかった夜。
あのカラスの目は、まるで――あのときの自分の目に似ていた。
⸻
一方で、毛布の中のカラスは微かにまぶたを震わせる。
視線の先には、小さなヒーターの灯り。
かすかに温かいその光に、黒い羽根の奥で、何かがふるえていた。
(……なぜ、この男は、俺を拾った)
(この世界には、そんな温もりなどないはずなのに)
それでも、冷たく冷え切った身体の奥が、静かにほどけていく。
知らぬ間に、眠ってしまいそうだった。
獣医の仕事を終え、宗一(そういち)は動物病院の裏口からひっそりと出てきた。手には、コンビニで買った缶コーヒーとカップ麺。それだけが今夜の晩飯だ。
ふと、裏路地の電柱の下で、何かが動いた気がした。
小さな羽ばたき。だが音は軽く、弱々しい。
目を凝らすと、そこには一羽の黒いカラスが倒れていた。羽は乱れ、片翼がぐったりと垂れている。足元には小さな血の跡。
「……おい、大丈夫かよ」
宗一は自然にしゃがみ込んでいた。獣医としての習性というより、もっと直感的な、何かに引き寄せられるような気配だった。
カラスは動かない。けれど、生きていた。微かに呼吸する胸元が上下している。
宗一はそっと手を伸ばし、できるだけ丁寧に抱き上げた。
その羽は冷たく、でも不思議と重みがあった。
「こりゃしばらく様子見だな……しゃあねぇ。うちで介抱してやるか」
カラスは何も言わず、されるがまま。だけど――宗一にはなぜか、その沈黙が「助けてほしくないわけじゃない」と語っているように感じられた。
⸻
動物病院の裏手にある、小さな旧診察室。今は倉庫代わりになっていたそこに、宗一は簡易ケージと毛布、ヒーターを用意して、カラスを寝かせた。
「お前、見た感じ成鳥だな。でもどこか、雛みたいな顔してんだよな」
返事はない。けれどカラスは、ゆっくりと目を閉じる。
安堵にも似た静けさが、薄暗い部屋に満ちていく。
⸻
その夜、宗一は眠るカラスをちらりと見てから、隣の部屋に戻った。
「……なんでだろうな。あんな顔、昔どこかで見た気がする」
缶コーヒーを口に含みながら、独り言のように呟く。
何かを失って、誰にも言えず、黙って立ち尽くしていたあの頃。
心のどこかで叫びたくても、誰も気づいてくれなかった夜。
あのカラスの目は、まるで――あのときの自分の目に似ていた。
⸻
一方で、毛布の中のカラスは微かにまぶたを震わせる。
視線の先には、小さなヒーターの灯り。
かすかに温かいその光に、黒い羽根の奥で、何かがふるえていた。
(……なぜ、この男は、俺を拾った)
(この世界には、そんな温もりなどないはずなのに)
それでも、冷たく冷え切った身体の奥が、静かにほどけていく。
知らぬ間に、眠ってしまいそうだった。
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