ご令嬢は没落前にとんずらする

穂積イ子

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とんずら6

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「お嬢様、ひとまず身を隠しましょう。今捕まれば、訳も分からないまま処罰されるかもしれません」

 アリサが真剣に提案している。
 しかし、クラリスは首を振った。

「敵前逃亡しろと? そんなことをしたら、罪を認めたと言われかねない上に、後世になるまで嘲笑の的だ。家紋に泥を塗ることになる」
「──クラリス様」

 ほとんど反射的に下したその結論が、アリサはお気に召さなかったらしい。クラリスが気づいたときには、両肩をアリサに掴まれ、じっと目を覗き込まれていた。

「あなたはこんな時まで公爵家に忠義立てするつもりですか? お見受けするに、この件でお父上の助力を得られないやもとお考えなのでしょう?」
「……お見通しか」
「ええ。アリサは幼少の頃からあなたを見て参りましたもの。お心を面に出されないのも、厳しいくらいに人と接するのも、全て公爵家たれと努力した結果。でも、本当のお嬢様はお気持ちの優しい方です。そんなクラリス様に、公爵様は何をしてくださったと言うんです? どうか、こんな時まで公爵家のことをお考えになるのはお止めください」
「そうはいかない。どう転ぼうと、私はブロイの人間にしかなれないんだ」
「そのお考えが間違っているんです! いっそこれを期に捨ててしままえばいいんです。あんな糞の役にも立たない家紋」
「アリサ……。あなたのお給料を誰が出してるか分かってるの?」
「私のことはいいんです! 貧民街で拾っていただいたときから、私はお嬢様に一生ついて行くと決めてます。どうか家のことは置いて、ご自分がどうしたいかお考えください。ほら、考えようによっては、今が家を飛び出す絶好のチャンスですよ!」

 力説するアリサに、クラリスはこれまで何度か空想したことを思い出していた。
 もし、公爵家ではない家に生まれていたなら。普通の少女のように笑い、家族から愛されて。誰かを愛することができただろうか。

「できるだろうか。そんなこと……」
「お嬢様がお望みさえすればいくらでも」

 アリサは即答する。現実はそんなに甘くはない。アリサもそれは分かって言っているはずだ。

「逃げる……。にげ、たい……」

 ポツリと。それは、クラリスが初めて口にした欲だった。
 アリサは目を見開いて、クラリスの手を握った。

「お任せください。このアリサ、あらゆる手段、あらゆる伝手を使って、必ずお嬢様に自由を捧げてみせます!」

 少しばかり重い台詞とともに、アリサは「早速ですがこちらを」と、スカートの中から侍女のお仕着せを取り出してきた。

「何で持ってるの……」
「侍女というのは、意外と服が駄目になることが多ございまして」

 アリサは手早くお仕着せを広げながら、にこりと笑った。

「着替えましたら別の場所で騒ぎを起こして、その隙に場外へ逃げましょう」
「いえ、待って」

 クラリスは柳眉を寄せ、少しの間考えた。

「罪状が罪状だ。国内に留まるのは得策ではない。なら、一番近い亡命先が、今この城の中にある」
「城に、ですか?」
「そうだ。婚約式のために辺境から来ている男がいるだろう」
「……サヴォイア辺境伯ですか。確かヴァランティーヌ公爵夫妻の代理でいらしてるとか」
「ああ」

 サヴォイア辺境伯──リュシアン=ジュネ=ド=サヴォイアは、王妹の息子であり、二十二歳の若さでサヴォイア領を任されている秀才だ。
 彼は、伯父である国王から、辺境伯領の独立裁量権を与えられている。王の臣下でありながら、辺境伯領の政務に限り、王権の干渉を受けないのだ。そして、彼や彼の政務官の居所は、領外であっても治外法権が適応される。
 王の臣下としては破格すぎる待遇だが、幸いなるかな、やっかむ要素がないほど辺境伯領は田舎だった。王都から物理的にも遠く、振りかざす機会すらない特権は、人々の記憶の中で埃を被っていたのである。
 今のクラリスたちには絶好のチャンスだった。彼の滞在先に転がり込めば、そこは王に保証された辺境伯領だ。追っ手も迂闊にクラリスたちに手出しできなくなる。

「盲点ですね。辺境伯領は北の果の地。王都でその特権を意識する機会なんてまずないですから、宰相たちも見落としているかもしれません。……ただ、リュシアン卿はあのバカ王子の従兄弟君ですよね? 逆に突き出されてしまうのでは?」
「否定はできないが、リュシアン卿が辺境伯領を賜ったのは、後継者争いの一端だったという説もある。彼は三人の王子に継いで王位継承順位が高いから」
「王太子の政敵になるから辺境に追いやられたということですか? 他の王子をすっ飛ばして?」
「あくまで噂だ。ただ、辺境伯領が生家の公爵領に比べて旨味のない土地だったのは確かだ。リュシアン卿が王家を快く思っていない可能性はある。それに、辺境伯は柔軟に政策を打ち出して領を立て直した知恵者と聞く。私のことも偏見なく判断してくださる。……そう信じたい」
 
 クラリスがリュシアンと話をしたのは、十年前の一度きりだ。茶会を抜け出して騒ぎになり、王妹に叱られていた彼である。
 あの時は人騒がせなと思ったが、母である王妹に詫びる姿は妙に印象に残っている。露ほども悪いと思っていない顔なのに、母を見上げる眼差しは温かだった。家族をあのように見られる人物なら、悪い人間ではないように思えるのだ。

「お嬢様が信じたいだなんて……初めて聞いたような気がします」

 気づけばアリサが慄いていた。
 クラリスはいっとき失礼なと思ったが、言われたとおりだと気がついて苦笑した。

「父上に知れたら叱られるな」
「左様でございますね」

 アリサの折り目正しい返答を聞きながら、クラリスは侍女の服に袖を通した。
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