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第1話:幸運を縫う針子と不運の代償
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あと一針。
銀色の針が月光を浴びた絹の生地に吸い込まれていく。この最後の一針でこのドレスに幸運が宿る。そして私には代償の不運が訪れる――。
私はエリーゼ。ただの針子だ。ただ私の針仕事にはごく稀に魔法が宿る。刺繍に加護の力を込め生地に幸運を縫い込むことができる。それは誰に教わったわけでもない生まれ持った私の才能でありそして私の呪いだった。
「まあ……!なんて美しいのかしら!」
依頼主である伯爵夫人が感嘆の声を上げた。私が仕立てたばかりの夜会服をその身にまとい鏡の前でうっとりと微笑んでいる。月の光を織り込んだかのような生地に星屑の刺繍。それは着る者の魅力を最大限に引き出すまさに魔法のドレスだった。
「素晴らしいわエリーゼ!これなら王宮の夜会で私が一番の注目を集められる!」
伯爵夫人は心から喜んでいた。その笑顔を見て私の心もわずかに温かくなる。この瞬間のために私は針子になったのだ。
私が安堵の息をついたその時だった。
ピシッ、という乾いた嫌な音が部屋に響いた。
音のした方を見ると部屋の隅にある飾り棚に置かれていた高価な磁器の花瓶に一本の亀裂が入っていた。
伯爵夫人の顔からさっと血の気が引く。
「……なんてこと。あの花瓶は隣国から取り寄せた我が家の家宝なのよ……!」
彼女の目はもはやドレスにはなく不吉な亀裂の入った花瓶に釘付けになっていた。
「申し訳ありません……」
「謝って済むことではないわ!ああなんて不吉なのかしら。このドレスは王太子殿下も出席なさる大事な夜会に着ていくものだったのに。始まる前からケチがついてしまった……!」
伯爵夫人は美しいドレスを着ていることなど忘れヒステリックに叫んだ。
「あなたの腕は確かよエリーゼ。でもあなたが作るものはいつもそうだわ!素晴らしいものが完成したかと思えば必ず何か嫌なことが起こる!」
彼女はまるで穢れを払うかのように私から距離を取った。
「もうたくさんよ。あなたを雇っているだけでこちらまで不運になりそうだわ。出て行ってちょうだい。今すぐに!」
報酬も労いの言葉もなかった。
私はたった一つの使い古した鞄だけを手に伯爵邸を追い出された。これがもう何度目のことだろうか。
私は最後の望みをかけて仕立て屋ギルドの扉を叩いた。ギルドの親方は私の持参した刺繍の切れ端をその確かな目で見定める。
「……なるほどな」
親方は唸った。
「この技術は常人のそれではない。精霊の戯れかあるいは悪魔の所業か。いずれにせよ我々実直な職人の手仕事とは相容れんものだ」
彼は私の才能を認めた上でしかしその目に嫉妬とそして得体の知れないものへの恐怖を浮かべていた。
「ギルドはお前のような『呪われた』娘を受け入れることはできん。帰りなさい。そして二度と我々の前に姿を現すな」
ギルドからも見放され私は完全に行くあてを失った。
冷たい雨が容赦なく私の体を濡らしていく。
(やはりそうか。私のこの力は呪いなのだ。誰かのために美しいものを作りたい。ただそう願うだけなのにどうして私はいつも独りになってしまうのだろう)
雨に濡れた石畳に涙が落ちる。もう何もかもどうでもよかった。
その時だった。
私の目の前に一台の黒い馬車が音もなく停まった。紋章はどこにもない。だがその馬車は馬具の一つ一つに至るまで質素でありながら最高級の品で誂えられていることが私の目には分かった。
馬車から降りてきたのは執事らしき品の良い老紳士だった。彼は私に向かって深く恭しく頭を下げた。
「エリーゼ様でいらっしゃいますね?」
「……はい?」
「我が主があなた様をお迎えするようにと」
老紳士の言葉はあまりにも突拍子がなかった。
「人違いでは……?」
「いいえ。幸運を縫い不運を招く類まれなる才能を持つ針子。エリーゼ様あなたに違いありません」
彼は私に一通の手紙を差し出した。上質な羊皮紙にはただ一言だけ美しい筆跡でこう記されていた。
『幸運も不運もすべて引き受ける。ただ君の作る本物だけが欲しい』
「我が主は噂や迷信など一切意に介されません」
老紳紳は静かに言った。
「主が求めるのはただ一つ。真の芸術のみ。その対価はいくらでもお支払いすると約束なさいました」
それはあまりにも都合の良い話だった。
だがすべてを失った私にもはや選ぶ道など残されてはいなかった。
私は差し出された手に導かれるままその黒い馬車へと乗り込んだ。
馬車がどこへ向かうのか私には分からない。
ただ雨で滲む窓の外を眺めながら私はこれが最後の希望かあるいは新たな絶望への入り口なのかとぼんやりと考えていた。
銀色の針が月光を浴びた絹の生地に吸い込まれていく。この最後の一針でこのドレスに幸運が宿る。そして私には代償の不運が訪れる――。
私はエリーゼ。ただの針子だ。ただ私の針仕事にはごく稀に魔法が宿る。刺繍に加護の力を込め生地に幸運を縫い込むことができる。それは誰に教わったわけでもない生まれ持った私の才能でありそして私の呪いだった。
「まあ……!なんて美しいのかしら!」
依頼主である伯爵夫人が感嘆の声を上げた。私が仕立てたばかりの夜会服をその身にまとい鏡の前でうっとりと微笑んでいる。月の光を織り込んだかのような生地に星屑の刺繍。それは着る者の魅力を最大限に引き出すまさに魔法のドレスだった。
「素晴らしいわエリーゼ!これなら王宮の夜会で私が一番の注目を集められる!」
伯爵夫人は心から喜んでいた。その笑顔を見て私の心もわずかに温かくなる。この瞬間のために私は針子になったのだ。
私が安堵の息をついたその時だった。
ピシッ、という乾いた嫌な音が部屋に響いた。
音のした方を見ると部屋の隅にある飾り棚に置かれていた高価な磁器の花瓶に一本の亀裂が入っていた。
伯爵夫人の顔からさっと血の気が引く。
「……なんてこと。あの花瓶は隣国から取り寄せた我が家の家宝なのよ……!」
彼女の目はもはやドレスにはなく不吉な亀裂の入った花瓶に釘付けになっていた。
「申し訳ありません……」
「謝って済むことではないわ!ああなんて不吉なのかしら。このドレスは王太子殿下も出席なさる大事な夜会に着ていくものだったのに。始まる前からケチがついてしまった……!」
伯爵夫人は美しいドレスを着ていることなど忘れヒステリックに叫んだ。
「あなたの腕は確かよエリーゼ。でもあなたが作るものはいつもそうだわ!素晴らしいものが完成したかと思えば必ず何か嫌なことが起こる!」
彼女はまるで穢れを払うかのように私から距離を取った。
「もうたくさんよ。あなたを雇っているだけでこちらまで不運になりそうだわ。出て行ってちょうだい。今すぐに!」
報酬も労いの言葉もなかった。
私はたった一つの使い古した鞄だけを手に伯爵邸を追い出された。これがもう何度目のことだろうか。
私は最後の望みをかけて仕立て屋ギルドの扉を叩いた。ギルドの親方は私の持参した刺繍の切れ端をその確かな目で見定める。
「……なるほどな」
親方は唸った。
「この技術は常人のそれではない。精霊の戯れかあるいは悪魔の所業か。いずれにせよ我々実直な職人の手仕事とは相容れんものだ」
彼は私の才能を認めた上でしかしその目に嫉妬とそして得体の知れないものへの恐怖を浮かべていた。
「ギルドはお前のような『呪われた』娘を受け入れることはできん。帰りなさい。そして二度と我々の前に姿を現すな」
ギルドからも見放され私は完全に行くあてを失った。
冷たい雨が容赦なく私の体を濡らしていく。
(やはりそうか。私のこの力は呪いなのだ。誰かのために美しいものを作りたい。ただそう願うだけなのにどうして私はいつも独りになってしまうのだろう)
雨に濡れた石畳に涙が落ちる。もう何もかもどうでもよかった。
その時だった。
私の目の前に一台の黒い馬車が音もなく停まった。紋章はどこにもない。だがその馬車は馬具の一つ一つに至るまで質素でありながら最高級の品で誂えられていることが私の目には分かった。
馬車から降りてきたのは執事らしき品の良い老紳士だった。彼は私に向かって深く恭しく頭を下げた。
「エリーゼ様でいらっしゃいますね?」
「……はい?」
「我が主があなた様をお迎えするようにと」
老紳士の言葉はあまりにも突拍子がなかった。
「人違いでは……?」
「いいえ。幸運を縫い不運を招く類まれなる才能を持つ針子。エリーゼ様あなたに違いありません」
彼は私に一通の手紙を差し出した。上質な羊皮紙にはただ一言だけ美しい筆跡でこう記されていた。
『幸運も不運もすべて引き受ける。ただ君の作る本物だけが欲しい』
「我が主は噂や迷信など一切意に介されません」
老紳紳は静かに言った。
「主が求めるのはただ一つ。真の芸術のみ。その対価はいくらでもお支払いすると約束なさいました」
それはあまりにも都合の良い話だった。
だがすべてを失った私にもはや選ぶ道など残されてはいなかった。
私は差し出された手に導かれるままその黒い馬車へと乗り込んだ。
馬車がどこへ向かうのか私には分からない。
ただ雨で滲む窓の外を眺めながら私はこれが最後の希望かあるいは新たな絶望への入り口なのかとぼんやりと考えていた。
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