呪われし歌姫と蒼き翼の守護者

YY

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2話:秘密の交流と芽生える感情(前編)

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ゼノスは毎夜、音もなく私の元を訪れるようになった。塔の窓辺に現れる巨大な影は、もはや恐怖の象徴ではなかった。彼の言葉は少なかったけれど、夜空の色を映したような蒼い瞳は、常に私の歌に温かい光を注いでいた。まるで、私の旋律が彼の心を解き放つ鍵であるかのように、彼は深く、静かに耳を傾ける。

初めて彼の姿を見た夜、私の胸には確かに戸惑いと、わずかな恐怖が渦巻いていた。しかし、彼が私の歌を、ただただ聞いていると分かった時、その感情は薄れていった。王都では、私の歌声は常に何かを「引き起こす」ものとして語られた。人を惑わし、心を病ませ、争いを呼ぶ……。だから、私は歌うことをやめられなかった。それが私の存在証明であり、唯一の自由だったから。だが、誰一人として、私の歌を純粋に「美しい」と受け止める者はいなかった。だが、ゼノスは違った。彼の瞳には、私の歌を聴く喜びと、何か深い共感のようなものが宿っていた。それは、私が生まれて初めて得た、純粋な繋がりだった。

夜な夜なの秘密の逢瀬が、私の閉ざされた世界に少しずつ色を添え始めた。ゼノスは、外界の物語を語り聞かせた。森で摘んだ、夜にだけ淡く発光する青白い花《月影草》。その花は、仄かな光を放ち、塔の暗闇にささやかな彩りを添えた。私は生まれて初めて、土に根を張る花の生命に触れた。その茎は脆く、花弁はひんやりとしていたけれど、そこには確かに、息づく命の温もりがあった。ゼノスは、月影草の育て方や、夜になると光る理由を教えてくれた。私にとって、それは全てが新鮮で、胸を躍らせる知識だった。

そして、彼は私に古き民間伝承を語ってくれた。遥か昔、人間と竜が手を取り合い、争いを乗り越えたという、失われた時代の物語。それは、私にとって遠い夢物語のようでありながら、同時に、閉ざされた世界への憧れを募らせるものだった。「そんな場所が本当にあったら、私は……そこへ行きたい」と、私は思わず口にしていた。外界と隔絶されていた私にとって、ゼノスがもたらす話は、初めて知る「自由」と「温もり」だった。

ある日、ゼノスが持ってきた物語は、私がかつて王宮で学んだ歴史とは全く異なるものだった。それは、かつて竜族が人間と深く交流し、互いの文化を豊かにし合っていたという話だった。その物語の中で、竜たちは空を自由に舞い、人間は彼らの歌声に耳を傾け、心を通わせていたという。
「私の本で読んだ歴史とは、少し違うわね」と、私が静かに呟くと、ゼノスは少しだけ瞳を伏せた。
「歴史は、勝者の手によって書き換えられるものだから」
彼の言葉は、穏やかでありながら、どこか諦めのような響きを帯びていた。

ゼノスの瞳の奥には、どこか諦めのような影が揺れていた。それは、私と同じ、深い孤独を知る者の色だった。彼が人間を深く信用していないことは明白だったけれど、私の歌を聞くたびに、その硬い表情がわずかに緩む瞬間がある。
「僕も……昔は、誰かの役に立たなければ“存在してはいけない”と思っていました」ゼノスはそう呟き、遠い目をした。「僕には妹がいた。歌声を持った、君と同じように優しい子だった。だが、彼女は、ある人間の音楽家に心を許してしまったんだ。その男は、妹の声が持つ力を利用し、竜の居場所を密告した。妹は、絶望の中で散った……。最期に妹が遺した言葉は、『でも、彼の音楽だけは本物だった』――矛盾した、希望のような言葉だった。竜族の中にも、人間に心を許すなど愚かだと考える者は多い。だが、君の歌は……」彼は言葉を詰まらせた。彼の声には、深い悲しみと、それでも拭い去れない人間への複雑な感情が滲んでいるようだった。

彼の話を聞いて、私は胸が締め付けられるようだった。ゼノスの妹も、私と同じ「歌声」を持っていた。そして、私と同じく、その歌声のために苦しみ、裏切られた。彼の人間に対する不信感が、どれほど深く、根強いものか、その時初めて理解できた。同時に、そんな深い傷を抱えながらも、私の歌に耳を傾け、私に触れようとしてくれるゼノスの存在が、いかに奇跡的なことかと思い知らされた。

塔の生活は変わらない。食事は最低限に、自由はない。それでも、毎夜ゼノスが来る時間が、私の唯一の楽しみとなった。彼は、私に月の満ち欠け、星の動き、森に住む動物たちのことまで教えてくれた。私は、塔の中からでも、まるで外界にいるかのように、世界の広がりを感じ始めた。彼の話は、私が王宮で学んできたどの知識よりも、鮮やかで、生き生きとしていた。

ある夜、私はゼノスに尋ねた。
「ゼノスは、なぜ、私の歌を聞きに来てくれるの?」
彼は少しだけ目を見開き、そして、困ったように眉を下げた。
「なぜ、と問われると……。ただ、君の歌に惹かれた、としか言えない。僕の知る人間の歌とは、まるで違った。純粋で、悲しくて、そして、どこか……救いを求めているように聞こえた」
救い。その言葉が、私の胸に深く響いた。私はこれまで、私の歌が人を「惑わす」と言われてきた。だが、ゼノスは「救いを求めている」と。
「私……私の歌は、人を傷つけると、言われてきたわ」
私は俯いて、自分の声が震えていることに気づいた。幼い頃から、私は歌うたびに周囲の反応に怯えてきた。私を嫌悪する視線、恐れる声、そして、王妃が心を病んだという事実。それらは全て、私の歌が「呪い」であることを証明しているように思えた。

ゼノスは何も言わなかった。ただ、静かに私の手を取り、温かい手のひらで包み込んだ。彼の指先が、そっと私の手の甲を撫でる。その小さな動きに、私の心臓は大きく跳ねた。彼の温もりが、私の冷え切った指先から、ゆっくりと体中に染み渡っていくようだった。

「君の歌は、呪いではない」
ゼノスが、私の目を真っ直ぐに見つめて言った。彼の声は、夜の静けさの中で、ひどく力強く響いた。
「誰かを傷つけるものでもない。それは、ただ、美しい」
彼の偽りのない響きを持つ言葉に、私は生まれて初めて、歌声が肯定される喜びを知った。
「誰にも届かないはずだった私の歌が、たったひとりの心に届いた。……それだけで、生きていてよかったと思えた」
気づけば、私の目から、堰を切ったように涙が溢れていた。頬を伝う雫が、彼の温かい手に落ち、熱を持っていることに驚いた。それは、悲しみでも、怒りでもない。歓喜と、長年の苦しみからの解放の涙だった。
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