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4話:迫る危機と決断(前編)
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私の決意に、ゼノスはただ静かに頷いた。言葉はなかったけれど、その蒼い瞳に宿る光が、私の心に確かな力を与えてくれた。彼が私に与えてくれたのは、外の世界の情報だけではない。私の歌を「呪い」ではなく「美しい」と受け入れてくれたこと。そして、私自身の存在を肯定してくれたこと。それら全てが、私の中に眠っていた、知らなかった感情を揺り起こしたのだ。まるで凍てついた大地が春の陽光を浴びて、ゆっくりと、しかし確実に溶けていくように。私の中に、これまで知らなかった温かさが広がっていくのを感じていた。
その日の夜、ゼノスの訪問はいつもより遅かった。塔の窓から見上げた夜空は、満月が煌々と輝き、森の木々が影絵のように浮かび上がっていた。彼の背中には、夜の帳を切り裂いてきたかのような、張り詰めた空気が漂っていた。鎧の隙間から見える彼の顔は、普段の穏やかさとは異なり、固く引き締まっている。
「討伐隊が、間もなくこの塔に到着する」
彼の声は、低く、重かった。森の風が塔の窓を揺らし、その音が不気味な予感のように響く。私は、握りしめた手が震えていることに気づいた。これまで恐怖を感じたことはなかった。感情を殺し、人形のように生きてきた私にとって、恐怖とは遠い感情だったはずだ。しかし、今、私の胸を締め付けているのは、彼を失うかもしれないという、底知れない不安だった。
「どれくらいの規模なの?」
震える声で尋ねた私に、ゼノスは顔を歪ませた。その表情には、隠しきれない苦痛が滲んでいた。
「王宮精鋭部隊だ。治癒魔法士の他に、強力な結界術師もいる。そして……」
彼は言葉を選び、私をまっすぐ見つめた。「竜族に特化した対竜騎士団も編成されている。彼らの目的は、僕の捕獲と、君の身柄の確保だ」
私の心臓が、早鐘のように鳴り始めた。ドクン、ドクン、と耳の奥で激しく響く。ゼノスが危険に晒される。それだけは、何としてでも避けなければならなかった。彼は、私に生きる希望をくれた。私の歌を「美しい」と言ってくれた、たった一人の存在なのだ。彼を失えば、私は再びあの何もない虚無へと引き戻されてしまうだろう。そんなことは、絶対に耐えられない。
ゼノスは、私の手からそっと《月影草》の花びらを抜き取った。その青白い花は、彼の指先でわずかに輝き、彼の表情を照らす。
「君を、危険な目に遭わせたくない」
彼はそう言って、私から一歩後ずさった。彼の瞳には、深い葛藤が宿っていた。かつて、人間によって裏切られ、妹を失った悲劇。その痛みが、彼の蒼い瞳の奥で、まだ燃え盛る炎のように揺れているのが見えた。彼がどれほどの覚悟で私から離れようとしているのか、痛いほど理解できた。彼は、このまま私を置いて、姿を消すつもりなのだ。私を巻き込まないために、彼が選んだ「唯一の道」だと信じているように見えた。
「行かないで!」
私は反射的に叫び、塔の窓から身を乗り出して、彼に伸ばしかけた手を止めた。冷たい夜風が私の髪を揺らす。過去の私なら、ただ彼の言葉に従うことしかできなかっただろう。諦めることしか知らなかった私。彼らの言葉が全てで、それに従うことが「完璧な令嬢」の証だった。けれど、もう違った。あの夜、私の歌が彼に届いた時、私の心に芽生えた小さな光。それが今、全身を駆け巡る熱い衝動となって、私を突き動かしていた。それは、今まで感じたことのない、私自身の強い「意思」だった。
「私の歌が呪いなら、私は呪いでこの国の誤りを揺さぶってみせる!」
私の声は、塔の石壁に反響し、微かに震えていた。しかし、その震えは恐怖からではない。私自身の深い奥底から湧き上がる、確かな覚悟だった。王は、私の歌を恐れるあまり、私を幽閉した。そして今、私の大切な人を奪おうとしている。もし私の歌が本当に人々の心を惑わす力を持つなら、私はその力で、王の、そしてこの国の目を覚まさせてみせる。
私はゼノスの瞳を真っ直ぐに見つめた。彼の表情に、驚きと、そして微かな喜びのようなものが浮かんだように見えた。彼は私の手を強く握り、その温もりが、私の心に、新たな勇気を灯した。彼の指の力が、私の決意を確かなものにしてくれる。私はもう、独りではない。そして、私の歌も、独りではない。私の歌は、ただ美しいだけではない。それは、誰かの心を震わせ、傷つき、閉ざされた感情に届く力がある。それが「呪い」と呼ばれるのなら、私は喜んでその呪いを背負おう。あなたを守るために。
塔の下から、地面を揺らすような足音と、金属が擦れ合う音が聞こえ始めた。ざわめきが、徐々に明確な人の声へと変わっていく。
「あそこだ!塔の中に竜がいる!」
「歌姫もろとも捕らえよ!」
怒号が夜の静寂を切り裂いた。王宮精鋭部隊の掲げる松明の炎が、森の木々の間から点々と見え隠れする。その数は、想像していたよりもはるかに多い。彼らはすでに塔の包囲を始めていた。騎士たちの鎧が月の光を鈍く反射し、その物々しい雰囲気が、私を再び絶望の淵へと引きずり込もうとする。しかし、私はゼノスの手を握りしめ、目を閉じない。私の心は、もう二度と、あの孤独な暗闇には戻らないと誓っていた。
「ゼノス……」
私は彼の名を呼び、彼の腕にしがみついた。私には、彼を守るためのたった一つの方法しかない。それは、私の歌だ。これまで恐れてきた、私自身の「呪われた」歌声。しかし、今は違う。この歌声は、私とゼノスを繋ぐ、唯一の希望なのだ。
その日の夜、ゼノスの訪問はいつもより遅かった。塔の窓から見上げた夜空は、満月が煌々と輝き、森の木々が影絵のように浮かび上がっていた。彼の背中には、夜の帳を切り裂いてきたかのような、張り詰めた空気が漂っていた。鎧の隙間から見える彼の顔は、普段の穏やかさとは異なり、固く引き締まっている。
「討伐隊が、間もなくこの塔に到着する」
彼の声は、低く、重かった。森の風が塔の窓を揺らし、その音が不気味な予感のように響く。私は、握りしめた手が震えていることに気づいた。これまで恐怖を感じたことはなかった。感情を殺し、人形のように生きてきた私にとって、恐怖とは遠い感情だったはずだ。しかし、今、私の胸を締め付けているのは、彼を失うかもしれないという、底知れない不安だった。
「どれくらいの規模なの?」
震える声で尋ねた私に、ゼノスは顔を歪ませた。その表情には、隠しきれない苦痛が滲んでいた。
「王宮精鋭部隊だ。治癒魔法士の他に、強力な結界術師もいる。そして……」
彼は言葉を選び、私をまっすぐ見つめた。「竜族に特化した対竜騎士団も編成されている。彼らの目的は、僕の捕獲と、君の身柄の確保だ」
私の心臓が、早鐘のように鳴り始めた。ドクン、ドクン、と耳の奥で激しく響く。ゼノスが危険に晒される。それだけは、何としてでも避けなければならなかった。彼は、私に生きる希望をくれた。私の歌を「美しい」と言ってくれた、たった一人の存在なのだ。彼を失えば、私は再びあの何もない虚無へと引き戻されてしまうだろう。そんなことは、絶対に耐えられない。
ゼノスは、私の手からそっと《月影草》の花びらを抜き取った。その青白い花は、彼の指先でわずかに輝き、彼の表情を照らす。
「君を、危険な目に遭わせたくない」
彼はそう言って、私から一歩後ずさった。彼の瞳には、深い葛藤が宿っていた。かつて、人間によって裏切られ、妹を失った悲劇。その痛みが、彼の蒼い瞳の奥で、まだ燃え盛る炎のように揺れているのが見えた。彼がどれほどの覚悟で私から離れようとしているのか、痛いほど理解できた。彼は、このまま私を置いて、姿を消すつもりなのだ。私を巻き込まないために、彼が選んだ「唯一の道」だと信じているように見えた。
「行かないで!」
私は反射的に叫び、塔の窓から身を乗り出して、彼に伸ばしかけた手を止めた。冷たい夜風が私の髪を揺らす。過去の私なら、ただ彼の言葉に従うことしかできなかっただろう。諦めることしか知らなかった私。彼らの言葉が全てで、それに従うことが「完璧な令嬢」の証だった。けれど、もう違った。あの夜、私の歌が彼に届いた時、私の心に芽生えた小さな光。それが今、全身を駆け巡る熱い衝動となって、私を突き動かしていた。それは、今まで感じたことのない、私自身の強い「意思」だった。
「私の歌が呪いなら、私は呪いでこの国の誤りを揺さぶってみせる!」
私の声は、塔の石壁に反響し、微かに震えていた。しかし、その震えは恐怖からではない。私自身の深い奥底から湧き上がる、確かな覚悟だった。王は、私の歌を恐れるあまり、私を幽閉した。そして今、私の大切な人を奪おうとしている。もし私の歌が本当に人々の心を惑わす力を持つなら、私はその力で、王の、そしてこの国の目を覚まさせてみせる。
私はゼノスの瞳を真っ直ぐに見つめた。彼の表情に、驚きと、そして微かな喜びのようなものが浮かんだように見えた。彼は私の手を強く握り、その温もりが、私の心に、新たな勇気を灯した。彼の指の力が、私の決意を確かなものにしてくれる。私はもう、独りではない。そして、私の歌も、独りではない。私の歌は、ただ美しいだけではない。それは、誰かの心を震わせ、傷つき、閉ざされた感情に届く力がある。それが「呪い」と呼ばれるのなら、私は喜んでその呪いを背負おう。あなたを守るために。
塔の下から、地面を揺らすような足音と、金属が擦れ合う音が聞こえ始めた。ざわめきが、徐々に明確な人の声へと変わっていく。
「あそこだ!塔の中に竜がいる!」
「歌姫もろとも捕らえよ!」
怒号が夜の静寂を切り裂いた。王宮精鋭部隊の掲げる松明の炎が、森の木々の間から点々と見え隠れする。その数は、想像していたよりもはるかに多い。彼らはすでに塔の包囲を始めていた。騎士たちの鎧が月の光を鈍く反射し、その物々しい雰囲気が、私を再び絶望の淵へと引きずり込もうとする。しかし、私はゼノスの手を握りしめ、目を閉じない。私の心は、もう二度と、あの孤独な暗闇には戻らないと誓っていた。
「ゼノス……」
私は彼の名を呼び、彼の腕にしがみついた。私には、彼を守るためのたった一つの方法しかない。それは、私の歌だ。これまで恐れてきた、私自身の「呪われた」歌声。しかし、今は違う。この歌声は、私とゼノスを繋ぐ、唯一の希望なのだ。
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