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第2話:【共生】呪いは薬、病は盾
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死神の城での生活は死そのものよりも静かだった。
巨大な城には私とカイエン公爵そして最低限の世話をする老執事の三人しかいない。廊下を歩いても聞こえるのは自分の足音だけ。窓の外に広がる庭は美しく整えられてはいるが花も鳥も命の気配が一切なかった。
カイエン公爵は約束通り私に極上の生活環境を与えた。だが彼自身は私を避けているようだった。食事も常に一人。彼がその姿を現すのは夜書斎の窓辺に孤独な影として佇んでいる時だけ。おそらく彼の瘴気が契約期間満了前に私の命を削りすぎることを彼なりに案じているのだろう。
その気遣いは無用なのだが。
私の病水晶の涙病は着実に進行していた。左手の甲にあるあの小さな結晶は日を追うごとにその輝きを増しているように見えた。それは私の生命力が少しずつ美しい死の形へと変わっている証拠だった。
私はただ穏やかにその終わりを待っていた。
契約から一月が過ぎた頃事件は起きた。
王都から公爵の血縁だという遠縁のヴォルコフ男爵が見舞いに訪れたのだ。カイエンはそれを断固として拒絶したが相手は聞き入れず強引に城の門を叩いた。
彼は謁見の間でカイエンにこう言った。
「カイエンよいつまでそうして影の中に隠れているつもりだ。そなたの父君先代公爵がご存命であったなら今の貴様の姿を見て涙を流されるであろう。その呪いは試練のはず。それを引きこもるための言い訳にするとは。アークブラッドの家名を辱めるものだ!」
その偽善に満ちた言葉が引き金となった。
「……帰れ」
カイエンの低い声と共に凄まじい死の瘴気が彼から放たれた。ヴォルコフ男爵は悲鳴を上げて気を失い兵士たちに担ぎ出されていった。
だが一度溢れ出した瘴気の嵐は簡単には収まらなかった。城全体が濃密な死の気配に満たされていく。
私は自室のベッドの上でその圧倒的なプレッシャーを感じていた。
(ああこれが彼の本当の力……。私の終わりが来たのかもしれない)
私は静かに目を閉じた。
だが予期していた苦痛は訪れなかった。
それどころか濃密な死の瘴気が霧のように私の体を包み込んだ瞬間ずっと私の体を苛んでいたあの体の内側から結晶化していくような鈍い痛みがすうっと和らいでいくのを感じた。
手の甲の結晶がその輝きをわずかに失っている。
まるで私の病が彼の瘴気を糧としているかのように。
私は導かれるように彼の元へと向かった。
書斎の扉を開けるとカイエンが床に膝をつきその身から溢れ出す瘴気を必死に抑え込もうと苦しんでいた。
「……来るな!死にたいのか!」
彼は私に気づくと苦悶の表情で叫んだ。
「カイエン様」
私は構わず彼に近づいた。
彼が驚いたのは私がその瘴気の中で平然と立っていたからだろう。いや平然としているどころかむしろその表情は普段よりもずっと穏やかだった。
「……なぜお前は立っていられる……?」
「私の病は水晶の涙病。生命力が過剰に結晶化していく病です」
私は静かに自分の手の甲を彼に見せた。
「そしてあなたの力は生命力を吸い取る死の瘴気。おそらく……私の『過剰な生』があなたの『死の瘴気』を中和しそしてあなたの『死の瘴気』が私の『生の暴走』を抑制しているのではないでしょうか」
私の病はあなたの呪いの盾となる。
あなたの呪いは私の病の薬となる。
カイエンは私の言葉に絶句していた。彼にとってその力はただすべてを奪い破壊するだけの呪いでしかなかった。
「……理屈は分からん。俺は学者ではない」
彼はそう言って恐る恐る私に向かってその手を伸ばした。
「だが……これだけは分かる。俺の内にあるこの嵐が、お前がそばにいると、静かになる」
彼の指先が私の指先にそっと触れる。
その瞬間彼の体から放たれていた瘴気が私の体へと穏やかに流れ込んできた。それは不思議と少しも冷たくなかった。むしろ体の痛みを和らげる心地よい鎮静剤のようだった。
そしてカイエンもまた驚きに目を見開いていた。
「……嵐が、静まっていく……」
それは奇跡のような光景だった。
死神と余命一年の花嫁。
世界の誰からも見放された孤独な二人が互いの存在によって初めて束の間の安らぎを得た瞬間だった。
カイエンは私の手を強く握りしめた。まるで決して離さないとでも言うように。
彼は机の上に置かれた私たちが交わした契約書に目をやった。そして私を見つめ静かに言った。
「……そんな紙切れ一枚の約束よりもお前の存在の方が遥かに重い」
その血のように赤い瞳が初めて私に強烈な光を宿して懇願するように言った。
「……ここにいろ。命令じゃない。願いだ。頼むリディア」
それは懇願であり命令でありそして孤独な魂の必死の叫びだった。
私は一年後に穏やかに死ぬという私の唯一の計画が根底から覆されようとしていることを予感していた。
巨大な城には私とカイエン公爵そして最低限の世話をする老執事の三人しかいない。廊下を歩いても聞こえるのは自分の足音だけ。窓の外に広がる庭は美しく整えられてはいるが花も鳥も命の気配が一切なかった。
カイエン公爵は約束通り私に極上の生活環境を与えた。だが彼自身は私を避けているようだった。食事も常に一人。彼がその姿を現すのは夜書斎の窓辺に孤独な影として佇んでいる時だけ。おそらく彼の瘴気が契約期間満了前に私の命を削りすぎることを彼なりに案じているのだろう。
その気遣いは無用なのだが。
私の病水晶の涙病は着実に進行していた。左手の甲にあるあの小さな結晶は日を追うごとにその輝きを増しているように見えた。それは私の生命力が少しずつ美しい死の形へと変わっている証拠だった。
私はただ穏やかにその終わりを待っていた。
契約から一月が過ぎた頃事件は起きた。
王都から公爵の血縁だという遠縁のヴォルコフ男爵が見舞いに訪れたのだ。カイエンはそれを断固として拒絶したが相手は聞き入れず強引に城の門を叩いた。
彼は謁見の間でカイエンにこう言った。
「カイエンよいつまでそうして影の中に隠れているつもりだ。そなたの父君先代公爵がご存命であったなら今の貴様の姿を見て涙を流されるであろう。その呪いは試練のはず。それを引きこもるための言い訳にするとは。アークブラッドの家名を辱めるものだ!」
その偽善に満ちた言葉が引き金となった。
「……帰れ」
カイエンの低い声と共に凄まじい死の瘴気が彼から放たれた。ヴォルコフ男爵は悲鳴を上げて気を失い兵士たちに担ぎ出されていった。
だが一度溢れ出した瘴気の嵐は簡単には収まらなかった。城全体が濃密な死の気配に満たされていく。
私は自室のベッドの上でその圧倒的なプレッシャーを感じていた。
(ああこれが彼の本当の力……。私の終わりが来たのかもしれない)
私は静かに目を閉じた。
だが予期していた苦痛は訪れなかった。
それどころか濃密な死の瘴気が霧のように私の体を包み込んだ瞬間ずっと私の体を苛んでいたあの体の内側から結晶化していくような鈍い痛みがすうっと和らいでいくのを感じた。
手の甲の結晶がその輝きをわずかに失っている。
まるで私の病が彼の瘴気を糧としているかのように。
私は導かれるように彼の元へと向かった。
書斎の扉を開けるとカイエンが床に膝をつきその身から溢れ出す瘴気を必死に抑え込もうと苦しんでいた。
「……来るな!死にたいのか!」
彼は私に気づくと苦悶の表情で叫んだ。
「カイエン様」
私は構わず彼に近づいた。
彼が驚いたのは私がその瘴気の中で平然と立っていたからだろう。いや平然としているどころかむしろその表情は普段よりもずっと穏やかだった。
「……なぜお前は立っていられる……?」
「私の病は水晶の涙病。生命力が過剰に結晶化していく病です」
私は静かに自分の手の甲を彼に見せた。
「そしてあなたの力は生命力を吸い取る死の瘴気。おそらく……私の『過剰な生』があなたの『死の瘴気』を中和しそしてあなたの『死の瘴気』が私の『生の暴走』を抑制しているのではないでしょうか」
私の病はあなたの呪いの盾となる。
あなたの呪いは私の病の薬となる。
カイエンは私の言葉に絶句していた。彼にとってその力はただすべてを奪い破壊するだけの呪いでしかなかった。
「……理屈は分からん。俺は学者ではない」
彼はそう言って恐る恐る私に向かってその手を伸ばした。
「だが……これだけは分かる。俺の内にあるこの嵐が、お前がそばにいると、静かになる」
彼の指先が私の指先にそっと触れる。
その瞬間彼の体から放たれていた瘴気が私の体へと穏やかに流れ込んできた。それは不思議と少しも冷たくなかった。むしろ体の痛みを和らげる心地よい鎮静剤のようだった。
そしてカイエンもまた驚きに目を見開いていた。
「……嵐が、静まっていく……」
それは奇跡のような光景だった。
死神と余命一年の花嫁。
世界の誰からも見放された孤独な二人が互いの存在によって初めて束の間の安らぎを得た瞬間だった。
カイエンは私の手を強く握りしめた。まるで決して離さないとでも言うように。
彼は机の上に置かれた私たちが交わした契約書に目をやった。そして私を見つめ静かに言った。
「……そんな紙切れ一枚の約束よりもお前の存在の方が遥かに重い」
その血のように赤い瞳が初めて私に強烈な光を宿して懇願するように言った。
「……ここにいろ。命令じゃない。願いだ。頼むリディア」
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*他のサイトでも公開しています。
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