傭兵から商売を始めたら、いつの間にか領主になっていた件

篠の目

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第170章 策謀渦巻く戦議の間

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「人族が北域を開発してこれだけの年月が流れ、発見された紅紋魔樹のほとんどは既に使い果たされている。何しろ、魔薬を産出する速度が遅すぎて、樹そのものの価値には到底追いつかん。ゆえに、直接樹材として使われてしまうことが多いのだ」
 ウェイン侯爵の静かな声が、長年の経験をにじませる。
 ――なるほど。俺の手元にあるあの数本、今の俺には“ただの素材”程度の認識しかなかったが……どうやら桁が違うらしいな。
「これだけ時間が経って、お前がまだ一本見つけられたのは幸運だ。王都にはまだ一定数残っているし、私の邸宅にも一本植えてある。もし使わないのであれば、売ってくれても構わん。価格は相談に応じる」
「い、いえ! 侯爵様がご所望なら、副団長と相談して、直接献上いたします。報酬など必要ありません。日頃のご配慮への、ささやかな恩返しとしてお受け取りください」
 俺は即座に否定した。
 ――この方に借りを作るのは悪くないが、金を受け取ると逆に関係が狭まる。必要なのは“恩”の流れだ。政治とはそういうものだ。
 だが侯爵は首を振った。
「お前はまだ価値を分かっていないようだな。初級見習い段階の木でさえ、数千金貨だ。等級が上がればさらに跳ね上がる。お前から不当に利益を得るつもりはない。売りたいなら送れ。売りたくないなら手元に置け。そこまで珍品でもない」
 ――いや、十分すぎるほど珍しいが?
 侯爵の基準は王都の貴族層。俺とは価値観のスケールが違う。
「私の邸の木は中級見習い段階まで育てている。発見した時は初級だったが、育成には多くの資源が必要だ」
 そこで俺の思考が一瞬止まった。
 ――……中級でそれだけか。では俺の“上級見習い”は、もしかして……?
 心の奥で歓喜が膨れ上がる。
 上級見習い段階の紅紋魔樹。
 侯爵の言う価値を当てはめれば――十万金貨に到達するのも全く不思議ではない。いや、むしろそれ以上だろう。
 ……しかし同時に、嫌な予感も脳裏をよぎる。
 匹夫無罪、懐璧其罪。
 宝を持つ者こそ狙われる。
 ――早めに昇級を済ませ、厳重に隠すべきだな。戻すべき時期と場所も再調整する必要がある。
 知らず質問していなければ、危うく自分で火種を抱え込むところだった……。
 二人の雑談は、貴族たちが集まり始める午後まで続いた。
    ◇
 その後、伯爵領政務大庁で会議が開かれた。
 北域の男爵以上の貴族がほぼ全員集合している。
 今回参加しているのは、ダービー城の二人の子爵と俺を含む七名の男爵。
 さらにモニーク城のデライヴン伯爵と配下の三子爵、九男爵。総勢二十名以上だ。
 その中に、昨晩ウェインが話題にしていたウェリアム侯爵の姿もあった。
 色白の顔に陰鬱な目。妙に存在感のある若者で、今は椅子に寄りかかって軽く眠っている。
 ――なるほど、噂通り。不気味なほど落ち着いている。
 やがて全員が揃い、ウェインが手を軽く振って静粛を促した。
「今回皆を集めたのは、重大な議事のためだ。反逆者ディオは誅殺し、残るはドヴァ城の修斯ただ一人。王国は彼を徹底討伐する方針を固めている。あそこは重要な産馬地であり、長く放置すれば王国全域の騎兵戦力に影響が出る。各々の意見を述べてほしい」
 言葉が終わるや、会議の空気が揺れた。
 ドヴァ城――騎兵戦力に優れた強兵領。
 経験豊富な貴族たちが驚くのも当然だ。
 男爵には発言権がなく、黙って聞くしかない。
 デライヴン伯爵が口を開いた。
「侯爵様、今回、王国からどれほどの援軍が? もし数が少なければ、我らが把握している戦力では脅威を与えるのは困難です。ドヴァ城の防御施設は完璧、草原には大量の騎兵が駐屯。兵力が少なければ、逆に我々が殲滅されかねません。モニーク城も獣人に脅かされており、出せる援軍は最大一万……。慎重な判断をお願いしたい」
 そのとき――。
「デライヴン伯爵!」
 ウェリアムが卓を叩き、立ち上がった。
 眠っていたはずの目が、今は氷のように鋭い。
「戦いが始まる前から戦意を失ってどうする? 前回の敗戦で、あなたの背骨は折られてしまったのですか?」
 空気が一瞬で凍りついた。
 ――ああ、やらかしたな。この若造。
 この場でそれを言えば、“士気”どころか“面子”の問題だ。
 デライヴン伯爵の顔が赤く染まる。
「ウェリアム侯爵、私を侮辱するのはやめよ! 必要とあらば王国に決闘を申請する!」
 ウェインの表情も冷たく変わった。
「ウェリアム、どういうつもりだ? 前回私が敗れたことまで責めるつもりか?」
 若い侯爵は、わざとらしいほど大げさに身を引いた。
「叔父上、誤解です。ただ、士気を下げたくなかっただけですよ。我々は軍の象徴なのですから」
 ――この若者、口では謝っているが、実質撤回していないな。性格が悪い。
 ウェインは手を振った。
「もういい。デライヴン伯爵は戦わないと言っているのではなく、情勢を分析しただけだ。もし伯爵の考えが誤りだと言うなら、お前が代案を述べろ」
 促され、ウェリアムは自信満々に語り出した。
「難しくありません。ドヴァ城の兵士と農奴を合わせても数万。戦える正規兵は一万余。騎兵五千、農奴兵五千が限界。彼らの装備は貧弱。我々は――」
 若者は指を折りながら、計算を積み上げる。
「デライヴン伯爵軍一万、叔父上の軍二万、守備隊および二子爵領で一万余。さらに私が連れてきた三万。総兵力は七万だ。ダービー城に一万を残し、六万で一気に攻め込めば、雷霆のごとく押し潰せる!」
 ――確かに数字上は圧倒的だ。だが、問題は別だ。
「陛下の催促もある。勝利後は南方へ移動し、タロン王国に備えねばならない。彼らは国内矛盾の解消のため、対外戦争を望んでいる」
 ウェインは静かに頷いた。
 その目には、昨夜俺と語った内容が浮かんでいる。
「通常であれば、お前の戦略は正しい。だが考えたことはあるか? 我々の騎兵は、彼らの敵ではない」
 ウェリアムの表情が固まる。
「それに、六万の大軍の食糧輸送は困難だ。堂々と進軍すれば、途中の糧道を騎兵に襲われる。もしそうなれば――どう対処する?」
 会議室の空気が重く沈む。
 ――さて。ここから先、どう立ち回るか。
 俺の出番はまだ先だが、状況は着実に俺の有利へと転がり始めている。
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