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第179章 損失の中で動く者
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そう言うと、フィルードは背嚢から星魔草を取り出し、大黒の口元へ差し出した。
大黒は「モォー」と低く鳴き、主の意図を理解したかのように星魔草を噛み始める。
(まずはこいつの回復を最優先だ。動ける魔獣が何頭いるかで撤退速度が変わる。これは完全に“時間との戦い”だな)
餌やりを終えたフィルードは、大黒の背から干し肉とパンを取り、無言でテントへ戻った。
中では、エレナが再び深い眠りに落ちており、メイヴが上半身に服を着せ、肌が露わになるのを避けていた。
フィルードはその姿を見て小さくため息をつき、声を潜めて尋ねた。
「……水を飲ませてはいないな?」
メイヴはびくりと肩を揺らし、怯えたように首を横に振る。
「お嬢……いえ、副団長様は何度も水を求められましたが、旦那様の指示でしたので……ずっと我慢していただきました」
その呼び方に、フィルードはわずかに眉を寄せた。
「私のことをそう呼ぶのは構わん。だが、彼女を“お嬢様”と呼ぶと……まるで私が父親のように聞こえるだろう。今後は“副団長様”で頼む」
メイヴは「あっ」と口を覆い、くすりと笑って素直に頷いた。
フィルードは淡々と説明を続ける。
「失血が大きすぎる。喉が渇くのは当然だが、この状態で水を与えれば逆に死ぬ。細かい理屈は理解せずともいい。今は私の指示通りに動いてくれ。食事も駄目だ。今夜を乗り越えてから、少量の水と粥を与える。パンや干し肉は厳禁だ」
メイヴは一字一句を逃すまいと真剣に頷いた。
フィルードはエレナの傷口をもう一度確認し、変化がないのを見てから自分の食事を取り始めた。
メイヴは依然としてベッドの脇に立ちっぱなしで動かない。
フィルードはパンと干し肉を差し出しながら言う。
「食べろ。……これから“逃げる”必要があるかもしれん。腹が減っていては走れん」
自身も淡々と食べ始めるフィルード。清水に浸したパンを口に運びつつ、頭の中ではすでに撤退計画の再構築が始まっていた。
(全員を連れて撤退できるか……できる可能性は低い。だが、被害を最小に抑える手段は必ずある)
食事を終えると、彼はまっすぐウェインのもとへ向かった。
「侯爵様、今回の行動で、我々は何名の兵を連れ戻せましたか?」
ウェインは深いため息をついて答えた。
「……合計で三万五千。行方不明は一万五千だ。生死は不明だが……戻ってくるとしても、もう数は多くないだろう」
その数字を聞き、フィルードは胸中で静かに計算する。
(十五……いや、補給隊の損失を含めれば実質二万弱の損耗か。馬車の損失も大きい。致命傷にはならぬが、痛い……)
それでも、口にしたのは落ち着いた声だった。
「勝敗は兵家の常です、侯爵様。損失は大きいですが、北域が致命的な打撃を受けたわけではない。数年休養し、いずれまたシウスの反逆者を討てば良いでしょう」
ウェインは手を振った。
「それは分かっている。私はもう軍団元帥を辞す身だ。だが、最後の務めだけは果たさねばならん……問題は食糧だ。どんなに節約しても十日だ。それを過ぎれば、戦う前に軍が崩壊する」
フィルードはすぐに答えた。
「ならば、山沿いにカールトン子爵府へ急行すべきです。ここから二日の距離。そこに到達できれば、交渉も戦闘も主導権は我々が握れます」
ウェインは重く頷いた。
「だが、シウスはおそらく我々の帰路を読んで急行している。それでも……これが唯一の活路だ。エレナの怪我が重すぎるなら、山中に彼女を匿い、回復してから戻らせよ」
(……やはり、同じ結論に至るか)
フィルードは内心でそう呟き、静かに頷くと住処へ戻り、エレナを抱き上げた。
彼はメイヴを連れ、子黄牛に乗って山脈の奥へ踏み込む。
外れた山道を曲がりくねり、敵に気付かれぬ隠れ場所を探し当てると、素早くテントを張り、十分な食料を残した。
「ここで彼女を看病するんだ。回復したら子黄牛に乗って領地へ戻れ。上手くやれば褒賞として魔獣の肉をやろう」
メイヴは力強く頷いた。
「旦那様、ご安心ください。副団長様は必ずお守りします」
その時、エレナが突然目を見開いた。
激痛が背中を走り、抑えきれず悲鳴が漏れる。
フィルードはすぐに彼女の手を握り、優しく声を掛けた。
「目が覚めたか。背中の矢は抜いた。治療薬も一本飲ませてある」
エレナは痛みに唇を震わせつつも、かすれた声で尋ねた。
「……その薬……いくらだ? ま、まさかまた私の給料から……」
フィルードはわずかに視線を逸らし、苦笑した。
「今回はいい。侯爵様からの支給品だ」
エレナは安堵の息を吐き、次に低い声で問う。
「……私をここに置いていくのか?」
「今の状態では動かせん。回復してから戻れ。メイヴを付けておく」
しばらく沈黙した後、エレナは震える声で言った。
「……道中、気を付けろ。無茶はするな。今回は……誰も君を助けられないかもしれない」
「心配するな。傷を治せ。戻ったら、お前を上位超凡者に押し上げる方法を探る。そして……お前を傷つけた者は分かった。必ず、仇はとる」
短く言葉を交わし、フィルードはその場を去った。
大黒と四頭の子黄牛はエレナの護衛として置いていく。それが最善の配置だった。
フィルードは大部隊へ合流し、山脈沿いに二日間進軍した。
ついにカールトン領が見え始める。眼下には大量の騎兵が巡回し、二万以上の歩兵が野営を築いていた。
(……やはり来ているか。だが、突破できない布陣ではない)
その夜、ウェインは緊急会議を開き、今後の対策を詰めるのだった。
大黒は「モォー」と低く鳴き、主の意図を理解したかのように星魔草を噛み始める。
(まずはこいつの回復を最優先だ。動ける魔獣が何頭いるかで撤退速度が変わる。これは完全に“時間との戦い”だな)
餌やりを終えたフィルードは、大黒の背から干し肉とパンを取り、無言でテントへ戻った。
中では、エレナが再び深い眠りに落ちており、メイヴが上半身に服を着せ、肌が露わになるのを避けていた。
フィルードはその姿を見て小さくため息をつき、声を潜めて尋ねた。
「……水を飲ませてはいないな?」
メイヴはびくりと肩を揺らし、怯えたように首を横に振る。
「お嬢……いえ、副団長様は何度も水を求められましたが、旦那様の指示でしたので……ずっと我慢していただきました」
その呼び方に、フィルードはわずかに眉を寄せた。
「私のことをそう呼ぶのは構わん。だが、彼女を“お嬢様”と呼ぶと……まるで私が父親のように聞こえるだろう。今後は“副団長様”で頼む」
メイヴは「あっ」と口を覆い、くすりと笑って素直に頷いた。
フィルードは淡々と説明を続ける。
「失血が大きすぎる。喉が渇くのは当然だが、この状態で水を与えれば逆に死ぬ。細かい理屈は理解せずともいい。今は私の指示通りに動いてくれ。食事も駄目だ。今夜を乗り越えてから、少量の水と粥を与える。パンや干し肉は厳禁だ」
メイヴは一字一句を逃すまいと真剣に頷いた。
フィルードはエレナの傷口をもう一度確認し、変化がないのを見てから自分の食事を取り始めた。
メイヴは依然としてベッドの脇に立ちっぱなしで動かない。
フィルードはパンと干し肉を差し出しながら言う。
「食べろ。……これから“逃げる”必要があるかもしれん。腹が減っていては走れん」
自身も淡々と食べ始めるフィルード。清水に浸したパンを口に運びつつ、頭の中ではすでに撤退計画の再構築が始まっていた。
(全員を連れて撤退できるか……できる可能性は低い。だが、被害を最小に抑える手段は必ずある)
食事を終えると、彼はまっすぐウェインのもとへ向かった。
「侯爵様、今回の行動で、我々は何名の兵を連れ戻せましたか?」
ウェインは深いため息をついて答えた。
「……合計で三万五千。行方不明は一万五千だ。生死は不明だが……戻ってくるとしても、もう数は多くないだろう」
その数字を聞き、フィルードは胸中で静かに計算する。
(十五……いや、補給隊の損失を含めれば実質二万弱の損耗か。馬車の損失も大きい。致命傷にはならぬが、痛い……)
それでも、口にしたのは落ち着いた声だった。
「勝敗は兵家の常です、侯爵様。損失は大きいですが、北域が致命的な打撃を受けたわけではない。数年休養し、いずれまたシウスの反逆者を討てば良いでしょう」
ウェインは手を振った。
「それは分かっている。私はもう軍団元帥を辞す身だ。だが、最後の務めだけは果たさねばならん……問題は食糧だ。どんなに節約しても十日だ。それを過ぎれば、戦う前に軍が崩壊する」
フィルードはすぐに答えた。
「ならば、山沿いにカールトン子爵府へ急行すべきです。ここから二日の距離。そこに到達できれば、交渉も戦闘も主導権は我々が握れます」
ウェインは重く頷いた。
「だが、シウスはおそらく我々の帰路を読んで急行している。それでも……これが唯一の活路だ。エレナの怪我が重すぎるなら、山中に彼女を匿い、回復してから戻らせよ」
(……やはり、同じ結論に至るか)
フィルードは内心でそう呟き、静かに頷くと住処へ戻り、エレナを抱き上げた。
彼はメイヴを連れ、子黄牛に乗って山脈の奥へ踏み込む。
外れた山道を曲がりくねり、敵に気付かれぬ隠れ場所を探し当てると、素早くテントを張り、十分な食料を残した。
「ここで彼女を看病するんだ。回復したら子黄牛に乗って領地へ戻れ。上手くやれば褒賞として魔獣の肉をやろう」
メイヴは力強く頷いた。
「旦那様、ご安心ください。副団長様は必ずお守りします」
その時、エレナが突然目を見開いた。
激痛が背中を走り、抑えきれず悲鳴が漏れる。
フィルードはすぐに彼女の手を握り、優しく声を掛けた。
「目が覚めたか。背中の矢は抜いた。治療薬も一本飲ませてある」
エレナは痛みに唇を震わせつつも、かすれた声で尋ねた。
「……その薬……いくらだ? ま、まさかまた私の給料から……」
フィルードはわずかに視線を逸らし、苦笑した。
「今回はいい。侯爵様からの支給品だ」
エレナは安堵の息を吐き、次に低い声で問う。
「……私をここに置いていくのか?」
「今の状態では動かせん。回復してから戻れ。メイヴを付けておく」
しばらく沈黙した後、エレナは震える声で言った。
「……道中、気を付けろ。無茶はするな。今回は……誰も君を助けられないかもしれない」
「心配するな。傷を治せ。戻ったら、お前を上位超凡者に押し上げる方法を探る。そして……お前を傷つけた者は分かった。必ず、仇はとる」
短く言葉を交わし、フィルードはその場を去った。
大黒と四頭の子黄牛はエレナの護衛として置いていく。それが最善の配置だった。
フィルードは大部隊へ合流し、山脈沿いに二日間進軍した。
ついにカールトン領が見え始める。眼下には大量の騎兵が巡回し、二万以上の歩兵が野営を築いていた。
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