傭兵から商売を始めたら、いつの間にか領主になっていた件

篠の目

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第203章 引くための戦争、そして迎撃の準備

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一行は山脈に沿って、ほとんど手探りの状態で前進していった。
夜の闇と複雑な地形は、経験の浅い兵にとってあまりにも過酷だった。とりわけ、二人の子爵配下の衛兵たちは歩調が定まらず、足取りも覚束ない。
結局のところ、フィルード軍団の古参兵が両脇につき、半ば腕を引いてやって、ようやく隊列から脱落せずに済んでいる有り様だった。
――所詮、前線を知らぬ兵だ。
フィルードは振り返らずに思考を切り分ける。彼らを責める気はないが、戦力として数えるつもりも最初からなかった。
真夜中を少し回った頃、カールトン子爵領にほど近いT字路へと差し掛かった。
ここでカールトンは主力部隊から離れ、残存兵を率いて平原地帯へと進路を変えた。この地点からであれば城は近く、獣人に追撃される可能性も低いはずだった。
フィルードは軽く手を挙げ、別れの合図だけを送る。
言葉は不要だった。
残る部隊を率いたまま前進を続け、翌日の明け方、ようやくフランク領の近辺へと到達した。
出発前から、フランクは何度も口を開きかけては閉じていたが、ついに覚悟を決めたように言った。
「フィルード団長……今の情勢は、あなたも十分ご存じでしょう。私の領地の外にある麦は、とても収穫に出られる状況ではありません」
一息つき、言葉を続ける。
「お約束していた五十万ポンドの穀物は、おそらく達成できません。ただし……」
懇願するような視線。
「もし、あなたがご自身で人を派遣し、収穫していただけるのであれば、さらに二十万ポンドを上乗せします。
合計で七十万ポンドです。いかがでしょうか?」
フィルードは足を止めた。
そして、口元に含み笑いを浮かべながらフランクを見る。
――見事な“ごね得”だ。
――獣人がいつ現れるか分からない平原で、こちらに食糧争奪戦をやらせる気か。
内心で吐き捨てつつも、声は冷静だった。
「お断りします、フランク子爵。今の状況で、あなたの開けた領地に兵を出し、危険を冒してまで穀物を刈るつもりはありません」
一拍置き、はっきりと言い切る。
「もし徘徊中の獣人大軍に見つかり、包囲でもされれば、全滅すらあり得る。
その程度の食糧のために賭ける価値はない。ご自分でどうにかしてください。我々は、以前の約束を守ったまでです」
それだけ告げると、フィルードは振り返りもせず、軍に前進を命じた。
だが、数十歩も進まぬうちに、背後から慌てた足音と叫び声が追ってくる。
「フィルード団長!どうか怒らないでください!話し合いましょう!」
フランクは息を切らしながら、切り札を切った。
「さらに三十万ポンド!合計で百六十……いえ、百……百二十……!」
言い直し、叫ぶ。
「合計で百万ポンドです!あなたが人を派遣して収穫してくださるなら、すべてお渡しします!」
フィルードは立ち止まり、静かに振り返った。
「ほう……その条件なら、考える余地はある」
フランクの顔に希望の色が浮かぶ。
だが、次の言葉は冷酷だった。
「ただし、獣人が立ち去った後だ。
今の北方は壊滅状態。あなたの穀物も、大半は連中に刈り取られる可能性が高い。私は、それを可能な限り阻止する手は打つ」
一呼吸。
「最終的にどれだけ残るかは、あなたの責任ではない。
百万ポンドに満たなくても、私は責めない。
だが、百万を超えた分は――私の取り分だ。それでいいか?」
フランクは唇を噛みしめ、沈黙した。
自領は荒らされ、城から出ることもできない。
そして何より、目の前の男の軍事力と、距離的な近さ。
――拒否すれば、何も得られない。
やがて、観念したように頷いた。
「……分かりました。あなたの言う通りにしましょう。
これで、我々の穀物協定は相殺ということで」
フィルードは、ここで初めてわずかに微笑んだ。
「もちろんだ」
それ以上の言葉はなく、軍を率いて立ち去った。
――――――
四時間後、フィルードが自領の渓谷へ戻ると、ケビンが駆け寄ってきた。
「団長様!ウェリアム侯爵から手紙が三通届いています。ほぼ一日おきに一通ずつ……」
封蝋を割り、流し読みする。
内容はどれも同じだった。
獣人の狡猾さ、天候の悪化、不運――そして彼自身の惨敗を正当化する言い訳。
その末尾には、再出陣の要請と、懇願に近い言葉。
読み進めるにつれ、フィルードの表情は凍りついた。
やがて、我慢の限界を超え、手紙を無造作に丸める。
「エレナ。私の名で返信を書け」
「……どのように?」
「こうだ。
“我が軍は連日の激戦で甚大な損害を被り、兵力の大半を失いました。残存兵のほとんどは負傷者で、士気も著しく低下しています。
さらに、傭兵の間では私の指揮能力に疑念が生じ、解散を求める声も出ています。もはや彼らを抑え込む力は、私にはありません”――と」
エレナは眉をひそめた。
「それでは、あまりにも直接的です。侯爵は激怒されるでしょう」
フィルードは冷ややかに笑った。
「構わん。彼はもう、二度と出てこない。
私は王国にも、彼にも、十分すぎるほど戦った。
……最初は、もっとまともな男だと思っていたがな」
そう言って背を向ける。
「そのまま書け」
フィルードは小屋に戻ると、ベッドに倒れ込むように横になり、深い眠りに落ちた。
連日の高強度戦闘で、心身ともに限界だった。
午後になり、エレナに揺り起こされる。
「団長、外を見てください。渓谷の外が……獣人大軍です。
追撃してきた連中です。おそらく一万五千……!」
はっと目を覚まし、城壁へ。
そこには一万を軽く超える獣人の野営地が広がっていた。
ブルースが吐き捨てる。
「懲りないな。本気で攻める気か?」
フィルードは落ち着いて首を振った。
「分からん。だが、こちらには投槍が山ほどある。
ここを落とせると思うなら、夢見がちな話だ」
即座に指示を飛ばす。
「マイク、見張りを続けろ。
後方の獣人奴隷に丸太を運ばせろ。攻城戦に備える」
一晩明け、敵軍は二万に膨れ上がった。
いつものように、前に出るのは部族戦士。
それを監督する豚頭族正規兵。
イノシシ人の精鋭は、相変わらず後方で動かない。
今回は、フィルードも出し惜しみしなかった。
城壁と両側の断崖に配した投石機に、一斉攻撃を命じる。
巨石が敵陣を粉砕し、人と獣をまとめて薙ぎ倒した。
高所の利を生かした射程は、敵本陣さえ脅かす。
――改良すれば、さらに凄まじい兵器になるな。


PS;読んでいただき、ありがとうございます!
今回の章では、フィルードが「撤くべき時」と「戦う準備」を、感情を切り離して判断し始めています。
もし「この撤退判断、指揮官として好き」
「だんだん“要塞を預かる側”の思考になってきたな」
と感じていただけたら、いいね・ お気に入り をいただけると励みになります!
次回・領地が再び包囲され、
戦いは正面衝突から「消耗させ合う防衛戦」へと移行していきます。
また、もうすぐ帰宅予定なので、戻り次第、新しい番外編の執筆にも取りかかります。
引き続きお付き合いいただけたら嬉しいです!
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