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第一章 カレーライスの邂逅
カレーライスの邂逅②
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向かいの青年は、俺など存在しないかのように、相変わらずカレーを睨み続けている。
その姿はまるで、冷ややかな異国の彫像のようだ。
(……雰囲気わるっ……)
視線を向けるのも憚られ、俺は黙って食事を始めることにした。
手を合わせて「いただきます」と呟き、テーブルの皿を見る。
それだけのことで、思わずにやけてしまう。
なぜなら――カレーはカレーでも、今日はちょっと奮発して、コロッケのトッピング付きなのだ。
雨の中を歩いてここまで来たんだから、これくらいのご褒美は許されるだろう。
カレーライスの上にドン!と鎮座する、揚げたてのコロッケ。
衣はさくさくで、スプーンで割れば湯気とともに、ほくほくの芋が顔をのぞかせる。
白飯とルーを軽く混ぜ、コロッケを乗せてひと口で頬張った。
(……うまっ!カレーにコロッケって、どうしてこんなに合うんだろ)
やっと満たされていく腹の虫。
待たせて済まなかった!とばかりに目の前の食事に夢中になっていると、不意に声が届いた。
「……い、おい、君」
(……気のせいかな?)
その声は、正面の席から聞こえる気がする。
「聞いているのか?それとも――敢えて無視をしているのか?」
「ぶふっ!?」
予想外の展開に、口の中のコロッケを噴き出しそうになる。
慌てて水で流し込み、咳き込みながら正面の男を見た。
「お……俺ですか!?」
「そうだ、君だ。君は――このカレーライスをどう思う?」
どう?どうとは何が?――カレーが?
問われた内容の真意がわからない。
「えっと……どうもなにも……ただのカレー、じゃないですか?」
正直に思ったままを答えると、青年の表情がわずかに揺れた。
(だって、カレーだよな?特別でもなんでもない、どこにでもあるただのカレー……)
しかし次の瞬間、青年の瞳――緑のようであり、金のようでもある、不思議な光を湛えた虹彩が、ぎらりと鋭く光を放った。
「ただの?……カレーライスを、ただの、と言ったのか」
低く響く声はまるで地の底から這い上がってくるようで、俺の背筋はぞくりと粟立った。
テーブルを挟んだわずかな距離に、張りつめた空気が漂い始める。
「……ふっ。なるほど、ただの、か――」
青年の唇が弧を描く。その笑みには、嘲りも怒気も含まれていない。
ただ、何か重大な真理に触れた者だけが持つ、確固たる自信のようなものが滲んでいた。
「君は何も知らないのだな。――いや、身近過ぎるがゆえに、見えなくなっているのか。だがその無知は、アイデンティティの喪失と言っても過言ではない」
「む、無知!?」
真正面から突きつけられたナイフのような言葉に、思わず声が裏返る。
ただ食堂で昼飯を食べていただけなのに、いきなりの「無知」呼ばわりときた。
(なんだ、この人……!)
胸の奥で怒りの感情が膨らむ。
俺たち学生にとってカレーといえば、安くて手軽なお馴染みのメニューだ。
店によって味わいは異なるが、どこで食べてもそれなりに美味い。
凝りだすとどこまでも手をかけられる料理ではあるが、それでも所詮は大衆食。
目の前の青年に大げさに語られるほどのものじゃない。
そう言ってやろうとした。けれど――なぜか反論の言葉は喉に引っ掛かり、思ったように出てこない。
(悔しい……けど……)
目の前の青年が、ただの大げさな人間では片付けられない気配をまとっていることに、俺は気付き始めていた。
そんな俺の逡巡に構うことなく、青年は語り続けた。
「カレーライスの背景には、世界の海を越えていこうとする人類の挑戦があり、船乗りたちを苦しめた病との戦いがあり、そして――食文化を根底から変えた工夫があるのだ。……君にはそれが見えないか?」
言葉と同時に、青年の視線が宙を彷徨う。
その瞳は目の前のトレーといった小さなものではなく、もっと遠い世界を映している。
そう感じた瞬間――脳裏に、鮮やかな景色が立ち上がった。
異国の市場に広がる、香辛料の刺激。
見知らぬ港町の夕暮れ、屋台から漂う煮込み料理の匂い。
香辛料を混ぜ合わせる手、立ち昇る湯気、ざわめく人々の声――。
断片的な幻を見せられているようで、思わず息を呑む。
「そんな料理を――ただの、と呼ぶことは許されない」
最初は胡散臭いと思った。けれど今は違う。
彼の熱量を受けて、俺の内側には小さな火が灯った。
青年の口調はあくまでも静かで――けれど力強い。
まるで教壇に立つ教授のように、あるいは舞台に立つ役者のように。
(この人の言葉を、全部受け止めなきゃ……)
スプーンを持つ手は、いつしか止まっていた。
その姿はまるで、冷ややかな異国の彫像のようだ。
(……雰囲気わるっ……)
視線を向けるのも憚られ、俺は黙って食事を始めることにした。
手を合わせて「いただきます」と呟き、テーブルの皿を見る。
それだけのことで、思わずにやけてしまう。
なぜなら――カレーはカレーでも、今日はちょっと奮発して、コロッケのトッピング付きなのだ。
雨の中を歩いてここまで来たんだから、これくらいのご褒美は許されるだろう。
カレーライスの上にドン!と鎮座する、揚げたてのコロッケ。
衣はさくさくで、スプーンで割れば湯気とともに、ほくほくの芋が顔をのぞかせる。
白飯とルーを軽く混ぜ、コロッケを乗せてひと口で頬張った。
(……うまっ!カレーにコロッケって、どうしてこんなに合うんだろ)
やっと満たされていく腹の虫。
待たせて済まなかった!とばかりに目の前の食事に夢中になっていると、不意に声が届いた。
「……い、おい、君」
(……気のせいかな?)
その声は、正面の席から聞こえる気がする。
「聞いているのか?それとも――敢えて無視をしているのか?」
「ぶふっ!?」
予想外の展開に、口の中のコロッケを噴き出しそうになる。
慌てて水で流し込み、咳き込みながら正面の男を見た。
「お……俺ですか!?」
「そうだ、君だ。君は――このカレーライスをどう思う?」
どう?どうとは何が?――カレーが?
問われた内容の真意がわからない。
「えっと……どうもなにも……ただのカレー、じゃないですか?」
正直に思ったままを答えると、青年の表情がわずかに揺れた。
(だって、カレーだよな?特別でもなんでもない、どこにでもあるただのカレー……)
しかし次の瞬間、青年の瞳――緑のようであり、金のようでもある、不思議な光を湛えた虹彩が、ぎらりと鋭く光を放った。
「ただの?……カレーライスを、ただの、と言ったのか」
低く響く声はまるで地の底から這い上がってくるようで、俺の背筋はぞくりと粟立った。
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「……ふっ。なるほど、ただの、か――」
青年の唇が弧を描く。その笑みには、嘲りも怒気も含まれていない。
ただ、何か重大な真理に触れた者だけが持つ、確固たる自信のようなものが滲んでいた。
「君は何も知らないのだな。――いや、身近過ぎるがゆえに、見えなくなっているのか。だがその無知は、アイデンティティの喪失と言っても過言ではない」
「む、無知!?」
真正面から突きつけられたナイフのような言葉に、思わず声が裏返る。
ただ食堂で昼飯を食べていただけなのに、いきなりの「無知」呼ばわりときた。
(なんだ、この人……!)
胸の奥で怒りの感情が膨らむ。
俺たち学生にとってカレーといえば、安くて手軽なお馴染みのメニューだ。
店によって味わいは異なるが、どこで食べてもそれなりに美味い。
凝りだすとどこまでも手をかけられる料理ではあるが、それでも所詮は大衆食。
目の前の青年に大げさに語られるほどのものじゃない。
そう言ってやろうとした。けれど――なぜか反論の言葉は喉に引っ掛かり、思ったように出てこない。
(悔しい……けど……)
目の前の青年が、ただの大げさな人間では片付けられない気配をまとっていることに、俺は気付き始めていた。
そんな俺の逡巡に構うことなく、青年は語り続けた。
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言葉と同時に、青年の視線が宙を彷徨う。
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