秘密はいつもティーカップの向こう側 ~追憶の英国式スコーン~

天月りん

文字の大きさ
2 / 26
第一章 カレーライスの邂逅

カレーライスの邂逅②

しおりを挟む
 向かいの青年は、俺など存在しないかのように、相変わらずカレーを睨み続けている。
 その姿はまるで、冷ややかな異国の彫像のようだ。

(……雰囲気わるっ……)

 視線を向けるのも憚られ、俺は黙って食事を始めることにした。

 手を合わせて「いただきます」と呟き、テーブルの皿を見る。
 それだけのことで、思わずにやけてしまう。

 なぜなら――カレーはカレーでも、今日はちょっと奮発して、コロッケのトッピング付きなのだ。
 雨の中を歩いてここまで来たんだから、これくらいのご褒美は許されるだろう。

 カレーライスの上にドン!と鎮座する、揚げたてのコロッケ。
 衣はさくさくで、スプーンで割れば湯気とともに、ほくほくの芋が顔をのぞかせる。
 白飯とルーを軽く混ぜ、コロッケを乗せてひと口で頬張った。

(……うまっ!カレーにコロッケって、どうしてこんなに合うんだろ)

 やっと満たされていく腹の虫。
 待たせて済まなかった!とばかりに目の前の食事に夢中になっていると、不意に声が届いた。

「……い、おい、君」

(……気のせいかな?)

 その声は、正面の席から聞こえる気がする。

「聞いているのか?それとも――敢えて無視をしているのか?」
「ぶふっ!?」

 予想外の展開に、口の中のコロッケを噴き出しそうになる。
 慌てて水で流し込み、咳き込みながら正面の男を見た。

「お……俺ですか!?」
「そうだ、君だ。君は――このカレーライスをどう思う?」

 どう?どうとは何が?――カレーが?
 問われた内容の真意がわからない。

「えっと……どうもなにも……ただのカレー、じゃないですか?」

 正直に思ったままを答えると、青年の表情がわずかに揺れた。

(だって、カレーだよな?特別でもなんでもない、どこにでもあるただのカレー……)

 しかし次の瞬間、青年の瞳――緑のようであり、金のようでもある、不思議な光を湛えた虹彩が、ぎらりと鋭く光を放った。

「ただの?……カレーライスを、ただの、と言ったのか」

 低く響く声はまるで地の底から這い上がってくるようで、俺の背筋はぞくりと粟立った。
 テーブルを挟んだわずかな距離に、張りつめた空気が漂い始める。

「……ふっ。なるほど、ただの、か――」

 青年の唇が弧を描く。その笑みには、嘲りも怒気も含まれていない。
 ただ、何か重大な真理に触れた者だけが持つ、確固たる自信のようなものが滲んでいた。

「君は何も知らないのだな。――いや、身近過ぎるがゆえに、見えなくなっているのか。だがその無知は、アイデンティティの喪失と言っても過言ではない」
「む、無知!?」

 真正面から突きつけられたナイフのような言葉に、思わず声が裏返る。
 ただ食堂で昼飯を食べていただけなのに、いきなりの「無知」呼ばわりときた。

(なんだ、この人……!)

 胸の奥で怒りの感情が膨らむ。

 俺たち学生にとってカレーといえば、安くて手軽なお馴染みのメニューだ。
 店によって味わいは異なるが、どこで食べてもそれなりに美味い。

 凝りだすとどこまでも手をかけられる料理ではあるが、それでも所詮は大衆食。
 目の前の青年に大げさに語られるほどのものじゃない。

 そう言ってやろうとした。けれど――なぜか反論の言葉は喉に引っ掛かり、思ったように出てこない。

(悔しい……けど……)
 
 目の前の青年が、ただの大げさな人間では片付けられない気配をまとっていることに、俺は気付き始めていた。

 そんな俺の逡巡に構うことなく、青年は語り続けた。

「カレーライスの背景には、世界の海を越えていこうとする人類の挑戦があり、船乗りたちを苦しめた病との戦いがあり、そして――食文化を根底から変えた工夫があるのだ。……君にはそれが見えないか?」

 言葉と同時に、青年の視線が宙を彷徨う。
 その瞳は目の前のトレーといった小さなものではなく、もっと遠い世界を映している。
 そう感じた瞬間――脳裏に、鮮やかな景色が立ち上がった。

 異国の市場に広がる、香辛料の刺激。
 見知らぬ港町の夕暮れ、屋台から漂う煮込み料理の匂い。
 香辛料を混ぜ合わせる手、立ち昇る湯気、ざわめく人々の声――。

 断片的な幻を見せられているようで、思わず息を呑む。

「そんな料理を――ただの、と呼ぶことは許されない」

 最初は胡散臭いと思った。けれど今は違う。
 彼の熱量を受けて、俺の内側には小さな火が灯った。

 青年の口調はあくまでも静かで――けれど力強い。
 まるで教壇に立つ教授のように、あるいは舞台に立つ役者のように。
 
(この人の言葉を、全部受け止めなきゃ……)

 スプーンを持つ手は、いつしか止まっていた。
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

秘密はいつもティーカップの向こう側 ―SNACK SNAP―

天月りん
キャラ文芸
食べることは、生きること。 ティーハウス<ローズメリー>に集う面々に起きる、ほんの些細な出来事。 楽しかったり、ちょっぴり悲しかったり。 悔しかったり、ちょっぴり喜んだり。 彼らの日常をそっと覗き込んで、写し撮った一枚のスナップ――。 『秘密はいつもティーカップの向こう側』SNACK SNAPシリーズ。 気まぐれ更新。 ティーカップの紅茶に、ちょっとミルクを入れるようなSHORT STORYです☕ ◆・◆・◆・◆ 秘密はいつもティーカップの向こう側(本編) ティーカップ越しの湊と亜嵐の物語はこちら。 秘密はいつもティーカップの向こう側の姉妹編  ・本編番外編シリーズ「TEACUP TALES」シリーズ本編番外編  ・番外編シリーズ「BONUS TRACK」シリーズSS番外編  ・番外SSシリーズ「SNACK SNAP」シリーズのおやつ小話 よろしければ覗いてみてください♪

秘密はいつもティーカップの向こう側 ―BONUS TRACK―

天月りん
キャラ文芸
食べることは、生きること。 ティーハウス<ローズメリー>に集う面々の日常を、こっそり覗いてみませんか? 笑って、悩んで、ときにはすれ違いながら――それでも前を向く。 誰かの心がふと動く瞬間を描く短編集。 本編では語られない「その後」や「すき間」の物語をお届けする 『秘密はいつもティーカップの向こう側』BONUST RACKシリーズ。 気まぐれ更新。 あなたのタイミングで、そっと覗きにきてください☕ ◆・◆・◆・◆ 秘密はいつもティーカップの向こう側(本編) ティーカップ越しの湊と亜嵐の物語はこちら。 秘密はいつもティーカップの向こう側の姉妹編  ・本編番外編シリーズ「TEACUP TALES」シリーズ本編番外編  ・番外編シリーズ「BONUS TRACK」シリーズSS番外編  ・番外SSシリーズ「SNACK SNAP」シリーズのおやつ小話 よろしければ覗いてみてください♪

秘密はいつもティーカップの向こう側 ―TEACUP TALES―

天月りん
キャラ文芸
食べることは、生きること。 湊と亜嵐の目線を通して繰り広げられる、食と人を繋ぐ心の物語。 ティーカップの湯気の向こうに揺蕩う、誰かを想う心の機微。 ふわりと舞い上がる彼らの物語を、別角度からお届けします。 本編に近いサイドストーリーをお届けする 『秘密はいつもティーカップの向こう側』SHORT STORYシリーズ。 気まぐれ更新でお届けする、登場人物の本音の物語です あなたのタイミングで、そっと覗きにきてください☕ ◆・◆・◆・◆ 秘密はいつもティーカップの向こう側(本編) ティーカップ越しの湊と亜嵐の物語はこちら。 秘密はいつもティーカップの向こう側の姉妹編  ・本編番外編シリーズ「TEACUP TALES」シリーズ本編番外編  ・番外編シリーズ「BONUS TRACK」シリーズSS番外編  ・番外SSシリーズ「SNACK SNAP」シリーズのおやつ小話 よろしければ覗いてみてください♪

後宮の手かざし皇后〜盲目のお飾り皇后が持つ波動の力〜

二位関りをん
キャラ文芸
龍の国の若き皇帝・浩明に5大名家の娘である美華が皇后として嫁いできた。しかし美華は病により目が見えなくなっていた。 そんな美華を冷たくあしらう浩明。婚儀の夜、美華の目の前で彼女付きの女官が心臓発作に倒れてしまう。 その時。美華は慌てること無く駆け寄り、女官に手をかざすと女官は元気になる。 どうも美華には不思議な力があるようで…?

~後宮のやり直し巫女~私が本当の巫女ですが、謂れのない罪で処刑されたので後宮で人生をやり直すことにしました

深水えいな
キャラ文芸
明琳は国を統べる最高位の巫女、炎巫の候補となりながらも謂れのない罪で処刑されてしまう。死の淵で「お前が本物の炎巫だ。このままだと国が乱れる」と謎の美青年・天翼に言われ人生をやり直すことに。しかし巫女として四度人生をやり直すもののうまくいかず、次の人生では女官として後宮入りすることに。そこで待っていたのは後宮で巻き起こる怪事件と女性と見まごうばかりの美貌の宦官、誠羽で――今度の人生は、いつもと違う!?

耽溺愛ークールな准教授に拾われましたー

汐埼ゆたか
キャラ文芸
准教授の藤波怜(ふじなみ れい)が一人静かに暮らす一軒家。 そこに迷い猫のように住み着いた女の子。 名前はミネ。 どこから来たのか分からない彼女は、“女性”と呼ぶにはあどけなく、“少女”と呼ぶには美しい ゆるりと始まった二人暮らし。 クールなのに優しい怜と天然で素直なミネ。 そんな二人の間に、目には見えない特別な何かが、静かに、穏やかに降り積もっていくのだった。 ***** ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。 ※他サイト掲載

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

処理中です...