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第一章 カレーライスの邂逅
カレーライスの邂逅③
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「――時代は十九世紀。
明治維新を迎えた日本は、押し寄せる西洋の波に呑まれまいと、ただひたすらに近代化へと突き進んでいた。
鉄道に郵便制度、教育に産業。そして――軍隊。
どれもが前例のないスピードで、西洋式へと塗り替えられていった。
なかでも急務とされたのが、軍の近代化だ。
単に人を集めるだけでは、戦力にはならない。
規律を整え、訓練を施し、最新の装備を与え、医療や食事までも統一しなければ、列強の艦隊には到底立ち向かえない。
そこで目を向けたのが、当時『七つの海』を支配したイギリスだ。
その海軍力を支える仕組みや文化を、日本軍はそっくり学び取ろうとした。
その過程で取り入れられたものの一つ、それがカレーだった。
だが誤解してはならない。これは単なる異国情緒の産物ではない。
もっと切実で、現実的な理由があった。
船乗りにとって宿命ともいえる病、脚気を防ぐための手段だ。
白米に偏った食事では、長い航海で兵士たちの命が奪われてしまう。
そこで、肉や野菜を煮込んだ栄養豊かな料理として、イギリス式カレーは採用された。
言い換えれば、カレーとは『生き延びるための戦略食』といえる。
日本が一等国として世界に打って出るために選び取った、合理にして切実な一手。
そう――カレーとは、軍人たちの命を守るための、武器のひとつだったのさ」
滔々と熱を孕んで語られるその声に、俺は呼吸すら忘れて聞き入っていた。
俺にとってそれは、ただの学食カレーだった。
だが今、青年の口から語られたものは、血の匂いと鉄の響きを伴った『歴史の証人』だった。
そう感じた途端、目の前の黄色いカレーに、工夫の痕跡が重なって見えた。
「――もっとも」
青年はすっと背筋を伸ばし、両手を軽く組んで言葉を継いだ。
「どんなに優れた料理でも、万人に受け入れられるとは限らない」
意外な展開に、俺は驚いて声を上げた。
「え!?どうして……」
「実のところ、イギリス式のカレーは水気が多くてね。日本人の主食である米には合わなかったのさ。それでもカレーには、嗜好の違いだけでは切り捨てられない有用性があった。どうにかしてこの料理を、自分たちの食生活に当てはめたい――そこで日本人は、ある工夫を施すことを考えついた」
物語の核心に近づくように、青年の声に熱が集まっていく。
俺は前のめりになり、一言も聞き逃すまいと耳を澄ました。
「――とろみ、だよ。小麦粉と油脂を合わせてルウを作り、日本人はカレーにとろみを与えたのだ。濃度が増したソースは白飯にからみ、ぐっと馴染みやすくなった。そうして生まれたのが、日本式カレーライスというわけだ」
「へぇ……!」
感嘆の声が漏れる。
青年は「ふぅ…」と息を整えると、やや力を抜いた口調になった。
「やがて日本式カレーは、軍隊から家庭へ広まっていった。兵士たちが除隊し、故郷へ戻るとき、味の記憶を持ち帰ったのだ。安価で栄養があり、大鍋で作ればたくさんの家族も養える。次第にカレーライスは家庭料理の定番となり、とうとう給食にまで導入されることになった」
「あっ……給食!」
思わず腰が浮きそうになる。
誰だって心当たりがあるはずだ――小学校の献立表に『カレーライス』の文字を見つけたときの、あの特別な嬉しさを。
「そうだ。子どもたちが喜び、栄養面でも優れている。カレーライスは理想的な給食といえた。だが、カレーの歩みは、そこで止まらなかった」
青年の不思議な瞳が、まっすぐに俺を射抜く。
揺れる熱情を受けて、俺の心臓はどくどくと早鐘を打った。
「時代が下り、家庭用の即席カレールウが開発されたのだ。板チョコのように割って使える固形ルウだ。これが爆発的に普及し、カレーライスは日本の食卓に定着した。誰でも手軽に、失敗なく作ることができる。まさに近代日本が生んだ、革命といっていい食べ物だ」
「すごい……!」
カレーが冷めてしまうのもお構いなしに、俺は、ただただ目の前の青年の言葉にときめいていた。
「ひと皿のカレーライスには、これだけの歴史や戦い、そして知恵が込められている。それを『ただのカレーライス』と呼ぶのは――あまりにも惜しいと思わないか?」
青年は、静かな問いで締め括った。
その声は穏やかだが、投げかけられた問いは、俺の胸を燃やし尽くした。
視界の隅では学生たちが行き交い、食器がぶつかる音が聞こえているはずなのに――気付けば、その全てが遠退いている。
俺の世界には、今、目の前に座る青年と、彼が教えてくれたカレーの物語しかない。
胸が高鳴る。言葉を返さずにはいられない。
この感情を、どうしても伝えなければ――。
青年に声をかけようとして――ふと、俺は我に返った。
明治維新を迎えた日本は、押し寄せる西洋の波に呑まれまいと、ただひたすらに近代化へと突き進んでいた。
鉄道に郵便制度、教育に産業。そして――軍隊。
どれもが前例のないスピードで、西洋式へと塗り替えられていった。
なかでも急務とされたのが、軍の近代化だ。
単に人を集めるだけでは、戦力にはならない。
規律を整え、訓練を施し、最新の装備を与え、医療や食事までも統一しなければ、列強の艦隊には到底立ち向かえない。
そこで目を向けたのが、当時『七つの海』を支配したイギリスだ。
その海軍力を支える仕組みや文化を、日本軍はそっくり学び取ろうとした。
その過程で取り入れられたものの一つ、それがカレーだった。
だが誤解してはならない。これは単なる異国情緒の産物ではない。
もっと切実で、現実的な理由があった。
船乗りにとって宿命ともいえる病、脚気を防ぐための手段だ。
白米に偏った食事では、長い航海で兵士たちの命が奪われてしまう。
そこで、肉や野菜を煮込んだ栄養豊かな料理として、イギリス式カレーは採用された。
言い換えれば、カレーとは『生き延びるための戦略食』といえる。
日本が一等国として世界に打って出るために選び取った、合理にして切実な一手。
そう――カレーとは、軍人たちの命を守るための、武器のひとつだったのさ」
滔々と熱を孕んで語られるその声に、俺は呼吸すら忘れて聞き入っていた。
俺にとってそれは、ただの学食カレーだった。
だが今、青年の口から語られたものは、血の匂いと鉄の響きを伴った『歴史の証人』だった。
そう感じた途端、目の前の黄色いカレーに、工夫の痕跡が重なって見えた。
「――もっとも」
青年はすっと背筋を伸ばし、両手を軽く組んで言葉を継いだ。
「どんなに優れた料理でも、万人に受け入れられるとは限らない」
意外な展開に、俺は驚いて声を上げた。
「え!?どうして……」
「実のところ、イギリス式のカレーは水気が多くてね。日本人の主食である米には合わなかったのさ。それでもカレーには、嗜好の違いだけでは切り捨てられない有用性があった。どうにかしてこの料理を、自分たちの食生活に当てはめたい――そこで日本人は、ある工夫を施すことを考えついた」
物語の核心に近づくように、青年の声に熱が集まっていく。
俺は前のめりになり、一言も聞き逃すまいと耳を澄ました。
「――とろみ、だよ。小麦粉と油脂を合わせてルウを作り、日本人はカレーにとろみを与えたのだ。濃度が増したソースは白飯にからみ、ぐっと馴染みやすくなった。そうして生まれたのが、日本式カレーライスというわけだ」
「へぇ……!」
感嘆の声が漏れる。
青年は「ふぅ…」と息を整えると、やや力を抜いた口調になった。
「やがて日本式カレーは、軍隊から家庭へ広まっていった。兵士たちが除隊し、故郷へ戻るとき、味の記憶を持ち帰ったのだ。安価で栄養があり、大鍋で作ればたくさんの家族も養える。次第にカレーライスは家庭料理の定番となり、とうとう給食にまで導入されることになった」
「あっ……給食!」
思わず腰が浮きそうになる。
誰だって心当たりがあるはずだ――小学校の献立表に『カレーライス』の文字を見つけたときの、あの特別な嬉しさを。
「そうだ。子どもたちが喜び、栄養面でも優れている。カレーライスは理想的な給食といえた。だが、カレーの歩みは、そこで止まらなかった」
青年の不思議な瞳が、まっすぐに俺を射抜く。
揺れる熱情を受けて、俺の心臓はどくどくと早鐘を打った。
「時代が下り、家庭用の即席カレールウが開発されたのだ。板チョコのように割って使える固形ルウだ。これが爆発的に普及し、カレーライスは日本の食卓に定着した。誰でも手軽に、失敗なく作ることができる。まさに近代日本が生んだ、革命といっていい食べ物だ」
「すごい……!」
カレーが冷めてしまうのもお構いなしに、俺は、ただただ目の前の青年の言葉にときめいていた。
「ひと皿のカレーライスには、これだけの歴史や戦い、そして知恵が込められている。それを『ただのカレーライス』と呼ぶのは――あまりにも惜しいと思わないか?」
青年は、静かな問いで締め括った。
その声は穏やかだが、投げかけられた問いは、俺の胸を燃やし尽くした。
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俺の世界には、今、目の前に座る青年と、彼が教えてくれたカレーの物語しかない。
胸が高鳴る。言葉を返さずにはいられない。
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青年に声をかけようとして――ふと、俺は我に返った。
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