秘密はいつもティーカップの向こう側 ~追憶の英国式スコーン~

天月りん

文字の大きさ
5 / 26
第一章 カレーライスの邂逅

カレーライスの邂逅⑤

しおりを挟む
 料理の香りが満ちる食堂で、カレーライスをつつきながら、しばし静かに時間を共有する。
 雨のために混み合っていた席は、ぽつぽつと空き始めている。
 少しずつざわめきは落ち着いてきたのに、俺といえば、さっきまでの余韻で胸が高鳴ったままだ。

「ところで藤宮くん」

 ふいに名前を呼ばれ、どきりとして顔を上げる。
 目の前に座る西園寺氏は、少しそわそわした様子でこちらを見ていた。

「君はイギリス料理に、どんな印象を持っているだろうか?」
「えっ……イギリス料理、ですか?」

 不意を突かれて、言葉が口の中で渋滞する。
 イギリス料理――その言葉を聞いて真っ先に浮かんだのは、ネットで読んだ旅行記の辛辣な一節だ。

『ロンドンの食事は高い割に味気なく、最後にはパンと水で済ませた』
『味付けや盛り付けに、工夫が見られない』

 そんな感想が、半ば笑い話のように書かれていた。

(え、えーと……他には……)

 フィッシュ・アンド・チップス――あれも確か、イギリス料理だ。
 一度だけイベントの出店で食べたことがある。
 だが――冷めていたうえに分厚い衣が油っぽくて、また食べたいとはお世辞にも思えなかった。

「あの……あんまり美味しくないって、イメージが……」

(――しまった!)

 思い付くまま口にしてしまった。
 自覚した途端、顔から血が引いていく。
 西園寺亜嵐――この人にはきっと、イギリスの血が流れている。そんな確信めいた直感が胸に浮かんだからだ。
 もしそうなら、今の発言はあまりにも無神経すぎる。

「で、でもっ!」

 俺は慌てて取り繕った。

「全部がそうってわけじゃないですよね?俺が詳しくないだけで、美味しい料理だって、きっといっぱいあるはずです!」

 我ながら子どもじみた言い訳だ。
 けれど西園寺氏は、むしろ愉快そうに唇の端を上げた。

「ふふ、いいね、正直で。だが君の言う通り、世間におけるイギリス料理の評価は総じて低い。それでも――イギリス料理にだって、誇るべき成功例はあるのさ」

 スプーンを指先で弄びながら、西園寺氏は軽やかに続ける。

「例えば――そう、サンドウィッチ。世界に冠たるスナックだ。伯爵の名を冠し、今や街角のカフェや家庭で食べられ、コンビニエンスストアの棚にも並んでいる。元々はゲームに夢中になるあまり、食事の手を抜くために編み出されたものだが……ものぐさの発想が世界を便利にしたのだから、大した功績といえる」

 褒めているのか貶しているのか、紙一重の語り口だ。
 けれど確かに、サンドウィッチがこれほど身近で、しかも万能な料理であることを思えば、成功例と呼ぶに相応しい。

 感心していると、西園寺氏はにやりと笑って、わずかに声を落とした。

「とはいえ、全てがサンドウィッチのように成功したわけではない。イギリスには『珍妙』としか言いようのない料理もある」
「珍妙……ですか?」
「スターゲイジーパイ――星見つめのパイも、そのひとつだ」

 聞いたことのない料理名に、俺は首を傾げた。

 パイと言われて一番に思い浮かんだのは、ベーカリーに並ぶアップルパイ。
 甘酸っぱいリンゴの香りと、サクサクの皮。万人を虜にする、ゴールデンコンビだ。

 星見つめというネーミングからして、そのパイもきっと、ロマンチックな菓子に違いない。
 美青年と夜空に輝く星――その組み合わせにうっとりする俺をよそに、西園寺氏は淡々と続けた。

「今君が考えているであろう、小さなパイ菓子ではない。大皿に敷き詰められた具材に、厚いパイ生地を被せたものだ。そして――そのパイ生地を突き破って、魚の頭がいくつも飛び出している。初めて見る者は、奇怪にすら感じるだろうな」
「えっ、パイから魚が……!?」

 浮かんだ景色が一気に萎む。
 スイーツではなくセイボリーのパイ――それは理解したが、飛び出す魚の頭とパイが、どうやっても映像として結びつかない。
 
 堪えきれず、俺はポケットからスマートフォンを取り出した。

「す、すみません……ちょっと調べてもいいですか?」

 検索窓に『スターゲイジーパイ』と打ち込み、画面を開く。

「……う、わっ……!?」

 映し出された映像――飾り付けられた食卓を収めた写真に息を呑む。
 魚の頭がパイ皿から飛び出すというか、パイ皿に魚が刺さっているというか――。
 想像よりも大きめで生々しいその姿は奇妙を通り越し、軽くホラーですらある。

 西園寺氏の言葉通りとはいえ、予想を遙かに超えた見た目に、スマートフォンを持つ手が震えた。

「ほら、言っただろう?珍妙だと」

 西園寺氏は、くつくつと喉を鳴らした。そして静かに語り始めた。

「どんなに奇怪に見える料理でも、そこには必ず物語がある。
 ――時は十六世紀、コーンウォールという小さな港町での出来事だ。
 その年は冬の嵐が長く町を閉ざし、漁師たちは海に出ることができなかった。
 そのため住人たちは、ろくな食料もないまま、クリスマスを迎えようとしていた。
 祝祭の日だというのに、食卓に並べるものがない――なんと悲しいクリスマスだろう。
 そんな絶望の中、ひとりの漁師が立ち上がった。命を賭けて荒れ狂う海へと船を出し、ついに魚を持ち帰ったのだ。
 その勇気と犠牲心は、町の人々を飢えから救っただけでなく、暮らしに希望の灯りをともした。
 彼らは漁師への感謝を込め、大きな魚のパイを焼き上げた。
 魚が皮を突き破ったそれは、人々が夜空の星々を見上げる姿であり、天に祈りを捧げる象徴であり、そして――勇敢な漁師の働きに感謝する心の形でもあったのだよ」

 静かな声に、荒れ狂う海や冬の星座の情景が重なり、胸がいっぱいになる。
 最初はただの珍妙な料理と思ったのに、由来を聞いた今では、全く違うもののように感じられた。

「すごい……」

 俺はもう一度スマホの画面を見つめた。
 人々の祈りと希望が宿った料理――間違いなくそう感じる。
 胸に湧き上がる温かな感情を、俺はかみしめた。

「見た目はちょっと奇妙だけど……なんか、料理ってすごいですね。食べるだけじゃなくて、作る人の想いがちゃんと込められているっていうか……」

 その言葉に、西園寺氏の瞳が柔らかく細められる。

「その通り。年代や国を問わず、料理は単なる食事以上のものだ。そこには時代を生きた人々の知恵や苦難、祈りや喜びが映し取られている。つまり料理とは――単なる慣習だけではなく、歴史の語り部でもあるのだよ」

 穏やかな声。けれどそこには確かな強さがあった。それが俺を揺さぶる。
 今日の俺は、雨で混雑するいつもの学食で、ただカレーライスを食べる――それだけのはずだった。
 
 ところがどうだ。
 
 ほんの小さな偶然で、同じテーブルに座った西園寺氏と言葉を交わし、いつしか俺は、普段の昼食では味わえない胸の高鳴りを感じている。
 目の前のカレーライスひとつが、こんなにも特別で、心を浮き立たせてくれる料理になるなんて――誰が予想できただろう。

「俺、西園寺さんと会って、ものすごく良い経験をさせてもらいました……本当にありがとうございます!」
「こちらこそ。私も、とても有意義な時間を過ごせたと思う」

 柔らかく微笑むその顔には、空席を見つけて声をかけたときのようなとげとげしい雰囲気は、微塵もなくなっていた。
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

秘密はいつもティーカップの向こう側 ―BONUS TRACK―

天月りん
キャラ文芸
食べることは、生きること。 ティーハウス<ローズメリー>に集う面々の日常を、こっそり覗いてみませんか? 笑って、悩んで、ときにはすれ違いながら――それでも前を向く。 誰かの心がふと動く瞬間を描く短編集。 本編では語られない「その後」や「すき間」の物語をお届けする 『秘密はいつもティーカップの向こう側』BONUST RACKシリーズ。 気まぐれ更新。 あなたのタイミングで、そっと覗きにきてください☕ ◆・◆・◆・◆ 秘密はいつもティーカップの向こう側(本編) ティーカップ越しの湊と亜嵐の物語はこちら。 秘密はいつもティーカップの向こう側の姉妹編  ・本編番外編シリーズ「TEACUP TALES」シリーズ本編番外編  ・番外編シリーズ「BONUS TRACK」シリーズSS番外編  ・番外SSシリーズ「SNACK SNAP」シリーズのおやつ小話 よろしければ覗いてみてください♪

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活

シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!

後宮の手かざし皇后〜盲目のお飾り皇后が持つ波動の力〜

二位関りをん
キャラ文芸
龍の国の若き皇帝・浩明に5大名家の娘である美華が皇后として嫁いできた。しかし美華は病により目が見えなくなっていた。 そんな美華を冷たくあしらう浩明。婚儀の夜、美華の目の前で彼女付きの女官が心臓発作に倒れてしまう。 その時。美華は慌てること無く駆け寄り、女官に手をかざすと女官は元気になる。 どうも美華には不思議な力があるようで…?

あやかし帝都の婚姻譚 〜浄癒の花嫁が祓魔の軍人に溺愛されるまで〜

鳴猫ツミキ
キャラ文芸
【完結】【第一章までで一区切り】時は大正。天羽家に生まれた桜子は、特異な体質から、家族に虐げられた生活を送っていた。すると女学院から帰ったある日、見合いをするよう命じられる。相手は冷酷だと評判の帝国陸軍あやかし対策部隊の四峰礼人だった。※和風シンデレラ風のお話です。恋愛要素が多いですが、あやかし要素が主体です。第9回キャラ文芸大賞に応募しているので、応援して頂けましたら嬉しいです。【第一章で一区切りで単体で読めますので、そこまででもご覧頂けると嬉しいです】。

真空ベータの最強執事は辞職したい~フェロモン無効体質でアルファの王子様たちの精神安定剤になってしまった結果、執着溺愛されています~

水凪しおん
BL
フェロモンの影響を受けない「ベータ」の執事ルシアンは、前世の記憶を持つ転生者。 アルファ至上主義の荒れた王城で、彼はその特異な「無臭」体質ゆえに、フェロモン過多で情緒不安定な三人の王子たちにとって唯一の「精神安定剤」となってしまう。 氷の第一王子、野獣の第二王子、知略の第三王子――最強のアルファ兄弟から、匂いを嗅がれ、抱きつかれ、執着される日々。 「私はただの執事です。平穏に仕事をさせてください」 辞表を出せば即却下、他国へ逃げれば奪還作戦。 これは、無自覚に王子たちを癒やしてしまった最強執事が、国ぐるみで溺愛され、外堀を埋められていくお仕事&逆ハーレムBLファンタジー!

烏の王と宵の花嫁

水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。 唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。 その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。 ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。 死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。 ※初出2024年7月

双子の姉がなりすまして婚約者の寝てる部屋に忍び込んだ

海林檎
恋愛
昔から人のものを欲しがる癖のある双子姉が私の婚約者が寝泊まりしている部屋に忍びこんだらしい。 あぁ、大丈夫よ。 だって彼私の部屋にいるもん。 部屋からしばらくすると妹の叫び声が聞こえてきた。

処理中です...