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第二章 紅茶館ローズメリー
紅茶館ローズメリー⑤
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「お口に合ったかしら?」
二人掛けのテーブルを片付けていた翠さんが、通りがかりに声をかけてくれた。
「イチゴの季節は終わってしまったから、ジャムはラズベリーなのよ。本当は摘みたてのイチゴを使いたいのだけれど……」
ふふ、と笑う表情はちょっぴり残念そうで、眉尻が下がっている。
なるほど。この鼻に抜ける鮮やかな香りは、ラズベリーだったのか。
お馴染みのイチゴよりも酸味が立って、華やかで野趣のある香気だ。
「すっごく美味しいです!俺、初めて食べたんですけど、なんていうか、素朴なのに深くて……えっと……」
どうにか今の感動を伝えたいのに、口から出るのはありきたりな言葉ばかり。
頭の中にはもっとぴったりな表現があるはずなのに、言葉を掴めない。それが酷くもどかしい。
「あらまあ、気に入ってもらえて嬉しいわ。今日のスコーンは一つがプレーン、もう一つは紅茶風味にしてあるから、味の違いを楽しんでみてね」
「おや。お得意の遊び心ですか、翠さん」
「ふふふ、伝統ばかりではおもしろ味もないでしょう?」
茶目っ気たっぷりな笑顔が、とてもかわいらしく映る。
「イギリスの伝統に則れば、スコーンは二つともプレーンなのよ。今ではアフタヌーンティーの一種とされているクリームティーだけど、元を辿れば十一世紀に修道士たちが振る舞ったパンが起源なの。アフタヌーンティーが生まれるより、もっとずっと前の話よ」
「十一世紀!?千年以上も前だ……」
その頃、日本はまだ平安時代だ。そんなに古くから愛されてきた味なのか――。
「もちろん、当時のパンと今のスコーンでは、見た目も味わいもまるで違うわ。それでも『楽しんで美味しくいただく』という気持ちは、何も変わっていない」
柔らかいけれど凛とした声に、翠さんの信念を感じる。
その語り口は、どこか西園寺氏と似ているような気がした。
次の瞬間、彼女は手にしていた銀の盆を軽く上げ、「あらあら」とおどけた顔になった。
「私ったら。亜嵐さんのことを言えたものじゃないわ。――さぁさ、冷めないうちに召し上がってくださいな。クリームとジャムはおかわりもできますよ」
こつこつとカウンターの奥に消えていく翠さんを見送り、西園寺氏は「やれやれ……」と苦笑いを浮かべた。
「翠さんもイギリスのお茶文化には一家言があるからな。さらりと流しつつ、要点はきっちり押さえていく」
「翠さんと西園寺さんって、どことなく似てますね」
すると西園寺氏は「……まぁ、否定はできまい」と言って、クリームとジャムを山盛りにしたスコーンにかじりついた。
「ふむ。相変わらず素晴らしいジャムだ」
そういえばさっき翠さんは「本当はイチゴを使いたかった」と言っていた。
ということは――。
「あの、もしかしてこのジャムって……手作り、ですか?」
そっと尋ねると、西園寺さんは軽く目を見開いて、『何を今さら?』という表情を浮かべた。
「ジャムだけではない。このスコーンも、ショーケースのケーキも。全てが翠さんの手作りだ」
「へぇ!すごいなぁ、全部だなんて……!」
この素晴らしく滋味豊かな食べ物を、あの小柄で朗らかな女性が作り出しているのか。
想像するだけで、ほわほわと温かな感情が湧いてくる。
イチゴの季節が過ぎたら、次はラズベリー。
旬の果実を追いかけて、常に美味いものを作り客を喜ばせる――なんと贅沢な味わいだろう。
「それにしても……クリームティーって歴史があるんですね。もし清少納言がクリームティーに出会っていたら、どんな感想を書き残したかな」
夏はらずべりぃ、なんて書き出しを想像して笑ってしまう。
「会話を楽しむのは良いことだが、今は目の前のスコーンにも気を配る必要がある。翠さんがカウンターの奥から睨みをきかせる前に、続きをいただくとしよう」
それももっともだ。
俺はまた一口、スコーンにかぶりついた。
さっきよりも生地がしっとりとして、クリームとジャムが馴染んでいる気がする。
一口ごとに味わいが深まっていくようだ。
(もう一つの紅茶風味は、どんな味なんだろう……)
皿の上で出番を待っている焼き菓子への期待が、俺の胸で膨らんでいった。
二人掛けのテーブルを片付けていた翠さんが、通りがかりに声をかけてくれた。
「イチゴの季節は終わってしまったから、ジャムはラズベリーなのよ。本当は摘みたてのイチゴを使いたいのだけれど……」
ふふ、と笑う表情はちょっぴり残念そうで、眉尻が下がっている。
なるほど。この鼻に抜ける鮮やかな香りは、ラズベリーだったのか。
お馴染みのイチゴよりも酸味が立って、華やかで野趣のある香気だ。
「すっごく美味しいです!俺、初めて食べたんですけど、なんていうか、素朴なのに深くて……えっと……」
どうにか今の感動を伝えたいのに、口から出るのはありきたりな言葉ばかり。
頭の中にはもっとぴったりな表現があるはずなのに、言葉を掴めない。それが酷くもどかしい。
「あらまあ、気に入ってもらえて嬉しいわ。今日のスコーンは一つがプレーン、もう一つは紅茶風味にしてあるから、味の違いを楽しんでみてね」
「おや。お得意の遊び心ですか、翠さん」
「ふふふ、伝統ばかりではおもしろ味もないでしょう?」
茶目っ気たっぷりな笑顔が、とてもかわいらしく映る。
「イギリスの伝統に則れば、スコーンは二つともプレーンなのよ。今ではアフタヌーンティーの一種とされているクリームティーだけど、元を辿れば十一世紀に修道士たちが振る舞ったパンが起源なの。アフタヌーンティーが生まれるより、もっとずっと前の話よ」
「十一世紀!?千年以上も前だ……」
その頃、日本はまだ平安時代だ。そんなに古くから愛されてきた味なのか――。
「もちろん、当時のパンと今のスコーンでは、見た目も味わいもまるで違うわ。それでも『楽しんで美味しくいただく』という気持ちは、何も変わっていない」
柔らかいけれど凛とした声に、翠さんの信念を感じる。
その語り口は、どこか西園寺氏と似ているような気がした。
次の瞬間、彼女は手にしていた銀の盆を軽く上げ、「あらあら」とおどけた顔になった。
「私ったら。亜嵐さんのことを言えたものじゃないわ。――さぁさ、冷めないうちに召し上がってくださいな。クリームとジャムはおかわりもできますよ」
こつこつとカウンターの奥に消えていく翠さんを見送り、西園寺氏は「やれやれ……」と苦笑いを浮かべた。
「翠さんもイギリスのお茶文化には一家言があるからな。さらりと流しつつ、要点はきっちり押さえていく」
「翠さんと西園寺さんって、どことなく似てますね」
すると西園寺氏は「……まぁ、否定はできまい」と言って、クリームとジャムを山盛りにしたスコーンにかじりついた。
「ふむ。相変わらず素晴らしいジャムだ」
そういえばさっき翠さんは「本当はイチゴを使いたかった」と言っていた。
ということは――。
「あの、もしかしてこのジャムって……手作り、ですか?」
そっと尋ねると、西園寺さんは軽く目を見開いて、『何を今さら?』という表情を浮かべた。
「ジャムだけではない。このスコーンも、ショーケースのケーキも。全てが翠さんの手作りだ」
「へぇ!すごいなぁ、全部だなんて……!」
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