秘密はいつもティーカップの向こう側 ~追憶の英国式スコーン~

天月りん

文字の大きさ
14 / 26
第二章 紅茶館ローズメリー

紅茶館ローズメリー⑦

しおりを挟む
「そ、それにしても、クリームティーってすてきな習慣ですね!こんな美味しいものを毎日楽しめるなんて、イギリスの人が羨ましいなー!」

 赤くなった顔をぱたぱた扇ぎながら、話題転換を試みる。
 するとすかさず「そんなわけがないだろう」と突っ込まれた。

「毎日これだけのものを食べていたら、生活習慣病まっしぐらだ。イギリスは肥満大国としても有名だからね」
「……うっ、確かに……」

 プレーンと紅茶、それぞれのスコーンを半分残した状態で、添えられた器のクリームとジャムは残りわずか。
 美味しい美味しいと夢中になったけれど、今さらながらカロリーが気になり出す。

「日常的に紅茶と一緒に楽しむのは、もっと軽いものだ。たとえば、ビスケット。スーパーや専門店に行けば、市販品が山ほど並んでいる。誰もが自分の『お気に入りの一枚』を持っているといってもいいだろう」
「そ、そっかー……そうですよね、はは……」
「クリームティーは、毎日のように口にするものではない。だからこそ特別感がある。まあ近頃は、在宅勤務の影響もあって、家でクリームティーを用意する人も増えているらしいがね」
「なるほど……」

 家で紅茶とスコーンを楽しむのか。

(……それ、いいな……)

 自分でスコーンを焼けば、あとはミルクティーとクリームとジャムを用意するだけだ。

 そこでふと、俺はものすごく重要なことに気が付いた。

(クロテッドクリームって、そもそも何だ……?)

 あまりにも今さらな疑問に気後れしつつ、西園寺氏に尋ねる。

「あの……クロテッドクリームって、どういうものなんですか?」
「おや、知らなかったか」

 意外そうに目を開いた西園寺氏は、ティーカップに伸ばした手を戻し、すっと背筋を伸ばした。

「クロテッドクリームとは、イギリス南西部のデヴォンやコーンウォールで伝統的に作られてきた乳製品だ。生乳をゆっくりと温め、表面に浮かび上がった脂肪分をすくい取って冷やすことでできる。脂肪分は六割近くにもなるが、ただ濃厚なだけではなく、驚くほど滑らかで、ミルキーな甘みがあるのが特徴だ」

 そう語る声は、自信に満ちている。
 さっきクロテッドクリームのことを「イギリスが誇る」と言っていたし、彼らにとってこのクリームは特別なものなんだろう。

「そのままでも甘やかだが、ジャムや紅茶と合わせると、さらにその真価を発揮する。伝統あるクリームティーだが、ただのパンやスコーンの食事から一段階引き上げられたのは、このクリームの力が大きい」

 確かに……俺が夢中になっているのも、このクリームがあるからだ。
 素朴で、それでいて濃厚な乳の甘みがぎゅっと凝縮された味は、他に代え難いものに違いない。

 となると――家でクリームティーを再現するにも、クロテッドクリームはマストアイテムとなる。

「あの、クロテッドクリームって、どこで手に入るんですか?」

 売っている店も値段も、まるっきり想像がつかない。
 すると西園寺氏は、少し考えるように眉を寄せた。

「一般的なスーパーマーケットで見かけることはまずないな。購入できるとすれば、輸入食品を扱う店、または製菓材料店やインターネットだ。まあ、少々お値段は張ってしまうがね」
「……なるほど」

 製菓材料店か……。実は前々から気になっているスポットだ。
 専門的な道具や材料が並ぶ様子を雑誌で見て、一度覗いてみたいと思っていたのだ。
 女性客が多そうで、二の足を踏んでいたが――。

(そっか……クロテッドクリームを買うためなら、堂々と行けるじゃないか)

 わくわくと胸が高鳴る。
 自分でスコーンを焼いて、紅茶と一緒にクロテッドクリームを添えてみる。
 そんな光景を思い描いたところで――。

(でも自分で焼けても、ひとりで食べるんじゃ、きっとつまらない……)

 胸の奥に、ぽつんと小さな影が差す。
 今こうして楽しいのは、目の前に西園寺氏がいて、一緒にこの体験を分かち合っているからだ。

「……藤宮くん?」

 沈んだ気配を察したのか、西園寺氏が心配そうにこちらを見る。

「い、いえ!何でもないです!ただ……イギリスのお茶文化って、本当にすごいなぁって!」

 慌てて笑顔を作ると、西園寺氏はわずかに目を細め、安心したように息を吐いた。

「すごいと表現するなら、本物はフルセットのアフタヌーンティーだな」
「フルセット……?」

 胸を張る西園寺氏の姿に、思わず息を呑む。

「サンドウィッチにスコーン、ケーキやタルトといった菓子が、三段の銀製ケーキスタンドに盛り付けられる。最下段はサンドウィッチ――伝統に倣えば具はキュウリ。二段目にスコーン。そして最上段には、宝石のように彩り豊かなケーキやタルトが置かれる。それこそが『豪華なお茶の時間』の正体だ」
「うわぁ……!写真でしか見たことないやつだ!」

 頬が緩むのを抑えられない。
 そんな俺の様子を、西園寺氏は穏やかな眼差しで見守ってくれた。

「実は、この店でもフルアフタヌーンティーを楽しめる。ただし、準備に手間がかかるため、前日までの予約制だが。君さえ良ければ……一緒にどうだ?」
「えっ?」

 一瞬、頭が真っ白になる。

(聞き間違いじゃないよな……?)

「い、いいんですか……?」

 驚きすぎて、情けないほど声が震える。

「もちろんだ。そのような機会でもなければ、私も滅多に味わえないからな」

 にこやかに告げられたそのひと言が、胸の奥にずしんと響く。

 ただの『お茶』の約束にすぎないのに、次があると示されたことが、どうしようもなくうれしい。
 尊敬する相手に認められたような気がして、胸の奥がじわじわと満たされていく。

「……うわぁ、本当に……楽しみです!」

 声に出した途端、気持ちが溢れて笑みが止まらなくなる。

「ふふ。だがその前に、まずは目の前のクリームティーを楽しもうじゃないか」
「はい!」

 高鳴る心臓を抑えきれないまま、俺は再び目の前のスコーンに手を伸ばした。
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

秘密はいつもティーカップの向こう側 ―SNACK SNAP―

天月りん
キャラ文芸
食べることは、生きること。 ティーハウス<ローズメリー>に集う面々に起きる、ほんの些細な出来事。 楽しかったり、ちょっぴり悲しかったり。 悔しかったり、ちょっぴり喜んだり。 彼らの日常をそっと覗き込んで、写し撮った一枚のスナップ――。 『秘密はいつもティーカップの向こう側』SNACK SNAPシリーズ。 気まぐれ更新。 ティーカップの紅茶に、ちょっとミルクを入れるようなSHORT STORYです☕ ◆・◆・◆・◆ 秘密はいつもティーカップの向こう側(本編) ティーカップ越しの湊と亜嵐の物語はこちら。 秘密はいつもティーカップの向こう側の姉妹編  ・本編番外編シリーズ「TEACUP TALES」シリーズ本編番外編  ・番外編シリーズ「BONUS TRACK」シリーズSS番外編  ・番外SSシリーズ「SNACK SNAP」シリーズのおやつ小話 よろしければ覗いてみてください♪

秘密はいつもティーカップの向こう側 ―BONUS TRACK―

天月りん
キャラ文芸
食べることは、生きること。 ティーハウス<ローズメリー>に集う面々の日常を、こっそり覗いてみませんか? 笑って、悩んで、ときにはすれ違いながら――それでも前を向く。 誰かの心がふと動く瞬間を描く短編集。 本編では語られない「その後」や「すき間」の物語をお届けする 『秘密はいつもティーカップの向こう側』BONUST RACKシリーズ。 気まぐれ更新。 あなたのタイミングで、そっと覗きにきてください☕ ◆・◆・◆・◆ 秘密はいつもティーカップの向こう側(本編) ティーカップ越しの湊と亜嵐の物語はこちら。 秘密はいつもティーカップの向こう側の姉妹編  ・本編番外編シリーズ「TEACUP TALES」シリーズ本編番外編  ・番外編シリーズ「BONUS TRACK」シリーズSS番外編  ・番外SSシリーズ「SNACK SNAP」シリーズのおやつ小話 よろしければ覗いてみてください♪

秘密はいつもティーカップの向こう側 ―TEACUP TALES―

天月りん
キャラ文芸
食べることは、生きること。 湊と亜嵐の目線を通して繰り広げられる、食と人を繋ぐ心の物語。 ティーカップの湯気の向こうに揺蕩う、誰かを想う心の機微。 ふわりと舞い上がる彼らの物語を、別角度からお届けします。 本編に近いサイドストーリーをお届けする 『秘密はいつもティーカップの向こう側』SHORT STORYシリーズ。 気まぐれ更新でお届けする、登場人物の本音の物語です あなたのタイミングで、そっと覗きにきてください☕ ◆・◆・◆・◆ 秘密はいつもティーカップの向こう側(本編) ティーカップ越しの湊と亜嵐の物語はこちら。 秘密はいつもティーカップの向こう側の姉妹編  ・本編番外編シリーズ「TEACUP TALES」シリーズ本編番外編  ・番外編シリーズ「BONUS TRACK」シリーズSS番外編  ・番外SSシリーズ「SNACK SNAP」シリーズのおやつ小話 よろしければ覗いてみてください♪

後宮の手かざし皇后〜盲目のお飾り皇后が持つ波動の力〜

二位関りをん
キャラ文芸
龍の国の若き皇帝・浩明に5大名家の娘である美華が皇后として嫁いできた。しかし美華は病により目が見えなくなっていた。 そんな美華を冷たくあしらう浩明。婚儀の夜、美華の目の前で彼女付きの女官が心臓発作に倒れてしまう。 その時。美華は慌てること無く駆け寄り、女官に手をかざすと女官は元気になる。 どうも美華には不思議な力があるようで…?

~後宮のやり直し巫女~私が本当の巫女ですが、謂れのない罪で処刑されたので後宮で人生をやり直すことにしました

深水えいな
キャラ文芸
明琳は国を統べる最高位の巫女、炎巫の候補となりながらも謂れのない罪で処刑されてしまう。死の淵で「お前が本物の炎巫だ。このままだと国が乱れる」と謎の美青年・天翼に言われ人生をやり直すことに。しかし巫女として四度人生をやり直すもののうまくいかず、次の人生では女官として後宮入りすることに。そこで待っていたのは後宮で巻き起こる怪事件と女性と見まごうばかりの美貌の宦官、誠羽で――今度の人生は、いつもと違う!?

耽溺愛ークールな准教授に拾われましたー

汐埼ゆたか
キャラ文芸
准教授の藤波怜(ふじなみ れい)が一人静かに暮らす一軒家。 そこに迷い猫のように住み着いた女の子。 名前はミネ。 どこから来たのか分からない彼女は、“女性”と呼ぶにはあどけなく、“少女”と呼ぶには美しい ゆるりと始まった二人暮らし。 クールなのに優しい怜と天然で素直なミネ。 そんな二人の間に、目には見えない特別な何かが、静かに、穏やかに降り積もっていくのだった。 ***** ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。 ※他サイト掲載

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

処理中です...