秘密はいつもティーカップの向こう側 ~追憶の英国式スコーン~

天月りん

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第二章 紅茶館ローズメリー

紅茶館ローズメリー⑧

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 さあ、引き続きスコーンを楽しもう。
 残り少なくなったクロテッドクリームに手を伸ばしたところで――。

「ちょっといいかな、藤宮くん」

 西園寺氏に遮られ、手を止める。

「先ほどから君の食べ方を見ていたが……今度はジャムを先に乗せてみてはどうだろう?」
「……はい?」

 西園寺氏から飛び出した予想外の提案に、俺は目を丸くした。

「クリームを先に乗せるか、ジャムを先に乗せるか――実はそれも、イギリス人にとって永遠のテーマなのだ。ぜひ君の意見も聞かせてもらいたい」

 ソワソワと瞳を輝かせる紳士に、思わず苦笑する。

(ほんと、ときどきかわいいよな、この人。でも順番くらいで、何が変わることもないだろうに……)

 おかしくて、心の声がそのまま口を衝いてしまった。

「そんなの、どっちも同じじゃないですか?」

 軽く言っただけ――。
 けれどその言葉を聞いた途端、それまでにこやかだった西園寺氏の表情が、ぴしりと固まった。
 楽しそうだった瞳の色が、一気に冷えていく。

「……藤宮くん」

 低く轟く声に、ぎくりと背筋が伸びる。

(えっ?何か怒ってる!?)

 身構えたが、西園寺氏はハッとしたように、慌てて表情と口調を繕った。

「いや……初めてなのだから、仕方がないことだ。……しかしだな、同じではないのだよ。まず、クリームを先に乗せるのはデヴォン式といって――」
「うーん……でも結局、お腹に入っちゃえば、同じじゃないですか?」

 初めても、同じもない。
 しつこく言い募られ、冗談めかしてそれを遮った――その途端。

「なっ……!?」

 西園寺氏はカップの取っ手をぎゅっと握り締めた。
 中の紅茶が揺れた瞬間――。

「何だとぉ!?」

 理知的で礼儀正しかった紳士は逆上した。
 椅子を軋ませ身を乗り出し、顔を真っ赤にして俺を叱り飛ばした。

「藤宮くん!私は君を一緒にお茶を飲むに相応しい相手だと評したのだが、どうやらそれはとんだ見込み違いだったようだ!『腹に入ればみな同じ』だと!?そんな暴言、食と栄養を学ぶ学生として、絶対に許されるものではないぞ!!」

 口角泡を飛ばす勢いで責めたてられ、こちらもつい熱くなって言い返す。

「たかが順番くらいで、そこまで言うことですか!?」
「たかが!?」

 まさに一触即発――そのとき。こつこつと規則正しい靴音が近付いてきた。

「クリームとジャムのおかわりはいかが?……あら、どうしたの二人とも?そんな怖い顔をして……」

 驚いたような翠さんの声に、俺と西園寺氏の叫びが重なる。

「だって!!」

 翠さんを見上げていた四つの目が、今度は互いを睨みつけた。

「藤宮くんが!」
「西園寺さんが!」

 二人して相手に人差し指を向け、またも同時に翠さんを見上げる。

「あら、まあ……」

 戸惑った翠さんが首を傾げたそのとき――。

 チリン。

 店のベルが軽やかに鳴り、来客を知らせた。

「こんばんは、翠さん。サンドウィッチはまだあるかな?持ち帰りたいのだが」

 姿を現したのは、ステッキを手にした老紳士。
 高齢に見えるが腰はすっと伸び、物腰はどこか優雅だ。

 よく通るその声に、俺ははっとした。

(危ない……今、本気で言い合いになってた……)

 もしこの人が現れなかったら――西園寺氏とは喧嘩別れで、これっきりになっていたかもしれない。
 それに思い至り、ぞっとする。

「榊原さん、いらっしゃいませ。今お帰りですか?」

 張り詰めていた空気が一気に緩んだように、翠さんは明るく言った。
 すると老紳士は不敵な笑みを浮かべ、ははは!と痛快に笑った。

「今日も若いのとやりあってね。もちろん、こてんぱんにしてやったとも。私の相手をしようなど、百年早いというものだ」

 物騒な物言いにぎょっとする。
 すると、翠さんが小声で教えてくれた。

(榊原さんはね、チェスが大好きなのよ)

 ……なるほど。
 老紳士がステッキで若者を殴りつける場面が、ただの勘違いで良かった。

「榊原さん、今日はもうサーモンとチーズは売り切れてしまったの。ローストビーフでもよろしいかしら?」
「ああ、構わんとも。あなたが作るものは、何でも美味いからな。ローストビーフ、大いに結構!」

 老紳士――榊原氏は、第一印象よりも豪快な人物らしい。
 呆気に取られて眺めていると、ふと目が合った。

「おや、新顔だね。君、チェスは嗜むかね?」
「えっ……!?いや、俺は……」

 慌てて西園寺氏に目配せして、助けを求める。
 だがさっきの口論にまだ腹を立てているのか、西園寺氏はふいっと顔を逸らした。

(さ、西園寺さーん!!)

 前門の榊原、後門の西園寺――なんて言ってる場合じゃない。
 特に西園寺氏とは、なんとしても関係を修復したい。

 あわあわする俺と、そっぽを向く西園寺氏。
 俺たちの様子を見比べると、榊原氏は「ははーん」と唇の端を上げた。

「なるほど、なるほど。……ほれ、西園寺さん。子羊が困っておるのに、助けてやらんのか?」
「何のことですか?」
「ふむ……拗れているようだな。若者よ、一体何があった?」

 そう言いながら榊原氏は「ここは私が預かろう」と翠さんに告げた。
 その言葉にほっとしたように笑みを浮かべ、翠さんはカウンターの奥に消えていった。

 翠さんの姿が見えなくなると、榊原氏は俺の隣の椅子を引いて、ゆっくりと腰掛けた。

「さて、まずは自己紹介をせねばな。私は榊原朔朗――見ての通りの老いぼれだ」
「そんな、老いぼれだなんて……。俺は、藤宮湊です。丘の上にある大学で、栄養学を専攻しています」

 それを聞いた榊原氏は「ほっほ!栄養士の卵か!それは良い相棒を見つけたものだな」と言って、西園寺氏に意味ありげな笑みを向けた。
 けれど西園寺氏はこちらに目すら寄越さず、ぶっきら棒に言った。

「今日会ったばかりです。相棒などではありません」

 冷たく放たれた言葉が胸に突き刺さり、息が詰まる。

「西園寺さん……ごめんなさい。俺、そんなつもりじゃ……」
「おぅおぅ、随分とご立腹だな。藤宮くん、この男に何を言ったんだ?」

 榊原氏に問われ、俺はしどろもどろで答えた。

「あの……スコーンに乗せるクリームとジャムの順番で……西園寺さんは違うって言うんですけど、どっちでも同じだって、俺が言っちゃって……」
「何だと!?」

 榊原氏の顔色がみるみる変わり、俺はまたしてもぎょっとした。

(え?そこまで怒るようなこと?)

 戸惑っていると、西園寺氏が勢いよく身を乗り出した。

「ほら見ろ、私だけが怒っているのではない!榊原さんまで、眉を顰めておられるではないか!」

 テーブル越しに声を張り上げるその姿は、これまで見た西園寺氏とはまるで違っている。
 だがそれこそが彼の怒りが本物である証に思えて、俺の心は空気が抜けた風船のように萎んだ。

 しゅんと肩を落として視線を落とす。
 これで終わりなのだろうか……そう思うだけで胸がじくじくと痛み、目に熱いものが込みあげる。

(もっと話したい。西園寺さんと、一緒に笑い合いたいのに……)

 そんな俺の肩にそっと手を置き、榊原氏は残念そうな、でも優しさを含んだ声で言った。

「若者よ、それはいかん。いかんのだよ……。だが、西園寺さん。あんたの態度もどうだろうね?藤宮くん、君は今日、初めてクリームティーを体験したのだろう?」
「は、はい……」

 榊原氏はふぅと息を一つ吐いた。

「……これはな、老いぼれの昔話だ。私にも、君たちのように夢中で語り合った若い頃があってな……」

 語り出した榊原氏の瞳は、ずっと、ずっと遠い景色を映していた。



 第二章 紅茶館ローズメリー / 完

 ◆・◆・◆

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