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第三章 追憶の英国式スコーン
追憶の英国式スコーン おまけSS
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亜嵐さんが、二人連れでこの店にやってきた。
思わず目を瞬かせる。
いつもは一人きりで、あの寂しい裏道を抜けてくるのに。
後ろから店内を伺うのは、まだ幼さの残る学生らしい若者だ。
(あらあら?もしかして……そういうことなのかしら?)
席は空いているかと問う亜嵐さんも、その背に隠れる男の子も、どこかぎこちない。
私も平静を装って二人を席へ案内したけれど、他の人から見たら、きっと浮ついていただろう。
(あの子が『冷やしパインの君』かしらね……?)
昼過ぎに戻ってきた亜嵐さんは、それはうれしそうに、裏メニューの冷やしパインについて話してくれた。
お互いに深入りしないという暗黙の掟もあって、詳しくは追及しなかった。
けれど、初めて訪れた学食で裏メニューなんてものを食べるのは、どうにも腑に落ちなかったのだ。
(もしかしたら、打ち解けた相手がいたのかもしれないわ……)
私はまだ見ぬその人のことを『冷やしパインの君』と名付けた。
そして今、初々しい様子で店内を見回す彼は、まさしくそう呼ぶにふさわしいと感じられた。
***
熱々のスコーンを前に演説を始めそうな亜嵐さんを牽制し、カウンター奥に戻る。
そっと見守っていると、スコーンをひと口かじった冷やしパインの君の顔が、ぱっと綻んだ。
(どうやら気に入ってもらえたみたいね)
ほっと息を吐く。
私が亜嵐さんにしてあげられることなんて、たかが知れている。
それでも――。
(できることがあれば、力になりたいわ)
気に入らない相手でも、我慢して一緒に歩けとは思わない。
けれど、誰かと囲む食卓の豊かさを、彼に放棄してほしくはない。
(……がんばって)
常連客へか、それとも冷やしパインの君へか。
私は心の中で手を合わせて願った。
***
ふと視線を向けると、亜嵐さんの話に耳を傾けつつ、ちらちらとこちらを窺う冷やしパインの君が目に入った。
(紅茶のおかわりかしら?それともクリーム?)
手を拭いて窓際のテーブルへ向かうと、冷やしパインの君が顔を真っ赤にしてあたふたし始めた。
「どうかされましたか?」
「え、えっと…あの、その……」
視線を彷徨わせる様子に、私は「あぁ……」と頷いた。
「私は桂木翠と申します」
そういえば名乗っていなかった。
……まあ、普段はわざわざ名乗ることもないのだけれど。
きっと彼は、私をどう呼んでいいのかわからなかったに違いない。
「みなさん、翠さんって呼んでくださるわ」
「……っ!俺は、藤宮湊です!坂の上にある大学に通ってます!食品栄養学科二年です!」
緊張した声が店内に響いた。
初々しいその反応に笑みがこぼれる。
頬を赤らめて背筋を伸ばす姿が、どこか小動物のようで微笑ましい。
なるほど、亜嵐さんが冷やしパインの君――藤宮くんを気に入った理由が、わかる気がした。
「まあ、栄養士さんの卵なのね。それで藤宮くん、ご用は何かしら?」
「あ、あのっ!このスコーンの作り方、教えてもらえませんか!?」
勢いよく言われ、私は半歩身を引いた。
(あらあら……どうしようかしら……)
スコーンはこの店の顔であり、私の心血を注いだ宝物でもある。おいそれと差し出すわけにはいかない。
咄嗟に答えられないでいると、藤宮くんは顔を赤くして、これ以上ないくらいに焦り始めた。
「あっ……ごめんなさい!店のレシピを教えてくれなんて、図々しいですよね!」
その必死さに、思わず頬が緩んでしまう。
「そうね……でもあなたになら、教えてもいいかもしれないわ。自分で作って、それを――」
言いかけたところで、藤宮くんは首まで真っ赤になった。
そしてちらりと亜嵐さんに視線を送り、何かを言いかけ――言葉を飲み込んだ。
(……まあ。なるほどね)
沈黙が、雄弁に彼の気持ちを語っている。
それに、亜嵐さんまで同じように紅潮しているのだから、おかしくて仕方ない。
(……あらあら、ふふっ……)
思わず肩を揺らして笑いながら、私は心の中でそっと呟いた。
(少しずつ、形になってきたかしら?)
温かな確信が、胸に広がるのを感じる。
そこに、メタセコイアの階段を並んで歩く二人の姿が重なった。
カウンターへ戻り、手近なメモ用紙を取り上げる。
(家庭用の分量に、ちょっとアレンジしないとね……)
メモ用紙の上、すらすらと並ぶ文字に、温かさが宿るような気がした。
思わず目を瞬かせる。
いつもは一人きりで、あの寂しい裏道を抜けてくるのに。
後ろから店内を伺うのは、まだ幼さの残る学生らしい若者だ。
(あらあら?もしかして……そういうことなのかしら?)
席は空いているかと問う亜嵐さんも、その背に隠れる男の子も、どこかぎこちない。
私も平静を装って二人を席へ案内したけれど、他の人から見たら、きっと浮ついていただろう。
(あの子が『冷やしパインの君』かしらね……?)
昼過ぎに戻ってきた亜嵐さんは、それはうれしそうに、裏メニューの冷やしパインについて話してくれた。
お互いに深入りしないという暗黙の掟もあって、詳しくは追及しなかった。
けれど、初めて訪れた学食で裏メニューなんてものを食べるのは、どうにも腑に落ちなかったのだ。
(もしかしたら、打ち解けた相手がいたのかもしれないわ……)
私はまだ見ぬその人のことを『冷やしパインの君』と名付けた。
そして今、初々しい様子で店内を見回す彼は、まさしくそう呼ぶにふさわしいと感じられた。
***
熱々のスコーンを前に演説を始めそうな亜嵐さんを牽制し、カウンター奥に戻る。
そっと見守っていると、スコーンをひと口かじった冷やしパインの君の顔が、ぱっと綻んだ。
(どうやら気に入ってもらえたみたいね)
ほっと息を吐く。
私が亜嵐さんにしてあげられることなんて、たかが知れている。
それでも――。
(できることがあれば、力になりたいわ)
気に入らない相手でも、我慢して一緒に歩けとは思わない。
けれど、誰かと囲む食卓の豊かさを、彼に放棄してほしくはない。
(……がんばって)
常連客へか、それとも冷やしパインの君へか。
私は心の中で手を合わせて願った。
***
ふと視線を向けると、亜嵐さんの話に耳を傾けつつ、ちらちらとこちらを窺う冷やしパインの君が目に入った。
(紅茶のおかわりかしら?それともクリーム?)
手を拭いて窓際のテーブルへ向かうと、冷やしパインの君が顔を真っ赤にしてあたふたし始めた。
「どうかされましたか?」
「え、えっと…あの、その……」
視線を彷徨わせる様子に、私は「あぁ……」と頷いた。
「私は桂木翠と申します」
そういえば名乗っていなかった。
……まあ、普段はわざわざ名乗ることもないのだけれど。
きっと彼は、私をどう呼んでいいのかわからなかったに違いない。
「みなさん、翠さんって呼んでくださるわ」
「……っ!俺は、藤宮湊です!坂の上にある大学に通ってます!食品栄養学科二年です!」
緊張した声が店内に響いた。
初々しいその反応に笑みがこぼれる。
頬を赤らめて背筋を伸ばす姿が、どこか小動物のようで微笑ましい。
なるほど、亜嵐さんが冷やしパインの君――藤宮くんを気に入った理由が、わかる気がした。
「まあ、栄養士さんの卵なのね。それで藤宮くん、ご用は何かしら?」
「あ、あのっ!このスコーンの作り方、教えてもらえませんか!?」
勢いよく言われ、私は半歩身を引いた。
(あらあら……どうしようかしら……)
スコーンはこの店の顔であり、私の心血を注いだ宝物でもある。おいそれと差し出すわけにはいかない。
咄嗟に答えられないでいると、藤宮くんは顔を赤くして、これ以上ないくらいに焦り始めた。
「あっ……ごめんなさい!店のレシピを教えてくれなんて、図々しいですよね!」
その必死さに、思わず頬が緩んでしまう。
「そうね……でもあなたになら、教えてもいいかもしれないわ。自分で作って、それを――」
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そしてちらりと亜嵐さんに視線を送り、何かを言いかけ――言葉を飲み込んだ。
(……まあ。なるほどね)
沈黙が、雄弁に彼の気持ちを語っている。
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(……あらあら、ふふっ……)
思わず肩を揺らして笑いながら、私は心の中でそっと呟いた。
(少しずつ、形になってきたかしら?)
温かな確信が、胸に広がるのを感じる。
そこに、メタセコイアの階段を並んで歩く二人の姿が重なった。
カウンターへ戻り、手近なメモ用紙を取り上げる。
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メモ用紙の上、すらすらと並ぶ文字に、温かさが宿るような気がした。
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