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聖夜の宝石箱

聖夜の宝石箱 前編

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 いかにもアルファと分かるような、体格もよく育ちの良さそうな青年に肩を抱かれ、グラッパでほんのり頬を赤く染めたオメガの常連客を見送った寒川玲司さむかわれいじと新妻の桔梗ききょうは、それぞれに達成感にも似た吐息を吐く。

 玲司の経営する『La maison』では二十四日と二十五日の二日間、クリスマスディナーを完全予約制で提供していたのだ。

 イヴの二十四日は、桔梗に手を回して予約をしてきた兄の総一朗そういちろうが桔梗の双子の兄である朔音さくらを伴ってやってきただけでなく、二人の出会いの時に世話になった藤田医師とその番の花楓かえでもやってきた。
 さすがに他の客の前で塩を撒いて追い出すわけにもいかず、渋々ながら桔梗と二人で考えたクリスマス特別メニューを出したのだが、それ以上に二十五日の今日の盛況ぶりでわずかな気力も尽きてしまったのである。

「終わりましたね……」
「二日間お疲れ様です、桔梗君」

 ふわりと白い靄が眼前に広がり、雲ひとつない空は都心から離れているせいか、星の瞬きがはっきりとわかる程だ。
 郊外ともいえるこの地域は、いわゆる文京地区でもあり、近くに『四神ししん』の秋槻あきつき家が経営している大学があるのを、玲司は思い出す。
 そのせいか、世間では過疎化していると言われている商店街もここは賑やかで、単身者だけでなく、小さな子供のいる家庭も多いものの、大きなビルなどなないおかげで、空気は澄んで空も小さな星までも見れる環境だった。


「さて、片付けましょうか」
「そうですね。俺、外の看板を片付けてきますね」

 こちらが返事をするまえにアプローチを軽やかに跳ねる桔梗に苦笑し、玲司もアプローチやガーデン用のランタンの灯を消して行き、看板を抱えてやってくる桔梗と共に暖かい店へと戻る。

「あ、明日業者が清掃に入るので、片付けは簡単でかまいませんよ?」
「え? 業者が来るんですか?」
「ええ。年内営業は本日で終わりですし、どうしても個人では行き届かない部分もありますからね。それに、外のウッドデッキや店内の床のメンテナンスも兼ねているので」

 『La maison』は料理はイタリア料理をメインにしているものの、パテなどフランス料理もあるし、日本人向けにアレンジした和の調味料を使用した和風な物もある。酒類も国関係なく取り揃えてあるし、更に言えば店内は北欧調と見事にバラバラだ。

『それでも場所柄のせいか、なかなかお客様が来なかったので、閑古鳥を飼育していましたけどね』と、これだけバラエティに富んでいれば客層も厚いと思って聞いてみれば、玲司は苦笑してそう話してくれたのだ。

 それも桔梗と出会う数ヶ月前位から、商店街の方の宣伝により、少しずつ客足が伸びてきて、桔梗が手伝う頃には土曜日のランチは待機が出るまでに繁盛するようになっていた。

 そもそも土地に未練があったらしく、店の計上に関してはあまり気にしてなかったそうだ。
 この『La maison』のある場所は、幼い頃玲司が幼少期に育ったアパートがあり、老朽化で取り壊しが決まった際に土地の所有者と交渉して買い取ったらしい。
 だからといって再びアパートなりマンションを建てる気にはならず、それなばと前々からやってみたいと思っていた飲食店をやる事にし、わざわざ海外まで料理や酒の勉強に行ったとのことだった。
 ……本当に計上を気にしないのなら、海外まで修行しないと思うのだが、と桔梗は首を傾げたものの、本人がそう思っていたのなら、それはそれで本音なのだな、と納得する事にしたのだった。
 番に甘いのは桔梗もだったようだ。

 テーブルに椅子を逆さに乗せて床の障害物をなくしていくと、窓のロールカーテンも相まって、先ほどまで賑わっていたとは思えない程の静けさが店内に満ちる。

 前の会社で上司にセクハラ以上の行為で襲われかけた翌日、事実にはない理由で糾弾され、突然会社を解雇されてしまった。
 元々微熱があって、そろそろ発情ヒートが来るとは思いつつも、これまで酷い状態になった事がないと慢心していたせいで、解雇のショックから最大級のヒートに襲われ、思考すらも蒙昧となったが為に、人に頼るといった考えがすっとんでしまい、自宅まで徒歩で帰ろうと暴挙に出てしまったのだ。
 そんなさなか、いきなりのゲリラ豪雨に見舞われた桔梗は、『La maison』のほのかな明かりに誘われ、そして玲司と出会った。
 桔梗のフェロモンに誘発され、玲司も発情ラットを起こし、意識のない桔梗の胎内を暴き、うなじを噛んだ。
 アルファとオメガは、ベータの婚姻以外にも、番契約という特殊な結びつきがある。
 発情期のオメガのうなじをアルファが噛み、アルファの唾液をオメガに浸透させる事によって、噛んだアルファ以外のフェロモンに反応しないようになる。それが番契約という。
 しかし、婚姻とは違い感情で嫌いになったから破棄するとはいかないのも、番契約の難しい所だった。
 遺伝子レベルの番契約は、アルファが別のオメガのうなじを噛んだ時点で、元のオメガとの契約は潰える。だが、一度結ばれた契約のせいで元のオメガは番だったアルファを求めるものの、アルファは別のオメガと相互的に契約を果たしている。
 一方通行的にオメガはアルファを求め、発情しても番は別のオメガと相互となっている。溢れそうになるヒートでオメガは次第に壊れ、耐え切れなくなったオメガの自死があるのも数多とあるのだ。

 まさか意識が途絶えてる間に番契約をすると思ってなかった桔梗は、降って沸いた番の存在に戸惑い、そして怯えた。
 幸い玲司がなけなしの理性で避妊をしてくれたおかげで妊娠までは至ってなかったが、ただでさえ解雇のショックと思いもよらない番契約のせいで、桔梗は心身共に疲れ果ててしまった。
 玲司の兄の総一朗からは、番解除後の保護をしてくれると言ってくれたけども、桔梗はそれを辞退した。当時は自分の感情が分からなかったが、今はあの時から玲司に惹かれていたのではと納得している。
 その後紆余曲折な出来事があったものの、十一月の澄み渡る晴天の日に、桔梗は香月桔梗から寒川桔梗となった。
 上級アルファの寒川家の次男と下級とはいえアルファの香月家の次男の婚姻は、色んな意味でパワーバランスを崩す要因となる為、派手は結婚式は避け、身内だけで『La maison』で食事会を催した。
 そして事後報告となったが、数日後には寒川の別荘へと趣き、番の母と対面する事になっていた。

 玲司も総一朗も緊張しなくても大丈夫、となだめてくれたものの、やはり番の親に会うのは緊張するものである。
 これはベータだろうがバース性関係なく、誰もが思うものだろう。

「桔梗君、そろそろ自宅に……桔梗君?」
「え、あ、はいっ!?」
「大丈夫ですか? まだ完全に体調戻ってなかったところにお手伝いさせたのがまずかったのでしょうか」
「いえっ、た、確かに少し疲れましたけど」
「それなら、すぐにベッドで休んでくださいっ」
「だ、大丈夫です! そんなにヤワではないですから!」

 番第一の玲司は、桔梗の膝の裏に腕を通そうとするのを、慌てて桔梗が止めに入る。なにかというと過保護で過干渉な玲司の行動に戸惑うものの、本気で心配されてるのが分かるだけに強く拒否でもできない。
 下手をするとこのままベッドに押し込まれ、別荘へ行く二十八日ギリギリまでベッドから離れるのがトイレと入浴という状況になってしまう。
 前例があるだけに桔梗は背筋をゾッとさせた。

 クリスマスにベッドの住人は勘弁してもらいたい。

「それよりも、今日の晩ごはんはどうしますか? 今日は慌ただしくて食べる余裕もなかったですよね」

 慌てた桔梗が話題を切り替えると、玲司は「あ、忘れてました」と何かを思い出したかのように手を叩く。

「その件で話しかけたのですが、少し道がそれてしまいましたね」

 整った美貌がにっこり笑うのを、桔梗は「はは……」と気の抜けた笑いで応えるしかできなかった。
 ……まだまだ新婚の二人は適度な距離感を掴むのは難しいようだ。



「それにしても、こんな遅くに出かける準備をしろって……」

 桔梗は寝室の隣にある自室のクローゼットの中から、玲司が買ってくれたばかりのダウンジャケットに袖を通す。
 このダウンジャケットは、豪雪地帯にあるという寒川家の別荘に行くからと、玲司がわざわざ購入したお高いものだ。
 着膨れ感がなく、すっきりとしたデザインでありながら、鴨の羽毛の柔らかい部分だけを使用している為か、軽い上に暖かい。
 なぜかタグが外されていたのでブランドがどこかは不明であるも、確実に諭吉が沢山羽ばたくのを予想し、桔梗は頭がすっと冷えたのを思い出す。
 それだけでなく、高校の時に家を出され、それなりに援助はされていたが、切り詰めてファストファッションばかりだった桔梗のワードローブは、気がついたら確実に高級ブランドと分かる肌触りの良いもので溢れかえっていた。これも知らぬ間に玲司が差し替えた所業である。

 カシミアの(元々はアクリルの安いものだった)タートルネックセーターの上にダウンジャケット、耳元までしっかりとふわふわもこもこなマフラーを巻いて玄関まで降りると、細身のダウンジャケットにブラックジーンズの玲司が待ち構えていた。

「遅くなってすみません」
「そんなに遅くないですよ。まだ車のエンジンすら温まってない状態ですし」
「車?」

 出かけるといえども店を閉店し、清掃をした現在の時刻は二十二時を過ぎたあたり。こんな夜半にどこに、しかも車で行くのだろうと首を傾げていると。

「少しドライブでもしようかと」
「ドライブ……」
「ええ、とっておきの場所があるんです。そこに桔梗さんと行きたくて」

 少し照れたように笑う玲司に、桔梗の胸はトクンと揺れていた。
 彼がどこに自分を連れて行くのか分からない。だけど、この数ヶ月で玲司が自分を不安にさせるような場所にわざわざ車を出してまで行かないと知っていた桔梗は。

「はい、俺も玲司さんと一緒に行きたいです」

 自然と、快諾する言葉が零れていたのだった。
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