2 / 37
一章
求婚
しおりを挟む
フレデリク・カーネリアン第二王子。
彼はカーネリアン王と正妃との間に生まれた子だった。この国は生まれた順で後継位が決まり、現在の王太子は側妃との間に生まれたエミリオよりふたつ上のアレクシスだ。彼は将来賢王になるだろうと言われるほど、思慮深い穏やかな人だった。
同様にフレデリクも正妃の子だと威張り散らす事もなく、兄王太子を支え、控えめに過ごされてるという。彼もエミリオよりふたつ年上――つまり数刻遅く生まれただけで、第二王子となった悲劇の人でもある。
なぜ、そんな高貴な人が、王都から離れた領地へ、それもエミリオに会いに来たのか。
予想しても埒があかないと、祖母と並んで急いで客間へと向かった。
「あなた、エミリオを連れてきましたわ」
「入れ」
祖母がノックをして入室を請うと、低く不機嫌な声音が扉越しに聞こえる。客人を前にこのような声を出すなんて、何かあったのだろうか。疑問は次から次に湧いてくるが、エミリオは表情に乗せないよう祖母の続いて客間へと入った。
淡いグリーンベースの壁紙と、焦げ茶の家具。ファブリックは夜のような紺色が邪魔ないように配置されて過ごしやすい。テーブルに飾られたコオニユリのオレンジが色を添えていた。
室内だけを見れば女主人である祖母の気質を表したような雰囲気にほっとできるも、テーブル越しに相対する祖父とフレデリクの剣呑とした空気がそれを台無しにしている。王家に忠誠を誓う祖父にしては、あまりな態度に首を傾げながらもエミリオは口を開く。
「お祖父様、僕にお客様と……」
「エミリオ!」
しかしエミリオの言葉は途中で遮られ、すぐさま視界も広い影によって閉ざされた。
「エミリオ久しぶりだね! 息災のようで安心したよ!」
頭上から聞こえる喜色めいたその声は、懐かしさもあり、そして恐れ多くもあってエミリオは硬直したまま受け入れるしかなかった。
包み込む体温と、仄かに香る甘い香りは、エミリオが結婚する前からこうして慣れ親しんだものだった。しかし、出戻りの今では、相手に下手な誤解を招く恐れもある。その前に彼は高貴な存在なのだ。夫にも両親にも捨てられた自分が触れていいものではない。
「あ、あの。フレデリク様……っ」
「ん? どうしたのかな? ああ、そうだ。折角こんな近くにいるのに、あまりに嬉しすぎて君の可愛らしい顔を見るのを忘れてたよ」
「いえ……そうではなく」
エミリオは扉の近くに待機している騎士の冷ややかな視線を痛烈に感じ、やんわりとフレデリクの広く厚い胸を押す。
「申し訳ございません、御身に触れる事をお許しください」
俯いたままぐっとフレデリクとの距離を広げたものの、抱きしめる力が強くて、非力なエミリオでは僅かしか隙間が空かなかった。
「フレデリク王子、エミリオ様がお困りの様子。嬉しいのは分かりますが、彼を困らせるのは得策ではないかと」
ふと、騎士がフレデリクをたしなめるのが聞こえ、フレデリクが「しかたないな」と不貞腐れる声と共にエミリオを解放してくれた。
ようやく一息ついたエミリオは、臣下の礼を取ろうと跪こうとしたが。
「エミリオ。今日は王子として君に会いに来たんじゃないんだ」
だから礼は不要だよ、と言って微笑むフレデリクは、エミリオの腰を引き寄せ、左手を削れた頬をそっと撫でる。
「前に会ったのは、君がレッセン伯爵子息と婚姻を結んだ時だったかな。……随分と頬が痩せている。君の苦労が偲ばれるよ……」
「フレデリク王子……わたしのような者に過分なお言葉を……ありがとうございます」
「『わたしのような者』だなんて、自分を卑下しちゃいけないよ、エミリオ。それに、前から言ってただろう? 王子なんて付属は必要ないと。ほら、フレデリクって呼んでごらん? 可愛いエミリオ」
糖蜜のような甘い甘い言葉に、エミリオの白い肌は赤く色づく。
フレデリクとは兄を通じて知り合った程度だ。あまたの中のひとりでしかなかったエミリオを、フレデリクはなぜか目にかけてくれ、クライドと結婚するまでは週に一回の割合で王城でお茶をする関係までになっていた。
銀の髪にとろりとした赤い飴玉のような瞳を持つフレデリクは、王太子である兄のアレクシスより優秀だと言われながらも、兄を影で支える慎ましい人だと評価されている。しかしエミリオにとっては、実の兄よりも頼もしい存在で、以前実兄との事で色々あった時も見方になってくれた優しい人だった。
「フ……フレデリク様……。こ、これでお許しください」
呼び捨てなんて無理だ。本当なら侯爵家の息子であるエミリオではパーティの時に遠くから見ているだけしかできない下々の者なのだ。……そもそもあの父がエミリオを公の場に出すなんて有り得ないだろうけど。
父も母も男でありながら子供を孕むことのできるエミリオを、繰り返し「気味が悪い」や「悪魔の子」と言い続けてきた。かろうじて心を壊さなかったのは、ふたつ年上の兄が庇ってくれたから。だけど……
「まあ、今はそれでもいいけど。だけど、本当に痩せたね、エミリオ。君が離婚してすぐに会いに行きたかったけど、色々あってね」
「僕の……わたしなんかのために、時間を割いていただき、ありがとうございます」
「ほら、また自分を貶める言葉を言った。エミリオはもっと自己評価をあげるべきだと思うけどね」
「……」
物心つく頃から両親だけでなく屋敷の大人たちから虐げられたエミリオは自分に自信がない。
クライドと結婚してからは更に拍車がかかったように思える。
でも、今更自分の意識を変えようという気力もなかった。
「それはそうと、フレデリク王子。本日はわざわざ遠方の当領地へ?」
戸惑うエミリオから意識を逸らしたいのか、祖父がフレデリクに淡々と問う。祖父は厳しい人だが、不遇な体を持ったエミリオを、慈しみをもって愛してくれる貴重な人物だった。
「ああ、そうだった。今日はエミリオの祖父であるスーヴェリア侯にお願いがあってまいりました」
にこやかに微笑むフレデリクは、エミリオの腰に手を添えて渋面の祖父へ語りかける。
エミリオは腰から伝わるフレデリクの体温に胸をざわつかせながらも、苦い表情を崩さない祖父へと疑問を持った。
祖父は侯爵でありながら、王家に深い忠節を持つ人だ。フレデリクは王族だというのに、明らかに不快を顕著に示すのか。エミリオはふたりの間で見えない火花が散るのを、不安げな眼差しで見守るしかなかった。
いったい、彼らはこんなにも険悪な雰囲気なのだろうか。
「エミリオとの結婚を許していただきたいのです」
「……は?」
離婚したばかりの僕と誰が結婚……?
すぐ近くから聞こえる美声が告げた言葉が頭に入ってこず、エミリオは思考を真っ白に染めていた。
彼はカーネリアン王と正妃との間に生まれた子だった。この国は生まれた順で後継位が決まり、現在の王太子は側妃との間に生まれたエミリオよりふたつ上のアレクシスだ。彼は将来賢王になるだろうと言われるほど、思慮深い穏やかな人だった。
同様にフレデリクも正妃の子だと威張り散らす事もなく、兄王太子を支え、控えめに過ごされてるという。彼もエミリオよりふたつ年上――つまり数刻遅く生まれただけで、第二王子となった悲劇の人でもある。
なぜ、そんな高貴な人が、王都から離れた領地へ、それもエミリオに会いに来たのか。
予想しても埒があかないと、祖母と並んで急いで客間へと向かった。
「あなた、エミリオを連れてきましたわ」
「入れ」
祖母がノックをして入室を請うと、低く不機嫌な声音が扉越しに聞こえる。客人を前にこのような声を出すなんて、何かあったのだろうか。疑問は次から次に湧いてくるが、エミリオは表情に乗せないよう祖母の続いて客間へと入った。
淡いグリーンベースの壁紙と、焦げ茶の家具。ファブリックは夜のような紺色が邪魔ないように配置されて過ごしやすい。テーブルに飾られたコオニユリのオレンジが色を添えていた。
室内だけを見れば女主人である祖母の気質を表したような雰囲気にほっとできるも、テーブル越しに相対する祖父とフレデリクの剣呑とした空気がそれを台無しにしている。王家に忠誠を誓う祖父にしては、あまりな態度に首を傾げながらもエミリオは口を開く。
「お祖父様、僕にお客様と……」
「エミリオ!」
しかしエミリオの言葉は途中で遮られ、すぐさま視界も広い影によって閉ざされた。
「エミリオ久しぶりだね! 息災のようで安心したよ!」
頭上から聞こえる喜色めいたその声は、懐かしさもあり、そして恐れ多くもあってエミリオは硬直したまま受け入れるしかなかった。
包み込む体温と、仄かに香る甘い香りは、エミリオが結婚する前からこうして慣れ親しんだものだった。しかし、出戻りの今では、相手に下手な誤解を招く恐れもある。その前に彼は高貴な存在なのだ。夫にも両親にも捨てられた自分が触れていいものではない。
「あ、あの。フレデリク様……っ」
「ん? どうしたのかな? ああ、そうだ。折角こんな近くにいるのに、あまりに嬉しすぎて君の可愛らしい顔を見るのを忘れてたよ」
「いえ……そうではなく」
エミリオは扉の近くに待機している騎士の冷ややかな視線を痛烈に感じ、やんわりとフレデリクの広く厚い胸を押す。
「申し訳ございません、御身に触れる事をお許しください」
俯いたままぐっとフレデリクとの距離を広げたものの、抱きしめる力が強くて、非力なエミリオでは僅かしか隙間が空かなかった。
「フレデリク王子、エミリオ様がお困りの様子。嬉しいのは分かりますが、彼を困らせるのは得策ではないかと」
ふと、騎士がフレデリクをたしなめるのが聞こえ、フレデリクが「しかたないな」と不貞腐れる声と共にエミリオを解放してくれた。
ようやく一息ついたエミリオは、臣下の礼を取ろうと跪こうとしたが。
「エミリオ。今日は王子として君に会いに来たんじゃないんだ」
だから礼は不要だよ、と言って微笑むフレデリクは、エミリオの腰を引き寄せ、左手を削れた頬をそっと撫でる。
「前に会ったのは、君がレッセン伯爵子息と婚姻を結んだ時だったかな。……随分と頬が痩せている。君の苦労が偲ばれるよ……」
「フレデリク王子……わたしのような者に過分なお言葉を……ありがとうございます」
「『わたしのような者』だなんて、自分を卑下しちゃいけないよ、エミリオ。それに、前から言ってただろう? 王子なんて付属は必要ないと。ほら、フレデリクって呼んでごらん? 可愛いエミリオ」
糖蜜のような甘い甘い言葉に、エミリオの白い肌は赤く色づく。
フレデリクとは兄を通じて知り合った程度だ。あまたの中のひとりでしかなかったエミリオを、フレデリクはなぜか目にかけてくれ、クライドと結婚するまでは週に一回の割合で王城でお茶をする関係までになっていた。
銀の髪にとろりとした赤い飴玉のような瞳を持つフレデリクは、王太子である兄のアレクシスより優秀だと言われながらも、兄を影で支える慎ましい人だと評価されている。しかしエミリオにとっては、実の兄よりも頼もしい存在で、以前実兄との事で色々あった時も見方になってくれた優しい人だった。
「フ……フレデリク様……。こ、これでお許しください」
呼び捨てなんて無理だ。本当なら侯爵家の息子であるエミリオではパーティの時に遠くから見ているだけしかできない下々の者なのだ。……そもそもあの父がエミリオを公の場に出すなんて有り得ないだろうけど。
父も母も男でありながら子供を孕むことのできるエミリオを、繰り返し「気味が悪い」や「悪魔の子」と言い続けてきた。かろうじて心を壊さなかったのは、ふたつ年上の兄が庇ってくれたから。だけど……
「まあ、今はそれでもいいけど。だけど、本当に痩せたね、エミリオ。君が離婚してすぐに会いに行きたかったけど、色々あってね」
「僕の……わたしなんかのために、時間を割いていただき、ありがとうございます」
「ほら、また自分を貶める言葉を言った。エミリオはもっと自己評価をあげるべきだと思うけどね」
「……」
物心つく頃から両親だけでなく屋敷の大人たちから虐げられたエミリオは自分に自信がない。
クライドと結婚してからは更に拍車がかかったように思える。
でも、今更自分の意識を変えようという気力もなかった。
「それはそうと、フレデリク王子。本日はわざわざ遠方の当領地へ?」
戸惑うエミリオから意識を逸らしたいのか、祖父がフレデリクに淡々と問う。祖父は厳しい人だが、不遇な体を持ったエミリオを、慈しみをもって愛してくれる貴重な人物だった。
「ああ、そうだった。今日はエミリオの祖父であるスーヴェリア侯にお願いがあってまいりました」
にこやかに微笑むフレデリクは、エミリオの腰に手を添えて渋面の祖父へ語りかける。
エミリオは腰から伝わるフレデリクの体温に胸をざわつかせながらも、苦い表情を崩さない祖父へと疑問を持った。
祖父は侯爵でありながら、王家に深い忠節を持つ人だ。フレデリクは王族だというのに、明らかに不快を顕著に示すのか。エミリオはふたりの間で見えない火花が散るのを、不安げな眼差しで見守るしかなかった。
いったい、彼らはこんなにも険悪な雰囲気なのだろうか。
「エミリオとの結婚を許していただきたいのです」
「……は?」
離婚したばかりの僕と誰が結婚……?
すぐ近くから聞こえる美声が告げた言葉が頭に入ってこず、エミリオは思考を真っ白に染めていた。
193
あなたにおすすめの小説
竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜
レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」
魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。
彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。
逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。初夜で抱かれたら身代わりがばれてしまいます💦
雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
逃げた弟の身代わりとなり、
隣国の国王である溺愛アルファに嫁いだオメガ。
しかし実は、我儘で結婚から逃げ出した双子の弟の身代わりなのです…
オメガだからと王宮で冷遇されていたので、身代わり結婚にも拒否権が
なかたのでした。
本当の花嫁じゃない。
だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、
だんだん王様に惹かれてしまい、苦しくなる…という
お話です。よろしくお願いします<(_ _)>
婚約破棄させた愛し合う2人にザマァされた俺。とその後
結人
BL
王太子妃になるために頑張ってた公爵家の三男アランが愛する2人の愛でザマァされ…溺愛される話。
※男しかいない世界で男同士でも結婚できます。子供はなんかしたら作ることができます。きっと…。
全5話完結。予約更新します。
【完結】伯爵家当主になりますので、お飾りの婚約者の僕は早く捨てて下さいね?
MEIKO
BL
【完結】伯爵家次男のマリンは、公爵家嫡男のミシェルの婚約者として一緒に過ごしているが実際はお飾りの存在だ。そんなマリンは池に落ちたショックで前世は日本人の男子で今この世界が小説の中なんだと気付いた。マズい!このままだとミシェルから婚約破棄されて路頭に迷う未来しか見えない!
僕はそこから前世の特技を活かしてお金を貯め、ミシェルに愛する人が現れるその日に備えだす。2年後、万全の備えと新たな朗報を得た僕は、もう婚約破棄してもらっていいんですけど?ってミシェルに告げる。なのに対象外のはずの僕に未練たらたらなのどうして?
※R対象話には『*』マーク付けます。
給餌行為が求愛行動だってなんで誰も教えてくれなかったんだ!
永川さき
BL
魔術教師で平民のマテウス・アージェルは、元教え子で現同僚のアイザック・ウェルズリー子爵と毎日食堂で昼食をともにしている。
ただ、その食事風景は特殊なもので……。
元教え子のスパダリ魔術教師×未亡人で成人した子持ちのおっさん魔術教師
まー様企画の「おっさん受けBL企画」参加作品です。
他サイトにも掲載しています。
王命で第二王子と婚姻だそうです(王子目線追加)
かのこkanoko
BL
第二王子と婚姻せよ。
はい?
自分、末端貴族の冴えない魔法使いですが?
しかも、男なんですが?
BL初挑戦!
ヌルイです。
王子目線追加しました。
沢山の方に読んでいただき、感謝します!!
6月3日、BL部門日間1位になりました。
ありがとうございます!!!
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる