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一章

関与

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「殿下! エミリオ様が邸にいらっしゃいません!」

 エミリオの部屋から自分に割り当てられた客間へと戻る途中、ブランが必死な形相でこちらへと駆けてくる。一体何がと思っていたフレデリクは、ブランが発した言葉に零れ落ちそうな程真紅の目を見開く。

「ひとまず私の部屋で話を聞こう。ここでは誰の耳に入るか分からない」
「……はい」

 珍しく焦るブランを宥め、急いでフレデリクの部屋へと行き、ソファに腰を下ろすと険しい顔でブランを問いただす。
 エミリオは無謀な行動を犯す人間ではない。確かに先ほどは身内を疑われ怒りに震えていたものの、それでも自分の置かれている状況を逸脱する性格ではない。となると、何かしらの要因があるとフレデリクは睨む。

「正直、すぐにエミリオ様が捕まると思って部屋を出たのです。ですが、何故か普段はこちらにいらっしゃらないファストス公爵が呼び止めてきまして……」
「どういう事だ、ブラン」

 ブランが言うには、エミリオを追いかける途中でファストス公爵につかまり、嫌味を幾つか重ねられたそうだ。
 表沙汰になっていないが、ブランはフレデリクやアレクシスの兄……つまりは正式には長兄だった。
 ブランが生まれた時には王妃は現在の立場で、父である王との不義の子となるが、どうにも王妃はブランを憎むどころか大切に可愛がっている様子がうかがえる。
 だが、心穏やかではないのは公爵だろう。いつ寝首をかかれてフレデリクやアレクシスを弑するか分からないのだ。ブランがもし王太子として立てば、ファストス公爵は王族の身内ではなく、他の公爵家と同じ扱いになるのだから。
 公爵がブランを憎むのも分かるが、何故わざわざ用もないのに本邸から別邸まで尋ねてきたのか。
 ブラン自身もその点に疑問を持ったが、エミリオの確保が先だと適当に挨拶を終えて使用人から聞いた庭へと出たもののどこにも姿はなく、一通りあちこちを探した結果裏門が開いたままだったと告げた。

「……ファストス公爵に世話になったのは間違いだったかな。母上の身内だからと安心していたのだが……。ブラン、影に公爵の自室の調査をするように頼む。もしかしたら『常世』が出てくるかも知れない」
「御意。もし発見したら如何しましょう、殿下」
「取り敢えず、一部だけ回収して、それが間違いなく『常世』であれば、兄上に報告を。その前に手紙を書くから渡しておいてくれるかな」
「王様と王妃様には」
「それはいい。必要があれば兄上から報告が行くはずだから。一応、さっきの箱は兄上に渡しておいて」
「畏まりました」
「殿下、俺はどうしたら」
「そうだな。これから私も動くから、公爵にバレないように隠匿してくれるかな。最前線だから大変だと思うけど頼む、ノアル」
「はっ!」

 フレデリクは家臣ふたりに指示を出しながら、影に先触れの為の手紙をしたためる。封筒に入れ、温めた蜜蝋を垂らし、指輪にしたシーリングで自身の紋章をしっかりと示す。まだ温もりの残る手紙をブランに渡し「頼んだよ、ブラン」と苦しげな表情で託すフレデリクに、ブランは「お任せください」と言って、いつもと変わらぬ様子で部屋を後にした。

「さて、私も準備をするか」

 独りごちり、フレデリクはクローゼットの片隅の箱からシャツとベスト、冒険者が好むピッタリとしたパンツと編み上げブーツを取り出してさっと身に付ける。
 それから魔法を行使して、髪を国民の多くが持つ藁色に、瞳を空色に変えて鏡を覗き込む。
 流石に容貌までの高等な魔法を使う時間がないため、目と髪の色を変えただけにとどめたが、ある程度は誤魔化せるだろうと判断した。
 腰に愛用の剣を穿き振り返る。

「それじゃあ、行ってくるよノアル。緊急時には、ブランから『鳥』が来ると思うから、準備は怠らないようにね」
「『鳥』ですか?」
「うん、来れば分かると思う。多分、ブランは既に砦にも『鳥』を飛ばして大公にも応援要請を送ってると思うから。じゃあ頼んだよ」
「畏まりました。ご武運をお祈り致します」

 忠臣の形を取って毅然と主を送るノアルに、フレデリクは一瞥した後、扉からではなく窓から身を翻した。
 呆然と見送ったノアルは、フレデリクがまだ滞在しているように偽装し、逸る気持ちを抑えていつものように扉の前に立った。
 内心ではエミリオの行方が分からない事に焦燥感を感じていた。しかし、自分が下手に騒ぎだてれば公爵の耳にも入るだろう。
 別邸の使用人も信用してはいけない。ノアルは身を引き締め、『鳥』が来るのを今かと待つ事にした。


 風魔法を使い庭へと降り立ったフレデリクは周囲を見渡す。見頃の薔薇が咲き誇り、甘い匂いを放っている。これまで何度も公爵邸を訪ねた事があるが、こんなにむせ返る程の薔薇があったかと疑問を持つ。もしかしたら、『常世』の匂いを隠すために強い匂いの薔薇で打ち消そうとしたのだろうか。
 詳細はまだ不明だが、使用している素材の効果か、『常世』の強く甘い匂いはかなり特徴的だ。人によっては周囲に害を与える程香水を振りまいたり、燻した肉を食べたりと、急に生活環境を変える人が増えている。それは平民しかり、貴族しかり。
 本邸と別邸は距離があった為、『常世』の匂いに気付かなかったと悔やむべきか、エミリオに悪い影響がなくて良かったのか、最終的にエミリオが『常世』の餌食にならずに済んで良かったと喜ぶ事にした。

「でも……あまりエミリオの体調が改善しなかったのは、微かでも『常世』の匂いにあてられたのかもしれないね……」

 フレデリクは本邸に冷ややかな一瞥を下すと、裏門のある方へと足を向ける。厩舎から愛馬を連れて行こうと思ったが、下手に動けば公爵の耳に入ってしまうだろう。フレデリクは息を落としてそのまま裏門をくぐり抜けた。
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