あまく、とろけて、開くオメガ

藍沢真啓/庚あき

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藤田彗

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 その知らせは前触れもなく、突然やってきた。

「え!? 憂璃さんが教室にきていない!?」

 静かな社長室に壱岐の声がやけにうるさく聞こえ、椿は書類に向けていた顔を上げ壱岐を注視する。

「壱岐、電話を貸せ」
「は、はい」

 壱岐から携帯端末を受け取ると間髪入れずに「憂璃が居ないとはどういうことだ」と、怒りを含んだ声で相手に問う。

「だから! 下足置き場で憂璃と別れてから、教室にきてないんだってば!」
「わめいてないで説明しろ、彗」

 憂璃の高校入学時からの親友、藤田彗。
 彼は椿の親友の寒川玲司と兄の総一朗に経営学を叩き込んだコンサルタント、藤田花楓ふじたかえでと、寒川家専属医師をしているアルファとの間に生まれた長男で、花楓と椿の母である葵衣とは実の兄弟で、椿にとって彗は従兄弟という関係だった。
 椿が秋槻学園に憂璃を入学させるきっかけになったのが彗の存在だった。

 秋槻学園は小、中、高、大の一貫校であり、広大な敷地を持つ学園都市だった。
 セキュリティもしっかりしており、外部から生徒の送迎をするにもIDカードが必要な、生徒だけでなく保護者の身元も調べた上で入学の可否を決定しているとも聞いている。
 以前、秋槻紘からなにかの折に聞いた時も、希少なオメガとアルファを保護する意味もあると言っていた。

 最初は憂璃を別のオメガ専用の私立高に入学させようとしたのを、そういえば彗が憂璃と同じ歳なのを思い出し、母、葵衣を通じて花楓に連絡を取ったのが発端だ。

『いいですよ、その子の面倒みても。だけど、僕にもメリットがなければ、ただだけしかしませんけど?』

 当時、彗はオメガでありながら、アルファの父以上の頭脳と母以上の美貌を持ち、世の中を斜に見ていた。十六歳と年齢も離れているのもあり、彗にとっては椿のことを尊敬する人物のひとりとして見ていた。
 というより、椿と玲司と桐龍の若頭の三人ひとくくりではあったが。
 このままでは子供らしい子供にならず、結婚もせず、ひとり寂しく死んでしまうのでは、と嘆いた花楓に相談され、それならばひとりのオメガの面倒を見てもらいたい、と打診した次第だ。

 憂璃の奥手ではあるが率直で素直な性格と、身近な人間を大切にする憂璃を気に入った彗は、少しずつ学生らしいようすを見せてくれるようになったと、花楓から直々に礼を言われた。
 その彗は、日中学園にいる間の憂璃のようすを報告するように頼んである。
 アルファの自分では気づけないオメガ同士の些細な変化や小さなできごとなど、彗にはメールで報告させていた。報酬として、将来椿の元で働きたいと言われ、散々悩んだ末に承諾したのだが、本気なのだろうかと不安になっている。
 彗本人の希望と、彼の両親が反対していないので、大学を卒業したら必然的に雇うことになるだろう。椿の会社はオメガも積極的に採用しているので、本人の努力が実れば色んな部署を経験させ、いずれは壱岐の元で教育させればいい。

 閑話休題。

 そんな従兄弟の進路よりも今は憂璃の安否のほうが大事だ。

 珍しく慌てふためく彗の言葉を要約すると。
 憂璃が椿を見送り、その後合流し下足置き場へと行った。これは彗も確認しているから間違いないとのこと。
 始業開始前のチャイムが鳴ったので彗は慌てて教室に向かったものの、すぐに来るだろうと思っていた憂璃が姿を現さず一限目が開始。
 もしかしたら途中で気分でも悪くなったのかと、授業途中で離席しようとしたものの、彗と相性の悪い教科担当だったらしく即座に却下されたため、授業終了と同時にオメガ専用の保健室へと走って行ったそうだ。
 しかし、そこには憂璃はおらず、二限目をサボって学校中を憂璃探索にあてたが、結局発見することは叶わず、こうして椿に電話をしたとのことだった。

「なぜ目を離した」

 責めても仕方ないと分かってはいても、叱責せずにはいられなかった。握った携帯端末がミシリと嫌な音を立てている。

「だ、だって、憂璃についてた椿兄さんのフェロモンが怖かったんだもん。というか、あんなん普通のアルファじゃ近づけないんじゃない? オメガクラスの保護者の中にアルファが何人かいるけど、みんなビクビクして遠巻きに見てたくらいだし」
「じゃあ、それだけ効果があるにも拘らず憂璃はどこに散歩に行ったんだ?」
「だからこっちも探してるってば!」

 気が強いのは母の花楓譲りだが、現状では逆効果である。更にミシミシと端末の外装が軋む音を立てていると。

「カシラ」

 壱岐の掌が上を向き、自分が代わって聞き出すと椿に伸ばされた。買い替えたばかりの端末をオシャカにされるのを回避したいのだろう。
 椿は小さく吐息を落とし、書類が散らばるデスクの上に端末を置き、スピーカーフォンへと切り替える。
 壱岐はわずかに身を乗り出し、端末に向かって相手に穏やかな口調で語りかけた。

「彗さん、壱岐です。落ち着いて聞いてくださいね」
「いきさぁぁぁんっ! 椿兄さんこわいぃぃぃ!」
「はいはい、私が話を聞きますから。ちゃんと答えてくださいね」

 ふん、と鼻息を荒くして、椿は煙草を咥え自分で火をつける。一服でもしていないと、今にも怒鳴ってしまいそうだ。
 本当は彗も椿が憂璃を大事にするあまり、焦って激昂しているのを理解しているのだろう。それは壱岐も感じ取っていて、ゆえに壱岐が対応してくれたに違いない。
 椿同様に彗は壱岐も尊敬に値する部類に入っている──むしろ椿よりも壱岐に傾倒していると言ってもいい。
 昔から壱岐の部下になりたい、と夢を揚々と宣言していたくらいだ。

 椿は横目で壱岐と彗の会話に耳を傾ける。

「高等部の中は全て探されたんですね?」
「うん、職員室にも行ったし、大学部の中にある図書館にも行ったけど、誰も憂璃を見ていないって。というか、椿兄さんがいきなり憂璃にちゅうしてたから、顔真っ赤にして元気だったけど」
「やかましい。余計なことを言うな、彗」
「神聖な学び舎で不埒な行為してたのは椿兄さんじゃん。でも憂璃ね、赤面してたけど嬉しそうだったよ」

 この従兄弟はたまに無駄口を叩くから困る、と椿は釘を刺しつつも目線で壱岐に続きを促す。

「そうですか……。では、質問を変えますね。最近、憂璃さんの周辺で何か変わったことはありませんか?」

 質問の方向を変えた途端、スピーカーの向こうが沈黙に落ちる。通話でも切れてしまったのだろうか。

「彗さん?」
「……これはボクの勘違いかもしれないけど、たまに憂璃から微かにアルファの香りが……した。あ、でもっ、すれ違った時の残り香かもしれないけどっ」
「「っ!?」」

 彗からの情報に椿は壱岐と目を合わせる。
 オメガはその特異性質から、アルファの匂いに敏感だ。故に学園側としては長時間アルファとオメガが同じ教室に滞在できないよう配慮がなされている。
 秋槻学園はアルファとベータの学生棟とオメガの学生棟は高等部敷地の両側に離れて建てられている。オメガの学生棟にはよほどの事情がない限りアルファ学生は近づけないし、そもそも許可自体がすぐに出ないはずだ。
 それに匂いの元に触れない限りは匂いがつくはずもない。

(それなのに、俺以外のアルファの匂いが?)

 憂璃が他のアルファと接触を? と一瞬疑念がよぎったものの、それはすぐに打ち消される。
 今日は目を離してしまったが、基本的には憂璃は彗と行動を共にしている。他のアルファとの接触などまずどだい無理な話なのだ。

(じゃあ、どうやってアルファの匂いをつける羽目に……)

 ふと、そういえば、と春休みが明けてからの憂璃の姿を思い出す。

 憂璃が三年になってからというもの、時折気落ちしているのを度々目にしていた。そのたびに「何かあったのか?」と問うも、無理やり明るい笑みを浮かべては「なんでもないんです」と追求を避けていた。

(もし、謎のアルファの匂いと憂璃の沈んだようすの原因が同じならば……)

「彗」
「な、なに? 椿兄さん」
「お前、そのアルファの匂いに思いたることはないか? ……そうだな、例えば生徒会の人間か……教師か」
「生徒会の人か……教師……うーん」

 唸ったきり再び沈黙が走り、時計の秒針が歩む音がやけに響く中、あっ、とスピーカーから声があがる。何か思い出したらしい。

「どうした?」
「ちょ、ちょっと、椿兄さん、いっぺん確認してから電話かけ直すね!」

 彗は慌てて通話を切断する。一体なんなのだ、と椿と壱岐は顔を合わせた。
 さすがに彗からの折り返しを待つほど呑気な感情にもなれず、椿は秋槻紘に連絡を取り、学校関係者で今日姿を見せていない人物のリストアップを依頼した。
 こちらも仕事あるんですけど、と渋った返答をしてきたものの、彼の実弟が椿の親友の玲司と色々あったらしく、軽く脅しをかけると「分かりました! やればいいんでしょ、やれば!」と半ばキレ気味に叫ぶ声が返ってきた。
 極道が素人に舐められたら終わりである。

 他にも数ヶ所電話をかけ、少しだけ息をつき椅子の背もたれに体を預ける。緊張は解けず頭はずっと回転したままだが、息抜きが欲しいと体が訴えている。

「コーヒーでもお淹れしましょうか?」
「ああ、頼む。できればエスプレッソくらいの濃さがいい」
「胃を壊しますよ」

 憂璃が見つかるなら胃のひとつやふたつ壊れようが構わない。

(……こんなことなら早く番契約をしておけば良かった……)

 そうすれば、こんな遠まわしなことをしなくとも、番の絆で憂璃の匂いを辿り居場所も特定できるというのに。
 番を囲うに有効でメリットも高い契約も、オメガにとってはメリットとデメリットが混在している。
 アルファにとっては唯一を縛るものであると同時にオメガも番以外にフェロモンで誘発することがなくなる。しかし、アルファはオメガの意思に関係なく番契約を解除することができる。
 それは解除されたオメガにとって地獄のような苦しみしかないデメリット部分でもあった。
 椿は憂璃を絶対に手放すつもりはないが、番契約はデリケートな部分を含む。玲司のようにラットになって番を結ぶパターンもあるものの、普通は互いの意思をすりあわせた上で交わされるものだ。

(憂璃を無事に発見できたら、一度打診してみるか。……いや、その前にお互い色々話し合う所から始めないと)

 椿は壱岐が淹れたコーヒーを受け取り口に含む。甘みもなくひたすら苦い中に仄かな酸味と香ばしさが口いっぱいに広がる。
 煮詰めたコーヒーは飲めたものではないが、丁寧にドリップされた漆黒の液体は、ほんの少しだけ焦燥に燻る胸の内を溶かしてくれた。

 ぼんやり情報を待っていても仕方ないと壱岐にせっつかれ、仕事を再開させる。
 先月決算が終わり、その時点で椿自身は総務に税理士へと必要書類の提出を促したり、上役会議をリモートでやり取りしたりと慌ただしかった。
 社員は決算が終わると多少余裕が出てくるもののトップである椿には多忙に多忙を極めている状態だ。決裁が必要な書類が大幅に蓄積し、憂璃が学校にいる間に片付けようと、わざわざ出勤したのだ。
 まさかそれが裏目に出るとは思っていなかったが……

「椿、いくらあなたでも、学校に介入はできないのですから、今回はあなたの落ち度ではありませんよ」

 ふと、宥めるような壱岐の声に、渋っていた顔を上げる。

「正直なところ、私も想定外でした。ついこの間大学部の図書館とはいえ、あんな出来事があったばかりでしたから。もう少し私も用心するべきでした」

 右手にある壱岐のデスクで、目を伏せてカップを見つめる壱岐に、すまない、と自然と謝罪の言葉がこぼれる。
 椿もだが、壱岐も憂璃の行方を心配しているのだ。
 自分の憂いに囚われていて、幼馴染みの気持ちに気づかないでいた。
 しかし、壱岐の言葉でふと、頭になにかがよぎった。

「そういえば、茶咲親子は今どうしてる?」
「茶咲組の元組長と、息子の茶咲真矢のことですか?」
「ああ。特に茶咲元組長の方が知りたい」
「どうして、と聞いても」

 唐突に一個人の話が出れば誰だって疑問に思うだろう。

「昔、俺が茶咲に拉致された時のことを覚えているか?」
「っ、……ええ」

 壱岐が苦い……というより悔恨の顔で頷く。椿にとっては悪夢以外のなにものではないが、それは壱岐にとっても同じのようだ。

 椿はカップを机に置き煙草を咥えると、すかさず壱岐が火をつけてくれる。くゆる紫煙は甘く楓蜜を思わせるが、それは椿の秘密を隠すために必要になったものだった。
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