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幻想と真実を追う者
【15】幻影を追う者(2)
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「颯唏様!」
大臣は失言だと叱咤する。
颯唏は迷う。目的のためならどんな犠牲も厭わないと決めてきたはずだった。琉倚に会うまでは。
けれど、大臣をここで言いくるめられない以上、きれいごとだけでは乗り越えられない。腹を括ろうとした、そのとき、
「わ、私は」
琉倚が呟く。
颯唏が力をゆるめて琉倚をのぞき込むと、震えながらうつむく琉倚ははっきりと主張する。
「私は、颯唏くんとは……結婚しない」
小刻みに震える琉倚に、颯唏の力はスルリと抜け落ちた。琉倚の瞳は大臣を見ていて──まるで、助けを求めるように涙をたっぷりと浮かべていた。
琉倚から手が滑り落ちた颯唏に、言い難い胸の痛みが走る。瞳が潤んだ。くずれゆく颯唏は、そのまま顔を伏せてひざまずき誓う。
「俺は断じて諦めません。貴女が認めてくれるまで……何日でも通い続けます」
涙は引かなかったが、颯唏は琉倚を見上げる。琉倚の視線は下がっていたが、颯唏を視界に入れまいと頑なに拒絶していた。
帰路は、颯唏の方が重い空気をまとっている。撃沈だ。琉倚を救いたいと願い、一瞬でも自らの動きによっては救えるのだと高を括った。どれほどおごり高ぶっていたか。己の傲慢さを思い知った。
颯唏にとって琉倚は必須だ。あれほど嫌われたのなら、とにかく、次の一手を考えなければならない。
意気消沈している姿に、大臣がため息交じりに話しかける。
「颯唏様、ご結婚したい……なんて、聞いていませんでしたよ」
己の過失だと言い放つ大臣に、颯唏はゆっくりと視界を上げる。
「大臣」
鴻嫗城まで、あとどれほどあるだろう。大臣の言った通りだ。長居をするような場所ではなかった。
「帰城したら、話がある」
颯唏は一言だけ言い、口をつぐむ。悪路が、体調不良に輪をかける。
「かしこまりました。……大丈夫ですか」
「大臣こそ。……忠告は受けた。自己責任だ」
颯唏の早まる呼吸と、大臣のため息が混じり室内の空気をより重くする。老体の大臣だが、基礎体力は予想通り化け物並みらしい。ずっと剣に勤しんできた颯唏が追い付かないほど。
颯唏と同年代のとき、大臣は、沙稀は、──その、そもそもの基礎が違いすぎるのだ。
恐らくは琉倚も。涼舞城の末裔として、沙稀の婚約者として、どれだけの鍛錬を積んできたことか。琉倚に力では勝てると踏んでいたが、力勝負を挑んだなら颯唏は負けていたかもしれない。
悪路が舗装された道になり、颯唏の容態が徐々に落ち着きを取り戻す。窓から見える鴻嫗城に安堵する。所詮は温室育ちだと、なぶられた気分だ。
馬車が見慣れた光景で止まり、大臣が降りる。伸ばされた手を取らずに颯唏は地に足をつけた。
「これから……いいか?」
「はい」
背筋を伸ばし、颯唏は城内へと歩く。羅凍も轢も、姉まで迎えに来てくれていたが、颯唏は疲れた笑みを浮かべるしかできなかった。
紫紺の絨毯を避け、淡々と歩く颯唏のあとに従い歩く大臣は、途中から行先に気づいただろう。
「まさか……なぜ……」
戸惑いが隠せないのは、当然だと颯唏は大臣に共感する。颯唏にだって、なぜあんな夢を見たのかと、疑いながら追った日を忘れたことがないからだ。
鍵を取り出し、開錠する。見なくても大臣の表情は伝わってくるから、颯唏は見ずに足を進める。
すぐに付いてくる気配がなくても心配ない。
大臣は知っているはずだし、付いてくるしかないのだから。
颯唏が足を止めた先は、紗如と唏劉の描かれた絵画が掲げられている場所。『始まっている』と大臣に告げるには、これ以上に相応しい場所はない。颯唏が絵画を見上げていると、大臣が入りづらそうに顔を出した。
颯唏には、この絵画に用はない。ちいさな机の前へと向かう。
「俺は、涼舞城を再建したい」
「どういうことですか?」
暗く沈んだままの颯唏の声に、大臣は真意を問う。正面の窓を見つめていた視線を、おもむろに下げる。机の引き出しを開け、大金を次々と出していく。
すべて並べたころには、すっかり机の上を占領するほどになっていた。
「これで涼舞城の跡地を購入する。あの塔に関しても同様だ。そうすれば、琉倚姫を見ている使用人だって、それなりの生活には困らないはずだ」
大臣の近づく足音が響く。疑問を抱えて当然だろう。颯唏は机の上が見やすいように、あえて体を避けた。
「これは……どうしたのですか?」
容易に揃えられない大金だ。とても颯唏ひとりでどうにかできる金額ではない。大臣が工面しようとしても、難しい金額だろう。いくら温室育ちの颯唏でも、そのくらいはわかる。だからこそ、颯唏は打ち明ける。
「父上の遺した物だよ」
颯唏の重い告白に、大臣は首を横に振る。
「沙稀様は何も。恭良様も知らなかったのでは……」
「だろうね、誰にも言ってない」
「颯……唏、様?」
「やり残したことを、俺はしなくてはいけない」
クロッカスの瞳は、強い悲しみを帯びている。腰まであるクロッカスの髪が、柵のように見えた。
大臣は失言だと叱咤する。
颯唏は迷う。目的のためならどんな犠牲も厭わないと決めてきたはずだった。琉倚に会うまでは。
けれど、大臣をここで言いくるめられない以上、きれいごとだけでは乗り越えられない。腹を括ろうとした、そのとき、
「わ、私は」
琉倚が呟く。
颯唏が力をゆるめて琉倚をのぞき込むと、震えながらうつむく琉倚ははっきりと主張する。
「私は、颯唏くんとは……結婚しない」
小刻みに震える琉倚に、颯唏の力はスルリと抜け落ちた。琉倚の瞳は大臣を見ていて──まるで、助けを求めるように涙をたっぷりと浮かべていた。
琉倚から手が滑り落ちた颯唏に、言い難い胸の痛みが走る。瞳が潤んだ。くずれゆく颯唏は、そのまま顔を伏せてひざまずき誓う。
「俺は断じて諦めません。貴女が認めてくれるまで……何日でも通い続けます」
涙は引かなかったが、颯唏は琉倚を見上げる。琉倚の視線は下がっていたが、颯唏を視界に入れまいと頑なに拒絶していた。
帰路は、颯唏の方が重い空気をまとっている。撃沈だ。琉倚を救いたいと願い、一瞬でも自らの動きによっては救えるのだと高を括った。どれほどおごり高ぶっていたか。己の傲慢さを思い知った。
颯唏にとって琉倚は必須だ。あれほど嫌われたのなら、とにかく、次の一手を考えなければならない。
意気消沈している姿に、大臣がため息交じりに話しかける。
「颯唏様、ご結婚したい……なんて、聞いていませんでしたよ」
己の過失だと言い放つ大臣に、颯唏はゆっくりと視界を上げる。
「大臣」
鴻嫗城まで、あとどれほどあるだろう。大臣の言った通りだ。長居をするような場所ではなかった。
「帰城したら、話がある」
颯唏は一言だけ言い、口をつぐむ。悪路が、体調不良に輪をかける。
「かしこまりました。……大丈夫ですか」
「大臣こそ。……忠告は受けた。自己責任だ」
颯唏の早まる呼吸と、大臣のため息が混じり室内の空気をより重くする。老体の大臣だが、基礎体力は予想通り化け物並みらしい。ずっと剣に勤しんできた颯唏が追い付かないほど。
颯唏と同年代のとき、大臣は、沙稀は、──その、そもそもの基礎が違いすぎるのだ。
恐らくは琉倚も。涼舞城の末裔として、沙稀の婚約者として、どれだけの鍛錬を積んできたことか。琉倚に力では勝てると踏んでいたが、力勝負を挑んだなら颯唏は負けていたかもしれない。
悪路が舗装された道になり、颯唏の容態が徐々に落ち着きを取り戻す。窓から見える鴻嫗城に安堵する。所詮は温室育ちだと、なぶられた気分だ。
馬車が見慣れた光景で止まり、大臣が降りる。伸ばされた手を取らずに颯唏は地に足をつけた。
「これから……いいか?」
「はい」
背筋を伸ばし、颯唏は城内へと歩く。羅凍も轢も、姉まで迎えに来てくれていたが、颯唏は疲れた笑みを浮かべるしかできなかった。
紫紺の絨毯を避け、淡々と歩く颯唏のあとに従い歩く大臣は、途中から行先に気づいただろう。
「まさか……なぜ……」
戸惑いが隠せないのは、当然だと颯唏は大臣に共感する。颯唏にだって、なぜあんな夢を見たのかと、疑いながら追った日を忘れたことがないからだ。
鍵を取り出し、開錠する。見なくても大臣の表情は伝わってくるから、颯唏は見ずに足を進める。
すぐに付いてくる気配がなくても心配ない。
大臣は知っているはずだし、付いてくるしかないのだから。
颯唏が足を止めた先は、紗如と唏劉の描かれた絵画が掲げられている場所。『始まっている』と大臣に告げるには、これ以上に相応しい場所はない。颯唏が絵画を見上げていると、大臣が入りづらそうに顔を出した。
颯唏には、この絵画に用はない。ちいさな机の前へと向かう。
「俺は、涼舞城を再建したい」
「どういうことですか?」
暗く沈んだままの颯唏の声に、大臣は真意を問う。正面の窓を見つめていた視線を、おもむろに下げる。机の引き出しを開け、大金を次々と出していく。
すべて並べたころには、すっかり机の上を占領するほどになっていた。
「これで涼舞城の跡地を購入する。あの塔に関しても同様だ。そうすれば、琉倚姫を見ている使用人だって、それなりの生活には困らないはずだ」
大臣の近づく足音が響く。疑問を抱えて当然だろう。颯唏は机の上が見やすいように、あえて体を避けた。
「これは……どうしたのですか?」
容易に揃えられない大金だ。とても颯唏ひとりでどうにかできる金額ではない。大臣が工面しようとしても、難しい金額だろう。いくら温室育ちの颯唏でも、そのくらいはわかる。だからこそ、颯唏は打ち明ける。
「父上の遺した物だよ」
颯唏の重い告白に、大臣は首を横に振る。
「沙稀様は何も。恭良様も知らなかったのでは……」
「だろうね、誰にも言ってない」
「颯……唏、様?」
「やり残したことを、俺はしなくてはいけない」
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