記憶の呼ぶ声がする~怪異と使命と消えた過去と、全部諦めきれなくて~

白湯の氷漬け

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スーツの男

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 案内されるがまま本殿に入る。ひんやりとした空気が満ち、足元の木が、ぎし、と軋んで音を立てた。
 橙山は辺りを警戒しつつ、モツレンサマがいかに素晴らしい存在か先ほどから喋ってやまない巫女をちらと見た。頬が薄く染まっているように見える。

「──さて、こちらです。よろしいですか」

 大広間の一番奥に、金色の装飾で埋め尽くされた、仰々しい両開きの扉があった。巫女は取っ手に手をかけ、橙山のほうに振り向いてそう言った。巫女の薄い口から舌がのぞき、ちろ、と下唇を舐めたのが見えた。
 息を吸って腹に力をためる。覚悟を決めて、それを出さないように眉を下げて、ひとつ頷いた。

「お願いします」

 ゆっくりと扉が開かれる。中の暗闇に光が差し込んでいき、木目が朝日であらわになっていき。

 そこには何も入っていなかった。

 一陣の風が吹き抜ける。橙山の頬をかすめ、その冷たさに鼻の奥が傷んだ。どくん、と心臓が鳴る。喉がつぶされるようだ、息が荒くなり、足元から空気がすうっと冷えていく。

「あら──なさったの──か──」

 巫女が何か言っているが分からない。景色が歪んで、沈んで、暗くなっていく。
 鞄の中に手を伸ばす。かは、と喉から息が漏れる。

 錠剤が見えた、あと少し、あと少し──。

 プチっと出した瞬間、腐ったレモンのような匂いが鼻を突いた。


───


 人けの無さに笹井は焦っていた。うろうろと辺りを歩いてみるが誰も見つからない。
 焦って辺りを見渡して、目を凝らして遠くを見た。
 あ、と口が開く。公園のベンチに、黒いスーツの男が座っているのが見えた。意気揚々と走っていくと、顔がこちらを向いているのに気づいた。驚いて急停止すると、彼は笑って手招きした。

「ああ、驚かせて悪いね、つい気になって」

 ベンチをとんとんと叩かれ、隣に座る。
 ネクタイはしておらず第二ボタンまでシャツが開いていた。二十代……だろうか、サングラスで顔が隠れてよく分からないが。

「こんにちは、えー、モツレンサマってご存じですか」
「ああ、よく知ってる。吸っても?」
「あ、はい」

 スーツの彼は慣れた手つきで煙草を取り出した。箱がくしゃくしゃにつぶれている。

「吸い始めたキッカケは、けっこう真面目な理由だったんだけどね。今じゃ、無いとダメになってしまった」
「真面目な理由で吸うんですか」
「そうだよ。魔除け。君の言った、モツレンサマのね」
「その神様について教えてください。何でもいいんです」

 ふーっと吐き出された煙が青空に溶けていく。笹井はその静寂の間に、スーツの男が「魔除け」と言ったことに気づいた。つまり、神様ではなく、忌避するものとして認識しているのだろうか。

「いいよ」

 スーツの男が内ポケットから四つ折りの紙を取り出した。人差し指と中指で挟み、ピッ、と差し出してくる。

「こんな人たちがいるんですよ。会いに行ったらいい。じゃ」

 受け取るや否や彼は立ち上がり、背を向けて歩き出してしまった。

「あの、ありがとうございます!」
「はーい」

 ひどく間の抜けた返事に、笹井は力が抜けてしまった。紙を開くと地図が書いてある。
 一つの角が塗りつぶされており、線を引っ張って漢字二文字が書き記されていた。

(『七條』……しちじょう?)
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