ダメ忍者に恋なんてしない

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主従のチョコレート

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「あ、もうこんな時期かぁ……」
 もう寝る以外やることが無くなった夜更け、ひなかはふとスマホのカレンダーを見て思い出す。今日の日付は2月13日。明日はバレンタインデーだ。
(朝に友チョコ買ってくか……)
 女子校なのであげる相手などいないが、友チョコをやり取りする風習が近年ではある。とはいえ、そんな気合の入ったものではなく袋入りのチョコ菓子をシェアするというのが大半なのだが。
「んん……」
 相手、と考えてリビングの隅で立ったままあやとりをしている鼓のことを思い出す。非常に眠そうな様子であるが、決してひなかより先に眠ることなく、ソファが開いていても座らない。
 ひなかの先祖に仕えていた忍者、というのはどうも態度を見る限り本当らしい。しかし今時、こうも明白に主と自身を差別化することに何の疑問も抱かず実行しているのは不思議でもあった。
 初めて遭遇した時も今着ている柿色の着物を身に着けており、履物も草鞋であったりと現代日本の社会常識とは異なる軸で生きていたかの様な態度が散見される。とはいえ今の社会通念を積極的に否定しているわけではなく、ひなかの役に立とうと家電の扱いを習得する、洋服に慣れようとするなどはしている。
 それでも眠る時はいつもの服がいいらしいのだが。
「ん?」
 ぼんやりと考え事をしていると、カタカタと窓枠が揺れて音を出す。そして、遅れる様に大地全体が大きく横へ揺さぶられる。地震の様だ。なかなか大きく、震源ではもっと揺れただろうし津波も心配だ。
「んー、こんな時に限って来ないんだから……」
 ひなかは音沙汰の無い緊急地震速報に不満を漏らす。いつもは誤作動や全然何ともない地震に反応してモルモットの様にプイプイ鳴いているのだが、直撃を貰う時ばかり沈黙を貫いている印象だ。
「鼓?」
 一応家に被害が無いか辺りを見渡すと、何も倒れてはいなかったが鼓が座り込んで頭を抱えている。
「な、なんですか今の……」
「何って、地震だけど?」
「地震? どこかで大ナマズでも暴れていたんですか?」
 確かに大きな地震であったが、ここまで驚くことであろうかとひなかは呆れる。加えて地震の原因がナマズだという迷信を真に受けている有様。
「ナマズ……」
「ああそうだ忍として主殿を守らねば……」
 一つ遅れて鼓は任務を思い出し、ひなかを守るべく行動を起こそうとする。しかし、足が震えてしまって立ち上がることすら出来ないでいた。
「ちょっと、大丈夫?」
 ひなかは雷も害虫も平気な方なので平然としているが、決して鼓の脅え具合を大袈裟とは思えなかった。怖いものは怖いという話はよく聞くことに加え、思い返せば彼女が小さい頃からこの国では大きな地震が絶えず、慣れてしまったというのもある。
「だ、だだだ……大丈夫です、忍ですので……」
「いや、忍かどうかは多分関係ないと思うけど……」
 怪我したり熱を出したりした時、鼓は我慢しがちであった。それも自分が忍者だからという不明瞭な理由で大丈夫だと言い張って。
「あ、主殿は安心してお休みください、もし何かあれば拙がお守りいたします故……」
「いや、あんたも寝なさいよ。もし本震があって避難しなきゃいけない時、寝不足だとマズイっしょ?」
 いつも自分に構わず寝る様にひなかは言っているのだが、今日ばかりは徹夜しかねないので敢えて指示を出す。
「ほん……しん?」
「ああ、今の地震が前兆で本番の揺れが後から来るかもって話。まぁ震源からして大丈夫だけど気を付けておくことに……」
 本震、余震の概念を知らないと思われる鼓にひなかは説明するが、彼の顔を見て余計なことを言ってしまったと後悔する。みるみる青ざめて捨て猫の様に震え出すのだから、教えない方がよかったかもしれない。
 かと言って無責任に来ないとも言い切れないのが事実。
「あー、もう……。命令、その本震に備えて寝れる時に寝ときなさい。私のことは気にしないで。ちゃんと揺れても死なない様に対策くらいしてるから」
 一応家の地震対策はバッチリ。枕元に懐中電灯もあるのであとはスリッパを置いておくだけだ。とりあえず命令という形で無理にでも寝る様に鼓には言い聞かせる。
「は、はい……それではおやすみなさい……」
 相変わらず頼りにならない忍者が心配になりつつ、明日も学校なので寝ることにした。

   @

 バレンタインデー、それは女性が意中の男性にチョコレートを渡して愛を伝える日、ということになっている。しかしこれは製菓メーカーのマーケティングであり、売り上げが陰る度にやれ義理チョコだ友チョコだと話を広げていった。
 とはいえ昨夜の地震はよほど大きかったのか、そんな浮ついた話はどこへやら。鼓もあの後、寝ることを意識し過ぎたのかそれとも地震の恐怖で眠れなかったのか朝には寝不足でフラフラだった。
(家事もそこそこに昼寝してくれたらいいんだけど……)
 割と夜遅くまで起きて何かの練習をしている鼓は普段から睡眠不足が疑われているので、ひなかはそんなことを思う。だが変に彼は真面目なのでそんなことしないだろう。
「で、ひなかはあげるの?」
「何を?」
 ひなかはクラスメイトに茶化す様な口調で聞かれた。彼女にチョコレートをあげる様な相手はいないはずである。それに、他者へ周知される様な片想いもしていない。友チョコ交換も済んでバレンタインのミッションは全て終わったところだ。
「ほら、いるじゃない。うちに専業主夫の旦那さんが」
「え? まさか鼓のこと?」
 家にいる男、と聞きひなかは鼓のことだと察知する。確かに家事方面では世話になっているが、チョコを渡す様な間柄ではない。義理では渡すだろうが、本命という感じはしない。
「それ以外誰がいるのよ。同棲しているくらい仲がいいのに」
「いや、別に好きで同棲しているわけじゃ……」
 一緒に暮らしてはいるが、それも現代日本の常識も無いくらい山奥から出てきて、どうも帰る場所もないらしきあのダメ忍者が不憫で家に上げているだけなのだ。あれを街中に放置していては何をやらかすか分からない。
「またまたー、今時あんな誠実で真面目な子ってだけで珍しいのに、おまけに可愛い顔してる優良物件見逃す手はないでしょ」
「えー……」
 ひなかはなぜ鼓がこんなに周囲からの評価が高いのか分からなかった。みんなも彼の様子は知っているはずである。確かに顔立ちはいいし真面目ないい子だが、いろいろと目が離せず危なっかしい。外野で見ている分にはそこも可愛いんだろうけど、身内にいると昨日の様に気苦労が絶えない。
 どうしようもないクズだから苦労する、というのなら見捨てられる。だが本人が大真面目な頑張り屋な上で出来損ないなのだから捨ておくのも気が引けるというもの。
「そんなに興味ないなら私が貰っちゃおうかなー……」
「どうぞどうぞ。あいつが行くとは思わないけど」
 恋の鞘当てにもひなかは無関心であった。鼓の側も、女に言い寄られて普通の男子らしい反応をするか分からない。そのくらいには今の常識が馴染んでいない奴なのだ。

 その日の帰り、ひなかはコンビニに寄った。最近はコンビニでも見劣りしない贈答用のチョコレートが売られる様になった。中身の味は専門店と比べてどうなのかひなかには分からないが、決して安っぽかったりマズかったりはしない。こういうのは見てくれがしっかりしているというだけでもかなり有用性があるのだ。
 とはいえ単価が高いので高校生の友チョコには相応しくない。
「チョコかぁ……」
 チョコの棚を見て彼女は思う。鼓のことは悪く思っているわけではない。ただ、恋愛対象としては見られないというだけだ。見ていると胸がざわつき、落ち着かなくなるが、それは何かやらかさないか心配なだけで別に恋愛感情ではない。ではないはずだ。
「……」
 普段家のことをしてもらっており、お世話になっているので義理にくらい送ってもいいかもしれない。だが、鼓はチョコが苦手でなかっただろうか、あれだけ山奥に住んでて甘い物に耐性があるのか、虫歯になったりしないかと心配になってしまう。
「どれがいいかな……」
 実際パッケージが違うだけで中身は似た様なものだろうが、ついつい考え込む。渡したらどんな反応をするのだろうか。こういう風習はおろか、誰かから、それも仕える相手から何か貰うという経験をしたことがあるのだろうか。
 チョコを一つ選び、買って帰るひなか。帰った時に自宅が明るくなっているなどいつぶりだろうか。それも毎日こんな状態というのは非常に珍しい。
「ただいまー」
「おかえりなさいませ」
 いつもの様に、ひなかの帰りを察知して玄関で待っている鼓。流石に山から下りて来た時の着物ではなく、柿色のトレーナーをひなかの父から借りて着ているが、彼は小柄なので袖が余ってしまっている。袖から覗く左手は木で出来た義手になっており、そこにお玉を掴んでエプロンを身に着けた姿は新妻にも見える。
 もう慣れたが、確かに可愛い顔をしている。しすぎてどっちかというと同性に見えて時々男だということを思い出すくらいだ。
「あ、お魚焦がしちゃう!」
 魚のことを思い出し、鼓は慌てて台所へ戻る。最初はコンロの概念さえ知らなかった男が、今や魚焼きグリルの底に片栗粉を解いた水を敷いて汚れを防ぐ程度になっていた。
「ふぅ、間に合った」
 前は靴下履いてフローリングを走るだけですっ転んでいたのに、ぱたぱたとスリッパで駆け付けるのにも慣れた様子。
「今日は上手く出来ているといいんですが……」
 少し自信なさげに言う鼓であったが、コンロを覚える前から料理は薄味な以外上手であった。この家はオール電化なので彼がヘマして家が燃える心配はないが、昨晩の地震みたいなことがあると電気一本は少し不安を感じないでもなかった。
(まぁ、こいつがいれば火くらい起こしてくれるし大丈夫か……)
 だがこういう時にこそ鼓の出番。電気はもちろんガスも水道も無いところに住んでいたのか半ばサバイバル技術じみたことを当たり前にやってのける。
「さて、ご飯にいたしますか? お風呂にいたしますか?」
「……」
 毎日繰り返されている問答であるが、「それとも私?」がないだけで新婚さんのそれである。多分無意識なのだろうが、もう見た目のせいで完全に新妻だ。
(よく考えたら私得体の知れない男を家に上げてるのよね……?)
 顔立ちと無害さで忘れていたが、防犯的には迂闊もいいところである。もちろん全く知らない状態ではない上に、危険が無いことを確認しているのだが。
「ご飯」
「はい、かしこまりました」
 とはいえ帰宅して家事をしなくていいとなると快適さが違う。ぼんやりと僅かな間に覆った日常を振り返っていると、カタカタと何かが揺れる音がする。
「地震?」
「……余震かな?」
 相変わらずひなかは落ち着いていたが、鼓は慌てて構える。昨夜もこんな感じであった。あまり慣れ切って危機感を失ってもマズいだろうが、彼の様に慌てふためいてもダメだろう。
「おお、大きいね」
 そして本格的な揺れに襲われる。鼓のことが心配になったひなかであったが、彼を探そうとした瞬間、何かに包まれて姿勢を低くされる。
「え?」
 なんと鼓が彼女を抱きしめ、屈んでいたのだ。密着すると分かるが、恐怖で胸の鼓動は破裂しそうなほど激しく、スピードも上がっている。歯の音が合わないほど震えているのも伝わってくる。
「こ、今度こそ……拙がお守りしますので……」
 自分が怖いのを我慢して、ひなかを守ろうとしているのだ。方法が間違っているのが彼らしいが、思いだけは伝わってくる。
(ていうか初めて異性に抱きしめられるのがこれって……)
 相手はよく分からない自称忍者で、男らしさは外見から性格まで一切ない。抱き方も優しく包み込む様なものではなく、むしろ痛いくらいしっかりホールドされてしまっている。だが、鼓はいつも懸命なのだ。結果はともあれ。
「もう収まってるから……」
「ああ、失礼いたした!」
 地震が止まったのを伝えると、鼓は咄嗟に離れる。本当に騒がしい男であった。
「あ、そうだ忘れるところだった」
 地震のせいですっかり頭から抜けていたが、ひなかは鼓に買って来たチョコレートを渡す。
「はい、今日バレンタインデーでしょ?」
「ばれんたいんでい?」
 彼がこの風習を知らないことについては全く予想通りであった。
「女性が普段世話になってる男性にチョコ渡すの。なんだかんだ家事してくれて助かってるからね」
「……」
 鼓は脳の処理能力が追い付かないのか、フリーズしていた。ひなかはそんな彼をみかね、義手の左手を持ち上げてチョコを掴ませる。
「ま、そういうことだから。義理よ、義理」
「あ……ありがたき幸せ……まさか主殿から……誰かから贈り物を賜る日が来るなんて……」
 鼓は泣きそうになりながらも微笑んだ。他人から何かを貰う経験がないなど、山から下りてくる前は一体どんな生活をしていたのだろうか。
(こいつが何なのか分からないけど……どこか落ち着ける場所があるといいかもね……)
 ひなかもまさか彼をこのまま置いておこうとは思っていなかった。同年代にも見えるので、どうにか素性を洗って然るべき保護を受けさせたいと考えていた。こんな変なバレンタインは今年限りだ。ひなかはそう思いながら、この日を終えるのであった。
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