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2田舎忍者の笛太鼓
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「どっと疲れた……」
ひなかは通学だけで途方もない疲労感に襲われた。鼓が付いてきているのは分かるのだが、全く気配がしないせいで言った通りに隠れているのか、外から見たらガバガバなのかもうわからないので気苦労が絶えない。
学校に来てから授業中もどこで鼓が待機しているのかが気になり過ぎて授業に集中できないでいた。忍者を侍らせるのも楽ではない。昔のお殿様は毎日こんな感じだったのだろうか。いや、慣れてしまえば案外どうということはないのかもしれない。
ひなかの通う学校は女子校である。特にお嬢様学校、という趣や特殊性はない。マジのお嬢様学校だとミッション系とか言ってキリスト教が絡んでいたり、挨拶がごきげんようだったりするらしいがここはそんなこともない。
かと言って、異性の目が無くなった瞬間にボロが出ると言った荒れ具合も無いのがこの学校だ。女子校というのは創作物で語られるほど綺麗ではなく、結構夢が砕かれると聞いていたひなかは少し覚悟していたがこの一年結構平和であった。
この一年は……鼓が来た向こう二年はどうなるのか分からないが。そもそも本当に住み着くつもりなのだろうか。疑問は絶えない。
「どうしたの?」
「いや……何というか……」
クラスメイトにも露呈するくらいの疲弊ぶりだったらしい。しかし突然山から忍者が降りてきて仕え出したと言って信じて貰えるのだろうか。とはいえ、一人で抱えるには不可思議過ぎて疲れるのも事実。
百聞は一見にしかず、とひなかは鼓を呼ぼうとする。だがふと思い出す。ここは校舎の三階だ。一年生は大体どこの学校でも校舎の辺境へ追いやられる宿命。
まぁ忍者だし大丈夫だろうと彼女は鼓を呼び出すことにした。
「鼓―」
どうやって呼んだらいいか分からないがとりあえず名前を呼べば来るだろう。
「何か御用……」
鼓は予想通りやってきた。三階だというのに窓の外に飛び上がってきており、そのまま教室へ突入しようとする。だがひなかは忘れていた。この教室には暖房が効いており、その暖気を逃がさない様に窓が締め切られているということを。
「でっ……」
それに気づかず鼓はガラスにぶつかって鼓は下に落ちる。
「え……?」
「つ、鼓―!」
どこから来るか分からなかったが、まさか窓ガラスを知らないとは。いや知っていても彼ならうっかりぶつかりかねない。
窓を開けて下を見ると、鼓が地面に落ちていた。血が流れていないし蠢いているので多分大丈夫だろうが、心配になってひなかは下まで降りて安否を確認しにいった。
「ちょ……大丈夫?」
「こ、このくらい……しかし奇怪な窓ですね」
鼓はふらりと立ち上がる。かなりダメージが残っているのか、足元が覚束ない。三階から落ちたので立っているだけでも不思議ではある。
「大丈夫? 救急車呼ぶ?」
「きゅうきゅうしゃ?」
クラスメイトが自然と発した単語に彼は首を傾げる。まさかとは思うが、そんな知識もないのだろうか。
「……まさか知らないんじゃ……」
「あの……恥ずかしながら……」
「救急車ってのは病院まで運んでくれる車のことだよ」
ひなかが頭を抱える中、クラスメイトが説明しても鼓にはまるで理解が及んでいなかった。
「びょういん……くるま……」
「とにかく、お医者さんのとこに行かなくていいのかって話」
彼の文明レベルで医者が通じるのか不安になりつつ、ひなかは聞いてみた。
「あ、いえ、そのきゅうきゅうしゃやびょういんはよく分からないのですが、大丈夫です。拙の様な忍に医者など……」
「あ、通じた。ていうかあんな高いところから落ちたんだから頭打ってないか見てもらいなさいよ」
昨日も極寒の中、濡れたまま一晩外にいた彼のことだ。また強がっているといけないと思いひなかはスマホを取り出して救急車を呼ぼうとする。この調子では先に黄色い救急車が必要になりそうなのだが。
「いえ、頭は打っていないです。受け身取ったので」
「受け身って……そんなんでどうにかなるレベルじゃないでしょこれ」
「いえ、本当に拙は大丈夫ですので……」
議論は平行線。クラスメイトが仕方ないので、彼を保健室まで押していく。
「とりあえず保健室で応急処置くらいしましょ。それならいいでしょ?」
「あの……ほけんしつとは?」
「まぁまぁとにかくとにかく」
鼓は保健室へ連行されることとなった。このまま放っておくわけにもいかないので、ひなかとしては都合がいい部分もあるので止めはしない。
「なんか部屋干しみたいな匂いするよ?」
「し、失礼いたしました! 部屋干しが何だかはともかく、着た切り雀に加えて沐浴も出来ていない故……」
「ねぇ? 一体この子どういう子?」
そこでようやくクラスメイト達が根本的な疑問に至る。それはひなかも聞きたいところであった。なんと言えばいいのか、説明する言葉が浮かばない。
「なんか昨日……急に先祖に仕えていたとか言ってきて……」
「え?」
「どゆこと?」
当然の反応が返ってくる。予想通りであった。
「その、主殿は拙の仕えていた一族の末裔でして……それで拙も当然お仕えするのが義務でして……」
あれ? そんな話だっけ、と思いながらひなかは聞いていた。なにせ存在が滅茶苦茶なのでどうしようもない。
「ああ……そうするとお見苦しいところを……主殿の沽券に関わる……」
「いや巻き込まないで」
勝手に貰い事故で恥をかいたことにされたひなかは即座に否定する。
「なんか面白い子ね」
「シャワーくらい使って行きなさいって」
「当事者は大変なんだって……」
クラスメイト達は面白がっているが、絡まれた本人はいい迷惑である。ご先祖様はこんなダメ忍者一族を囲っていたのか、それとも鼓が突出してダメなのか。おそらく後者だと願いたい。
保健室に着いたクラスメイトは、養護教諭の先生がいるにも関わらず堂々と部外者を連れて入る。この学校の養護教諭はみんなからの信頼も厚いおばあちゃん先生である。
「センセー、この子が怪我したから色々借りるね」
「あら、どちら様?」
「忍者なんだって」
部外者を警戒せねばならないはずの大人がこれである。当の鼓がよく言えば無害、悪く言えば何も出来なさそうに見えるのが大きいだろうが、もうちょっと警戒してもいいのではないだろうか。
手当の為にクラスメイトは鼓の服を脱がせようとする。
「とりあえずぶつけて痛いでしょ。怪我してないかみたげる」
「いえ、本当に拙大丈夫なので……」
固辞する鼓に、養護教諭が微笑んで語り掛ける。
「男の子だもの、女の子の前で脱ぐのは恥ずかしいわねぇ」
「え? 男なの?」
クラスメイト達は何をどう見たのか分からないが、鼓を女の子だと思って接していた。確かに見えないこともないが、ちゃんと鼓は男だ。それはひなかにも分かっていた。
「いえ、そうなんですが……忍ですので……自分の怪我は自分で治します」
「何か持っているの?」
「この程度なら日にち薬です」
三階の高さからアスファルトに落ちたのを放置すると言い張るので、流石のひなかも見捨てては置けなかった。
「いいから、傷見せる」
「あああっー! いけません主殿!」
着物の上をはだけると、骨が浮き出た痩せた身体に青痣や大きな傷跡がいくつも残っていた。左腕は義手と生身の境目に布が巻いてある状態だ。脱がせてみて改めて分かったが、肝心の着物もかなり薄手のものである。
「これ落ちた時の怪我?」
「いえ……これは前から」
「ほら全然日にち薬なんて聞いてないじゃない」
あの落ち方では打たない場所にも痣があったので、ひなかは何か彼が隠しているのを悟りはしたが敢えて聞かなかった。
「さて湿布……の前に身体拭かないと……」
彼女はてきぱきと洗面器とタオルを用意し、手当の準備をする。それを見た鼓は止めようとするが、クラスメイト達にベッドへ座らされてしまう。
「あの、本当に拙大丈夫なので主殿のお手を煩わせるなど……」
「別に私主になったつもりないから、気にしないで」
主従ではないのだからそんなこと気にするな、というつもりで言った言葉であったが、彼には別の意味に聞こえたのか俯いて黙ってしまう。
「望月さんは対等なお友達になりたいのよ。そうでしょう?」
すかさず養護教諭がフォローを入れる。それでも何か価値観が根本から違うのか、鼓は思いつめた様子であった。
「拙ごときと対等など……」
しょぼくれる彼を無視して身体を拭き始める。手に触れると、その弱々しさが目立つ。骨の凹凸がタオル越しに伝わるほどだ。
「……?」
妙に自己肯定感が低いところがひなかには気になった。このドジっ子ではあまり褒められた経験がないのだろうが、平均から見て跳びぬけて無能というわけでもない。運動能力は忍者を自称するだけのものはあり、主だからだろうが大人数の不良に立ち向かう勇気もある。なにより一晩、あの寒い中で言われた通りに待っている誠実さも持ち合わせている。
「火傷してる……」
「それは……斬られたので止血のために……」
「止血?」
身体にある火傷について聞くと、とんでもない答えが返ってくる。
「お恥ずかしい……忍が斬られるなど……」
「止血で火傷ってどういうこと?」
「いえ、ほら傷を焼けば血が止まるので」
鼓は本格的な忍者ごっこというわけではない様だ。本当にあらゆる部分が現代人と違う感性や習性で出来ている。本当に何者なのか、どう接すればいいのか、ひなかは分からなくなっていた。その時である。盛大に腹の虫が鳴ったのは。
「そういえば昨日ちゃんと食べた?」
音源は無論、鼓であった。
「兵糧丸があるので大丈夫です」
彼が着物の裾から取り出した袋、それをひっくり返すとパチンコ玉程度の小さな球体が出てくる。常備食としては心許ないにもほどがある。
「それいくつ食べたの?」
「当然一つで済ませるものですよ」
最低でも、彼は昨日の夜からこれ一つか二つしか食べていないことになる。それでは当然お腹が空く。お金なども持っていなさそうなので、山から下りて何日でここに来たかにもよるが、しばらくはこれしか食べていないだろう。
「そんなんで大丈夫なの?」
「忍び難きを忍ぶもの故、これさえあれば何とでもなんです」
鼓は兵糧丸を口にし、すぐに呑み込んだ。とても食事とはいえない食事だ。
「鼓っていくつなの、歳」
「十三になります。来年、元服ですね」
話していると、あれだけ治療に抵抗していた鼓が大人しく身体を拭かれ、湿布まで貼られている。頭が縦に揺れており、うとうとしている様子が伺えた。
「ん……ぅ」
昨日は夜を徹して待っていたのだろう。十三の子供では眠くて当たり前だ。ひなかは鼓を寝かしつけると、ベッドのカーテンを閉めた。
「あ……あるじ……どの……」
彼は何かを言おうとしたが、そのまま眠りに落ちてしまう。疲労も溜まっていたのだろう。
「先生、この子のこと頼んでいい?」
「はい」
少なくとも、頼れる大人に預けた方がいいと彼女は感じていた。色々と危ない面が見えてきたので、キチンとした然るべき機関で保護してもらうのが一番だろう。
ひなかは彼を養護教諭に預けると、授業があるのでクラスメイトと教室に帰っていった。
@
「ふぅ、終わった終わった」
夕方にもなり、授業が終了する。何事もない平和な一日だった。だが、何か忘れている様な気がしないでもない。ひなかは教室を出ると、玄関へ向かい下校していく。この学校は部活が強制ではないため、この時間で帰る生徒も多い。そんな中、目の前に当然鼓が出現する。彼は現れるなり三つ指をついて頭を下げる。
「申し訳ございません主殿! 忍ともあろうものが主より先に眠るなど……」
「ちょ、ここ目立つから……」
人の視線が多い中、とんでもないことをしでかす鼓。ひなかは嫌な汗をかきつつ、彼を引きずって目立たたない場所に、主に保健室方面へ連れていく。忍者一人増えただけで日常は崩壊し、このどんちゃん騒ぎ。ひなかは頭を抱えるしかないのであった。
ひなかは通学だけで途方もない疲労感に襲われた。鼓が付いてきているのは分かるのだが、全く気配がしないせいで言った通りに隠れているのか、外から見たらガバガバなのかもうわからないので気苦労が絶えない。
学校に来てから授業中もどこで鼓が待機しているのかが気になり過ぎて授業に集中できないでいた。忍者を侍らせるのも楽ではない。昔のお殿様は毎日こんな感じだったのだろうか。いや、慣れてしまえば案外どうということはないのかもしれない。
ひなかの通う学校は女子校である。特にお嬢様学校、という趣や特殊性はない。マジのお嬢様学校だとミッション系とか言ってキリスト教が絡んでいたり、挨拶がごきげんようだったりするらしいがここはそんなこともない。
かと言って、異性の目が無くなった瞬間にボロが出ると言った荒れ具合も無いのがこの学校だ。女子校というのは創作物で語られるほど綺麗ではなく、結構夢が砕かれると聞いていたひなかは少し覚悟していたがこの一年結構平和であった。
この一年は……鼓が来た向こう二年はどうなるのか分からないが。そもそも本当に住み着くつもりなのだろうか。疑問は絶えない。
「どうしたの?」
「いや……何というか……」
クラスメイトにも露呈するくらいの疲弊ぶりだったらしい。しかし突然山から忍者が降りてきて仕え出したと言って信じて貰えるのだろうか。とはいえ、一人で抱えるには不可思議過ぎて疲れるのも事実。
百聞は一見にしかず、とひなかは鼓を呼ぼうとする。だがふと思い出す。ここは校舎の三階だ。一年生は大体どこの学校でも校舎の辺境へ追いやられる宿命。
まぁ忍者だし大丈夫だろうと彼女は鼓を呼び出すことにした。
「鼓―」
どうやって呼んだらいいか分からないがとりあえず名前を呼べば来るだろう。
「何か御用……」
鼓は予想通りやってきた。三階だというのに窓の外に飛び上がってきており、そのまま教室へ突入しようとする。だがひなかは忘れていた。この教室には暖房が効いており、その暖気を逃がさない様に窓が締め切られているということを。
「でっ……」
それに気づかず鼓はガラスにぶつかって鼓は下に落ちる。
「え……?」
「つ、鼓―!」
どこから来るか分からなかったが、まさか窓ガラスを知らないとは。いや知っていても彼ならうっかりぶつかりかねない。
窓を開けて下を見ると、鼓が地面に落ちていた。血が流れていないし蠢いているので多分大丈夫だろうが、心配になってひなかは下まで降りて安否を確認しにいった。
「ちょ……大丈夫?」
「こ、このくらい……しかし奇怪な窓ですね」
鼓はふらりと立ち上がる。かなりダメージが残っているのか、足元が覚束ない。三階から落ちたので立っているだけでも不思議ではある。
「大丈夫? 救急車呼ぶ?」
「きゅうきゅうしゃ?」
クラスメイトが自然と発した単語に彼は首を傾げる。まさかとは思うが、そんな知識もないのだろうか。
「……まさか知らないんじゃ……」
「あの……恥ずかしながら……」
「救急車ってのは病院まで運んでくれる車のことだよ」
ひなかが頭を抱える中、クラスメイトが説明しても鼓にはまるで理解が及んでいなかった。
「びょういん……くるま……」
「とにかく、お医者さんのとこに行かなくていいのかって話」
彼の文明レベルで医者が通じるのか不安になりつつ、ひなかは聞いてみた。
「あ、いえ、そのきゅうきゅうしゃやびょういんはよく分からないのですが、大丈夫です。拙の様な忍に医者など……」
「あ、通じた。ていうかあんな高いところから落ちたんだから頭打ってないか見てもらいなさいよ」
昨日も極寒の中、濡れたまま一晩外にいた彼のことだ。また強がっているといけないと思いひなかはスマホを取り出して救急車を呼ぼうとする。この調子では先に黄色い救急車が必要になりそうなのだが。
「いえ、頭は打っていないです。受け身取ったので」
「受け身って……そんなんでどうにかなるレベルじゃないでしょこれ」
「いえ、本当に拙は大丈夫ですので……」
議論は平行線。クラスメイトが仕方ないので、彼を保健室まで押していく。
「とりあえず保健室で応急処置くらいしましょ。それならいいでしょ?」
「あの……ほけんしつとは?」
「まぁまぁとにかくとにかく」
鼓は保健室へ連行されることとなった。このまま放っておくわけにもいかないので、ひなかとしては都合がいい部分もあるので止めはしない。
「なんか部屋干しみたいな匂いするよ?」
「し、失礼いたしました! 部屋干しが何だかはともかく、着た切り雀に加えて沐浴も出来ていない故……」
「ねぇ? 一体この子どういう子?」
そこでようやくクラスメイト達が根本的な疑問に至る。それはひなかも聞きたいところであった。なんと言えばいいのか、説明する言葉が浮かばない。
「なんか昨日……急に先祖に仕えていたとか言ってきて……」
「え?」
「どゆこと?」
当然の反応が返ってくる。予想通りであった。
「その、主殿は拙の仕えていた一族の末裔でして……それで拙も当然お仕えするのが義務でして……」
あれ? そんな話だっけ、と思いながらひなかは聞いていた。なにせ存在が滅茶苦茶なのでどうしようもない。
「ああ……そうするとお見苦しいところを……主殿の沽券に関わる……」
「いや巻き込まないで」
勝手に貰い事故で恥をかいたことにされたひなかは即座に否定する。
「なんか面白い子ね」
「シャワーくらい使って行きなさいって」
「当事者は大変なんだって……」
クラスメイト達は面白がっているが、絡まれた本人はいい迷惑である。ご先祖様はこんなダメ忍者一族を囲っていたのか、それとも鼓が突出してダメなのか。おそらく後者だと願いたい。
保健室に着いたクラスメイトは、養護教諭の先生がいるにも関わらず堂々と部外者を連れて入る。この学校の養護教諭はみんなからの信頼も厚いおばあちゃん先生である。
「センセー、この子が怪我したから色々借りるね」
「あら、どちら様?」
「忍者なんだって」
部外者を警戒せねばならないはずの大人がこれである。当の鼓がよく言えば無害、悪く言えば何も出来なさそうに見えるのが大きいだろうが、もうちょっと警戒してもいいのではないだろうか。
手当の為にクラスメイトは鼓の服を脱がせようとする。
「とりあえずぶつけて痛いでしょ。怪我してないかみたげる」
「いえ、本当に拙大丈夫なので……」
固辞する鼓に、養護教諭が微笑んで語り掛ける。
「男の子だもの、女の子の前で脱ぐのは恥ずかしいわねぇ」
「え? 男なの?」
クラスメイト達は何をどう見たのか分からないが、鼓を女の子だと思って接していた。確かに見えないこともないが、ちゃんと鼓は男だ。それはひなかにも分かっていた。
「いえ、そうなんですが……忍ですので……自分の怪我は自分で治します」
「何か持っているの?」
「この程度なら日にち薬です」
三階の高さからアスファルトに落ちたのを放置すると言い張るので、流石のひなかも見捨てては置けなかった。
「いいから、傷見せる」
「あああっー! いけません主殿!」
着物の上をはだけると、骨が浮き出た痩せた身体に青痣や大きな傷跡がいくつも残っていた。左腕は義手と生身の境目に布が巻いてある状態だ。脱がせてみて改めて分かったが、肝心の着物もかなり薄手のものである。
「これ落ちた時の怪我?」
「いえ……これは前から」
「ほら全然日にち薬なんて聞いてないじゃない」
あの落ち方では打たない場所にも痣があったので、ひなかは何か彼が隠しているのを悟りはしたが敢えて聞かなかった。
「さて湿布……の前に身体拭かないと……」
彼女はてきぱきと洗面器とタオルを用意し、手当の準備をする。それを見た鼓は止めようとするが、クラスメイト達にベッドへ座らされてしまう。
「あの、本当に拙大丈夫なので主殿のお手を煩わせるなど……」
「別に私主になったつもりないから、気にしないで」
主従ではないのだからそんなこと気にするな、というつもりで言った言葉であったが、彼には別の意味に聞こえたのか俯いて黙ってしまう。
「望月さんは対等なお友達になりたいのよ。そうでしょう?」
すかさず養護教諭がフォローを入れる。それでも何か価値観が根本から違うのか、鼓は思いつめた様子であった。
「拙ごときと対等など……」
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「……?」
妙に自己肯定感が低いところがひなかには気になった。このドジっ子ではあまり褒められた経験がないのだろうが、平均から見て跳びぬけて無能というわけでもない。運動能力は忍者を自称するだけのものはあり、主だからだろうが大人数の不良に立ち向かう勇気もある。なにより一晩、あの寒い中で言われた通りに待っている誠実さも持ち合わせている。
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「それは……斬られたので止血のために……」
「止血?」
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「お恥ずかしい……忍が斬られるなど……」
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「いえ、ほら傷を焼けば血が止まるので」
鼓は本格的な忍者ごっこというわけではない様だ。本当にあらゆる部分が現代人と違う感性や習性で出来ている。本当に何者なのか、どう接すればいいのか、ひなかは分からなくなっていた。その時である。盛大に腹の虫が鳴ったのは。
「そういえば昨日ちゃんと食べた?」
音源は無論、鼓であった。
「兵糧丸があるので大丈夫です」
彼が着物の裾から取り出した袋、それをひっくり返すとパチンコ玉程度の小さな球体が出てくる。常備食としては心許ないにもほどがある。
「それいくつ食べたの?」
「当然一つで済ませるものですよ」
最低でも、彼は昨日の夜からこれ一つか二つしか食べていないことになる。それでは当然お腹が空く。お金なども持っていなさそうなので、山から下りて何日でここに来たかにもよるが、しばらくはこれしか食べていないだろう。
「そんなんで大丈夫なの?」
「忍び難きを忍ぶもの故、これさえあれば何とでもなんです」
鼓は兵糧丸を口にし、すぐに呑み込んだ。とても食事とはいえない食事だ。
「鼓っていくつなの、歳」
「十三になります。来年、元服ですね」
話していると、あれだけ治療に抵抗していた鼓が大人しく身体を拭かれ、湿布まで貼られている。頭が縦に揺れており、うとうとしている様子が伺えた。
「ん……ぅ」
昨日は夜を徹して待っていたのだろう。十三の子供では眠くて当たり前だ。ひなかは鼓を寝かしつけると、ベッドのカーテンを閉めた。
「あ……あるじ……どの……」
彼は何かを言おうとしたが、そのまま眠りに落ちてしまう。疲労も溜まっていたのだろう。
「先生、この子のこと頼んでいい?」
「はい」
少なくとも、頼れる大人に預けた方がいいと彼女は感じていた。色々と危ない面が見えてきたので、キチンとした然るべき機関で保護してもらうのが一番だろう。
ひなかは彼を養護教諭に預けると、授業があるのでクラスメイトと教室に帰っていった。
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「ふぅ、終わった終わった」
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「申し訳ございません主殿! 忍ともあろうものが主より先に眠るなど……」
「ちょ、ここ目立つから……」
人の視線が多い中、とんでもないことをしでかす鼓。ひなかは嫌な汗をかきつつ、彼を引きずって目立たたない場所に、主に保健室方面へ連れていく。忍者一人増えただけで日常は崩壊し、このどんちゃん騒ぎ。ひなかは頭を抱えるしかないのであった。
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