一晩だけの禁断の恋のはずが憧れの御曹司に溺愛されてます

冬野まゆ

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1巻

1-2

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 弘樹にめられたことにも、彼が自分の名前を知っていたことにも驚いてしまう。
 キョトンとする莉子に、弘樹もキョトンとした表情を返す。

「加賀さん、私の名前をご存じだったんですね」

 驚きのあまり、莉子が思ったことをそのまま言葉にすると、彼は口元を押さえて笑う。

「そりゃ、コンペで何度も顔を合わせているし、名刺交換もしているから知ってるよ。それに神田さんが君のことをよくめているからね」
「そう……なんですか」

 口調から察するに、弘樹と神田にはそこそこの交流があるらしい。
 今年還暦かんれきの神田は、普段は甘い物好きの好々爺こうこうやといった印象が強いが、過去には建築業界の名だたる賞を受賞している実力者だ。
 そんな神田が自分をめてくれているというのは素直に嬉しい。
 くすぐったい感情を持て余していた莉子は、今さらながらに自分が肝心なことを言っていなかったことを思い出す。

「あの、今回のコンペ、おめでとうございます。KSデザインさんのプランは本当に素敵で、勉強になりました」

 莉子は、一度背筋を伸ばして頭を下げる。

「ありがとう。君にそう言ってもらえるのは、嬉しいよ」

 自分に向けられた賛辞を真っ直ぐに受け止めた弘樹は、綺麗な二重ふたえの目を不意にすっと細めた。
 そんな何気ない仕草も、彼がするとやけに色気があるので困る。

「加賀さんのデザインは、本当にすごいです。はっきり自己主張をしているわけじゃないのに、一見しただけで加賀さんの仕事だってわかる存在感があります」

 頬が熱くなるのを誤魔化すように早口で言う。
 今回のコンペで、改めて弘樹のすごさを感じた。
 だけど同業者として、ただ感動して尊敬して終わるつもりはない。

「あの日、同じ景色を見た加賀さんに見えていたものが、私の目には見えていなかったのは、ちょっと悔しいですけど」

 そう付け足した莉子に、弘樹は自分のあごのラインを長い指で撫でる。

「それは俺の台詞せりふだ。神田デザインさんの内装、曲線をうまく使ったデザインと優しい色味がよかったよ。『立ち寄る場所』って感じじゃなくて『帰りたくなる場所』って感じがして。ウチが勝てたのは、神田デザインさんの案の外観と内装のバランスが悪かったからだと思う」
「え?」

 思いがけない言葉に莉子が目をまたたかせると、弘樹が確信に満ちた口調で言う。

「俺が思うに、内装は君、外観は他の誰かが担当したんじゃないかな?」
「……」

 言い当てられたことに驚く顔を、弘樹は興味津々きょうみしんしんといった表情で覗き込む。

「俺の方こそ、君の目に世界がどんなふうに映っているか気になるよ」

 無意識に莉子が背中をらせると、弘樹はその分腰をかがめて距離を詰めてきた。
 ――近い……
 遠慮のない距離の詰め方に戸惑ってしまう。
 弘樹はそんな莉子の耳元に顔を寄せてささやいた。

「特別な日にだけ行くことにしている店があって、そこに君を連れていきたいんだが、誘ってもいいかい?」

 悪戯いたずらの共犯者を誘うような口調で、弘樹は世界的に名が知られている高級ホテル内のバーの名前を口にする。
 その店の名前なら、莉子も知っていた。
 くだんのバーは、近代建築の巨匠として建築学の教科書にも載るような著名な建築家が手掛けた作品の一部を利用しており、当時のモダンなデザインを肌で感じることができるらしい。
 莉子も以前からチャンスがあれば一度は訪れてみたいと思っている場所なので、心が揺れる。
 しかし、高級ホテルのバーに、憧れの人と二人だけでというシチュエーションに躊躇ちゅうちょしてしまう。
 なにより弘樹の瞳の奥に、オスとしての情熱が揺らめいているように感じるのは気のせいだろうか。
 恋愛経験が豊富なわけではないけど、そういった男女の機微きびを感じ取れるくらいには恋愛をしてきたつもりだ。そうは思うのだけど、彼ほどの男性が自分にそんな感情を寄せるはずもないので、きっとそれは錯覚なのだろう。
 なんにせよ思いがけないシチュエーションに、行きたい気持ちはあっても腰が引けてしまう。

「えっと、今日はこの後ちょっと約束があって……」

 しどろもどろになりながら、咄嗟とっさに断りの言葉を口にする。
 そんな莉子に、弘樹はニッと笑う。

「それは残念。じゃあ、他の日なら誘って構わないか? 俺としては、君ともっと色々な話がしてみたいんだが」

 そう話す彼の表情は、逃げ腰になっている莉子の反応を楽しんでいるようにも見える。
 逃げられると追いかけたくなるのは、生き物の本能なのだろうか。
 だとしたら、追いかけられるとさらに逃げたくなってしまうのも、また生き物の本能だ。

「か……加賀さん、結婚されていますし、二人っきりというのは……」

 どうにか絞り出した莉子の言葉に、弘樹は一瞬自分の左手に視線を落として、困ったように頭を掻く。

「妻の存在は、気にしなくていいよ」

 どういう意味だろう。
 ――夫婦仲がうまくいっていないのかな?
 もしくは彼の奥さんは、夫が同業者の女性と飲みに行くくらい気にしないのだろうか。
 だとしたら、ホテルのバーに誘われたくらいで警戒心を働かせる莉子の方が考えすぎなのかもしれない。
 あれこれ考えて黙り込む莉子の表情を見て、弘樹はいよいよ困ったという顔をした。

「悪い。変な意味じゃなくて、いつも君が美味おいしいって言っているチョコレートボンボンをそのバーでも扱っているから、上質な酒と一緒に味わう楽しさを教えたかっただけなんだ」
「へ……?」

 思考が迷走しかけていたタイミングで告げられた不意打ちの台詞せりふに、莉子は間の抜けた声を漏らす。
 ――チョコレートボンボン?
 彼がなにを言っているのかわからない。
 弘樹は戸惑う莉子の顔をまじまじと覗き込んだ後で「クッ」と喉を鳴らした。
 そのまま口元を押さえてひとしきり笑った彼は、状況を呑み込めずにいる莉子に理由を説明してくれた。

「失礼。前に神田さんと仕事で一緒になった時に、そこのホテルで扱っているチョコレートボンボンを手土産みやげにしたら、『事務所の女性社員がすごく気に入って、また食べたいって言っていた』と話していたから、それ以降、神田さんと会う時は必ずそれを手土産みやげにすることにしていたんだが……」
「ああ……」

 神田デザインの社員は十人。そのうち女性社員は莉子を含めて二人いるが、そこまで聞けば莉子にも状況が理解できた。
 穏やかで人のいい神田は、尊敬できる建築家でもある。そんな彼の唯一の欠点を挙げるとすれば、無類の甘い物好きで、それに関してだけは少々遠慮がないことだろう。

「たぶん、所長が一人で食べていたんだと思います」

 莉子の言葉に、弘樹も「だろうな」と同意してまた笑う。

「自分でも買えるだろうに、なんでそんな嘘をつくんだか」

 弘樹が神田に渡していたチョコは、世界的にも有名な高級ホテルの名を背負うに相応ふさわしい味とそれに見合った価格をしている。とはいえ、社員十人を抱えて収益を上げている神田が買えない品ではない。
 弘樹は理解ができないと呆れているけど、莉子にはその理由がわかっている。

「所長いわく『お菓子は、人にプレゼントされると美味おいしさが増す』そうです」

 職場で莉子たちがおやつを食べていると、神田はよく物欲しそうな眼差しを向けてくる。その視線に負けてお菓子をおすそ分けすると、すごく美味おいしそうに食べるのだ。
 莉子のその話に、弘樹は目尻に涙を浮かべて笑った。

「神田さん、建築家としても人としても尊敬できる人なのに、時々大人げないな」
「あ、でも所長からお菓子を貰うこともありますよ」

 神田所長の名誉のため、そう付け加えておく。
 普段は「美味おいしいものは分け合ってこそ美味おいしい」と話す神田が独り占めしていたということは、弘樹が手土産みやげにしていたそのチョコはよほど美味おいしいのだろう。
 そんなことを話して笑い合う。そこでふと、莉子はいつの間にか自分がかなりリラックスして話していることに気が付いた。
 肩の力を抜いて改めて弘樹を見ると、その視線を受け止めた弘樹が表情をほころばせる。
 実年齢より若く見える彼の表情は、さわやかな初夏の風を連想させる。
 その自然な微笑みに、一人の男性としての温もりを感じた。

「……」

 さっきまでとは違う熱が、莉子の頬を熱くする。
 突然胸の奥から湧き上がってきた甘い熱を持て余していると、誰かが弘樹の名前を呼んだ。
 声のした方に視線を向けた弘樹は、相手の顔を確認すると、表情を引き締めて軽く手を上げる。
 どうやら、気の抜けない相手らしい。

「お引き止めして申し訳ありませんでした」
「こちらこそ、話せて楽しかった」

 弘樹の表情の変化につられるように、莉子も表情を引き締めて頭を下げる。
 神田の話題で、つい気さくに笑い合ってしまったけど、相手はこの業界の王子様なのだ。
 かしこまった莉子の態度に、弘樹は少し残念そうに肩をすくめて言う。

「今度から、ちゃんと小日向さんの口にもチョコが届くようにしておくから、是非食べてみて。それでもし美味おいしいと思ったら、その時はまた飲みに誘わせてくれ」

 そう言ってその場を離れていった弘樹だが、途中で思い出したようにこちらを振り返った。そして「君とゆっくり話してみたいのは本当だから」と付け足す。
 その瞬間だけ、彼の表情は、さっきのさわやかな初夏の風を連想させるものに戻っていた。
 クルクル変わる彼の表情に、莉子の頬がまた熱くなる。
 それに先ほどの会話から考えると、こちらが一方的に存在を認識しているだけだと思っていた弘樹が、以前から自分の存在を認識してくれていたということになる。
 彼の見る景色に、自分が存在している。そんな些細ささいなことが、すごく嬉しい。
 ――コラッ! 既婚者相手に、舞い上がるなっ!
 心の中でそう自分を叱咤しったしても、込み上げてくる熱を抑えることができない。
 これ以上その熱が大きくならないよう、莉子は知人らしき相手と話す弘樹の左手の薬指に目をらした。


     ◇ ◇ ◇


「小日向君、ちょっといい?」

 賀詞がし交換会で弘樹と言葉を交わした翌週、オフィスで仕事をしていた莉子は、自分の名前を呼ぶ声に顔を上げた。
 視線をめぐらせると、所長室から顔を覗かせた神田が手招きしている。

「はい。今行きます」

 所長室に呼ばれる理由が思いつかないまま、莉子は席を立った。
 特にミスをした覚えがなくとも、所長室に呼び出されるのは妙に緊張してしまう。
 神田は無類の甘党ではあるが、細身でその分しわが目立つ。そんな彼が自分のデスクで腕組みをしていかめしい顔をしていたらなおのことだ。

「これ」

 腕組みを解いた神田が、入室した莉子に向かってデスクの上の箱を押し出す。
 スマートフォンを二つ並べたくらいの大きさの箱は、黒地の包装紙に包まれ、金色のリボンでラッピングされている。包装紙に小さく印刷された有名ホテルの名前を見て、莉子はその箱の中身と送り主を察した。

「僕がチョコを横領していること、加賀君にチクッたでしょ」

 莉子が察したタイミングを見計らって、神田がジロリとにらんでくる。
 ただしその口調とにらみ方で、それは彼流の冗談なのだとわかった。

「すみません。会話の流れで、そうなってしまって……」

 その流れを詳しく話すと、彼に飲みに誘われたことにも触れなくてはならないので、曖昧あいまいに笑って誤魔化しておく。
 神田は、ばつの悪そうな顔で言う。

「これからは、手土産みやげを二箱用意するから、ちゃんと小日向君にも食べさせてやってくれと言われたよ」

 だから遠慮なくどうぞと箱を押し出してくる神田は、それを手に取る莉子に「だからこれは、二人の秘密にしておこうね」と笑う。
 どうやら神田はこれからも、自分の分のチョコは独り占めするつもりらしい。

「私まで、独り占めしてもいいんでしょうか?」

 神田はともかく、自分まで貰っていいのだろうかと悩んでいると、その背中を押すように神田が言う。

「たぶん加賀君は、小日向君に食べてほしくて僕にチョコを預けているんだと思うよ」
「加賀さんが、どうして私に?」

 戸惑いを隠せない莉子に、神田はこともなげに返す。

「ああそれは、君の言葉が加賀君を救ったことがあるからだよ」
「……えっ?」

 まったく身に覚えのない話に、ただただ驚いてしまう。
 話が呑み込めないでいる莉子に、神田は応接用のソファーに座るよう勧めると、自分もそちらに移動する。
 ローテーブルを挟んで莉子と向き合った神田は、膝の上で両手を組み合わせて話し出した。

「半年くらい前にも、コンペでウチがKSデザインに競り負けたことがあったのを覚えているかな?」
「はい」

 その言葉に、莉子は頷く。
 半年前に開催された個人美術館の改装工事のコンペで、神田デザインはKSデザインに競り負けた。
 長年茶道をたしなんだという館長の所蔵する品の多くは楽焼らくやきの茶碗。千利休せんのりきゅうの茶の心を受け継ぐそれらの茶器は、素朴なたたずまいで色彩的な絢爛けんらんさはないが、たくみの腕を感じさせる存在感があった。
 KSデザインは、茶の道に通じる日本のわびさびを感じられるよう、敢えて余白のような空間を幾つももうけて、季節の花々や掛け軸を飾りやすい配慮がされていた。
 それに対して雨宮のデザインは、地味な展示物を内装の華やかさで補ってやろうといった気負いがあり、かえって楽焼らくやきのよさを損なうものになっていたので、敗北は当然の結果といえる。

「あの時、雨宮君がかなりかなり荒れて、『KSデザインの企画ばかり通るのは、社長が加賀設計の御曹司だからだ』『こんなできレースに参加するだけ無駄だ』って、帰ってきてから不満をまき散らしていたことを覚えているかい?」
「はい」

 雨宮は、企画にかなりの自信を持っていたようで、他のスタッフの意見を受け入れることなくほぼ独断で企画を仕上げた。それが競り負けたことで、かなりプライドが傷付いたのだろうけど、彼は的外れな恨み言を延々と垂れ流していた。
 雨宮の恨み言は偏見に満ちていて聞くにえないものだった。

「あの時、小日向君が雨宮君に『本当に勝ちたいのなら、勝てなかった言い訳ばかりしてないで、勝てる方法を探せ』『加賀さんのプランには、いつもその努力を感じる』って叱咤しったしたって話を加賀君にしたら、嬉しそうにしていたからね。そのお礼じゃないかな? ……もしくは、それで雨宮君を怒らせて、かなり八つ当たりをされていたことも話したから、気を遣ったのかもしれない」
「そこまで強くは言ってませんよ」

 弘樹と何故そんな話題になったのかも気になるけど、まずはそこを訂正しておきたい。
 神田の言葉ほどストレートではなかったが、作業の手を止めて延々と続く生産性のない雨宮の愚痴にうんざりして、やんわりとそんな意味のことを言ったのは事実だ。
 だが、莉子の言葉が雨宮の心を動かすことはなく、逆に彼のプライドをいたく傷付けてしまい、それから、今日に至るまで彼にはひたすら強く当たられている。

「そうなるのがわかっていても、口を挟まずにいられなかったのは、小日向君の正義感だ。あの場の会話を加賀君が耳にすることはなくても、君は彼の名誉のために雨宮君に意見した。そのおこないに対するご褒美ほうびと思えばいいよ」

 だから遠慮なくどうぞと、莉子にチョコを受け取るよう勧め、神田は話を続ける。

「小日向君の言うとおり、加賀君は努力家だ。でも加賀設計の御曹司という立場から、その努力を無視したやっかみや、悪意にさらされることが多い。だから、ちゃんと自分の仕事を見てくれている人がいて嬉しかったんだと思うよ」
「加賀さんの仕事を評価している人は、私の他にもたくさんいると思いますよ」
「そうだけど、彼は加賀設計の御曹司だ。利害関係を見越した賞賛も山ほど受けている。もちろんそれを鵜呑うのみにするほど、彼は愚かじゃないけど、駆け引きのない手放しの賞賛というのはなかなか本人の耳には届かないものだよ」

 だからこそ、莉子の話を彼に聞かせたのだと話す神田は、その時の光景を思い出しているのか少し寂しそうに笑う。
 後進の育成に尽力する神田にとっては、弘樹もまた気にかける若手であるようだ。
 ――これでお菓子に対して理性を保てたら、最高の上司なのに……
 そんなことを思い、そっと嘆息した莉子は、ふと先ほど気になったことを聞く。

「そういえば、どうして私のことが話題になったんですか?」

 莉子の質問に、神田は大事なことを思い出したといった感じで手を叩き合わせる。

「そうそう、加賀君が小日向君の視点をめていたよ。神田さんのところには、柔軟な視点を持った子がいていいですねってめられて、それから君の話になったんだ。……彼も機会があれば小日向君と話したいと言っていたから、賀詞がし交換会では彼と色々話せたかい?」
「あっ!」

 所長の言葉に、顔が熱くなる。
 ――そういったことは、もっと早く教えてほしかった。
 彼が何度も自分を飲みに誘ってくれたのは、純粋に同業者として莉子と話をしたいと思ってくれてのことだったのだ。
 ――奥さんのことを気にしなくていいって言うはずだよ。
 ついでに言えば、彼の瞳の奥にオスとしての情熱を感じたような気がしたのも、完全に莉子の思い込みだ。
 今さらながらに、警戒心き出しの自分の行動が自意識過剰でしかなかったとわかり、恥ずかしくなる。
 あれこれ思い出して赤面する莉子に、神田が視線で「どうだった」と問いかけてくる。

「えっと……加賀さんは忙しそうで、軽くご挨拶あいさつした程度で、大したお話はできませんでした」

 あの日、短い会話を交わした弘樹は、次から次へと人に話しかけられていた。
 加賀設計の御曹司である彼に、誰もが敬意を払って接し、彼は威風堂々いふうどうどうたる姿でその相手をしていた。
 そんな姿を見て、さっきまで気さくに言葉を交わしていた弘樹を急に遠い存在に感じてしまい、遠目にその姿を眺めて会は終わった。

「それは残念だったね」

 そう返した神田は、なにかを思い出した様子で立ち上がり、デスクの引き出しを探る。そして、一枚のチラシを持って戻ってきた。

「もし加賀君の話に興味があるなら、これに参加してみてはどうだい?」

 そう言って手渡されたのは、今週末開かれる弘樹の講演会のチラシだった。美人ファイナンシャルプランナーとしてテレビでも活躍する女性と弘樹の二人で、これからの男女共同参画社会における快適な暮らし方について対談形式の講演をおこなうらしい。

「これ……私が参加してもいいんですか?」

 ざっと内容を確認した限り、就職活動前の学生に向けた講演会のようだ。
 会場も近所の大学の講堂を使用している。

「年齢制限が書かれているわけじゃないし、小日向君、若いから問題ないでしょ。興味があるならとりあえず飛び込んでみて、駄目って言われたらその時に諦めればいいんじゃない」

 こともなげに返した神田は、チラリと莉子の顔を見て続ける。

「小日向君、メイクや服装で誤魔化しているけどかなり童顔だから、学生に紛れても案外バレないと思うよ」
「……っ」

 童顔というのは、莉子にとって触れてほしくない部分なのだけど、神田には見抜かれていたらしい。
 だいぶ社会が変わってきているとはいえ、今でも打ち合わせなどの際、若い女性というだけで軽んじられることがある。そうしたことがないように、仕事の時はシックなパンツスーツと大人びたメイクを心がけているが、素顔はどちらかといえば童顔だ。
 ついでに言うと、プライベートでは年相応の可愛い感じのファッションが好きなので、私服なら違和感なく学生に紛れることは可能かもしれない。
 直接話すことはできなくても、彼の話を聞く機会は貴重だ。間違いなく勉強になる。

「ありがとうございます。行ってみます」

 莉子がそう言うと神田は、それでいいと笑顔で頷いた。
 これで話は終わったと腰を浮かせかけた神田に、莉子はついでとばかりに尋ねる。

「そういえば所長は、加賀さんの奥さんにお会いしたことはありますか?」

 その質問に、神田は浮かしかけた腰をソファーに戻して首を横に振る。

「いや。噂で聞いたことがある程度だよ。本人はそういうプライベートなことを話さないタイプだからねぇ」

 そう言いながら、神田が教えてくれたのは、これまで莉子が耳にしたことのある噂と似たような内容だった。
 奥さんとはイギリス留学中に出会い、そのまま愛をはぐくんだらしいこと。
 相手も自国で建築関係の仕事をしていて国を離れることができないが、弘樹も加賀設計の後継者として日本を離れられない。
 そのため、仕方なく別居生活を送っているのだとか。


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