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第二章

エルシアの覚悟

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 離宮にて。

 一人、ゆっくりと傷心を静養する筈だったエルシアは、東屋で随分とお年を召した貴婦人と相対することになっていた。


「……あの、貴女は?」


 貴婦人は、目を合わすだけで何も話さない。
 代わりに、彼女の世話をしているであろう下男が答えてくれた。



「こちらは、エリス様でございます。現王妃様のお母さまでクロード殿下のお祖母様、と言った方が分かりやすいでしょうか」


 下男は、深々と頭を下げると二人分の紅茶を用意して去って行く。


「エリス様、失礼致しました。わたくし、エルシアと申しまして。クロード殿下の婚約者です。……たぶん、まだ」


「お祖母様で良いですよ。貴女のことは知っています。娘に頼まれて此処でこうしているのですから」



 はぁぁ。

 心底、嫌そうにお祖母様は息を吐いた。


(……会ったばかりなのに、わたくし何かしてしまったかしら)


 マナーに問題はなかったと思う。

 やはり、ゾフィア王女に嫌われたエルシアに会うのが嫌だったのだろうか。


 それにしても、王妃陛下が離宮とは言え実母を城に呼んだことが驚きである。

 いつも控え目な方だが、ゾフィア王女が来てからは陛下の影のようにひっそりとされているからだ。



「あの娘は、全く。いつまで母を頼るつもりなんでしょうね。こっちは隠居していると言うのに! 甘やかして育てると碌なことがないとはこのことだわ」


 先程までの物静かさから、いきなり始まった怒涛の愚痴にエルシアの背筋が伸びる。



「……は、はい」

「貴女はあんな風になってはいけませんよ。まぁ、そもそもあんな男との結婚を許した私がいけなかったんですけどね」



 ふぅ。

 ため息混じりに紅茶を口にしたお祖母様は、少し落ち着いた様子でゆっくりと庭園に目を向けた。



「エルシアさんは、ゼラニウムの花言葉をご存知?」


 話しの展開の速度についていけそうにないが、エルシアは何とか口を開く。


 
「はぁ。確か、『信頼』『真の友』『決心』と『尊敬』だったかと」


「そうね。可愛らしい花に似つかわしい意味だわ。でも、白のゼラニウムの花言葉を知っている? 『あなたの愛を信じない』」

 
 穏やかに吹いていた風が、その動きを止めたように。

 その場の空気がピタリと止まった。



「……白い花のゼラニウムはね、亡くなった私の夫が初めて贈ってくれた花なのよ」


 お祖母様は自嘲気味に、そう呟く。

 二人は政略結婚だった。

 いや、お祖父様に求婚された結果、親の勧めに従って平民の恋人と別れたそうだ。



「私は、身分違いの恋を貫き通す勇気がなかったの。それを親のせいにし、私を大切にしてくれる夫を表面的に愛している振りを続けたわ」


「……それは、辛かったですわね」


 エルシアの言葉に、けれどお祖母様は首を横に振る。



「辛かったのは夫だった。良い人だったから、浮気も離縁も出来ずに。他の人と結婚していればよかったと、きっと思っていたのだと。悲劇に酔っていた私は、花を贈られて初めて気がついたの」



 だから、娘には本当に愛している人と結婚するように言い続けたという。


 その結果、王妃様が選んだのは現在の国王陛下だったのだ。


 お祖母様は、迷いながらも止めなかった。 



「……王族を悪く言ってはいけないけれど。陛下は、国を背負うには頼りない男だわ。平時なら善政の王になれるのでしょうけれどね」


 そう思うでしょう?

 エルシアは返答に困って、苦笑いを返す。



「まぁ、私の娘も同じよ。王妃の器ではないわね。だから二人揃って、私に頼りっぱなし。綺麗な手を汚す覚悟が持てないのね」


 そこまで言うと、お祖母様は空を見上げた。


ーー王族が王族で居続けるのは本当に大変ね


 化粧の施されていない首元は、皺が隠しきれず。

 それが彼女の疲れ切った体を思わせる。



「……あの二人よりはマシだと思っていたクロードも、頼りにはならないようだしね。貴女はどうしたいのかしら?」



 視線をエルシアに戻して、お祖母様は問う。

 このまま王太子妃になりたいのか、それとも何処かに逃げたいのか。


 逃げたいなら、何処へでも逃してあげる、と。

 その言葉にエルシアは、ハッとする。


「言っておくけれど、これで私が手を出すのは本当に最後。娘夫婦の結婚は止めなかった私の責任だけれど、孫まで面倒見るのは勘弁して頂戴」


「……お知恵を拝借出来ませんか」


 エルシアは、覚悟を決めてお祖母様を見据えた。


ーーそうだ。殿下の隣を譲りたくなければ、逃げてはいけない。


 クロード自身からゾフィア王女を妻にすると、聞いた訳では無いではないか。


 雨の振るこの東屋で、わたくしは悟ったはず。

 怖くて逃げていた事柄も、いつか乗り越えなくてはならないと。



 虚を付かれたような顔をするお祖母様を見ながら、話しを続ける。


「お祖母様は、お花に詳しくていらっしゃるのですよね。だってこの離宮は、城にある庭園では見られない花が沢山咲き誇っていますもの」



 これはカナの時のように茶番ではない、本当に人に毒を盛る覚悟だ。



ーーきっと、この中にはわたくしの知らない猛毒を持つ花があるはず。


 そう確信して、エルシアは紅茶を口にする。


「……何を言っているのかしら」


 目を逸らしたお祖母様に、ゆっくりと語りかける。



「手を汚す覚悟。それから、王族で居続けるのが大変だとお祖母様は仰っていました」


「……わたくしの祖父の代に流行り病に倒れて亡くなった方の中には、高価な薬を使えるはずの貴族も沢山いたと聞いています」


 エルシアは一つ一つ、言葉を選ぶ。

 恐らく、このお祖母様は王族に歯向かった貴族達を人知れず闇に葬ってきた方なのだろう。
 
 両陛下が光の中で笑い続けた裏側で。



「……そう。では、この東屋の裏にある庭園の美しい花は貴女の気に入るかもしれないわ。花は無害だけれど、根汁には猛毒があるの。だから、鑑賞するなら気を付けて」


ーー指に少し触れただけで、息苦しくなり。

 時間を置けば心の臓に達するものだから。



「ありがとうございます」

 礼を述べるエルシアに、お祖母様は軽く頷きながら席を立つ。


「貴女が孫娘になる日が、楽しみだわ」


 お祖母様はそれだけ言うと、戻ってきた下男に手を貸してもらいながら、ゆっくりと去って行くのだった。
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