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神の名を冠する国
第六百七十二話 閑話 アイシャの好奇心⑥
しおりを挟む「まったく。しょうもないことを」
「でも、アイシャの料理は美味しかったでしょ?」
「ん……まぁ、な」
既にテーブルの上は使用人たちによって片付けられていた。
「しかし、それだと問題はないな。アイシャ。ならば僕がアイシャを正式に雇おうではないか」
「えっ!?」
「何を驚いている。正直なところ、アイシャの料理をもう一度、いや何度と食べたい。僕のためにこれからも料理を作ってくれ」
「あ、ありがとうございます」
突然の申し出。一般人であればまるで婚約の申し出に聞こえかねない。
褒められることは嬉しいのは嬉しい。正に絶賛。嘘偽りのないマリウスの言葉。
「では決まりだな」
「ですが、申し訳ありません」
迷うことなどない。丁重にお断りする。
「ここまで……王都まで連れてきて頂いた方の用事が終われば帝国に帰らなければいけないのは勿論ですが、仮に王都に住まうのだとしても私がマリウス様のところに行くことはありません」
「なぜだ!?」
「私が寄り添うところは既に決まっていますので」
「だ、誰だそれは!?」
「申し訳ありません。王国では爵位を持たれていませんので」
「つまり、平民だと?」
「はい」
王国では、という部分に若干の引っ掛かりを覚えるのだが、とにかく爵位を持たない以上特に身分が高いわけではない。
「……名前は?」
あとは何らかの権威を持ち得ている可能性。
「ご存知ないかと思いますが、私の知り合いはここから南西にある屋敷、ヨハンさんが所有しているのですが」
「ヨハンお兄ちゃんか!?」
「えっ!?」
突然ヨハンのことを兄と呼ぶマリウスが不思議でならなかった。
「だったら話が早い! 直接お兄ちゃんに話せばいいのだな!?」
「あっ、でもヨハンさんは今パルスタットに遠征に出ていまして、あっ、いや、そういう問題でもないのですが」
困惑しているアイシャに対して興奮気味のマリウス。
(ああもう、どう言えばいいのよ)
キラキラと目を輝かせているマリウス。それに対して一連のやり取りをニヤニヤと見ているのはセリス。
「こんな偶然もあるものなのか!」
「そういえばアイシャ?」
「なに? セリス?」
目は笑っていないセリスなのだが、口角はヒクヒクとしている。
「カレン様はお元気でしょうか?」
「え? カレンさん? 元気だったけど、カレンさんも一緒にパルスタットに行っているから…………」
「誰だ? そのカレンというのは?」
「あっ、マリウス様は知らないのですね。カレンさんはカサンド帝国の第一皇女様で、ヨハンさんの婚約者です」
「…………は?」
瞬きを繰り返しながら間の抜けた声を発するマリウスに対して、我慢できずにテーブルに突っ伏して笑い声を押し殺しているセリス。
「な、なにがどうなっているのだ!?」
大叔父であるカールス・カトレア侯爵に紹介された剣術指南役のヨハンが隣国の皇女を婚約者としているだけでなく、アイシャも平民という割にはその皇女の呼称に様を付けないなどと、関係性を含めて意味が解らない。間違いなく先程アイシャは帝国の村娘だと紹介されていた。
「せ、セリス、どういうことだ?」
「わたくしもそれほど詳しく知り得ているわけではないですが、それだけの人物、ということらしいですわよ。ヨハン様は」
「そ、そうなのか?」
見た目は普通の少年。
「ええ。おじい様も、そちらのカールス侯爵様もお認めになっているのは知っているでしょう?」
「あ、ああ……」
それはS級冒険者になったからなのだと思っていた。初めて顔を合わせて以降も何度かヨハンに指南してもらっているのだが、全く歯が立たなかった。剣の鋭さはモニカの方が上だとヨハンは口にしていたのだが、マリウスからすればどっちもどっち。正直雲の上の存在に感じていた。それだけの実力の高さ。
(ただの冒険者じゃないのか?)
一度だけ見せてもらったモニカとの模擬戦。見惚れるように見入ってしまったのは記憶に新しい。巨大飛竜を討伐したと聞いた時は正直耳を疑った。
それが中央区で屋敷を所持しているのもまた意味がわからない。混乱が加速する。
「で、そのヨハン様の従者であるアイシャをあなたは横からかっさらうと宣言したわけですわね。楽しみですわ、ヨハン様が帰って来るのが」
「か、かっさらうだなんて、そんなこと言ってないだろっ!」
「あら? そうでしたか?」
「当たり前だ! そうだな、セバス!」
「え、ええ。もちろんですとも」
背後に立つセリスとマリウスの従者も驚きを禁じ得ない。驚いていないのはアイシャに同行しているネネのみ。
(カトレア家の正統な血縁者なのだと知れば卒倒されかねないですね)
内心では苦笑いせずにはいられなかった。
ふとヨハン達の話題になったことでアイシャは遠い空の向こう側、パルスタット神聖国のある南西の方角を見る。
(ヨハンさん達、今頃何をしているのかなぁ?)
会いたいけれども、会えば程なくこの王都を出て帝都へ帰らないといけない時間を迎えるということ。
セリスはもちろん、マリウスとも仲良くなれるのだろうと思いながら小さく息を吐いていた。
その最中、ヨハン達がパルスタット神聖国の首都、神都であるパルストーンにてかつてない騒動に巻き込まれていることを知る由もなかった。
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