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第三章:巻き込まれるのはテンプレですか? ふざけんな
幕間―クリスティアン王子の事情①―
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『……またそれを眺めているのか』
そう、俺の足元で寝そべりながら顔を上げ、話しかけて来たのは、俺の盟友でもある神狼族のジェロームだ。
かつてこの魔獣は、喉に負った古傷のため話すことなどできない状態だったのだが、数日前とある人物のおかげで古傷が治癒され、この様に何の不自由もなく会話できるようになった。それまでは盟友の契りを交わした俺と念話を交わすだけだったのに。
俺のせいで失うことになった彼の声が元に戻った時、最初はにわかに信じることができなかったが、出会った頃と遜色ない声を聞くことができていると実感すると、その小さな体躯を抱きしめたまま、しばらく涙が止まらなかった。
彼にはいつも何かを失わせているという罪悪感は、共に同じ時間を過ごしながらも常に心の奥底に潜んでいる。あの頃はお互いに幼くて、自分の身を護るだけで精一杯だった。しかし、彼はそのかわいらしい姿に反して常に動じることなく泰然としており、再び話すことができるようになってもクールな言動はまるで変らないな…と、ぼんやりと小瓶を見つめながら昔のことを思い出す。
この魔獣と出会ったのは20年以上前であり、俺も10歳を少し超えた程度の子供の頃だった。
その当時、俺は魔力量が多い半獣人だったので外見は同じ年ごろの少年たちと比べると小さな子供の様に幼く、獣人とは異なった容貌をもつため、自分で言うのもなんだが大変可愛かった。そのため、王である親父を筆頭に他の貴族の大人たちには可愛がられ、その子供たちからも親に倣ってチヤホヤされて、自分に敵対するものなど何もないと信じ切っているような、甘やかされた子供だったと思う。
また、3歳年上の兄ジークムントとの関係も良好で、兄の容貌こそ半獣人ではないが、王子としても十分な魔力値を誇る立派な若獅子といった風情があり、年若い少年ながらも、すでに王の片腕として片鱗を見せていたため将来立派な王になるだろうと期待される、優秀な王太子として存在していた。俺にとっても、わがままを言う弟を時々厳しいながらも優しく嗜めてくれる頼れる公正な兄だったので、俺はそんな兄を今でも慕っている。
そして、兄の母である王妃自身も、そんな兄を育てた方らしく聡明で、後宮の管理を司る者として、王の片腕として理性的にふるまえる女性だった。それでも色々思う所がなかったはずはないのに、俺の事を疎んじているような様子は見られず、わがままばかりを言う俺に、王の嫡子としての言動について優しく諭してくれることもあったし、俺の母に対しては、共に王を支えていきたいと言っている程であったが、思慮の浅い所がある母には何故そのようなことを言われるのかが理解できなかったようだった。
しかし、兄と王妃は公正な人であっても、由緒正しい公爵家である王妃の一族は、兄の王位を阻む可能性のある俺たちのことを邪魔者だと煙たがっていた。というのも、俺は第2王子という立場に生まれついたものの、母は身分の低い市井の生まれで、貴族ですらなかったからだ。しかし、女が貴重なこの社会であって子供を…それも魔力に優れ寿命も長い半獣人を産んだとなれば、数ある妃の中の一人であっても、その重要性が増して立場も強くなってくる。そのため長子相続が主流のこの国において、例え弟が生まれようと本来なら絶対的な王太子としての地位が約束されているはずなのに、俺を王に据えてはどうかという勢力が生まれつつあった。
…そして、悪いことに母親がその勢力の口車乗り、行動に加担してしまったため、水面下にあった争いが徐々に激化していって…事件は起こった。
とある日に、後宮の一角にある俺たちの宮を襲撃するものが現れ、俺が誘拐されたのだ。
(その間に何が起こっていたのかは、後から知ることとなるのだが……)その夜、自分の部屋のベッドで寝ていたはずだったのに、急に地面が固くて寝苦しいと思って目が覚めたら、木漏れ日を浴びながら訳も分からず森の中でうつ伏せになって寝間着姿で裸足のまま転がっていた。最初は悪い夢でもみてるかと思ったが、自分が目覚めた時に周囲に転がっていた見知らぬ3人の人間が、魔獣に襲撃されて死んでいたようだったので、恐ろしくなり闇雲に走ってその場から逃げ去った。柔らかい裸足の足裏に固いものを踏んだ痛みが何度も繰り返しても、構わず夢中になって走ったのを覚えている。
そして、息が切れて走れなくなった時初めて、これからどうすればいいのかと思って途方にくれたのだった。なぜなら、いくら魔法に優れていようと、元々護衛を連れて外出する身分でもあった自分は、それを自分の身を護るために使って自ら生き物を害したことはなく、また、常に誰かに守られていたため自分で何かを成したこともないため、見知らぬ未開の地で一人になってしまってはどうすればいいのかわからなかったからだ。
その後、慣れない山歩きに加えて、見も知らない土地を獣に怯えながら逃げ回るストレスで、思った以上に疲労を蓄積させていた俺は、休憩しようと見つけた岩の隙間に入り込み、周囲に気配察知の結界を敷いてから、魔法で水を出して飲み、火を焚きながら体を休めていた。
水や火は魔法で出せるものの食料はとらないといけないので、なんとか講義で見たことがある植物を採ってモシャモシャと食べることしかできなかったのだが……ふと、どうしてこうなったんだろうと思い、王宮に帰りたいと座り込んでシクシク泣いていた。
すると、突然何者かが結界に触れる気配がしたので咄嗟に涙を拭って身構えたが……そこに現れたのは、つぶらな瞳をした茶色い小さな仔犬だった。
『なんだ、変な拙い結界が敷かれていると思って警戒してみれば人の子か。 そこは私の寝床だ。お前の様なやせっぽちの人間の子供に用はない。喰われたくなかったらそこを退くがいい』
その子犬は、薄汚れた感じのする毛皮を纏い、先っぽが白い三角の耳とクルンと丸まったフサフサの毛皮と同じ色の尻尾を揺らしてキャンキャンと偉そうな口調で言って来たが、自分を食うというセリフを聞いていても、その可愛らしい姿を目にすると、まるで恐ろしくなかった。
魔獣を外見で判断する愚かさは、今となってはなくなってしまったものだが、あの頃は自分より弱そうでいて話が通じる相手を見つけた安堵に胸がつまり、魔獣の言うとおりにその寝床から出ていくどころか、涙腺が決壊したかのようにその場でワンワンと泣き出してしまったのだった。
『うるさい。なんでもいいが、私の寝床で泣きわめくな』
その魔獣は最初、迷惑そうに言ってはいたが、しばらくすると困り果てた様に俺に近寄り、座り込んで泣きわめいて退こうともしない俺の足にその前足をポンと乗せると首をかしげて俺の顔を覗き込んできた。俺はその時、誰かに自分の事を聞いてほしくて、どうすればいいのか教えて欲しくて、自分にわかる限りのことをしゃくり上げながら伝えた。
『……ふんふん、なるほど。 …というか、おまえ、何もわかっていないじゃないか』
しかし、寝ているうちにこのような所に運ばれる心当たりも、どうしてここで一人で寝転がっていたのかもわからなかったので、伝えられる内容なんて、ほとんどなかったのだが。
そうしてまたもや俺が黙り込んでいると、それを聞かされた子犬も分かりやすく困った表情で呆れていたが、ぺろりと俺の頬を舐めると
『仕方ない、今日は一緒に寝床を使わせてやるが、明日は自分の寝床を探しに出ていくのだぞ?』
そう言って、俺の横でコロンと横になった。 俺は嬉しくなって一緒に並んで横たわり、そっと目を閉じると今までの疲れがどっと押し寄せる様に襲ってきたのでそのまま就寝してしまったのだが、その夜はこの地に来てから初めてグッスリ眠れたのだった。
それから数日もすると、俺はその子犬から離れずに生活するようになってしまった。子犬の方も、最初は『消えうせろ』『邪魔だ』などと言っていたが、俺がしつこくまとわりついて離れようとしないので、直に諦めて好きなようにさせてくれ、時には弟に接するようにこの森での狩りの仕方などを教えてくれるようになっていた。そうすると、俺の魔法で獲物の行動範囲を察知して追い込み、子犬がその獲物に襲い掛かって仕留めるといったコンビネーションを発揮して、効率よく獲物を捕ることができるようになったため、生活も安定していったのだった。
『私は兄弟の末子だったため、よくわからなかったのだが、弟というものに接するのはこのような感じなのかもしれないな』
そんなことをよく口にしていた子犬だったが、ぽつりぽつりとその事情を話す彼もまた、不幸な成り行きで家族を失い、一人でこの森を彷徨っている迷子のようなものだった。 最初に俺に出会った時、何故食べもしないで話をしてくれたのかと尋ねると、『自分もまた寂しかったのかもしれないな…』と呟くように教えてくれた。
そして、そんな生活が1月程続き、すっかり二人での生活に馴染んでいた時、またしても事件が起こった。
数日ごとに拠点を変えながら狩猟・採取を繰り返していたのだが、大きな失敗もなく順調にきていたことから油断が出てしまい、俺はとあるドラゴンの狩猟区域に踏み込んでいたことに気づかず、不用意に魔法を展開して主たるドラゴンの怒りをかうという失態を犯してしまった。 ドラゴンは縄張り意識の強い魔獣なので、この周囲で狩猟行為に気づかれる様な魔法を使うなと、あれだけ注意されていたのに。
怒り狂ったドラゴンは、他者が使った魔法の気配に気づくと、俺たちに…特に魔法を展開している俺に向って襲い掛かって来た。俺は恐怖に身動きも取れずに体を緊張させ、ギュッと目を閉じて衝撃に備えたのだが……
自分の間近で ドガッ! と衝撃音は聞こえたものの、実際の衝撃が自分には訪れなかったため、恐る恐る目を開けると、咄嗟に張った防御結界ごとドラゴンの爪に殴り飛ばされた子犬が見えた。
俺は飛ばされた子犬の後を追って行こうと走りかけたが、目の前の邪魔な子犬を排除した後、再び俺を狙って食い殺そうと大きな口を開けて襲ってきたドラゴンの牙の恐ろしさに、再びギュッと目を閉じたのだが……またもや子犬がドラゴンに体当たりして邪魔をするので、ドラゴンの目的がすっかり俺から子犬に移ってしまい、目を開けた時には怒り狂ったドラゴンに思うさま弄ばれた子犬は血まみれになり、地面に転がったまま動かなくなっていた。
俺は衝撃のあまり、ガクガクと震えていたが、動かなくなった子犬が大きな顎を開いたドラゴンに喰われそうになっていることに気づいた瞬間、
「やめろーーっ!!」
と叫んで渾身の火炎魔法を撃ち放ったが、一発逆転するような奇跡は起きず、ただドラゴンの横っ面を殴って刺激した程度の衝撃を与えたのみだった。 ただ、それは子犬への注意を自分に向けることだけは成功し、何度も邪魔されて苛ついていたドラゴンは、最終的に俺に向かってその大きな鋭い爪を振り下ろそうと大きく腕を振りかぶった。 その時
「ドラゴンの頭部を目標に、一斉照射。 放て!」
と、どこかで聞いたような大人の人間の声が響き…その数秒後に無数の攻撃魔法がドラゴンに向けて放たれた。
『ギャッ!!』
一つ一つはドラゴンの固い鱗を貫通する程の威力はないが、それが無数に集まれば十分ドラゴンを圧倒することができる。
またもや横っ面から攻撃を受け、ドラゴンの怒りは頂点に達し
『ギャオォォ~ッ!!』
と雄叫びをあげながら、大きく息を吸い込んでその喉奥に魔力を溜めだした。
俺は何が起こっているのか訳が分からず、耳を劈くドラゴンの咆哮に逃げることもできずに立ちすくんでいたのだが、すると突然横から抱きかかえられ、その場から避難するために運ばれていることに気づいた。
「ブレスが来るぞ!! 全員密集し、最高出力の防御結界を展開しろ!!」
再び、先ほどの大人の声が聞こえ、そこかしこに潜んでいたと思われる集団……その軽鎧の紋章からみるに、我が国の騎士が集まって来た。 彼らは俺を探しにきてくれた騎士の部隊だったのだ。
「ご無事ですか、クリスティアン王子。これから防御結界を張りますので、少しの間ジッとしていてください」
俺を抱きかかえた騎士は、そう言葉をかけると魔法石を取り出して防御結界を張り、その周りを囲むように30人余りの他の騎士たちが同時に防御結界を展開した直後、ドラゴンがブレスを放った。
『ゴァアァァ――ッ!!!』
…時間にして数秒とも数十秒ともいえない時間、騎士たちは結界を張ったまま出力に押されるようにジリジリと後退しつつドラゴンのブレスをひたすら耐えた。そして、フッとその圧力が突然消え去ったと感じたと同時に結界がなくなり、騎士たちの体の隙間からドラゴンが飛び去る後ろ姿をみることができた。
「なんだ、突然。ドラゴンが逃げ去った…のか?」
そうつぶやいていたのは、号令をかけていた部隊長だっただろうか。 しかし、俺はそんなつぶやきも気に留めず、子犬の倒れたところへ駆けつける。
「ねえ、ねえ、起きてよ」
倒れた子犬は、ハァハァと息をしているが、その目はうつろになっており、焦点が合っている様ではなかった。
「誰か、ポーションを出して! 持ってきてるんでしょう!?」
慣れた口調で命令すると、「はっ」と部隊長が俺に中級ポーションを渡してきた。当時のポーションは現在流通しているものよりも精度が悪く、失った組織すら再生するといった上級ポーションの類は一般には流通しておらず、王宮にいくつか保管されているだけだった。
それでも、治癒に関しては現在行える最大限のものであるので、それを子犬の口に注いだ。 振りかけても効果はあるのだが、やはり口腔から注ぎ込む方が効力も・即効性もわずかに高い。 数分もすると中級といえど、ポーションの効果は目に見えて現れ、見る見るうちに細かな傷は消失していったのだが……それでも子犬の苦しそうな呼吸は治まらない。 じわじわと治りきらない深い傷から、魔力がどんどん流れていくのを感じて、俺は更に焦った。
「ねえ、起きてよ! まだお礼も言ってないのに死なないで!」
泣きながら、そう叫んだ時だった。
そう、俺の足元で寝そべりながら顔を上げ、話しかけて来たのは、俺の盟友でもある神狼族のジェロームだ。
かつてこの魔獣は、喉に負った古傷のため話すことなどできない状態だったのだが、数日前とある人物のおかげで古傷が治癒され、この様に何の不自由もなく会話できるようになった。それまでは盟友の契りを交わした俺と念話を交わすだけだったのに。
俺のせいで失うことになった彼の声が元に戻った時、最初はにわかに信じることができなかったが、出会った頃と遜色ない声を聞くことができていると実感すると、その小さな体躯を抱きしめたまま、しばらく涙が止まらなかった。
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その当時、俺は魔力量が多い半獣人だったので外見は同じ年ごろの少年たちと比べると小さな子供の様に幼く、獣人とは異なった容貌をもつため、自分で言うのもなんだが大変可愛かった。そのため、王である親父を筆頭に他の貴族の大人たちには可愛がられ、その子供たちからも親に倣ってチヤホヤされて、自分に敵対するものなど何もないと信じ切っているような、甘やかされた子供だったと思う。
また、3歳年上の兄ジークムントとの関係も良好で、兄の容貌こそ半獣人ではないが、王子としても十分な魔力値を誇る立派な若獅子といった風情があり、年若い少年ながらも、すでに王の片腕として片鱗を見せていたため将来立派な王になるだろうと期待される、優秀な王太子として存在していた。俺にとっても、わがままを言う弟を時々厳しいながらも優しく嗜めてくれる頼れる公正な兄だったので、俺はそんな兄を今でも慕っている。
そして、兄の母である王妃自身も、そんな兄を育てた方らしく聡明で、後宮の管理を司る者として、王の片腕として理性的にふるまえる女性だった。それでも色々思う所がなかったはずはないのに、俺の事を疎んじているような様子は見られず、わがままばかりを言う俺に、王の嫡子としての言動について優しく諭してくれることもあったし、俺の母に対しては、共に王を支えていきたいと言っている程であったが、思慮の浅い所がある母には何故そのようなことを言われるのかが理解できなかったようだった。
しかし、兄と王妃は公正な人であっても、由緒正しい公爵家である王妃の一族は、兄の王位を阻む可能性のある俺たちのことを邪魔者だと煙たがっていた。というのも、俺は第2王子という立場に生まれついたものの、母は身分の低い市井の生まれで、貴族ですらなかったからだ。しかし、女が貴重なこの社会であって子供を…それも魔力に優れ寿命も長い半獣人を産んだとなれば、数ある妃の中の一人であっても、その重要性が増して立場も強くなってくる。そのため長子相続が主流のこの国において、例え弟が生まれようと本来なら絶対的な王太子としての地位が約束されているはずなのに、俺を王に据えてはどうかという勢力が生まれつつあった。
…そして、悪いことに母親がその勢力の口車乗り、行動に加担してしまったため、水面下にあった争いが徐々に激化していって…事件は起こった。
とある日に、後宮の一角にある俺たちの宮を襲撃するものが現れ、俺が誘拐されたのだ。
(その間に何が起こっていたのかは、後から知ることとなるのだが……)その夜、自分の部屋のベッドで寝ていたはずだったのに、急に地面が固くて寝苦しいと思って目が覚めたら、木漏れ日を浴びながら訳も分からず森の中でうつ伏せになって寝間着姿で裸足のまま転がっていた。最初は悪い夢でもみてるかと思ったが、自分が目覚めた時に周囲に転がっていた見知らぬ3人の人間が、魔獣に襲撃されて死んでいたようだったので、恐ろしくなり闇雲に走ってその場から逃げ去った。柔らかい裸足の足裏に固いものを踏んだ痛みが何度も繰り返しても、構わず夢中になって走ったのを覚えている。
そして、息が切れて走れなくなった時初めて、これからどうすればいいのかと思って途方にくれたのだった。なぜなら、いくら魔法に優れていようと、元々護衛を連れて外出する身分でもあった自分は、それを自分の身を護るために使って自ら生き物を害したことはなく、また、常に誰かに守られていたため自分で何かを成したこともないため、見知らぬ未開の地で一人になってしまってはどうすればいいのかわからなかったからだ。
その後、慣れない山歩きに加えて、見も知らない土地を獣に怯えながら逃げ回るストレスで、思った以上に疲労を蓄積させていた俺は、休憩しようと見つけた岩の隙間に入り込み、周囲に気配察知の結界を敷いてから、魔法で水を出して飲み、火を焚きながら体を休めていた。
水や火は魔法で出せるものの食料はとらないといけないので、なんとか講義で見たことがある植物を採ってモシャモシャと食べることしかできなかったのだが……ふと、どうしてこうなったんだろうと思い、王宮に帰りたいと座り込んでシクシク泣いていた。
すると、突然何者かが結界に触れる気配がしたので咄嗟に涙を拭って身構えたが……そこに現れたのは、つぶらな瞳をした茶色い小さな仔犬だった。
『なんだ、変な拙い結界が敷かれていると思って警戒してみれば人の子か。 そこは私の寝床だ。お前の様なやせっぽちの人間の子供に用はない。喰われたくなかったらそこを退くがいい』
その子犬は、薄汚れた感じのする毛皮を纏い、先っぽが白い三角の耳とクルンと丸まったフサフサの毛皮と同じ色の尻尾を揺らしてキャンキャンと偉そうな口調で言って来たが、自分を食うというセリフを聞いていても、その可愛らしい姿を目にすると、まるで恐ろしくなかった。
魔獣を外見で判断する愚かさは、今となってはなくなってしまったものだが、あの頃は自分より弱そうでいて話が通じる相手を見つけた安堵に胸がつまり、魔獣の言うとおりにその寝床から出ていくどころか、涙腺が決壊したかのようにその場でワンワンと泣き出してしまったのだった。
『うるさい。なんでもいいが、私の寝床で泣きわめくな』
その魔獣は最初、迷惑そうに言ってはいたが、しばらくすると困り果てた様に俺に近寄り、座り込んで泣きわめいて退こうともしない俺の足にその前足をポンと乗せると首をかしげて俺の顔を覗き込んできた。俺はその時、誰かに自分の事を聞いてほしくて、どうすればいいのか教えて欲しくて、自分にわかる限りのことをしゃくり上げながら伝えた。
『……ふんふん、なるほど。 …というか、おまえ、何もわかっていないじゃないか』
しかし、寝ているうちにこのような所に運ばれる心当たりも、どうしてここで一人で寝転がっていたのかもわからなかったので、伝えられる内容なんて、ほとんどなかったのだが。
そうしてまたもや俺が黙り込んでいると、それを聞かされた子犬も分かりやすく困った表情で呆れていたが、ぺろりと俺の頬を舐めると
『仕方ない、今日は一緒に寝床を使わせてやるが、明日は自分の寝床を探しに出ていくのだぞ?』
そう言って、俺の横でコロンと横になった。 俺は嬉しくなって一緒に並んで横たわり、そっと目を閉じると今までの疲れがどっと押し寄せる様に襲ってきたのでそのまま就寝してしまったのだが、その夜はこの地に来てから初めてグッスリ眠れたのだった。
それから数日もすると、俺はその子犬から離れずに生活するようになってしまった。子犬の方も、最初は『消えうせろ』『邪魔だ』などと言っていたが、俺がしつこくまとわりついて離れようとしないので、直に諦めて好きなようにさせてくれ、時には弟に接するようにこの森での狩りの仕方などを教えてくれるようになっていた。そうすると、俺の魔法で獲物の行動範囲を察知して追い込み、子犬がその獲物に襲い掛かって仕留めるといったコンビネーションを発揮して、効率よく獲物を捕ることができるようになったため、生活も安定していったのだった。
『私は兄弟の末子だったため、よくわからなかったのだが、弟というものに接するのはこのような感じなのかもしれないな』
そんなことをよく口にしていた子犬だったが、ぽつりぽつりとその事情を話す彼もまた、不幸な成り行きで家族を失い、一人でこの森を彷徨っている迷子のようなものだった。 最初に俺に出会った時、何故食べもしないで話をしてくれたのかと尋ねると、『自分もまた寂しかったのかもしれないな…』と呟くように教えてくれた。
そして、そんな生活が1月程続き、すっかり二人での生活に馴染んでいた時、またしても事件が起こった。
数日ごとに拠点を変えながら狩猟・採取を繰り返していたのだが、大きな失敗もなく順調にきていたことから油断が出てしまい、俺はとあるドラゴンの狩猟区域に踏み込んでいたことに気づかず、不用意に魔法を展開して主たるドラゴンの怒りをかうという失態を犯してしまった。 ドラゴンは縄張り意識の強い魔獣なので、この周囲で狩猟行為に気づかれる様な魔法を使うなと、あれだけ注意されていたのに。
怒り狂ったドラゴンは、他者が使った魔法の気配に気づくと、俺たちに…特に魔法を展開している俺に向って襲い掛かって来た。俺は恐怖に身動きも取れずに体を緊張させ、ギュッと目を閉じて衝撃に備えたのだが……
自分の間近で ドガッ! と衝撃音は聞こえたものの、実際の衝撃が自分には訪れなかったため、恐る恐る目を開けると、咄嗟に張った防御結界ごとドラゴンの爪に殴り飛ばされた子犬が見えた。
俺は飛ばされた子犬の後を追って行こうと走りかけたが、目の前の邪魔な子犬を排除した後、再び俺を狙って食い殺そうと大きな口を開けて襲ってきたドラゴンの牙の恐ろしさに、再びギュッと目を閉じたのだが……またもや子犬がドラゴンに体当たりして邪魔をするので、ドラゴンの目的がすっかり俺から子犬に移ってしまい、目を開けた時には怒り狂ったドラゴンに思うさま弄ばれた子犬は血まみれになり、地面に転がったまま動かなくなっていた。
俺は衝撃のあまり、ガクガクと震えていたが、動かなくなった子犬が大きな顎を開いたドラゴンに喰われそうになっていることに気づいた瞬間、
「やめろーーっ!!」
と叫んで渾身の火炎魔法を撃ち放ったが、一発逆転するような奇跡は起きず、ただドラゴンの横っ面を殴って刺激した程度の衝撃を与えたのみだった。 ただ、それは子犬への注意を自分に向けることだけは成功し、何度も邪魔されて苛ついていたドラゴンは、最終的に俺に向かってその大きな鋭い爪を振り下ろそうと大きく腕を振りかぶった。 その時
「ドラゴンの頭部を目標に、一斉照射。 放て!」
と、どこかで聞いたような大人の人間の声が響き…その数秒後に無数の攻撃魔法がドラゴンに向けて放たれた。
『ギャッ!!』
一つ一つはドラゴンの固い鱗を貫通する程の威力はないが、それが無数に集まれば十分ドラゴンを圧倒することができる。
またもや横っ面から攻撃を受け、ドラゴンの怒りは頂点に達し
『ギャオォォ~ッ!!』
と雄叫びをあげながら、大きく息を吸い込んでその喉奥に魔力を溜めだした。
俺は何が起こっているのか訳が分からず、耳を劈くドラゴンの咆哮に逃げることもできずに立ちすくんでいたのだが、すると突然横から抱きかかえられ、その場から避難するために運ばれていることに気づいた。
「ブレスが来るぞ!! 全員密集し、最高出力の防御結界を展開しろ!!」
再び、先ほどの大人の声が聞こえ、そこかしこに潜んでいたと思われる集団……その軽鎧の紋章からみるに、我が国の騎士が集まって来た。 彼らは俺を探しにきてくれた騎士の部隊だったのだ。
「ご無事ですか、クリスティアン王子。これから防御結界を張りますので、少しの間ジッとしていてください」
俺を抱きかかえた騎士は、そう言葉をかけると魔法石を取り出して防御結界を張り、その周りを囲むように30人余りの他の騎士たちが同時に防御結界を展開した直後、ドラゴンがブレスを放った。
『ゴァアァァ――ッ!!!』
…時間にして数秒とも数十秒ともいえない時間、騎士たちは結界を張ったまま出力に押されるようにジリジリと後退しつつドラゴンのブレスをひたすら耐えた。そして、フッとその圧力が突然消え去ったと感じたと同時に結界がなくなり、騎士たちの体の隙間からドラゴンが飛び去る後ろ姿をみることができた。
「なんだ、突然。ドラゴンが逃げ去った…のか?」
そうつぶやいていたのは、号令をかけていた部隊長だっただろうか。 しかし、俺はそんなつぶやきも気に留めず、子犬の倒れたところへ駆けつける。
「ねえ、ねえ、起きてよ」
倒れた子犬は、ハァハァと息をしているが、その目はうつろになっており、焦点が合っている様ではなかった。
「誰か、ポーションを出して! 持ってきてるんでしょう!?」
慣れた口調で命令すると、「はっ」と部隊長が俺に中級ポーションを渡してきた。当時のポーションは現在流通しているものよりも精度が悪く、失った組織すら再生するといった上級ポーションの類は一般には流通しておらず、王宮にいくつか保管されているだけだった。
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「ねえ、起きてよ! まだお礼も言ってないのに死なないで!」
泣きながら、そう叫んだ時だった。
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具なっしー
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※表紙はAI画像です
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