11 / 47
10・glühend
しおりを挟む「ねえ、昨日の貴公子の新作聴いた?」
「聴いた聴いた! なんでピアノであんなガツンとした音出せるのかしら」
「実際に出てる音と言うより、私達が鋭く感じてるだけかもね」
「そう感じさせてくれる貴公子流石過ぎない?」
『シュッ! シュッ! シャシャ!』
楽団のコントラバス奏者の女性陣がデュー先輩の昨日投稿された動画について盛り上がっている。弓に松脂を凄いスピードで塗りながら。
デュー先輩は、動画配信サイトで先生の新曲をそこでお披露目している。
顔と腕のいい先輩の演奏と先生の完成度の高い作曲でクラシック音楽好きの人を中心に国内に留まらず海外でも人気が出てるらしい。ちなみに、先生は作曲者としての名前だけで一度も動画には出ていない。
俺も先生の曲、演奏してみたい。かっこいいんだもん。
楽団のリハーサルを終えて、楽譜をしまっている最中に指揮者の団長に声をかけられた。
「茜野君って、調月先生のピアノ教室に通ってたんだよね?」
「はい」
「調月先生と連絡取れる?」
「ええ、取れますけど……どうしたんですか?」
「僕の知り合いが、先生に作曲依頼をしたいそうなんだけど……調月先生、事故後全然表舞台に出なくなったから、関係続けてる人限られてるんだよ」
なるほど。先生は三年間ずっとリハビリと趣味のような範囲の作曲作業しかしていない。
著名になったピアノ教室の元教え子達が先生のピアノアルバムを宣伝しまくってるおかげで印税は充分入ってるだろう。けど、まだ通院してるし、防音設備の整ったマンションの家賃も安くない。貯金がどれくらいあるかわからないけど、先生の懐は潤っといて欲しい。
「依頼を俺が伝える形でいいんですか?」
「出来れば。コレ、依頼内容の書類」
団長から渡された大きな茶封筒を楽譜と共に閉まって、めんどくさいと思いつつスマホを手に取る。
『プルルルル、プルルルルピッ』
「もしもし、デュー先輩? 茜野です。今夜先生と会えます?」
『茜野? 先生に用事?』
「はい。ちょっとお渡ししたいものが」
『わかった。先生──……』
電話越しに何か紙が擦れる音が聞こえる。楽譜だろうか。
『先生もいいって。何時に来る? ご飯は?』
「え? ご一緒していいんですか?」
『ああ。来い来い』
いつにも増してウェルカムな先輩に小首を傾げる。
まあ、好都合だけど。
時計を確認すると十九時に目的の駅に着く電車がある。
晩飯も一緒に食う流れになりそうだな。
先生にも会える! あわよくば、俺にも新譜をお願いしよう!
手土産に缶ビールを買って先生達のマンションにお邪魔する。
『ピンポーン』
『ガチャ』
「いらっしゃい茜野」
「お邪魔します」
つい一週間前にお邪魔したばかりだが、前と違って──
「いらっしゃい、裕和君」
「あ! 調月先生!」
先生がいる!!!! 半年ぶりの先生……!
先生……相変わらずかっこいい……俺も髭蓄えようかな。
「元気だった?」
「はい、なんとか。先生は大丈夫ですか?」
「大丈夫。天音君も居るし」
その言葉に自慢気に笑う先輩が……
「い、いやぁ……へへ」
「!?」
なんだ!? めっちゃ気不味そうに照れてるぞ!?
「ご飯食べましょうか」
「ん。裕和君、適当に座って」
「はい。あ、コレ缶ビールです」
「おおーありがとう」
食卓に並ぶ色とりどりの中華料理達。どれも美味しそうだ。
三人で席に着いて、まずは缶ビールを開けて、先生の缶ビールにコツっとぶつける。
「「「乾杯」」」
とりあえず一口。
ビールの良さを知ると、もう戻れなくなる。
先生を見るとストローで飲んでた。メンヘラ女子っぽい。似合わないけど、ちょっと可愛い。
エビチリを口入れれば辛さと旨みが舌を襲ってくる。
先輩が言うには、このエビチリの味付けは先輩のお父さんオリジナルらしい。マジでうめぇ。
先輩が箸で先生の口に運んでいる。
「店の味がする」
「ほんそれ」
「事実、店の味ですから」
レストランのシェフの技が息子に受け継がれてる。ありがたい。
餃子も美味いし、ニンニクの青菜炒めは汁まで飲み干せそうだ。
「……ヒック、すみまへん」
ストローで飲んでる先生よりも早く酔っ払った先輩。
「ご馳走様でした。先輩、俺が皿洗いするんで座っててください」
「ごめん」
顔を真っ赤にしてヘロヘロになっている先輩は机に突っ伏してしまった。
調理器具は全部洗ってあったから、食器だけで済んだ。
「裕和君、そういえば用事は?」
「あっ、忘れてた。先生、コレ仕事依頼の書類です。預かってきたんで」
「依頼? 俺に?」
「詳しくは知りませんけど、作曲依頼らしいです。断る際は、記載されてるメールアドレスにお断りメール送ってくださいとの事で」
「……わざわざありがとう」
先生の変わりに封筒を開けて中の書類を机に置く。
書類を読み始めてから数分後、先生は書類を短い腕で挟んでソファーに腰掛けてる俺の隣に来た。
「裕和君、少しいい?」
「はい」
「クライアントに送るピアノ音源の演奏を君に頼みたい」
「え!? 先輩じゃなくて?」
「このジャンルは天音君より君向けだ」
あの旋律の貴公子より俺をご指名!?
めちゃくちゃ嬉しい……
「謝礼はしっかり払うから」
「光栄ですけど……ほ、本当に俺でいいんですか? 演奏技術も表現力も先輩の方が」
「天音君のピアノは確かにずば抜けて凄いけど。生のセッションじゃ無い限り、周りを置いてく。依頼された俺の楽譜を元に他の楽器を別撮りで追加するらしいから、協調性のある柔軟な君のピアノが最適」
「先生……」
俺達のピアノの先生なだけあり、各々の得意分野をよく理解してらっしゃる!!
これはやるしかない! 先生の期待に応えなければ!
「デュー先輩、潰れててよかった。起きてたらきっとブーブー言ってますから」
「そう?」
「言いますよ。先輩、先生の事大好きですから」
俺の言葉に先生の方がビクッと意味深に跳ね上がった。
先生らしくない反応に、俺は首を傾げた。
「先生? どうしました? 顔赤いですよ?」
「なんでもない……酔いが回ってきただけだ」
「いや、それは……そうですか」
無茶のある言い訳だが、その言い訳には乗っておこう。
「何かあったんですか? 酔った勢いで、教えてくださいよ」
「…………何も」
「いいじゃないですか。たまには俺も先生に頼られたいんです」
元教え子のお願いに先生は俯いてモゴモゴしてる。
「……………………き」
「?」
「……裕和君は…………俺に、キス……出来る?」
「へ!?」
予想外の言葉に俺は度肝を抜かれつつ、冷静になって先生に言葉を返す。
「されたいんですか?」
「いや……別に。ただ、一昨日の夜に天音君に……」
「されたんですか!?」
「……うん」
先輩にキスされて思い悩んでいる様子の先生。
マジで先輩何やらかしてんの!?
「嫌だったんですか? ならちゃんと言わないと」
「……嫌ではなかった……びっくりしただけで…………俺の気にし過ぎならいい。けど、天音君もちょっとぎこちないから……余計気になって」
俺に対してウェルカム対応だったのは、気不味くて第三者挟みたかっただけか!!
先輩マジで何やって……ああ~~仕方ない。
「先生、気にし過ぎです。先輩も慣れない事やらかしてソワソワしてるんですよ」
「そう、か?」
「そうです。俺だって、先生の事めちゃ尊敬してますし、キスぐらい出来ますから」
俺はそう言って、先生の顎を軽く掴んで顔を寄せた。
先生のギョッとした雰囲気が伝わった。勿論、口付けはしない。
だが、しかし──
「なにしれんの!」
『グイン!』
「うお! 先輩!?」
先生の背後から腕が伸びてきたと思ったら、先輩が俺を力任せに先生から引き剥がした。
「天音君……」
「あはは、せんせ~♡」
ソファーの肘置きを挟んで先生を後から抱き締めるデュー先輩は完全に酔った勢いで先生に絡んでいる。
「……はぁ、もう……先輩、先生大好きなのもいいですけど、先生困らせる事は」
『ちゅ』
「んぐ!」
「あっ」
先輩の手が先生の顔を固定すると、そのまま唇を押し付けた。舌が捩じ込まれる瞬間をガッツリ目撃してしまい、頭が真っ白になった。
先生は驚愕のあまり、されるがままで固まっている。
ただ、普通のキスにさえ慣れてない先輩が舌を使ったキスを熟るはずもなく、息継ぎ無しで先生の口の中を舐め回してるだけだ。犬かよ。
「ん、あまね、く……くる、ひ」
『ガンッ!』
「!」
酸欠で苦しむ先生が、足をバタつかせて机を蹴り上げた音によって俺は我に返った。
「ちょ、ちょっとちょっと先輩! 先生死んじゃいますよ!!」
「んへ?」
肩を掴めば先生から舌を抜いてこちらを見る間抜け面の先輩。
しまい忘れた赤い舌が、先生の唾液にまみれてヌラヌラしている。
「先生、大丈夫ですか?」
「はっ、はーっ、はーっ……うん、だいじょぶ」
息を荒げ、先生はなんとか言葉を絞り出した。顔色が赤いやら青いやらで明らかに悪い。
酒癖悪いというか、先輩……
「(やっぱそういう意味で先生の事好きだろ……)」
ピアノ教室時代に先生のガチ恋勢みたいな生徒も少なくなかったが、群を抜いて先生にゾッコンだったのはデュー先輩だ。
先生以外みんなうっすらヤバさを感じていたが、本人自体良い人で無害だったから、特に誰も咎めるような事をしなかった。
大人になって、事故後も今も昔も変わらず先生大好きである事はわかるし、一途を貫けるのは、素晴らしいと思う。
だからといって、やっぱキスは段階踏んでからしなきゃ、先生が困るだけだ。
「は、ケホッ……おかしい」
「?」
「ビール以外の……酒の味がする……」
「…………うっわ」
気不味さから逃げる為に酒引っ掛けてやがったのか。だから、ビールで許容オーバーしてこの有様ってわけか?
ビール持ってきた俺が悪いのコレ?
「せんせ、せんせぇ♡」
「うぁ……くすぐったい」
先輩が甘えた声で先生の肩に頭を乗せて擦り付ける。
俺の事なんて眼中にない。
「……先生、とりあえず引き剥がすんで、風呂にでも入ってきてください。浸かるだけなら一人でもいけましたよね?」
「ああ、うん。ありがとう」
先生に引っ付いてる先輩を今度は俺が強引に引っ張り剥がした。
先生を見送ってから先輩を引っ張ってソファーに座らせた。
俺と先輩だけが残された空間で、俺は壮大にため息を吐いた。
「ああ~せんせー」
「デュー先輩、ちょっと落ち着いてください」
「せんせーせんせぇ……ふぁ……」
情け無い声で先生を呼びながらうつらうつらと船を漕ぎ始めた先輩。
このまま寝落ちしてくれるならそれに越したことは無い。
「せんふぇ……」
「…………寝た」
眠りに落ちていく様子を見届けて、ゆっくりソファーへ横にする。
起きる気配がない。
完全に眠ってしまったらしい。
「……裕和君」
「あ、先生。先輩寝ちゃいました」
「これかけてあげて」
「はい」
先生が持って来たタオルケットを受け取って先輩にかけてあげた。
「ごめん、変な事に巻き込んで」
「本当ですよ。まぁ、先輩の行為は気にしなくて大丈夫です。酒が入って愛情表現が暴走したとでも思っておけば」
「……ああ、そうか」
きっと前キスした時も酒が入ってたんだろう。
先生は原因がわかってスッキリしたような表情をしていた。
「あ、あとピアノだけじゃなくてキスの仕方も先輩に教えてあげてくださいよ。二十六であれはやべえっすよ」
「確かに、飢えた犬みたいだった……」
「じゃあ、俺は失礼しますね」
「あ、うん」
流石にこれ以上長居するのは良くない。
俺は先生の家を後にする事にした。
「……また、遊びに来て」
「はい。勿論」
玄関で靴を履いている時に、見送りに来た先生が少し名残惜しそうに言った。
そんな顔されたら嬉しくて仕方ない。
「レコーディングの日程はまた送ってください」
「わかった」
「それじゃ、おやすみなさい」
「おやすみ」
妙に疲れた。先輩の記憶がぶっ飛んでる事を祈ろう。じゃないと、旋律の貴公子は土下座の貴公子になるだろうから。
後日……先輩から謝罪メールと共に感謝メールが届いた。
よくわからないけど、感謝されてた。
全く意味がわからない。
(glühend・熱烈に)
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
23
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる