十二年の孤独な両片思い――解けない愛の無理関数

夜子

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第1章:12 + 2 < 0 = 正解(前編)

不完全な関係,完璧な裏切り

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第1章:12 + 2 < 0 = 正解(前編)
不完全な関係,完璧な裏切り

 金曜日の深夜。  車内にはサウナ帰りの湿った熱気が居座り、胸が焼けるように息苦しい。  ハンドルを握る星野煌人(アキト)の指節は白く浮き出し、その苛立ちを無言で物語っていた。バックミラーに映る石小路真翠(マスイ)の顔は、湯気に当てられて桃のように火照っているが、その瞳の奥には怒りで青白い炎が揺れている。  まるで霜に打たれた桃のような、その誘惑的なまでの危うさが、煌人の嗜虐心をこれでもかと煽り立てた。

 助手席に座る九条遥(ハルカ)が、しなやかに身を翻す。磁器のように白い肌を持つその美貌を、指先を弄びながら、鈴を転がすような、それでいて猛毒を含んだ甘い声で言った。 「煌人、真翠さんは中央区だったわね? ついでに先に彼女を送り届けてもいいわよ。私は急がないから」

 煌人は口角を歪め、野良犬のような卑俗な笑みを浮かべた。 「あいつの顔は、それ自体が完璧な『安全装置』ですよ。女としての艶(つや)もなければ、隙もない。真夜中の路上に放り出しておいても、誰もわざわざそんな『石ころ』を拾い上げようとは思いませんから……。九条部長、あんたみたいに『美味しそう』な人を放っておくのは、会社にとって重大な損失ですよ。万一、色ボケした狼にでも出くわしたら、俺には責任が持てない」

 遥はどこか浮世離れした、曖昧な微笑を返す。 「星野ったら、何を馬鹿なことを。真翠さんだって、あんなに可愛いのに」

 煌人の指が、ハンドルを軋ませるほどに強ばった。 「可愛い? ……ええ、そうですね。可愛さなんて性別も、なんなら『種族』も問いませんからね」

 ドォン!  後部座席から鈍い衝撃が走る。真翠が運転席の背もたれを力いっぱい蹴り上げたのだ。車体が揺れるほどの衝撃だった。 「星野、車を止めなさい!……今夜、あんたを地獄に引きずり落とさない限り、私は死んでも死にきれない。さあ、どっちの命が先に尽きるか、今ここで決着をつけましょう!」 「死にたきゃ勝手に行けよ。俺を巻き込むんじゃねえ。……あんたみたいな不細工と地獄まで心中(しんじゅう)なんて、冗談じゃねえよ」  煌人はハンドルを抑え込み、刺すような冷笑を浴びせる。 「九条部長の身に何かあったら、俺たちの命じゃ贖(あがな)えないんだよ。……ほら見ろ、小春ちゃんを怖がらせて」

 真翠の隣で身を縮めていた橋本 小春(コハル)が、消え入るような声で呟く。 「いえ……星野係長、真翠お姉ちゃんをあまり虐めないでください……」

 煌人は低俗な口笛を吹いた。軽挑で耳障りな音だ。 「聞けよ、小春ちゃんのこの可愛い声を。真翠、お前の声はどっちの性別か判別もつかないな。……ああ、そういえば顔を見ても同じか」 「星野煌人! さっきのサウナの蒸気で窒息して死ねばよかったのに!」 「死ね、か。残念だったな。あの蒸気は俺の肌を潤すためのエッセンスに過ぎない。……嫉妬か? 真翠。お前のような不細工には、あの極上のケアは刺激が強すぎたかな」 「この……っ自惚れ屋……!」

 九条は口角をわずかに釣り上げると、甘い毒を含んだような声で窘めた。 「星野、そのくらいにしておきなさい。石小路さんも一応は女の子なんだから。……もう少し、優しく扱ってあげたらどう?」 「九条部長、買い被りですよ。石小路真翠という女の遺伝子に、『可愛げ』なんて言葉は一文字も刻まれていない」  星野は冷淡に鼻で笑うと、わずかな温もりさえも、その鉄壁の拒絶の向こう側へ突き放した。

「……ふん、まるで自分には、そんなものが欠片でもあるみたいな言い方ね」  真翠は、今にも途切れそうな、掠れた声で言い返した。隣では橋本が、震える彼女の手を祈るように握りしめ、必死に体温を分け与えようとしていた。

 車は橋本 小春のマンションに着いた。 「真翠お姉ちゃん、怒らないでください。星野係長は、その……口が悪いだけですから」  小春が不安そうに声をかけると、真翠はそっと彼女の頭を撫でた。 「大丈夫、怒ってないわ。……小春ちゃん、マンションに着いたら鍵をかけて。……ちゃんと、LINEして」 「はい。ありがとうございます。真翠お姉ちゃん、九条部長、星野係長……失礼します」

 再び走り出した車内で、遥が粘りつくような優しさで囁いた。 「煌人、本当に真翠さんを先に送らなくていいの? 私の家の方が遠いのに」 「いいんですよ、九条部長。真翠は女としての価値が底をついた石ころですから。街灯の下に放り出しておいても、誰もそんな物好きはいませんよ」

 九条遥の邸宅に着き、九条が降りる間際、煌人に意味深な視線を投げた。 「煌人。……次は、また二人きりで。真翠さんをちゃんと送ってあげてね。……紳士的に」 「はい、お任せください」

 九条の背中が夜の闇に消えた瞬間、煌人の顔から偽りの笑みが剥がれ落ちた。  彼は後部座席のドアを乱暴に開き、薄荷の香りと狂おしい熱気を蒔き散らしながら、真翠の隣に捻じり込んだ。一瞬にして、車内の酸素が彼という存在に奪い去られ、支配される。

「降りろ。……助手席に戻れ」  低く、鼓膜を這うような湿った命令。 「嫌!」  真翠はフードの下で声を殺して拒絶した。 「そうか。……なら、ここでいいんだな?」

 煌人は冷たく笑い、その高い体躯で真翠を圧(お)し塞(ふさ)いだ。指先がフードを跳ね除け、熱い吐息が耳を焼く。彼は真翠の耳たぶを執拗に舐め上げ、呪詛(じゅそ)のように低く囁いた。 「九条部長に『紳士的に』と言われたが……ここでヤるのも十分『紳士的』だろう? ああ?」 「……っ、やめて!」

 真翠は弾かれたように彼を突き飛ばした。煌人はドアまで放(ほう)り出(だ)されたが、気分を害(がい)した風(ふう)でもない。独占欲に燃える暗い火を瞳に宿しながら、彼はドアを開けた。 「いい子だ。……助手席へ行け」

 真翠は屈辱に震えながら、再びフードで顔を隠し、助手席へと移動した。  車が走り出すと、煌人はハンドルを握りながら、何(なに)食(く)わぬ顔(かお)で問うた。 「俺のマンションか、それともホテルか」 「家に帰して」 「今日はダメだ」

 拒絶は明白だった。彼は突然、真翠の華奢な手首を掴むと、それを自分の股間へと無理やり引き寄せた。スラックス越しでも、そこが異様なほど硬く脈打っているのが分かる。 「……感じたか? こいつが、お前を放してくれないんだ」 「死ね、変態」 「お前が気持ち良くなれれば、それでいいだろ」

 煌人はアクセルを力一杯踏み込んだ。 「……ホテルでいいわよ」 「ははっ、いい返事だ、奥(おく)さん」 「その呼び方、やめてって言ってるでしょ!」 「前はベッドの上で、あんなに嬉しそうに泣(な)いてただろ?」 「黙って、運転して!」
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