魔界王立幼稚園ひまわり組

まりの

文字の大きさ
上 下
19 / 94
2巻

2-3

しおりを挟む
 いいお返事をして、再び仲良く遊びはじめた男の子達だったが……

「じゃあ、次はスープごっこね」
「こんど、ユーリがコックたん!」
「まー君はおたまー!」

 子どもの考えつく遊びって、つくづくわからない。


 しばらくして、ウリちゃんが一人で戻ってきた。私はウリちゃんに駆け寄って、小声で聞く。

「メルヒノア様は大丈夫だった?」
「はい、もう落ち着かれました。ランデム君達には、あとで謝るとおっしゃっていました」
「子ども達はもう気にしてないから、大丈夫よ」

 それよりも、どうしてメルヒノア様があそこまで取り乱されたのかが気になった。尋ねると、ウリちゃんが教えてくれる。

「メルヒノア様のご子息……ツツルの王子は、人間が飼い慣らして放った巨大な魔獣まじゅうサラマンダーの火焔かえんに焼かれ、亡くなったのです。メルヒノア様との外遊中で、王子は成人を迎えられたばかりでした。ツツルの竜王りゅうおう氷竜ひょうりゅうの血を引いておられるので、火には特に弱かったのです。きっとそのときの状況が頭に浮かんだのでしょう」

 そうか。魔王様は、メルヒノア様の悲しい記憶が戻らないように、忘却の魔法をさらに強くかけたとおっしゃっていた。でもやはり、どこかに残っているんだね。
 人間の放った魔獣まじゅうが原因か……
 心のどこかで、何かがきしむ音がした気がする。魔王様の眷属けんぞくになった私だけど、自分は人間だと思っている部分がまだあるからだろう。

「それじゃあ……メルヒノア様にとって、人間はかたきじゃないの」

 私のつぶやきに、ウリちゃんは苦々しそうに答える。

「仇であることや事件の詳細はお忘れですが、人間を嫌っておいでですね」

 ……やっぱり、私は義妹いもうとになるわけにはいかないと思うのです。
 そうでしょう? メルヒノア様。


 子ども達とメルヒノア様との一件があった日の夜、私は魔王様に呼ばれた。
 ウリちゃんとユーリちゃんは、メルヒノア様に捕まったままだ。魔王様は猫耳執事さんにまで退出をお願いして、なぜかサロンに二人っきり。
 いつものことなのでもう慣れたけど、席がたくさんあるのに、どうして私の横に座られるのでしょうね? 魔王様は。
 とはいえ、ぴったり隣でもない。一人分くらいの間があるこの微妙な距離感に、一層緊張する。
 私を呼び出しておいて、魔王様は黙ったまま、なかなかこちらも向いてくださらない。私だけでなく、なんだか魔王様も緊張しておいでのよう。
 ちらりと隣を見上げると、魔王様の整った横顔が見える。綺麗だけど男らしいあごや鼻のラインが、素敵だ。まるで、私の理想を具現化したみたい。
 ……なんだろうな、この沈黙。
 ものすっごくが持たないというか……

「あの、魔王様? どういった御用でしょうか?」

 思いきって、こちらから声をかけてみた。
 すると私を見た顔に、またもドキッとする。ああ、直視できない。くらくらするぅ。
 でもこのドキドキはどちらかというと、トキメキよりも恐怖に近いのですが……
 それに、なんといいましょう、魔気まきですか? 魔王様から、ものすごい圧力を感じます。

「そ、そろそろ……」

 かなりたどたどしい感じで魔王様が口を開かれた。

「そろそろ?」
「姉上が早くとうるさいのもあるが、そろそろ私も本音を伝えておこうと思って」
「本音……ですか?」

 ――ああ、なんだろう。ドキドキする。魔王様の本音って、一体何?

「ココナさん!」

 魔王様が一人分ほどのソファーの隙間を埋めるように、すっと横に寄ってこられた。そして顔を近づけてくる。

「はっ、はい?」

 なぜですか? なぜそのように手をにぎられるのでしょうか。
 近い、近いです、魔王様! そんなに至近距離で見つめられたら気を失ってしまいそうです。
 かといって、目をらすこともできません。いつも思うのですが、うっとりドキドキするよりも、眼力が強すぎて怖いです! 
 目を逸らしたら食べられちゃうって感じ。へびにらまれたカエルの気分かな?
 今日はってはおられないようなのに、魔王様は一体どうなさったのですか!

「ま、魔王様?」

 すうっと息を吸いこむ音がした。

「正直に言う。私はココナさんのことが好きだ」
「え……」

 あまりにストレートすぎて、返答もできない。

「――ああ、言ってしまえてすっきりした」

 そのようですね。普段はあんまり表情が豊かでない魔王様にしては、ものすごく爽快そうかいなお顔をなさっている。
 一方私は、きっと今情けない顔をしているんだろうな。――魔王様のお話があまりにも簡潔で、しかも直球すぎて。

「だからもう一度、ユーリの母親になることを考えてはくれないだろうか」

 今度はちょっと変化球だった。
 ええと……確か、ユーリちゃんのお母さんになるというのは、魔王様の妻になるということだ、と以前お聞きしたような気がするのですが? ……つまり、ですよ?
 ええええええぇぇ――――――っ!?
 これはもしかして、もしかしなくとも、プロポーズされているの?

「ココナさんのお考えを聞きたい」

 魔王様は私の返答を待っておいでだが……

「い、今ですかっ?」

 無理っ。今すぐなんて無理っ! 頭真っ白でなんにも考えられない……

「あの……じ、時間をください」

 そう言うのが、今の私の精一杯。

「もちろんだ。私は言いたいことを言えてスッキリしたが、あとはあなたの気持ちの問題。結婚を無理強むりじいする気はないし、今すぐどうということでもない。あなたの気持ちが私に向いてくれるのを、待つつもりでいる。しかし、もしあなたがウリエノイルや他の誰かを選んだとしても、私は祝福しよう。姉上には、あまりかすなと伝えておく」

 魔王様のお言葉が――重い。正直、重い。
 魔王様は本気なのかな?
 おそれ多くて考えもつかないけど、ユーリちゃんのお母さんになるっていうのは、やっぱり少し心が動く。
 でも……このタイミングだ。メルヒノア様にあれだけ言われて、魔王様も、再婚やユーリちゃんに新しいお母さんを迎えることに、少し焦っただけなのでは?
 そのときたまたま近くにいたのが、私だった――みたいな。
 だって……魔王様の心の中にはまだ、亡き奥様への想いがあるのだろうし。
 そう思うと、なぜか心の奥がほんの少しささくれみたいに痛い。どうしてかな……
 一番わからないのは、自分の気持ちなのかもしれない。



   第二章 揺れる心


「ココナちゃん! リンデルちゃんとのこと、いい知らせを待ってるわ!」

 たくさん幼稚園のことを学び、ツツルの国の現況がひとまず落ち着いたと連絡が届いたある日。まぶしい笑顔でそう言い残して、メルヒノア様はツツルに帰られた。
 といっても、魔王様の転移陣てんいじんを使っての移動なので、お見送りは一瞬。あっというますぎて、お別れした実感はイマイチない。

「やっとお帰りになられました……」

 一緒にお見送りしていたウリちゃんが、ぽつり。メルヒノア様が立っていた転移陣をぼんやり眺めながら、大きくため息をついた。心底ホッとした顔だ。

さびしくなっちゃうね」
「――ココナさん、もっとおられたほうがよかったとお思いですか?」
「……ノーコメントで」

 結局メルヒノア様は、二週間ご滞在でしたよ!
 もう、ひょっとしたら永遠にお帰りにならないのかと思った。
 研修どころか本採用の先生になったみたいな勢いで、メルヒノア様は毎日幼稚園に登園してこられた。滞在期間中は皆勤賞かいきんしょうです。
 子ども達もすっかり彼女に馴染なじんで、一週間経った頃には『メル先生』と呼んでいた。

「まったく問題がないとは言いがたいけど、お優しくて元気で楽しい方だね。きっと国に帰られても、いい幼稚園の先生になられると思うよ」
「子どもがお好きですからね」

 ウリちゃんは、魔王様と同じことを言った。

「ところで、魔王様はお見送りされなくて、よかったのかしら?」
「王子がメルヒノア様に帰ってほしくないと泣かれてましたからね。なだめるのに精一杯で、それどころではないのでしょう」

 ふむ。メルヒノア様はユーリちゃんをべったべたにかわいがっておいでだったもんな。さびしいよね。
 幼稚園的にも寂しい。きっと明日、子ども達はがっかりするだろうな。
 でも、私個人としてはウリちゃんじゃないが、心底ホッとした。
 何より、魔王様との結婚のお話のことがあったから。今すぐどうってことはないと言われても、メルヒノア様がそばにおいでになると、やはり焦るわけでして……
 なんだかこの頃、幼稚園の仕事にも完全に身が入っていなかったのではないかと思う。
 魔王様のお気持ちに何かしらの答えを出さなくちゃいけない状況は変わっていないものの、ほんの少しだけ肩の荷が下りた気分。
 そんなわけで、久しぶりに静かなサロンで午後のお茶の時間です。
 ウリちゃんと二人っきりは、本当に久しぶり。いや、二人っきりと言っても、猫耳執事さんはおいでだけども。
 ああ、お茶がおいしい。
 そしてやっぱり、座るところはいっぱいあるのに、同じソファーのすぐ隣に座るんだよね……ウリちゃんも。
 ウリエノイル宰相閣下は、偉くてすごい人だ。それはわかってるのに、なぜか魔王様と並んでいるときほど緊張感がない。どっちかというと落ち着くのが不思議。

「……そこはかとなくやつれてませんか? ココナさん」

 ウリちゃんにかれて、苦笑した。

「わかる? 正直きつかったよ、精神的に」

 さすがに、挨拶あいさつと同じ頻度ひんどで「リンデルちゃんとのお式はいつ?」と聞かれても、答えようがないです……
 メルヒノア様が魔王様と私をくっつけようとする言動は、ほとんど洗脳に近いものがあったのだ。ひょっとしてこの城にいる以上、私、魔王様の嫁に決定なんですか? と、焦らなくもない。
 誰を選ぼうと私の自由だと魔王様はおっしゃった。
 それなのに、母親になってほしいと言うユーリちゃんといい、義妹いもうとになってと頼んでこられるメルヒノア様といい、こうも周囲に迫られてしまってはね。あやうく選択の余地がなくなるところだった。
 思い返してお茶を一口。そして、ゆっくり息を吐いていると、ウリちゃんが体を私のほうへ向ける。

「わたくしがいやしてさしあげましょう。さあ、ココナさん、我が胸に」

 ウリちゃん……いつもの冗談だってわかってるものの、こういうときだけ真顔なのは怖いよ?

「き、気持ちだけいただいておくわ」

 腕を広げられても、胸に飛びこんだりはしませんから。

遠慮えんりょなさらなくていいのに」
「遠慮しているわけじゃないからね」

 まったく、あなたのそんな行動も、私を悩ませる要因のひとつなんだよ。
 魔王様といい、ウリちゃんといい、なぜみんなそうも私にかまうのだろう。二人の行動が、周囲の方々にいろんな誤解を与えるんじゃないの。
 このお城には、私の他に独身の若い女性がいない。だから、私の存在が珍しいだけなんじゃないだろうか。
 ちょっとムカッときたので、意地悪を言ってみる。

「ねえ、ウリちゃん。前に一目れだなんて言ってたけどさ、よーく冷静に考えてみてよ。他に身近な女の人がいないから、そんな風に思えただけなんじゃない? まあ、あれも冗談のつもりだろうけど」

 彼女いない歴が長いのを気にしてたしね……

「ひどいですね。冗談などではございませんよ? 城には確かに若い女性はおりませんが、町に出れば美女もたくさんいますし、見合いをすすめてくる者もおります。それでも、わたくしはこれという相手を見つけられませんでした。でもココナさん、あなたを見た瞬間に心が震えたのですよ。これはまぎれもなく運命の恋です」
「……はぁ」

 よくもまあ、まったく恥ずかしげもなく、穏やかな笑顔でそういうことが言えるものだ。
 無駄に綺麗な堕天使様だから、呆れながらもドキドキしちゃうじゃないのよ!

「好きになるのに、時間も理由も必要ないのですよ」
「わ、わかったから、もういいよ。恥ずかしくて聞いていられない」

 ああもう。なぜそうなんですかね、あなたは。シャイな日本人として生まれ育った私は、こういうのに免疫がないんだよ。

「あなたはとても魅力みりょく的です」
「もういいって……」

 なんか……蕁麻疹じんましんが出そうだ。
 直球で言われる分だけ疑わしい気持ちになる。隣でゴキゲンな様子でお茶を飲む堕天使様を、横目で眺めてみた。
 ふむ、銀髪と緑の瞳で――本当に美しい。魔王様に比べたら線が細くて中性的な顔立ちだけど、よく見たらやっぱり男っぽいね。眉のラインとか、結構好きかも。白いカップが形のいい唇に当たってるのを、いつのまにかうっとりして見つめていた。
 顔がうんぬんってだけじゃなく、他にも気になることがある。先日ウリちゃんが死にそうになってたときに感じた気持ちは、やっぱり嘘ではない。この人を失いたくないし、できることなら私が身代わりになってもよかった。
 それに、こうしてしゃべってると他の誰といるときより落ち着くし、そばにいるだけでホッとする。
 これって……好きってことだよね? でも、恋かとかれるとなんだか微妙。
 私がじっと見つめていたのを感じたのか、ウリちゃんが再び真顔になってこちらを向いた。

「そんなに見つめられたらわたくし、また舞い上がってしまいます」

 あー……どこまでが冗談なのかわからない、この口調さえなければなぁ。

「……ウリちゃんなんて、お空まで飛んでいってしまえ」

 ウリちゃんには、先日の魔王様のプロポーズの件は内緒。でも気になっていたのもあってか、思わず口からぽろりとれてしまう。

「魔王様は私のどこがいいんだろう?」

 がちゃん、と音を立て、ウリちゃんはちょっと乱暴にカップを置く。

「ココナさん、ひょっとして魔王様に言い寄られでもしましたか?」

 あっ、ウリちゃんが少し怖い顔になった。魔王様ほどではないものの、ウリちゃんからなんだかぴきーんと冷たい気を感じる。い、言わなきゃよかった?

「いやぁ、多分メルヒノア様にかされて、魔王様も再婚を少し焦られただけだと……」
「否定なさらないんですね。へぇ、そうですか。そうなんですか」

 ウリちゃん、思いっきりねたみたいな顔だよ。何よ、そのリアクションは。

「で?」

 つっけんどんに訊かれて、意図がわからずに訊き返す。

「で、とは?」
「ココナさんは魔王様になんとお返事なさったのかなぁと」
「ま、まだ返事は何も……」

 バラしちゃって悪いなと思いつつも、簡単に経緯を話す。今すぐどうという話もないし、誰を選ぼうと自由だと言われたことを手短かに説明すると、ウリちゃんはいつもの笑顔に戻った。

「それを聞いて安心しました。わたくしもまだ負けてはいないのですね」

 いや、負けも何も……なんの勝負なの? そういうのって勝ち負けの問題かな?

「わたくし、毎晩キミちゃんと愛の言葉を練習中なのです。魔王様よりもぐっとくる言葉で求婚いたしますので、待っていてくださいね」
「はぁ」

 話に出てきたキミちゃんことキミナイアちゃんは、ウリちゃんがお部屋でこっそり飼っているお魚さんだ。一度だけ、見せてもらったことがある。とっても綺麗だが凶暴で、うっかり手を出すと腕の一本くらいおいしくいただかれてしまうそうだ。忙しい宰相閣下に代わって餌をやりに行った雑用係さんが何人かかじられたらしいので、もうこっそり飼ってるとは言えないね。
 園でうさぎか金魚のお世話をするのもいいかなと思い、参考にさせてもらおうとして、結局やめた。まあ、今はどうでもいい。
 そうですか、ウリちゃんは物言わぬお魚相手に、プロポーズを練習しているのですか……。まあこれも冗談なんだろうと流しておく。
 ふいに、ウリちゃんの話が魔王様のことに戻った。

「ここだけの話ですが、ココナさんは髪の色と目の色を除けば、亡きユリレア王妃によく似ておいでなのです。わたくしの従兄妹いとこで堕天使でしたので、王妃はもっとはかなげな感じでしたけれど……。きっと魔王様はココナさんに王妃の面影おもかげを見ておいでなのですよ」
「……そうなんだ……」

 ふうん、私は亡き王妃様に似ているのか。
 ユーリちゃんのお母さんになってほしいと私におっしゃるのも、そのあたりのお気持ちが関係しているのかもしれないね。
 でもそういうことなら、魔王様はやっぱり今でも王妃様を愛しておいでだってことじゃないの?
 ……なんだか少し胸の奥がちくってした気がするのは、多分気のせい。

「はあ……お城を出ようかとまで思ったんだよ、私。本当にここにいていいのか、不安になってきた……」

 ユーリちゃんのお世話や幼稚園のこともあるから、城を出るのが無理なのはわかっている。魔王様だって許してくれるわけがない。無理ってわかっていても愚痴ぐちがこぼれた。

「私、ここにいてもいいのかな……?」

 つぶやくようにいてみる。

「いていいのかどうかって……出ていくにしても、あてなどないでしょう? 第一、その髪と目では、どこにいっても魔王様の眷属けんぞくだとバレバレです」
「それよ。思うんだけどね、同じ黒髪に黒い目というのが魔界では特別だ、っていうのはわかった。でもね、魔王様が前に、私とユーリちゃんはすでに同じ立場だとおっしゃってたでしょう? それが今ひとつピンとこないのよね。王族と言われても、元は他人じゃない? それとも体を治してもらったときに血が入ったから、魔王様とは親子ということになるのかな?」

 そう言うと、ウリちゃんはしばらくうつむいて、何かを考えているみたいだった。しばしの沈黙のあと、顔を上げた彼の目がきらーんと輝いた気がする。

「それですよ! ふふふ、魔王様は早まったことをなさいましたねぇ」

 あ、何? 久々に笑顔が黒いよ、ウリちゃん。

「ユーリ王子と同じ立場という認識であれば、ココナさんは魔王様の娘のようなもの」
「おおっ、それは!」
「メルヒノア様はああおっしゃっていても、ココナさんと魔王様は同じ血族。娘とは結婚できないでしょう、普通」
「そうじゃん。その通りだよ!」

 考えてみたら、道義的に無理な話じゃない!
 そもそも、悩むまでもない話だった気もするんだけど。メルヒノア様にもこれで納得していただけるでしょう。なんだか、気持ちがすごく軽くなった。
 でも、なぜ魔王様はそこに気がつかれなかったのかな。


 翌日、メルヒノア様がおいでにならない幼稚園は静かだった。朝はさびしがっていた子ども達も、お昼前には通常モードに戻れた。子どもの順応力はうらやましいなぁ。
 そして、お歌に体操、みんなでちょっとした工作をしたあとの自由時間。
 お砂場に遊びに行く子、滑り台に行く子とさまざまな中、おませな女の子達は今日はお部屋のすみっこでお人形遊びの気分なようで。お片付けをしている私の横でごっこ遊びがはじまった。
 ヴァンパイアのてんちゃんが紫色の大きなドラゴンの人形を持って、高らかに笑っています。

「フフフ、我こそが魔王。あなたは姫にふさわしい! さあいとしの姫よ、我がもとへ」

 難しいこと言ってるなぁ……てんちゃん。

「にゃにぉ! ひめしゃまはあたくちとらぶらぶにゃんれしゅぉ!」

 白いペガサスの人形を持った狼族おおかみぞくみぃちゃんが立ち上がる。

「あーりぇー、あたちのためにけんかちないれ!」

 大人しいねこ獣人じゅうじんのお嬢様ゆきちゃんまで、めずらしくノリノリだね。ピンクのつのうさぎのぬいぐるみを揺らしながら迫真の演技。
 そこへ蜘蛛くもおんなのマコちゃんが、剣を持った首のない騎士の人形を手に現れる。

「まてぃ! ココナ姫はこのゆーしゃがいただくのらっ!」
「……ん?」

 あのう……くのが怖いのだけど、何ごっこをしているのでしょう? お嬢さん達は。

「もしもし? みぃちゃん、てんちゃん、マコちゃん、ゆきちゃんは何をやって遊んでるのかな?」
「ココナ姫をめぐる恋のおはなしごっこ」

 てんちゃん……あなたが指差している、ゆきちゃんに抱っこされた角うさぎのぬいぐるみが、ココナ姫なんだね。あとのメンバーはもう考えたくない。セリフでなんとなくわかった。若干一名、前より増えた気がするなぁ。これはきっとメルヒノア様の影響に違いない。よく一緒にお人形遊びしてたよね。

「が、がんばってね」

 もう見なかったことにしておいた。心ゆくまで遊んでいてください。
 さてさて、他の子達は今日もアクティブに遊んでいる模様。

「よーいどん!」

 バラ組さんのゴブリンのふぅちゃんが号令をかけた。ユーリちゃんやくーちゃんが、お砂場からうんていまでの間をかけっこで競争している。

「こんど、まー君と、かー君も!」

 そう言って二人が並び、準備ができたのを確認して――

「よーい、どん」

 おお、速いね、まー君。骨だけだから軽いもんね。つた魔族かー君も、うね~っとした動きではあるけど案外速い。

「ぼくもぉ!」

 お次は、風竜ふうりゅうのあきちゃんや鳥獣人とりじゅうじんきらちゃんも参戦ですか。

「みんな、体を動かすのが好きですね」

 マーム先生も、目を細めてその様子を見てる。そういえばマーム先生は以前、学校の先生をしてたんだよね。今のかけっこを見てちょっと思い出したことがあったので、いてみる。

「学校では、運動会ってあるんですか?」
「うんどうかい? 体技を競う大会のようなものですか? 高等教育の場では剣技や体術を競う会は開かれるようですが、私が担当していた幼年部ではありませんでしたね」

 そっか。学校に通っているのはお貴族様のご子息ばかりだからね。遊びもかねて体を動かそうっていう考え方は、あんまりないのかな。

「じゃぁ、かけっこや玉入れみたいな簡単な競技ばかりで、運動会をやったらどうですかね? きっと楽しいと思いますよ」

 そう。おゆうかいも終わったし、他に幼稚園に欠かせない行事といったら、運動会でしょう! 季節も秋。ちょうどシーズンです。

「いいですね。先日のお遊戯会も大好評でしたし、親御おやごさん達もまた子ども達の教育の成果を見られる機会があればよいと話しておいででしたから」

 よし、マーム先生も乗ってくれた。
 じゃあ、今度の行事は運動会だね!
 魔王様もおっしゃってたけど、行事はガンガンやったほうが楽しいと思うのだ。


    ◆ ◇ ◆


 運動会。それは小学校を卒業するまでの子ども達にとって、かなり大きな意味を持つイベントである。いや、中学、高校になって体育祭と名が変わっても、重大行事のひとつだということは揺らぐまい。
 ……ま、日本では、だけど。

「うんどうかい?」

 子ども達に説明すると、初めて聞く言葉にみんな首を傾げる。

「かけっこで競走したり、チームに分かれて綱引きや玉入れとかしたりするの」

しおりを挟む

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。