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5:噂ってすごいよ
しおりを挟むなるほど、さっきのコワイ女医さんが腕と眼鏡の代わりをしろと言ったワケだ。見えない上に何も出来ないじゃない。確かに天才には左利きが多いと聞くが……。
だがこれはこれで面白いぞ。
「じゃあ、食べさせてさしあげます」
「いいよ」
「そんな事言わずに。はい、あ~ん」
「勘弁してくれ……」
「まだそんな事言ってるんですか?噂はすでに広まってますが、どうも途中でものすごい脚色が加えられてるみたいですよ。私たちは既に前から恋人同士だった事になってます」
「聞こえてるよ……嫌でも耳に入ってくるから。俺が留守ばかりで寂しい思いをさせてるから、それに不満の積もった君がキレてとび蹴りした事になってるぞ。その他似たりよったりで数パターン」
……出所はわからないがすごい想像力だなぁ。この短時間でよくまあここまで。
「こうなったら開き直りしかないですよ」
「……なんだかその性格が羨ましくなってきたよ……」
もう世間の目など気にしていては明日から生きていけないもの……多分。
「いっそ噂が聞こえないよう耳栓でもしてみますか?」
「君は俺をヘレン・ケラーにでもするつもりか?」
あ、ちょっと笑った。どうやら開き直る覚悟をきめたらしい。
「では気を取り直して。あ~ん」
渋々って感じで開けた立派な牙のある口にタルトを運んだ。うん、デートっぽいぞ。
「美味しいですか?」
「うん。実は甘いものは大好きなんだ。でもほら、男がこういうの頼み難いじゃないか」
「わりと人目を気にするタイプなんですね」
「ずっと他のA・Hとは違うからって別物扱いされて来てるからね。人目は気になるよ」
そうだった。この人は私達と違って生まれつきのA・Hじゃないんだ。
元々はノーマルタイプの人間。世界で初めて大人になってから自分で変わった人。
再改造の技術そのものをこの人が開発した事まで知っているのは数人しかいないだろうが、正直、キリシマ博士と並ぶくらいその道では有名な人だったので研究班の学者達や上層部は前から知っている。別に後天的A・Hであっても能力的に引けがあるわけでもないし、見た目にもわかりはしないのだが、中には陰口を言う者もいるだろうし、お喋りさん達もいる。やはりそれなりに気苦労はあるのね。
「でも、もう完璧馴染んでますよ。もうみんなあなたがノーマルだった事なんか忘れてきてるし。人目なんか気にする必要無いと思いますよ。ってか、気にするんなら、周りの女性に自分がどう思われてるかになぜ気がつかないのかが不思議です」
「それは君も同じだと思うけど?」
「……大好きなんでしょ? 気にせずもっと食べてくださいね」
「誤魔化したな」
え? なになに……?
また、突然彼の顔が近づいてきた。
ううっ、今度は正面からだ。少し目を細めて眉根を寄せて。
焦点を合わせようとしてるんだろうけど……そ、そんな顔で近づかれたら……
ひぃ~~。
「人に言ってないで君こそ鏡を見なさい」
あのう、人目を気にする人がこんな事してたらいけないと思うんですけど。
ああ……でも!
五センチも開いてるかしら。もう鼻がすれすれ。
ラズベリーの匂いの吐息がぁ……。
「ここまで近づかないと見えないのはわかりますが、絶対キスしてるように見られてますよ」
「すでに後ろから多数の悲鳴が聞こえている……もういい」
もういいって、開き直りすぎっ!
悲鳴の主は女の子だから私が殺されるわっ。
「わ、わかりました。もう言いません。だから離れて」
「よろしい」
やっと普通の距離に戻ってくれた。言うとまたぶり返しそうなので言葉には出さないが、今のあなたの顔はある意味凶器ですよ。うっかり本気でこちらからキスしそうになったじゃないですか~!
だが、その凶器は冷静だった。
「……もう行ったな」
「え?」
「多分噂の発信源の一つ。君にフラれた男」
「ヒューイがいたんですか?」
「誰かまではわからなかったけど、何人もに言ってたから。で、とどめを刺されたので諦めて半泣きで逃げたようだよ。どうせこれ以上噂は酷くなりようがないから、せめて腹いせに」
「そのためにキスする真似を?」
「うん。見えないのもあるけど。いっそ本当にしても良かった?」
……ちょっとして欲しかったわよ。そりゃ。
しかしまあ、いくら耳がいいっていっても、普通に会話しながらよくそんなに周りの声の内容まで聞いてたわね。大昔の人で十人の話を一度に聞いたという偉い人の話を聞いた事があるけど、やっぱり天才は頭の使い方が違うのかな。
あ~でもまだドキドキしてるわ。
「あ、ものすごく鼓動が早くなってる」
あんたのせいだ、あんたの!
「……そんな音まで聞こえるんですか?」
「耳がいいタイプのA・Hなら普通だ。そういえば君は何の動物が入ってるの? あの脚力は尋常じゃないぞ。研究班だからノーマルかと思ってたのに」
「アンテロープです。その中でもインパラ。ジャンプしながら走る事しか能がありません」
「素晴らしいじゃないか。なんで現場に出ないの?」
「まったく役にたたない能力だからです。垂直には飛べません。そしてまっすぐにも走れません」
「でも使いようによってはすごい戦闘力、いや……破壊力?だよ」
「ええ……一撃で肩を外せるんですものね……ううっ、だから役立たずだと……」
その制御不能の破壊力を体感した彼は、ちょっとごまかす様にタルトを手づかみで口に運んだ。
「生まれ持ってそんな能力があるのに、なんで学者になんかなったんだ?」
「学者になんかって、自分もそうじゃないですか。逆パターンですが。あ、ちょっと手についてます」
デートっていうより子供の世話みたいだわ……ふきふきっと。あらあら大きい手。爪も怖いわ。
「私の生みの親があまりにも有名で、かつ同じ研究所の他のA・Hがあまりに優秀だったので、このような役立たずは勉強でもして、なにか一つでも芸を見につけないと、と思いまして。で、今に至る」
「……君の喋り方、面白いね」
「そうですか?普通だと思いますが」
「……まあいいや。で? その有名な生みの親ってのがとても気になるんだけど」
「なんでそんな事まで聞くんですか?」
言いたくないわよ。言えば絶対笑われるもの。特にこの人には。
「恋人って事になってるんだろ? 相手の事もまったく知らないなんておかしいじゃないか。それに俺のことは君も知ってるみたいだし、ちょっと不公平だ」
……不公平って。子供の言い分だわよ。そりゃあなたの経歴を知らない人はいないけども。
「私の口からはとても言えないのでヒントだけあげます。あまりに優秀だと言った同じ研究所生まれのA・Hはあなたがとてもよく知っている人です。そして私は他のA・H同様に養子に出されているのでファミリーネームが違いますが、その人は出来が良かった故、博士の名前をそのまま貰ってます。これだけでもうおわかりでしょ?」
「まさか……」
「はい、そのまさかです。随分初期の作ですが」
「……君はキリシマ博士に作られたのか?」
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「過去の汚点って、自分の事をそんなに酷く言わなくても。そうか、まったく君と接点が無い訳ではなかったんだな。相棒のお姉さんみたいな人と話せて嬉しいよ」
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「フェイには内緒にしておいてくださいね」
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